第12話 第1章「謎の始まり」 五月七日・夕刻(2)

「そやけど、その車はどこのどいつやねん?うちの豆初乃ちゃんに何してくれてはるねん」

お母さんはえらい剣幕で拳を振り上げた。

「それがな、お母さん。すぐに行ってしもて」

「どこの車かわからんかったんか」

お母さんが豆初乃の続きを引き受けて言った。

「ほんで、祇園紅茶店の和美さんが送ってきてくれはったんよ。念のため」

「ほんま、おおきに。うちの豆初乃のために……」

「おかあさん、うち、お座敷の支度しますわ、もう時間あらへんし」

豆初乃は、車の車種やどんな状況だったか詳しく追求されそうな雰囲気に終止符を打って、話を強引に終わらせた。

「あ、ほんまや!早よ、し!もう男衆さん、来はるえ」

「はいはい、ほな和美さん、ほんまにおおきに」

豆初乃は和美にお礼を言って、上がり框へ上がる。和美さんとお母さんが話をしているのを背中で聞きながら、小走りで階段を上がり部屋に駆け込んだ。急いで後ろ手に襖を閉める。

両隣の部屋に聞こえないように、そうっと深く息を吐く。息を詰めていたのだ。右の部屋には二歳上の先輩舞妓の富春、左隣には一歳下の知佳がいるのだ。聞かれてはいけない。

(なんでうちは、言わへんかったんやろ……)

 豆初乃はふすまの前にへたりこんだ。帯の中に手を入れる。胸の下で薄い生地越しに、ずっと当たっていた固い物を取り出した。豆電球のオレンジ色の光だけが灯っているほの暗い部屋のなかでも、きらりと光る石。

 ドクン。

 豆初乃の心臓が強く打った。指輪の石が赤い。暗い赤。

豆初乃の心臓は早鐘のように打ち続けた。

確かに緑だったはずだ。さっきの女性の指で緑色に輝いていた指輪。あの女性の手から豆初乃の手に、そっと落とされた指輪。確かに緑色だった。

(どういうこと?)

 豆初乃は声を飲み込んだ。知られてはいけない。誰にも聞けない。

だって―――あの人から預かった宝石だもの―――。いまさら―――もう聞けない。でもどうしよう。なんで―――なんで、受け取ってしまったんだろう―――。

 豆初乃はこめかみをドクドクと流れる血の音が聞こえる気がした。喉がひりつくようだ。

「豆初乃ちゃん、支度できたかぁ?」

  一階からお母さんの声がかかった。豆初乃は小さく飛び上がった。

「男衆さん、来はったえー」

 豆初乃は蛍光灯の電気をつけて時計を見上げた。もう午後5時だった。

「い……いま、行きまーす!」

豆初乃は元気な声で返事をして、慌てて手の中の指輪をしまおうとして、再び息をのんだ。

指輪の宝石がまた緑色になっている。暗い緑色。あの女の人の美しい桜色の指先にそっとつままれていた青みがかった暗い緑色の宝石。

あの人の―――そう、何かにすごく似ているような―――。

「豆初乃ちゃーん?!」

下からの催促の声に、豆初乃はそれ以上考える時間を持てず、指輪は携帯電話のストラップのぬいぐるみのなかにしまった。女性の手に収まるくらいの緑の八つ橋のぬいぐるみのストラップだ。お客さんにもらった。中が財布のようになっているので、いつも持ち歩くことを考えたらそこにしまうのが一番良いように思えた。

「はいはい!今行きます!」

 豆初乃は、肌襦袢を慌てて着つけて階段を駆け下りていった。

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