第8話 シナリオに追いついてしまった
「主様、主様、大丈夫?」
リュドミラの声で僕は目を開ける。軽く気を失っていたらしい。やっぱ慣れないクラスだと咄嗟の対応が甘いか。
「主」
サビーネが心配そうに覗き込んでくる。
体を起こすと目の前には、床に剣を突き立てた赤毛の背中。幅の広い大剣の向こう側には瓦礫がこれでもかと積み上がっている。困ったな、格好良すぎるじゃないか。
「ありがとう、ヒルダ」
ポンコツ娘は僕を振り向いてサムズアップするとニカッと笑った。漢らしくて惚れるわ。
大広間は派手に破壊されて、柱も壁も吹き飛んでいた。穴の空いた天井から空が見える。あちこちに破片が転がり、廃墟のような有様だ。僕はよく見知った真珠竜の御座所の風景にため息をつく。
「まさか現場に居合わせることになるとは……他の皆は?」
リュドミラが指差す先にマルシオが転がっていた。多分彼女が引っつかんで逃げたのだろう。怪我をしている様子はない。立ち上がったサビーネが心配そうに見やる先には、泣きじゃくるディフィリアの姿があった。
「フィデルさん……」
駆け寄ったものの、僕はそこで動けなくなる。リュドミラが僕の方にいた時点でわかったはずなのだ。
回避行動を取った僕らと違って、正面からの直撃だった。あのブレスの威力は知っている。まともに食らったらカンストプレイヤーだってやばい。範囲外に逃げるか、無敵系のスキルで凌ぐしかないのだ。
「どうして、どうして兄様……」
きっと妹を大事に抱え込んだのだろう。仰向けに横たわるフィデルさんの顔に傷はない。でも、きっと背中側はひどい有様だ。人が倒れているにしては薄い。設定上黒曜竜のブレスは物質を分解する。文字通り身を削って、妹の盾になったのだ。
『ドラコン』に蘇生呪文はない。サーヴァントは死なず送還扱いだし、プレイヤーは残機式で、一日に三回まではその場で復活可能な仕様だ。使い切れば拠点に戻るしかなくなる。そのためヒットポイントがゼロになった者を蘇生する手段がない。
もし瀕死でも息があったなら、リュドミラはここで治療していたはずだ。ひとつのパーティにヒーラーが二人というのは不自然なので、リュドミラは今は弓術師として動いている。でも彼女は普段は風魔弓師……ヒーラーなのだ。
ディフィリアもさすがに無傷ではなかった。命にかかわるほどの傷ではなかったから、リュドミラは隠蔽することを優先したのだろう。僕が治せばいい。きっと、まだ痛みに気付いていないだろうから、今のうちに。
「どうして、黒曜様が真珠様を……」
「真珠竜の力を我が物とし、完全な神になるため」
僕の言葉にディフィリアが顔を上げる。
「僕の世界ではそうだった」
「なん、ですって……」
「僕がこの大陸にやってきた当時は、すでに黒曜竜は真珠竜の力を得て、大陸は滅亡寸前だった」
「何故そのことを!」
「言ったとして信じたかい? 僕の世界がそうだったからって、この大陸も将来に黒曜竜に蹂躙されるかもしれないなんて」
ディフィリアは押し黙る。彼女は今まで黒曜様に頼ってきたのだ。
「だから、黒曜様をあれほど嫌っていたのですか……」
「元の世界では敵、こちらでは誘拐犯。好感の持ちようがないだろう?」
ディフィリアはうつむいて唇を噛む。握り締めた拳が白い。その白い手を腰へやると、彼女は黒曜石の剣を叩きつけるように床に投げ捨てた。ブレスに巻き込まれたのか、すでに半分ほどに折れてしまっていたそれは、カラカラと乾いた音を立てて転がった。
多分、説明された時ディフィリアが言っていた「黒曜様は真珠様の領域にどうやって行くのか知らない」というのは本当だったのだろう。ろくに話もできなかったが、真珠竜は一度黒曜竜に襲撃されたが逃げ延びた。その後真珠竜は御座所に引きこもり、手を出しあぐねた黒曜竜は灰の騎士継承を口実に僕を呼び寄せたといったところか。
おそらくここへ来るまでどこからか監視していたに違いない。まんまと暗殺の片棒を担がされたわけだ。
目を覚ましたマルシオがこちらへやってきて、惨状に気付くとがっくりと膝を突く。
「主様」
リュドミラが僕を呼ぶ。とにかく今後どうするかを決めなければならない。シナリオ進行が僕の記憶に追いついてしまった。
