第69話 第3章「後戻りできない事態」(七月七日)4
豆初乃は強く言い切った。三年前に比べると背が伸びた豆初乃は、元田と背は変わらなかった。
「クソっ、このアマ……」
たじろいだ元田は、手で豆初乃を掴もうとした。
パンパンパン!拍手が響いた。
「ははっ、お前、だめだな、元田。全然だめだ。何が『俺の言うことを聞きます、だ』。全然、手に負えてねえじゃねえか」
明山が上座で、片膝だちのあぐらをかいていた。
「なあ、舞妓の姉ちゃんよぉ。あんたのお袋さんは人の旦那を盗んだんじゃないかもしれん。大方、こいつのアホ親父がお前の母ちゃんにうつつを抜かしただけやろ。そして、あんたも人の旦那は盗んでへんのやろ」
明山が妙にものわかりよく言うので、豆初乃は警戒しつつもうなずいた。突っ立ってるのもおかしいので、膝をついて座り直す。
「そやろ?」
にこっと豆初乃に笑いかける。明山は、笑うと垂れ目になって可愛い顔になることで、豆初乃の警戒心を解いた。
「へえ、そうどす」
バンッ!
豆初乃がうなずいた瞬間、明山は手を勢いよく振り下ろした。豆初乃の着物の袖を掴んだ。豆初乃の方に乗り出して言う。顔からは笑みが完全に消えていた。
「そうかもしれんけどなあ、あんたが奈理子から盗んだ指輪は返してもらわな困るんだよなあ」
ぞっとして豆初乃は思わず身を引きそうになったが、ビン!と袖がひっかかって全く動けなかった。
(やばい、この人はこういうことに慣れている。元田なんかとは違う)
豆初乃が思ったときは遅かった。腕ごと取られて、ずるずると明山の方に引きずられて顔を近づけられる。
「な?指輪、持ってるんだろ?お前は、おぼこい顔して俺をだまくらかそうとして、悪い女だなあ」
明山は、ニヤッと口の端を引き上げたが、目が全く笑ってなかった。
「奈理子って誰どす?なんの話どすか?」
豆初乃は腕を振り払って、顔を上げて言った。
(あの人を知っている、ということを知られたらあかんのちゃうやろか。何かの罠にはめられようとしてるんや、うち。どうしよう。どうしたら切り抜けられるんやろ)
「白を切り通そうってか。そうかあ、これでも白を切れるか。出て来い!」
突然、隣の部屋との仕切りの襖が開け放たれた。女性が出て来る。常世田奈理子だった。
豆初乃は、思わず立ち上がりそうになって、明山に踏まれた裾につんのめって畳に手を着いた。その姿勢で女性を見上げる形になった。
奈理子は、高価そうなタイトなエメラルドグリーンのノースリーブのワンピースで、豆初乃を見下ろしていた。胸元はぐっと切れ込んで、大ぶりなゴールドのネックレスをつけている。手首にも5㎝幅はあろうかという金の腕輪を、指にはつけられる限りの指輪をつけて、豆初乃を無表情を見下ろしていた。
確かにこの人だった、と豆初乃は思った。全然、雰囲気が違うけれど、あの日もこんな色のハイヒールを履いていて、この人の肌にとても映えていたのだった。
「ねえ、指輪返してよ」
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