第23話 第1章「謎の始まり」 五月七日・深夜(1)


(五月七日・深夜)


 「おかえり」

「にゃー」

 雪駒家のお母さんと豆大福が出迎えてくれた。夜のお座敷から帰るときだけは、お母さんは玄関まで迎えに出てくれる。最後のお座敷を終えて戻ると、深夜1時である。

「早よ着替えてお風呂もらいぃや」

「はあい」

 お母さんの声に返事をしながら、豆初乃は、ぐったりと疲れて衣装部屋に入る。蛍光灯をつける。

重い体を引き上げるように衣装を脱ぎ、衣桁にかける。帯を解くと、押さえられていた体の骨が一気に緩むような感じがあって、呼吸が楽になる。長時間、胸の半ばからお尻の半ばまでを幅の広い帯で押さえているから、きつく締めなくても息が苦しくなる。

明治時代は、10歳くらいから帯をきつく締め上げていたから、あばら骨が変形したって話をこの前聞いたな……と思いながら、豆初乃は今にも寝転がりたい気持ちと戦いながら、一枚一枚脱いで衣桁にかける。

舞妓の衣装は豪華なだけあって、とても高価なものである。月によって、日によって、いろいろと変えるし、かんざしから何から全部、その舞妓専用にあつらえるものが多い。

染めるだけではなく、豪華な縫い取り、金銀の刺繍、金銀箔押し、絞り、とあらゆる和装の技法がそろっている。職人が少なくなり値段は高騰している。大事に大事に扱わなければならないのだ。

そういうことも、豆初乃は花街に来て初めて知った。豆初乃は舞妓に憧れて花街へ飛び込んだわけではなかったから、舞妓について何も知らなかった。「紅乃お姉さんみたいになる前のきれいな着物を着ている人」程度のイメージしかなかったのである。

衣装代が芸妓よりはるかにかかることも、それらを全部、屋形―――豆初乃なら雪駒家———が出す仕組みであることも、花街に来るまで知らなかった。衣装代だけではなく、お稽古、生活費、お小遣いなどかかるお金はすべて雪駒家のお母さんが出してくれている。とくに、舞妓になるための仕込みの期間は、何の稼ぎもないのだから、ただただ居候なだけだった。稼げるようになるか分からない者にそれだけのお金をかけるのである。「仕込みさん」と呼ばれる仕込みの期間にずいぶん厳しくする屋形もあることを、豆初乃は今なら知っている。豆初乃は雪駒家で大事にされていると感じていた。

 そう思いながら、ドーランで白粉を落としていく。肌襦袢姿になって、深夜にひっそりとしたなかで白粉をおとしていく作業は、舞妓の豆初乃の鎧を脱ぐ時間だった。

紅乃お姉さんもいつかそういうことを言っていたと思う。

 ひとりでひっそりと何かを終わらせる作業。元気で、唄が下手で、踊りは上手だが色気が足りないと言われて、笑顔と元気さが売りの豆初乃の鎧をゆっくりと脱いでいく儀式。

白粉の下からは、色の白くない肉付きの薄い印象の薄い、友世の顔が現れる。途端に豆初乃は友世の世界に引き戻される。

この時間帯が友世は一番嫌いだった。

濃い白粉を落とすと同時に、自分を覆っている鎧を脱ぎ捨てて、むき出しの弱い友世に無理矢理戻されるようで。二度と戻りたくない、二度と思い出したくない、新潟での友世の生活。

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