第13話 彼女たちの戦い-3

「キューちゃーん、久しぶりー!ああー、可愛いようモフモフさせてようー!!」

 部屋に入るなり、蘭花は床のクッションに寝そべっていたキーユに飛びついた。

 にゃあ、と短く一声鳴いたキーユは一度蘭花の腕をすり抜けると、体勢を整えて膝の上に座る。

「はああ、癒されるよー」

 キーユは普通の猫に比べて大柄で、膝に乗せるとずっしり重い。それでも膝が暖かくて、ふわふわとした毛並みは気持ちがよくて、うっとりしてしまう。凛々しくも可愛い山猫は無条件に愛しいので、蘭花はすっかり骨抜きになっていた。

「重いでしょ、その子」

 お茶を運びながら典子が部屋に入ってきた。

 日曜のレッスンの後、典子の次のレッスンまでの空き時間に事務室に寄ったのだ。

 紅茶の入ったカップを受け取る。

「ありがとうございます。めちゃくちゃ癒されてます」

「ようやく高校生活に慣れたと思ったら、災難だったね」

 先日の一件を典子に話したら、事務室に招かれてお茶をふるまってくれた。

 砂糖を混ぜて甘くなった紅茶に口をつけて一息つく。

「ママのことでいろいろ言われることはあるけど……あんなきついのは初めて」

「才能への羨望とか、恵まれた立場の人への妬みとか……。まあ、どこの世界にもあるのかもしれないけど、芸の世界は才能や成功の差がわかりやすいから、余計に揉め事の火種は多いかもね」

 経験はあるよ、と典子は小さくつぶやく。

 典子も真子も、称賛を浴びる分悪意にさらされることもあるのだろう。

「真子さんには話したの?」

「ううん、言ってないです。ママは自分が言われる分には受け流しも言い返しもするけど、私が絡むと悲しむから。ママのせいじゃないんだし」

「真子さん、蘭花ちゃんのこととなると弱いから。蘭花ちゃんがそれでいいなら、その方がいいかな。だからって、無理はしなくていいんだけど」

「んー、こうして典子先生も話聞いてくれるし、それにみんなが助けてくれたから、割と大丈夫かなって」

 蘭花はふっと微笑んだ。

 嫌な出来事だったのは確かだが、みんなが自分のために立ち向かってくれたことが嬉しかった。

「お友達、みんな頼もしいねえ」

「うん、優しいよ。あ、あとね、渚先輩がすごくかっこよくて」

「渚先輩?」

「渚木乃香さんです。歌手のコノカさん」

「ああ、コノカちゃん!」

 典子が一段声を高めて言う。それは木乃香を見知った風な口ぶりだった。

「先生、渚先輩のこと知ってるんですか?」

「前に一緒に仕事したことがあるの。そうね、そういえばあの子、真木野だったかな」

「助けてもらったんです。意地悪な先輩にも全然物怖じしないで言い返して、凄かったの」

「あの子、強いものね。自分の歌声にも自信を持ってるし」

 典子は感慨深げに続けた。

「それがあの子の魅力であり、強さ。コノカちゃんはね、自分の歌声だけで勝負しているの。自分の喉一つ、声一つで戦ってる」

 歌手とはそういうものだろう。その壮絶さも苦労もわからないけど、才能を武器に戦う人を蘭花はずっと近くで見てきた。

「あの子の歌には、魔法がかかっていないの」

「え?」

 聞き返すと、典子は大きく頷いた。

「魔法使いの歌には、魔力が宿ることがあるって知ってる?」

「あ、なんか前に聞いたかも」

「話したこともあるかもね。魔法の呪文みたいに、歌そのものが魔法を使うための力を持っていることもあるし、歌うことで魔力を開放する魔法使いもいる。歌に宿る魔法の中で、一番メジャーで強力なのが魅惑の魔法ね」

「魅惑の魔法ってあれですよね、他人を惹きつけたり、虜にしたりする力を持った魔法」

 魔法は人の精神に働きかけるものも数多くある。

 歌で人の心を惑わす魔法なんて、船乗りを歌声で誘い込むセイレーンのようだ。

「そう。コノカちゃんも魔法使いだから、歌に魔力を込めることはできるみたいなの。でもそれはやらない。彼女は自分の本当の歌声だけで勝負したいから」

「本当の歌声」

 蘭花は思わず繰り返した。

『本当』という言葉に、きっと木乃香のプライドや歌に賭けた思いが詰まっている。

「今、活躍している歌手の中に魔法使いはほとんどいないよね。少なくとも魔法使いということを公表して歌ってる人はほとんどいない。そりゃそうね、魔法使いの歌手ですっていったら、魔力でファンを魅了して歌ってるんだって言われかねないもの」

