第4話 すべての始まり(4)
しゅんしゅん……。お湯の沸く音が室内に満ちている。
「お待たせしました。お嬢さんには甘いミルクティーを」
慶次郎は、紅乃と女子中学生を祇園紅茶室へ誘ったのだ。こういう時は、美味しいお茶とお菓子が一番ですよ、と。
「紅乃お姉さん、先ほどは差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした」
慶次郎が、紅乃にダージリンティーを差し出しながら言う。
「いえ、ほんまに助かりましたんやさかい。謝らんといておくれやす」
紅乃は、艶やかな声で答えた。先ほどのドスの利いた声が想像できない。
「お嬢さん、おけがはありませんか?」
恐縮して、店内に入ることを固辞していた女子中学生は、三十分ほど経ってようやく落ち着いてきた。
「お嬢さん……名前はなんて言わはんの?」
紅乃が優しく訊いた。
「大川……友世です、あの、助けてもらって本当にありがとうございました」
「……よければ、何があったのか話してみいひんか?」
紅乃が声をかけると、女子中学生は重い口を開いた。
新潟県糸魚川市の中学校三年生であること、修学旅行で来たこと、友達がいないこと、絡んで来た不良は同級生であること。
しばらく身の上話を聞いてから、慶次郎は意を決して口を開いた。
「これは……友世さんは触れられたくないことかも知れないけれど、友世さんの人生のことを心配する大人として見過ごせないので、お訊ねしますね」
友世は、顔にかかるぼさぼさの髪の毛を押さえて、慶次郎を見上げた。美容院には行けていないのだろうな、と思わせる髪形だった。
「金髪の子が、『俺の親父が、あの女だって金で買ったんだ』と言いました」
友世は目を見開いて、息をのんだ。
「友世さんが……誰かの言いなりになっているのだったら、大人としてやらなければならないことがあるので、言いにくいと思うのですが、どうなのか教えて欲しいのですが」
慶次郎は大きな体を縮こめて言った。
「どうなん……?うちも……大人として聞き捨てならへんわ」
紅乃が続きを促す。
「……ちがいます……元田君の言ったことは、本当じゃないんです……」
友世はうつむいて、言った。テーブルが小さくカタカタと鳴る。友世が震えているのである。
「私の家はすごく貧乏で……お父ちゃ、お父さんが出て行ってしまって……お母ちゃんがスーパーで働いて……。でも、お母ちゃんは心の病気で、短い時間しか働けなくて……。スーパーは元田君のお父さんのものなんです。それで……お母ちゃんは、元田のおじさん、元田君のお父さんと付き合っているみたいで……元田のおじさんがくれるお金で……。元田君は、中1の頃は真面目だったのに、あんな風になってしまって……元田君のお母さんも倒れて……」
友世は真っ赤になりながら、途切れ途切れに話した。自分の家のことも、自分のことも恥じているのが伝わってきた。
「言いにくいことを言うてくれて、おおきに。もうええよ」
紅乃が、友世の髪を直してやりながら言った。
「ここのお菓子はなんでも美味しいんやから、何でももらい。うちが御馳走したげるし」
紅乃はそう言って笑い、慶次郎にあるだけのお菓子を持って来させた。遠慮する友世に、紅乃は勧め続けた。
最後は、「美味しい、美味しい」と泣き笑いして、日焼けした顔に涙の筋を残しながら、垢ぬけない笑顔で帰って行った。中学校三年生らしい笑顔だった。150㎝の小柄で細身の姿がいじらしく、慶次郎には思えた。
その1年後に、友世が紅乃を頼って、花街で舞妓の修業を始めることになるとは、紅乃も慶次郎も全く予想外だったのである。
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