第60話 「事件」(六月三十日・夕刻)(4)
「それで、これがなんで偽物と断定できるかというと」
次に口を開いたときには、紅乃は話を変えた。
「アレキサンドライトは人工的に作ることができるねん。それもとてもええもんが作れるねん。この指輪は、均一な輝きと、色の変化の劇的さとムラのなさから考えて、人造アレキサンドライトの可能性が高い。天然でこのサイズやったら、有名宝飾店が貸金庫に入れて厳重に保管しているレベルやから、いくら常世田奈理子さんがお金持ちでも自由に持ち出せるような状態にはなってないはず。そして行方不明になってから、二ヶ月も盗難届が出ていないことは有り得へん。行きずりの舞妓に託すことはまずあらへん……」
紅乃は、花街の言葉ではなく、地の関西弁で話していた。豆初乃の反論の余地のないことでも、澄ましていない関西弁が豆初乃の心にすっと入って来た。
「まあ、人造アレキサンドライトと言えども、質の良い物は相当高い。安いダイヤモンドよりは遙かに高いで。その人造アレキサンドライトをなんで豆初乃に渡したのか、豆初乃の身に起こるトラブルはこの指輪と関係があるのか、って話やなあ」
紅乃は、独り言のように空中をみながら呟いた。
「この奈理子さんという方は、二度婚約なさって破談になり、一度結婚なさった後、離婚されておられますね。結婚のお相手は、九州の旧大名家に繋がる方です。英明女学館の幼稚舎から大学までエスカレーターで進んで、お茶・お花・日舞の名取りでおられます。弟君の正信さんは有名私立一貫校から東京大学法学部へ進学後、財閥系商社へ預けられています」
慶次郎が新たにカップを代えて紅茶をつぎながら、報告書を読み上げるように言った。
「……預けられ……?」
豆初乃の知らない言葉ばかりである。
「お商売をやっておられるところの御曹司が、親族が経営する会社ではないところへ修行という形で就職することです。もともとは、自分のところでは甘やかしてしまって修行にならないためによそへ出したと思われますが、人脈を広げたり、箔をつけるためでも行われますね」
慶次郎は、ティーポットから最後の一滴を注ぎ切った。
豆初乃は慶次郎の詳しさに驚いた。インターネットで豆初乃が調べても、全然わからなかったのに。豆初乃の生まれ育った場所では、聞いたこともない言葉ばかりだった。
「ふうん……。ほな、このお人は真っ白で純粋無垢なお嬢さんやあらへん、てことやなあ。こんな人造の指輪を出してきておぼこい舞妓をだますのはともかく、トラブルに巻き込もうとしてはるんは、どんな悪だくみがあんねんろ」
慶次郎の話した内容を当然のことのように、紅乃が後を続ける。
「でも、ほんまに、あのお人は困ってはるようで。あんなお金持ちで、ええとこの学校行ってはって、家族みんなが幸せそうで、そないな嘘をつかはることがありますやろか」
豆初乃は心底それが信じられなくて、だからと言って紅乃たちが根拠もなくこの女性を疑っているとも思えなくて、どう考えて良いかわからなかった。
「……あんたな、車で撥ねられそうになって、わけのわからん指輪を押しつけられて、前代未聞の女紅場のロッカー荒らしにあって、引ったくりに見せかけた強盗に遭いかけて、ほんで、あんたのことを待ってたかのように稽古の帰りに現れるチンピラ―――これだけの目ぇに逢わされても、あんたはまだあの人が純粋な天女さまやって思うんか?」
紅乃がドスの利いた声で言った。豆初乃は、ぐずぐず言っている自分を忘れて、思わずポカンとしてしまった。紅乃の意外な側面を見た気がした。
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