第29話 (第2章)「事件」(五月九日・午前中)(5)
踊っていた生徒たちが棒立ちになる。後ろに坐して控えていた二十人ほどの生徒たちも、驚いてロッカールームの方を見ている。美津子師匠の横で三味線を弾いていた先生方も、膝立ちになってロッカールームの方へ真剣な目を向けていた。
直後に、階下でロッカールームの方へ向かう足音がバタバタと激しく聞こえた。
「あんたら、ちょっと大人しい待ってなはれ、うちが見てきますさかいに」
美津子師匠が張りのある声でいいつけて、さっと立ち上がった。美津子師匠の強さに、動揺していた生徒たちから、音にならない安堵の雰囲気が漂う。
どないしよ、どないしよ、と言っている生徒を尻目に、美津子師匠は裾をきゅっと持って小走りに出て行った。
「さすが美津子先生やな……」
「うち、あんなに肝が据わってへんわ……」
口々に言い合いながら、階下へ続く広い階段の方を生徒たちは見ていた。
「な、豆初乃ちゃん、そやけど登美菊お姉さんを美津子先生が止めてくれはって良かっ―――」
隣の福波に言われて、豆初乃は突然、思い出した。
(指輪……!!)
豆初乃は決然と立ち上がり、浴衣の裾をたくしあげた。
「えっ」
「あっ豆初乃ちゃん」
両隣の福波と光香が呆然としている間に、豆初乃はぐっと足を踏ん張って飛び上がった。
五列ほどに並んで座っている、われしのぶやおふくの髪形の頭の上を軽々と飛び越えた。距離にして二メートルほども水平に飛び越えただろうか。豆初乃の踊りの才能のある身体能力を、はからずも証明した形となった。
おおおおお、と声にならないどよめきが広がる。
豆初乃は、どよめきには我関せず華麗な着地を決めた瞬間に、バランスもとらずに走り出した。前を行く美津子師匠の跡を追った。
「え……?」
「何あれ」
「すごくない?今の」
「誰?豆初乃はん?」
居並ぶ生徒たちは、豆初乃の驚異の身体能力と無鉄砲さに呆れていた。
豆初乃の前を行く美津子師匠は、階段の半ばまで来ていた。多くの生徒が昇り降りできるように、黄の階段は幅が広く、手すりも幅を持たせてある。
階段まで来た豆初乃は、手すりに手をついて地面を蹴った。浴衣で裾の動きが制限されていると思えない軽やかさで、手すりに飛び乗る。そこにまるでためらいはなかった。
30㎝はあろうかという幅の広い手すりの上を、豆初乃は飛び乗った勢いのまま滑り降りる。まるで、浴衣でスケートボードをしているようである。
横を滑り降りていく豆初乃に気づいて、美津子師匠は思いっきり怖い顔をした。
「これ!豆初乃さん!またあんたか」
美津子師匠の叱声に
「えろうすんまへん!」
と大声で答えながら、長い階段の手すりを豆初乃は一気に滑り降りた。豆初乃の頭のなかにあるのは、指輪のことだけである。
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