第一章 ドアを開けると公然わいせつ現行犯逮捕。(2)

 リビングの椅子に座らせる。カタンと、椅子を引く音。確かに存在するのだ。

 魔人と魔族と、俺にしか認識できない銀髪で目の赤い小さい、人形みたいに可愛い。けれどしっかりとしている、その幼女は。

 ハグとともに投げ捨てたカバンを拾いにいく。同時に玄関の姿見で、自分の表情を確認する、疲れていないか、眉間に皺はよっていないか、横目でリビングを窺う。鏡に映る場所に座っている彼女は、鏡に映らない。

 それを確認して、『角』を隠すために額に巻いているバンダナを縛りなおす。皮膚にポコと突き立つ三角錐。

 差別などないといわれながらも、かつては差別されその影響を今なおなにかと冷遇される魔人と言う種族の証拠。先天性であるはずのそれは後天的に俺に現れた。

 別に彼女はそのショックで見始めた幻というわけではない。決して……。

 フローリングを軋ませて歩く。空の弁当箱を取り出して、洗う。アオキが電気を付ける。外は暗くなり始めている、彼女の姿は窓にも映らない。

 チャイムが鳴った。

 きっとさっきスマホで注文した出前だろう。

「スイッチ押して」

 アオキに頼む。泡だらけの手から

――そこにはウェディングドレス姿の女がいた。

【出前?】

 新手の結婚詐欺か、押しかけ女房だろう。こういうのは宗教勧誘よろしく無視に限る。

「違ったみたいだ。俺が頼んだのは女の不審者じゃなくて馴染みの蕎麦屋だからな」

 頭の上にクエスチョンマークを掲げた幼女。

「アオキもみるか、ウェディングドレスの女不審者、そうとうレアだぞこれ」

 両手を伸ばして抱き上げようとする、が、機嫌が悪そうだ。

【お皿出す。ホットスナックはデザート】

 いつの日だったか、【アオキ以外の女はアカキにいらない】と言っていたことを思い出す。ちょっとだけ申し訳なく思って両手を合わせる、するとフンと無視されてしまった。

 変質者であっても生物学上女であればアオキにとっての浮気。浮気はいけないことだ。

「そうか、そうだな」

 二度目のチャイム、モニターを確認する。今度はちゃんと出前の蕎麦屋だった。角刈りの白髪に似合わぬケモミミ、ひょろっとした体。笑い皺がある人懐っこい顔。イコールいつもの蕎麦屋。

 冷のザル蕎麦二つ。支払いをして、世間話。連続魔人殺人事件の話とか、新手の詐欺の話とか。

「あの子はどうしたんだい赤鬼の兄ちゃん」

 まあ、だいたい済んだというところで蕎麦屋は、生垣の隙間からこちらを覗くウェディングドレスの女を指さす。

「結婚詐欺か何かだ、ああいうのは放っておくのが吉。サンキューな、おっちゃん。気いつけてかえれよ」

 と、蕎麦屋に別れを告げる。釣銭とアオキへのサービスの飴をもらう。笑って手を振るアオキにおっちゃんも笑い返す。

 いい感じ。日常のいい匂いだ。外から聞こえる虫の音色も、おっちゃんを照らす夕暮れも、黒く陰に見える街も、全てが日常だ。

「と、いうことで。チキチキ、週末手抜き夕食」

 アオキも小さな拍手を鳴らす。無機質な壁に音が反響する。ニュースの流れるテレビ、二人向かい合う木製の四人掛けテーブル。

 完璧な、手抜きの夕食。日常が好きな俺にとっては最高にうれしい瞬間。

 テレビでは押しかけ強盗だの、冥板市連続魔人殺人事件だの、冥王星は惑星だと主張する団体が天文台をジャックしているだの下らないニュースが流れている。

「怖いな、魔人殺しだなんて」

 こくりと、アオキは頷いた。

 おやっさんのように外見的特徴があるものももちろん、人間と同じであるタイプの魔人であっても連続殺人の対象にされているというこの事件、役所や公的機関の人間がかかわっているのではないかとも噂されている。

 アオキの額からは二本の角がひょっこり覗く。

【魔人はなんで避けられなくちゃいけないのかな】

 そう言い放った瞳は暗く、捉えどころのない、しかし、底のない闇を抱えているように思えた。たった十数年生きただけの俺が考える言葉がその底なしの闇を埋められるとは思えない、けれど、

「そりゃ、自分たちと同じ背格好で……まあ、猫耳だのちょっとした外見に見える特徴はあるかもしれないけど。だいたいは同じくらいの背格好だ、そんでもって同じ街にいて、……同じ場所、職場とか学校にいて、同じ飯を食べて、同じ風に電車やバスに乗る。――けれどそいつらは自分たちよりも強い。本気を出せば敵わない」

【そうだね】

 アオキは俯いて考えている。

【こわいのかな?】

 怖いだろう。

「当たり前だ」

 俺たちだって例外ではない、一軒家に住んで、ありがちな白い壁とフローリングに囲まれて、パン祭りでもらったお皿を使って食事をする。

 一見、普通の人間だ。けれど俺たちは額に角が生えていて、一歩間違えれば特に、鬼の血を引いている俺たちは『力加減一つ間違うだけで』人を殺してしまう。

【わかんない……。もうなんねんもアカキやフミやイヨリたち以外と接してないから】

「俺だってわかんないよ、俺たちだけが罪を犯すわけじゃない。わかりやすい凶器を持っていなくても不慮の事故で人は、いいや……魔人も死ぬ」

 俺の言葉に頷いた銀色の髪が揺れた。

「それに、ボクシングやってるような人たちは、ちょっと力の使い方を間違えれば一般人よりも簡単に人を殺せる。それなのに、俺たちみたいな扱いは受けていない。群だってそうだ……」