「黒曜竜は王都へ向かったのかしら?」
リュドミラが問うた言葉にディフィリアとマルシオがびくりとする。僕は首を振った。
「多分、自分の御座所に引っ込んだと思う。オーグルやモンスターの活動は活発化するだろうけど」
「でも、確か王都が襲撃されて……」
「あれは国王を殺すのが目的だったんだよ。ここでディフィリアを殺した以上、しばらく奴は動かない」
「そうね……」
リュドミラは痛ましそうに兄のそばで座り込んでいるディフィリアを見る。
「殺した、と思っているでしょうね」
沈黙が降りた。しばらくして、それを破ったのはディフィリアだった。
「レン殿」
「うん」
「教えてください。あなたの世界のグインネルはどうなったのですか」
「復興の真っ最中だよ」
ディフィリアは立ち上がって、少しふらついて、それから僕のローブを掴む。
「復興……? 黒曜様はどうしたのです?」
「倒された。僕もその場にいた」
「倒せるのですか……竜を……」
大きく目を見開いたディフィリアに、僕は頷く。
「もちろん簡単なことじゃないけど、アレは殺せる」
「どうしたら……教えてください、レン殿! どうしたら奴を殺せますか! どうしたら父と兄様の仇を討てますか!?」
そのセリフは辛い。僕はこの大広間に入るまでは、フィデルさんにも真珠竜の祝福を受けてもらおうと考えていた。こちらでは知られていないけど、やれば転職できるんじゃないかって。でももうそれは叶わない。全部、この子が背負うことになる。大陸の未来も、復讐も。
僕はアイテムバッグから二振りの剣を取り出す。
「これは……」
「さっき君が投げ捨てたのと同じ、灰の騎士の初期装備だよ」
鍔元に真珠がはまった剣と、黒曜石がはまった剣。ディフィリアは黒曜石を見て眉をひそめる。
「これは僕の世界のものだから、あの黒曜様とは関係ないよ」
「でも」
「たとえ敵の力でも、いや、だからこそ、それを利用してやり返してやったらいい気味だと思わないか?」
きっと僕は笑っている。フィデルさんに窘められたイイ笑顔で。
「フィデル王子に聞いた。白と黒の竜が理を外れた時、それを正すために灰の騎士があるのだと」
ディフィリアの目が輝き出す。
「灰の騎士にはそれだけの力がある。だから奴は君を殺そうとした。死んだと思われている今がチャンスだ」
ごめん、フィデルさん。貴方が守ろうとしたこの子を、僕は死地へ追いやろうとしてる。でも、彼女がそう望んでるんだ。
「灰の騎士について僕の知ることを教えよう。ヒルダが訓練相手になる」
◇◇
僕たちはしばらく真珠竜の神殿に潜むことにした。おそらくもう監視はされていないが、城へ戻ると色々と面倒だ。
僕の急務は、ディフィリア姫を可及的速やかに実戦に耐えうるレベルまで鍛えること。ここであったことを報告したら王城はすったもんだの騒ぎになるに違いない。お貴族様の精神安定のために割く時間なぞ一秒たりともない。
黒曜竜が本格的に動き出すのはまだ先だ。イベントシーンで奴曰くに「真珠竜の力が馴染むまでしばらくかかる」そうだから。幸いこの辺の敵はかなりレベルが高い。スパルタになるだろうが、僕らで調整しながら姫に経験値稼ぎをしてもらおう。
「とても近しい世界」らしく、モンスターを倒すことで比較的早く強くなることができる。こちらの騎士や戦士たちが予想より弱かったのは、さすがにゲームと違って一歩間違えれば死ぬからだ。必要以上にモンスターを狩りまくるような酔狂な者は少ないのである。
ディフィリアは箱入りのお姫様という雰囲気はすっかりなくなっていた。意外だが剣を振らせて見れば筋がいい。彼女自身が明確な目的と覚悟を持っていることもあるが、やはりあの兄にしてこの妹なのだろう。
ゲームでもディフィリア同様師となる者もなく、祝福を受けるべき白と黒の竜もいない中、フィデル王子は自力で
白と黒の竜の御座所には竜の力を宿す鱗が残っていて、直接祝福を受けずとも最低限必要な竜の力を手に入れることができる。転職後レベル1からになるのはそれが理由だ。
そこから始めて全スキルを教えてくれるクラスマスターになった人だから、どれだけ優秀なんだよという話。
