第37話(第2章)「事件」(五月九日・夕刻)(1)

(五月九日・夕刻)


 「お母さん、理帆がどこにいるか知らへんか?」

 雪駒家では、勝文が孫を探していた。昼間に、豆初乃の件で「奥に行っていなさい」と言いつけた孫である。抱えている舞妓を全員送り出した後の、少し手の空く時間帯である。

 置屋では、午後三時頃から舞妓が夜の支度を始め出かけるまでは、慌しく戦場のようになる。雪駒家では、今は豆初乃を含めて舞妓が三人、仕込みが二人いる。仕込みの一人が最近入ったばかりなので、慣れないので時間がかかっているので、なおさら忙しかった。

「うちもさっき探したんですけどなあ、見あたらへんし帰ったんとちゃいますか?」

 舞妓をお座敷に送り出す戦争で疲れた照子は、食卓の椅子に座っていた。膝には大福を乗せて、なでている。

「にゃー」

「ほら、大福も返事してはるし、黙って帰ったんとちゃうか?なー?大福」

照子は大福に話しかける。

「あ、お父さん、お茶を淹れるなら柳櫻園の焙じ茶にしとくれやす。あ、祇園紅茶室の紅茶でもええなあ」

 照子は、お茶の準備をし始めた勝文に銘柄を指示した。照子はもともと雪駒家の娘で、舞妓から芸妓になって置屋を継いだのだ。照子が家付き娘で勝文が婿入りしたこともあり、家の主人は照子なのだった。勝文は還暦を過ぎるまで、事務機器を売る会社のサラリーマンとして勤め、雪駒家には夜の用心棒として帰ってくる生活だった。照子と、照子が大事にしている雪駒家を大事にしている勝文だから、照子のサポート役に徹しているのである。

「そやけど、理帆のことはそろそろハッキリさせなあかんなあ。もう十七歳やし、あんな肌を露出した格好の子が置屋に出入りするのは、よくないしなあ?大福」

「はい、お茶。紅茶にしてみたわ。慶次郎さんの言わはる通りに淹れると、美味しなあ」

 エプロン姿の勝文が着物姿の女主人にお茶を差し出す姿は、束の間の穏やかな時間の象徴だった。この後、仕込みさん達に食事をさせて、お風呂の準備をし、帰ってくる舞妓たちに風呂を使わせ、お座敷の予約に対応し、着物を揃えたり、細々とした用事をしなければならないのが置屋の生活である。

「んん~。お父さんの淹れるお茶はほんまに美味しいなあ」

「それにしても」

勝文は自分も席について、紅茶を飲みながら切り出した。

「理帆はなんであんなに豆初乃ちゃんにだけ、きつく当たるんや。うちで抱えてる他の妓、富春ちゃんやら福春ちゃんにはああいう態度ちゃうやろ?なんで豆初乃なんやろ。豆初乃は、現代的な感覚からするとすごくキレイなタイプってわけでもないし……」

「お父さん、本気で言うてはんの?」

照子は、勝文が出したお茶請けの干菓子をつまみながら呆れたように言う。

「理帆のあれは……紅乃が好きやから、紅乃の妹分の豆初乃に当たるんですやろ」

「ええ?なんで?」

「なんでって……。紅乃は、もともとほとんど妹分を取らへんところへ、ぽっと出の豆初乃だけは紅乃が自ら引き受けるって言ったから、妬(や)けてたまらんのやろ。なあ?大福。理帆ちゃんは嫉妬してはんねんなあ?」

「そやけど、お母さん。理帆は舞妓とちゃうし、雪駒家を継ぐっちゅうわけでもないし、紅乃はそれなりに理帆に付き合ってやったりしてるようやんか。なんでそないに妬く必要があるねん……?」

「理帆は、紅乃を取られたみたいな気持ちになってんねんろ。飛びぬけて美しくて、元は大金持ちのお嬢様という設定は、十代の子どもは好きやろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る