第61話 (第2章)「事件」(六月三十日・夕刻)(5)

紅乃はたたみかける。

「言い換えたらな、あんたのかばってる常世田グループのお嬢さんはな、ふつうは、たいていのことに目をつぶって会社のために結婚する政略結婚で、二回も婚約破棄してるんや。婚約破棄されてるんかもな。これだけの美人でこれだけの家柄があってな。それで、この狭い一方通行の多い京都の花街の路地でな、人を撥ねてもかまへん猛スピードで運転して、撥ね飛ばしそうになった舞妓に無理矢理指輪を押しつけて、それも一見ものすごい宝石がついてそうな指輪を押しつけて、その後、全体未聞の女紅場のロッカー荒らし、引ったくり、あんたを脅そうとするチンピラの登場。という、あり得ない偶然でトラブルが起こってんねん」

 イライラとした様子で紅乃が言う。ふだんの澄ましている紅乃とはまるで別人だった。

「あの美女が首謀者なんかそれは分からへんけども、あの指輪をあんたが預かってからトラブル続きやってことは間違いない。この指輪がカギなんや。それでもなんか言うことあるか?」

紅乃は指輪を持ち上げて、そう言い切った。

「へえ……言うことはありまへん」

豆初乃は、紅乃の勢いに圧倒されて、呆けたように頷いた。

「紅乃さんの仰有る通りで、この指輪がカギなんだと私も思いますが」

穏やかに慶次郎が割って入った。

「外面と内面がかけ離れている、というのは、年若い豆初乃さんには、なかなか実感できることではないかもしれませんね。確かにこの女性は、この雑誌のお写真で拝見する限り、虫も殺さぬ天女さまのよう、と言われたら、そう見えますからね。その人の心のなかが闇に彩られているかもしれないということは、若いときには予測しえないものです」

豆初乃は自分の思慮の無さ、未熟さを、恥じた。

「すんまへん……うちが、未熟者で余計なことをしたばっかりにこんなことになってしもて」

うなだれる豆初乃に、慶次郎は慌てて続けた。

「そんな……豆初乃さん、お顔を上げてください。若いときは誰でも未熟なのです。未熟じゃない人などいません」

「……豆初乃さん、あんたがこの奈理子さんて人に、ころりとだまされたのは、あんたが未熟なだけやなくて」

紅乃が窓の外を見ながら話し出した。人は、話しにくいことを話すとき、相手の顔を見ることは難しい。

「この人はあんたのお母さんに似てるんや」

紅乃はできるだけ何気ないように言おうとした。しかし、「残酷なことを言うのだ」という自責の念は、紅乃を捉えていた。

「えっ?」

豆初乃は豆鉄砲を食らったような顔をした。何を言われているかわからなかったのである。

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