第55話 「事件」(六月三十日・昼)(3)

 元田君だなんて。そんな。

 金髪男も、豆初乃が誰か分かったようだった。ぽかんとしていた顔に、突然「わかった」という表情が表れた。そういうことを隠せるほどに修行は積んでいないらしい。

 途端に少年の目に憎しみが宿る。片頬だけ唇をゆがめて笑った。

「―――こんなところで、会えるとはなあ……芸者になったっては聞いてはいたけどよ」

 憎い相手をようやく見つけて、嬉しくてたまらない表情で、金髪少年は留めていた足を踏み出そうとしてきた。

(どういうことなん?あの女の人と元田君が、なんで一緒に)

 豆初乃は混乱しすぎて、理解できなかった。

 少年はどんどん近づいてくる。通りの向こうでは、豆初乃をじっと見ている女性とその取り巻きのホストがいる。多くの観光客が、豆初乃とその少年の成り行きを見守っていた。そうやって注目を集めていることに、その少年は気持ちが煽られてすらいるようだった。

「なあ、だんまりかよ?大川……友世、だったよな?忘れていないぜ」

 少年は豆初乃の本名をフルネームで呼んだ。もうあと数歩のところまで来てしまった。

(元田君、変わってない。小学生の頃の面影は残っている。でも変わった。三年前のときよりもずっと大人になった)

 豆初乃は混乱した頭のどこかで、元田真輔を冷静に観察していた。

「お前の一家が、俺の家にしでかしてくれたことを、俺は忘れていないぜ。なあ……」

金髪少年が、豆初乃へ手を伸ばした。今にも手が届きそうな距離まで来てしまった。豆初乃の足は、そこに釘を打たれたように動かない。

  

「豆初乃さん」

 ふっと突然呪縛が解けた。強くて芯のある優しい声。

「紅乃お姉さん」

振り返ると紅乃の顔があった。浅葱色の着物に白い衿が涼やかな風情で、紅乃が微笑んでいた。164㎝の豆初乃よりも、まだ少し高い背。日本髪の鬘の分だけ、豆初乃よりも大きく見える。着物と衿の白さが顔に映って美しい顔が、にっこりと笑った。

「こんなところでどうしはったん?」

ふだんよりもずっとゆっくりと優しく、周囲にもはっきりと聞こえるように、紅乃は発音した。そして、豆初乃の肩に後ろからそっと手を添えた。豆初乃を脇に抱きかかえるような形で、豆初乃に笑いかける。

 それから、紅乃はゆっくりと豆初乃の目の前の少年に目を移した。わざとゆっくりと、相手を威圧できるように、威厳をもって。

 豆初乃から見える紅乃の横顔は、もう全然笑っていなかった。どこにも緩みのない厳しい顔で金髪少年を見据えている。

―――前もこうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る