第7話 真珠竜の御座所

 行軍は一番遅い者に合わせる。当然だけども肝心の姫様を置いていくわけには行かない。


「水分ちゃんと摂ってね。あ、ミラ。マッサージしてあげて」

「承りました。……遠慮しないでね、姫様。リリアナからも頼まれているの」


 足を投げ出して座り込んだディフィリアを、リュドミラが甲斐甲斐しくお世話している。護衛対象が増えるのは困るので、リリアナさんには町で留守番をお願いしている。最初はついてこようとしたのだが、他にも女性メンバーがいることと、リリアナさん本人の体力や戦闘能力を指摘すると引き下がるしかなかった。すごい心配そうだったけど。


「今日はここでキャンプですかねー」

「そうですね」


 僕とフィデルさん、ヒルダでテントを張る。マルシオは周囲の警戒をしてもらった。サビーネはディフィリアのそばでリュドミラを手伝っている。見た目の年が同じくらいのせいか、いつの間にか仲良くなっていた。


「ど、どうして、サビーネは、平気なの……」

「自分はサーヴァント。強い」

「ずるい」

「フィリアの鍛え方が足りないだけ。主様も平気」

「うっ……」


 見るからに鍛えてそうなフィデルさんはともかく、プリーストの僕が平然としてるのはディフィリアにとっては大ダメージだったようだ。すっかり落ち込んでいる。はははは、これでもステータスマックスだからね。


「帰ったらお兄さんに鍛えてもらいなさい」


 そう軽口を飛ばして僕はあっと口を抑える。やばい、訳アリそうだからスルーしとこうと思ったのに。

 おそるおそる目を向けると、フィデルさんとディフィリア姫が固まっていた。


「ご存知だったのですか……」

「あー、その。元の世界でフィデルとは顔見知りでして」


 そうなのだ。この世界は最初から展開が違っているっていうのはそれだ。

 グインデル大陸のシナリオは、スルド王家の生き残りであるフィデル王子を中心に展開する。生き残りって言うのは、プレイヤーが到着した時にはすでにこの大陸は、シナリオのラスボスに壊滅状態にされているからだ。

 拠点が王都しか残っていない状態からフィデル王子に協力して大逆転を起こす。そういうシナリオなのである。だから僕の知るフィデル王子は正統騎士ロイヤルナイトなどではなく灰の騎士トワイライトナイトだった。むしろ転職クエストをくれる人だった。


「レン殿の世界では、兄様はどんな?」

「あー、性格とかはあまり変わらないですね。もうちょっとワイルドだったけど」

「王子として認められているのですね」

「ええ。あちらでは誰でも灰の騎士になれるんです。だから」

「兄様は灰の騎士だった……」

「ええ。僕が真珠竜の住処を知っているのも、彼に聞いたからなんですよ」


 呆然とするフィデルさん。フィデルさんに抱きついて泣き出すディフィリア姫。


「やっぱり、やっぱり兄様が……」

「姫様、それは……」


 やっちまったなあ。姫様には玉座が重すぎるんだろう。フィデルさんは主人公的キャラだけあって性格もよく能力も申し分ない。そんな人がいるのに、それを押しのけて自分がってのは、女の子にはきつそうだ。


「レン殿が時々私を見て戸惑った風な顔をしていたのは、そのせいですか」

「えっ、そんな顔してました?」

「気付く程度には」

「あちゃー」


 フィデル王子は先頭に立ってぐいぐい引っ張っていくタイプだったからな。後ろに控えてるのに違和感を感じたのは確かだ。


「私の母は王宮に仕える侍女だったのです」


 フィデルさんがぽつぽつ話してくれたのは、よくある話だった。母親の身分が低かったため、正式に王子とは認められず、万一があってはならないからと幼いうちから正統騎士のクラスにつかされた。ゲームのフィデル王子にもそういう裏設定があったのかもしれないが、僕は知らない。

