第58話 「事件」(六月三十日・夕刻)(2)

 「はあ……、その指輪は、今、持ってはるんか?」

豆初乃が思いつく限りのことを、紅乃と紅茶屋店主の慶次郎に話した後、紅乃はそれを口にした。

 豆初乃は、首元にかけていた紐を引き出した。小さな紅絹の袋が、紅茶室の真っ白のテーブルクロスに映えた。午後の日差しが袋の下に影を作る。

 紅乃は「見してもらうで」と言って、袋を開けて指輪を取り出した。指輪が転がりだす。日光が射しこむ窓辺では緑色に輝いている。きらめいている。

「へえ……」

 紅乃は感心した顔で、指輪をつまんで光にかざした。

「あの……すごい宝石なんやろ、と思って。あの人がほんまに悪い人に追われてはるんやろと思って」

 紅乃の感心した表情に勇気づけられて、豆初乃は言い加えた。

 紅乃は少し微笑むような困ったような表情をしてから、慶次郎に目を移した。テーブルの横に立って話を聞いていた慶次郎が、紅乃にうなずく。

「ちょっと失礼いたします」

慶次郎は、壊れ物でも扱うようにそっと指輪を受け取ると、光にかざした。いろいろと角度を変えている。写真も数枚撮った。そして、指輪をテーブルの上にそっと置くと、紅乃の目を見つめて敬次郎は再びうなずいた。紅乃がそれを受けて、ゆっくりと瞬きをした。一呼吸おいてから、

「あの、な、これな、本物とちゃうで」

紅乃はいたわるように豆初乃に言った。

「えっ」

豆初乃は何を言われているか分からなかった。奈理子の正体やトラブルを起こしている犯人について話をするのだと思っていた。宝石が偽物なんて疑ったこともなかった。

「この宝石はアレキサンドライトと言って、光の種類によって色が変わる性質があります。太陽の下や蛍光灯の電気の下では緑色、白熱灯の下では赤色。天然の物で、美しい変色作用があり、大きな物なら、非常に高価な値段がつきます」

慶次郎が宝石の説明をする。

「本物なら、な」

 紅乃が、静かな声で付け加える。

「で、これは偽物や」

「でも。でも、でも。すごく高級そうな服を着てはりましたし。車かって、ものすご大きうて、つけてはるアクセサリーも全部キラキラしてましたし……」

 豆初乃は、あの優しそうな女の人が自分を騙したことが信じられなかった。あんなに涙を流して、自分にすがったことが演技やったなんて、信じられなかった。喉の奥に熱いものがこみ上げてくる。せり上がってくるそれをこらえて、豆初乃は「ふぐっ」と変な声を漏らした。

 泣きそうになっている豆初乃を見て、紅乃と慶次郎は顔を見合わせる。

「紅茶のおかわりをいかがですか」

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