 こくり、とまた、肯定した。

「心配はないかもしれないけど、怖かったら学校についてきてもいい」

【いい……かもしれない、けど、見える人も見えない人もいるし、なんか嫌。それに、群の人がいるかもしれない】

 俯き気味でけれどしっかりとした会話口調で書かれた文字。

「そうだよな学校じゃ、な……」

 アオキが、下唇をかみしめたのがわかった。

 観光スポットや大型ショッピングモール、行楽施設ならたくさんの人間や魔人に紛れてアオキを見破れない。しかし、学校は、みな、顔を知っているだから誤魔化しが効かない。それに、人間に悪い風に伝わってしまえば。どうなるかはなんとなくわかる……。

 あと、群の人間に感づかれてしまったら。

 群の人間、彼等は正義。――正義の執行人。

 そんな彼等は俺たちのような存在を許さないだろう。後天的な魔人だなんてよくて観察処分、わるけりゃ人体実験。この日常が壊される未来は想像がつく。

 この日常が壊れてしまうのだけは避けたい。その時は俺の人生の終わり。二人で心中でもしなくちゃいけなくなる。

「確かに、そうだな」

 じゃあ、おうちのお守りは頼んだぞ。と、蕎麦の盛り合わせについてきた俺の分の海老天を分けて椅子を立つ。

【私は引きこもりだから大丈夫。けどアカキは違う、だからきをつけて】

「俺は死なないよ。自称人間だ」

 笑いながら言うと、アオキも笑う。

……殺されているのは魔人、といっても噂によれば前科持ちばかり。ネットで名前を調べれば逮捕歴がすぐに出てくる程の。だからこの田舎町で小市民として生きている俺が、表立って存在しないアオキが狙われる可能性なんて無に近い。

 当たり障りなく、穏やかに生きている。

 誰にも迷惑かけず、社会の隅っこでひっそりと。こうやって、微妙な値段の出前を頼んで、リスクを恐れて二人で出かけるのも数週間に一回。前科なんか作っている奴と一緒にしないでほしい。こんな窮屈な生活、されど二人きりの貴重な生活。……邪魔しないでくれ。

 空になった器を片付けてホットスナックを電子レンジに入れる。椅子に体育座りをするアオキが【ありがとう】とスケッチブックに書き込んで、素早くテレビに向き直る、表情は明るい、動物番組に釘付けのようだ。

 アオキは命が好きだ。いつだったか言っていた。生き物の鼓動が好きだとも。

『人間はどうなんだ』

 とは聞けていない。けれど、あいつのことだから好きというはずだ。

 昔話を聞かされたが、まだ『赤鬼と青鬼』だった頃は、……『赤鬼と青鬼』が本当に一緒にいた時は困っている人間を陰ながら助けたり、迷子になった子供を案内したり、馴染めない子供の相手をしたり、いろいろやっていたらしい。

 温まったホットスナックをテーブルに置くと、犬の悲痛な鳴き声が聞こえてきた。

 画面には多頭飼い飼育崩壊の家から保護された雑種の犬、飼い主はどうも魔人だ。わざわざモザイクが薄められた頭部に生えた獣耳。あまりの露骨さに呆れの笑いが出た。画面に背を向け、目をギュッとつぶって耐える。

 唐突に冷たい感覚が額にあった。

 小さな手が俺の頭頂部に生えた角をなでる。

 行儀悪く椅子から身を乗り出しやっとの事、角を撫でる真っ白な手。片方の手にはバンダナが握られていた。

「困る」

 目を開けると赤い瞳。自分の瞳と同じ赤がそこにあった。

【おうちの中だから、いいの。たまには外さないとはげるよ? それに今日はてんしょんひくいよ?】

 困った顔でアオキは首を傾げ、

【ぐあいわるい?】

【嫌なことあった?】

【わたし悪いことしちゃった?】

【性欲たまってる?】

【思春期?】

【成長痛?】

【PMS?】

【ミミズにおしっこかけた?】

【腰痛い?】

【女の子に告白された?】

【便秘?】

【ん? 何か辛いことあったん(>_<)、どったん? 俺が相談乗るよ?】

 まくしたてるようにスケッチブックに支離滅裂な言葉を綴る。

「おちつけ」

 椅子に座らせようとするが、アオキは机に片膝を乗せ、俺の愚息を撫でる、すると、血が上って角が隆起し、対抗するように伸ばしてきたアオキの角がヤギの喧嘩みたいに、いい感じの角度ではまってしまって引き剥がせなくなる。見ようによっては滑稽だ。けれど、これは絶対に話すまで離さないぞ、というアオキの頑固たる構えだだろう。

「今日は少し嫌なことがあったから」

 死体とか、ウェディングドレスの変質者とか。

【それだけじゃないでしょ( ;∀;)】

 若干古めの顔文字が来た。シュンと角を縮めたアオキは背を向ける。

 椅子の背もたれに抱き着いて、こっちを向いてくれない。

 背を向けてしまった体を、幼女を通り越して幼児といってもいいくらいに軽いその体躯を抱き上げて、額に突起した角と自分のものを再び重ねる。今度は伸ばさず、伸ばさせず……。

「別にアオキが嫌がるようなことはされてないよ」

 同じ硬さのそれは同じ体温を持っていて、顔を合わせると同じ色の瞳があって、お互いの境目がなくなって意識が溶けるような錯覚が起きる。

 やがて、赤色の発光と、青色の発光がおきる。今日はお互いの存在を確かめたかった、死体をみてしまったせいだろうか。寂しいような、なんとも言いようのないナニカが心にこびりつく。

 綺麗ねーと書こうとしたのであろう手を止める。

「なにも悪いことは起きないから」

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