 ディフィリア姫が不満そうに頬を膨らませた。


「私にとっては自慢の兄様です」

「ディフィリア姫」

「後宮でも皆兄様の噂をしています。部隊を率いてオーグルを追い払ったと。襲ってきた魔物を倒し町を救ったと。御前試合で優勝して、見惚れるような武者振りだったと……」


 おっと姫様。そのお兄様が誉め殺しに悶絶してるからやめて上げなさい。


「あの、あちらでもわたくしは兄様の妹なのですか?」

「はい。妹君がおられるとは聞いていました。僕は残念ながらお会いしたことはないのですが」

「そうですか……でも、兄様の妹ならいいです」


 僕はつとめて笑顔を維持する。フィデル王子はスルド王家の唯一の生き残り。ラスボス戦のイベントシーンでの彼のセリフを僕は覚えていた。


「今こそ、父と妹の仇を討つ」


 見たこともない妹姫のことなんかすぐ忘れてしまっていた。でも出会ってしまった今、思い出すとちょっと胸が痛い。



◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 魔獣の群れを蹴散らし、ゴブリンロード率いる群れを壊滅させ、不意打ちをかけてきたデーモンを返り討ちにしたりしながら僕らは山を登る。


「ここからは爬虫類系が増えます」


 洞窟の入り口で僕は言った。真珠竜の御座所へ至るダンジョンである。


「トラップがあったりするので気をつけて。先頭はマルシオ、お願いするね」

「任せてください」


 マルシオがニヤリとして胸を叩く。僕の場合はトラップの位置を把握してるだけで、そうじゃなかったら多分気付けないと思う。なのでプロの技に期待だ。もしマルシオが見落とすようなら指摘すればいい。

 洞窟の中は少しひんやりしている。壁にはところどころに柔らかい光を放つ石があって、明かりがなくても不自由はしない。


「光る石なんて、不思議ですね」

「真珠竜が光を司ってるからじゃないかな」

「なるほど。真珠様のお力が及んでいるということですか」


 ディフィリアとそんな会話をしながら先へ進む。箱入りのお姫様だが、今までの道中僕らに不満をぶつけるようなことはなかった。がんばってる。がんばっちゃうから、ちゃんと見ててあげないとと思わせる。

 多分、僕以上に見てるフィデルさんが、足元が悪い時など手を伸ばして支えていたりする。

 僕らに秘密を暴露してから、兄妹の間は少し遠慮がなくなったように思う。僕らが異世界人だということもあるだろうし、城にいる時のように誰かを警戒する必要もないからだろう。


「これくらい平気です、兄様」

「まだ先は長い。無理は禁物だ」


 積みあがった岩を乗り越えるために、フィデルさんがディフィリアの手を取って引き上げてやる。降りる時は丁寧に抱き下ろして、滑り落ちたりしないよう気を使っていた。

 僕が岩を登っていると、ローブの裾が引っ張られる。振り向くとサビーネがこちらに向かって手を伸ばしていた。

 ディフィリアが羨ましくなったのか。しょうがないなあ。

 フィデルさんがやったみたいに、サビーネの手を引いて登らせ、先に下りて受け止めてやる。地面に降り立ったサビーネは、むふー、と満足したように笑った。


「お兄ちゃん」


 上目遣いでぽそりと呟いたサビーネの破壊力に僕はちょっとびびった。これが多数の支持を受ける所以か! いや、僕はお姉さん趣味なんだ。決してロリコンでは……。

 心中あわあわしていた僕は、突然上から落ちてきた質量に潰される。

 柔い。重い。苦しい。


「どきなさい!」

「だってサビーネがずるい……」

「主様を殺す気ですか!」


 リュドミラに助け出された僕は、怒られているヒルダを見て何があったか理解した。

 上から飛び降りたんだな。行動する前に鎧を脱いだ判断を、誉めていいのか叱るべきなのかわからない。一応ダンジョンだから、ここ。


「お前って、ほんとポンコツなんだなあ」


 岩場で正座させられているヒルダの頭をぽんぽんと叩くと、ぱっと嬉しそうに目を輝かす。いや、誉めてないからね?

 背後で我慢できずに噴き出すディフィリアと、つられて笑うフィデルさん。ありがとう。冷静にスルーされるよりはマシだ。


「なんかあったんですか?」


 先行偵察から戻ったマルシオが首を捻る。


「何もないです。先の状況は?」

「敵影はなし。トラップは解除しときました」


 僕は意図的に話をそらす。だってダンジョンだから、ここ!