なんだかんだ直接竜の祝福を受けたディフィリアは、レベル1ではなく多少下駄を履いた状態からのスタートだった。これは嬉しい誤算で、いくつかの剣技をすぐに実践することができる。ヒルダに練習相手を頼んで、僕が説明しながら型を覚えさせていった。
「ディフィリア」
「お師匠様」
夕食後、星空を見上げているディフィリアに声をかける。彼女は灰の騎士の知識を習い始めてから、僕のことを師匠と呼ぶようになった。
「疲れていないか?」
「大丈夫です」
怪我は魔法で治せる。でもただでさえ過酷な状況にいるこの子に、あまり無理をさせるのは気が引ける。あれから涙一つ見せなくなったディフィリアを僕は心配していた。
「お師匠様はどうしてわたくしを助けてくれるのですか」
「助けてないよ。ちょっと手伝ってるだけだ」
助けてはいない。積極的に黒曜竜を倒そうとするわけでもなく、フィデルさんをみすみす死なせた。これで助けてるわけがない。
「わたくしが黒曜様にお願いしたから、お師匠様は召喚されてしまったのでしょう」
「あー……忘れてた」
ディフィリアは信じられないといった表情で僕を見る。でも実際忘れてた。というか、召喚したのは黒曜竜なんでそっちに敵意が向いてたわ。あいつラスボスだし。
「まあそれは気にしてないし。黒曜竜に都合よく利用されたって点では僕もディフィリアも同じ被害者だし」
「でも、わたくしが」
「もうそれは忘れて。君を矢面に立たせてる僕がいたたまれないから」
「仇を討ちたいのはわたくしです! お師匠様は……」
「いや、だからさあ。ディフィリアが気に病むことじゃないんだ」
彼女が仇討ちを望んだから。それを理由に僕は自分で戦おうとしない。ずるいのは自覚してる。だから申し訳ないとか思わないで欲しいんだ。僕は異世界からきた余所者。あくまで部外者ではあるけど、力を持つ者が何もしないでいいのかって天使がチクチクと胸を刺すんだよ。
もう寝るようにと言ってディフィリアをテントに帰し、僕も自分のテントに戻る。あちらには護衛がわりにサビーネを行かせてるから、うまいことリラックスさせてあげてほしい。
「主様」
うだうだとため息をついていると、リュドミラがテントに滑り込んできた。
「温かいものでもどうぞ」
差し出されたのはカップに入ったハーブティ。
「姫様と、ついでにマルシオにも差し入れして置いたわ」
ああ、それでなんかさっき妙な声がしたのか。マルシオは今一人でテントを一つ使っているから、そこへリュドミラがきたんでテンションあげたんだろう。残念でした。ミラは僕のだ。
「ありがと」
受け取ってふーふーしながら一口。うん、やっぱお茶は熱くないとね。
リュドミラは黙って僕の横に座っている。空になったカップを返すと、リュドミラはそれをテントの端へ置いた。それからふわりと僕の頭を抱きかかえる。
「枕がお入用ではないからしら?」
「……ミラ。甘やかしすぎだよ」
「だって私は主様のサーヴァントだもの」
リュドミラに優しく膝の上に倒される。逆らえないのは僕の弱さだ。ディフィリアにはこうしてくれる人はいないのに。
「ね、主様」
「うん」
「主様はもっと傲慢になっていいと思うわ」
「は?」
思わず膝の上からリュドミラの顔を見上げる。豊かな障害物の間から、リュドミラの微笑む顔が見えた。
「主様の好きにしたらいいと思うの。気まぐれに手を差し伸べて、気分次第で叩き潰す。そうするべきだと思うわ」
「あの、ミラ?」
「だって相手の勝手で呼び出された無関係な部外者なのよ。合わせてやる必要なんてないでしょ」
「意外と過激だね」
「主様のサーヴァントですもの」
リュドミラの白い指が、僕の髪を撫でる。
「私には、主様が心を痛める方が問題なの。遠慮して気遣うよりも、断罪して蹂躙しちゃえばいいと思うの」
僕の理想のお姉さんは悪戯っぽく笑った。
「格好いい主様が見たいわ」
「……まったく、お前って奴は」
苦笑して、僕はリュドミラを押し倒す。
「枕じゃなくて、抱き枕がいいな」
「お望みのままに」
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