第62話 (第2章)「事件」(六月三十日・夕刻)(6)

―――お母さん?

 お母さんと言われて、豆初乃がすぐに思い浮かべたのは、雪駒家のお母さんのことである。ふっくらとして艶のある肌で、しっかり者で始末屋で愛情深いお母さん。

 しかし、すぐにそうではないことが分かった。紅乃が外を見たままであること、慶次郎が不自然なまでに動かないことから、雪駒家のお母さんの話ではないと分かった。

「お母……ちゃんのことですか?新潟のお母ちゃんと似ている……?」

豆初乃は驚きのあまり、雑誌を引き寄せてまじまじと常世田奈理子の顔を見つめた。似ているだろうか?混乱して女性の顔がちゃんと認識できない。奈理子の顔がぐるぐる回ってよく見えない。

「えっと……奈理子さんは、髪の色も栗色ですし、こんなええ着物なんて、こんな華やかな場所でなんて」

豆初乃がいろいろと口に出すと、紅乃はそれには答えずに外を向いたまま言った。

「あんたが、だまされたのも無理はない。いろんな思いを抱えて、うちに弟子入りしたいって来たんやろし」

答えになってない答えを言う紅乃に、初めて豆初乃は苛立った。

(何なん?わけのわからんこと言うて。あのお人がお母ちゃんに似てるとか、似ても似つかへんのに。あの人を悪者にするために、どんなことでも引っ張ってくるとか。お姉さん、どうかしはったんとちゃうん?)

 豆初乃は思わず、立ち上がった。紅乃が豆初乃を見上げてくる。紅乃の表情が、痛みを我慢しているように見える。怒りとか豆初乃を説得しようとか、そういう気配が目の中には無かった。

 予想外の紅乃の表情に、豆初乃はカッとして口走った。

「……っ似ても似つかへん……っ!お母ちゃんなんて……!訳がわからしまへ」

コトッ。

 豆初乃がさらに声を荒げそうになった瞬間に、テーブルに何かが置かれた。反射的にそちらに目をやると、可愛らしい小さなエクレアだった。

 狐につままれたような顔で振り返ると、慶次郎がにっこり笑って、もう一つエクレアをトレイに乗せて立っていた。

「エクレアの語源となった『エクレール』には、稲妻という意味があるのでございますよ。諸説ございますが、中のクリームが飛び出さないように、表面のチョコレートが溶けないように、稲妻のように素早く口に入れる、というところから来ているという話もあるのですよ」

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