◇◇


 洞窟を徘徊しているのは、白い鱗のリザードマンだった。ゲーム内で出現していたのと色が違う。ちゃんと真珠竜が管理していると見ていいのか。

 『ドラコン』では地上が壊滅していることからわかるように、プレイヤーがここへ来る時にはすでに真珠竜はいない。かわりに竜の力が残された宝珠があり、幻影の真珠竜と戦って資格を示すという展開だった。


「あちらが真珠竜の御座所につながっています」


 神殿のような広間にいたエリートリザードマンを倒し終えて、僕は行き先を示す。扉を封鎖していた鎖は、敵を全滅させると同時にちぎれて落ちていた。

 ゲーム時と違い、真珠竜に会うのにその衛兵を蹴散らしていいのかという問題だけども、それは広間に入った時リーダーらしいリザードマンが口上を述べたことで解消された。

 広間のリザードマンは真珠竜のサーヴァントで、訪問者の力量を見極めるために戦うらしい。倒さないと会ってくれないってことだ。

 ということで、安心して全員で容赦なくボコった。洞窟にいた野生種と違い、神殿を守っていたリザードマンは武装しており、弓使いや魔法使いもいたが、僕らにすれば戦闘時間が多少延びるくらいのものだ。

 通路を抜けると、幾本もの柱が立ち並ぶ円形の大広間。最奥には蹲る白い竜。


「真珠様……」

『何者だ』


 真珠竜は薄目を開け、こちらを見た。ディフィリアが進み出る。


「グインデルを治めるスルド王家の姫、ディフィリア・ベヌ・ナルディタ・スルドにございます。灰の騎士の祝福を受けに参りました」

『ヘルバシオの娘か!』


 真珠竜が身を起こす。が、すぐにその体がぐらりと床へ崩れ落ちた。軽く風圧を感じる。


「真珠様?」

『すまぬ……そなたにはすまぬことをした』


 マルシオが僕にこっそり囁く。


「一体どういうこってす? なんか真珠様、弱ってるように見えるんですが」


 その通りだ。真珠竜はその名の通り真珠のような色艶の鱗を持つ竜だが、眼前の竜の鱗は傷つき艶を失っている。ところどころ剥がれている上、じわりと血が滲んでいるその姿に、僕の中で警報が鳴る。


『ヘルバシオ王は儂を守るために死んだ。まさか彼奴が裏切るなど……』

「えっ」

「どういうことですか!?」


 ディフィリアが息を呑み、思わずフィデルさんが大声を出す。


『彼奴は力を得るために儂を食らおうとしている。ヘルバシオはそれに気付き、儂に警告してくれたのだ。だがそこに彼奴が現れ、儂はこのざま。ヘルバシオは……』

「一体何者がそんなことを……」


 あー、だめだ。多分僕は知ってる。展開は違うけど元凶は同じだろう。


『それは……む、謀られたか!』


 真珠竜は言いかけて急に緊迫した様子で身構えた。意味がわからないディフィリアはうろたえて兄の方を見る。

 突然空気が変わった。不意の重圧。真珠竜が反応して首を巡らせようとした時、喉元に深々と牙が突き立てられた。


「真珠様!」


 ディフィリアが駆け寄ろうとする。フィデルさんがそれを追う。


「駄目だ! 下がって!」


 僕は叫ぶ。ディフィリアは足を止めた。

 真珠竜の喉笛に噛み付いたのは、その背後に開いた空間の亀裂から生えている竜の首だった。


『ぐ……うっ』


 真珠竜の口から血が溢れ落ちる。空間から半身を乗り出した黒い竜は、真珠竜の体を押さえつけ、そのまま首筋を食いちぎった。

 重い音を立てて真珠竜の首が床に落ちる。


『……騎士よ……灰の騎士よ。この地を……頼む……』


 小さな光が真珠竜からディフィリアへ飛び、その中へ消えた。同時に真珠竜の目が反転し、気配が消える。


「一体……どうして」

「逃げろ!」


 呆然と立ちすくむディフィリアに僕は叫んだ。僕は反射的に回避行動に移っている。ヒルダが大剣を構えて走り出す。フィデルさんがディフィリアに向かって手を伸ばし――


『案内ご苦労だった。ディフィリア姫、そして異界からの客よ』


 大きく開いた黒曜竜の口から、ブレスが放たれた。

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