「歌に魔力を込めるのはずるい、って言われるってことですか」

「私はそれも一つの表現方法だとは思うけど」

 そう言って、困ったように典子は笑った。

「世間は魔法のパフォーマンスを楽しむなら、魔法でしかできないようなことが見たい。逆に、歌は魔法や魔力関係なしに人を魅了することができる芸術だから、魔法なしに魅せてほしいっていうのがあるんでしょうね」

「じゃあ渚先輩は、魔法なしの、実力勝負の歌を聞きたいファンを感動させてるってことなんですね!」

 やっぱりかっこいい!と蘭花は拳を握る。

「でも、コノカちゃんの才能を疑う人もいるのよね。人気があるのも、歌に魔法をかけてるからなんだろうって」

「何それ、意地悪」

「この手の魔法は目に見えないからね。でもコノカちゃんはそんな中傷ものともせず、堂々と魔法使いであることを公表してる。それでなお、自分の歌声は魔法なしの魅力があるんだって胸を張って言うの」

 木乃香の、堂々とした姿が脳裏に浮かぶ。彼女のはっきりとした物言いも、悪意に怯まない態度も、すべて自信に裏付けられたものなのだ。

「あれ、じゃあなんで真木野に通ってるんだろう」

 芸に魔法を使わないなら、真木野の芸能科に所属する意味はあるのだろうか。

「魔法が暴走しがちだから、それを抑える術を学ぶためって聞いたよ。ちょっと特殊な例だけど、あの学校は才能がある人には寛容だから」

「魔力を抑えるって、それはそれで大変なんだよね。火連くんも苦労してるみたいだし」

 キーユの毛並みを撫でながら、火連に思いを馳せる。

 幼い頃のほんのひと時しか一緒にいなかった蘭花は、火連の抱えているものを分かち合えるほど、彼のことを知ってはいない。

 そのことを最近になって自覚するようになった。

「渚先輩も、火連くんも。美弦ちゃんも日向くんも、みんな頑張ってる」

 私も頑張らなきゃ。

 進路を選んだその時から、当たり前のことなのかもしれないけど。ただ頑張ろうと思った。


「それでねっ、渚先輩ってアカペラでももの凄くって!」

 週の明けた月曜日、蘭花は嬉々として一人しゃべり続けていた。それをひたすら聞かされ続けている火連は、ややげんなりとした様子で生返事を返している。

「何、どうしちゃったの草壁ちゃん。めちゃくちゃコノカ推しになっちゃってるじゃん」

「どうもこうも、ずっとこの調子だよ」

 頭痛い、と口にしたその通りに火連は額を抑えた。

「あ、日向くんおはよう。あのね、昨日、渚先輩のコンサートとか、出演してるミュージカル見まくったの。典子先生が貸してくれたやつと、公式で配信されてるやつとか」

 せっかくだから、と典子が貸してくれたプロモーションビデオとコンサートのソフトを鑑賞したのを皮切りに、蘭花はいっぺんに木乃香の歌声に魅せられてしまった。

 その感動と興奮を誰かに話したくてたまらなくて、朝、待ち合わせた火連にひとしきり話した。

「へえ、そんな気にいったんだ。まあ確かにコノカは超歌うまいけどさ」

 疲弊した火連に代わり、夏樹が言う。

「そうなの、超うまいの。鳥肌もののうまさなの!」

 木乃香の歌声には、心に訴えかける力強さと、耳に心地よい響きがあった。

 技術的なものは何もわからない。そもそも、世間の多くの人間は小難しいことなんてわからないはずで、理屈なんてすっ飛ばしてたくさんの人に受け入れられ、愛される音楽と歌声というものがこの世にはあるのだ。

「高校生とは思えないうまさだよな。まあ、年なんて関係ないのかもしれないけど」

 火連の言葉に、蘭花は木乃香のその少し低い歌声を思い返す。

 話している時はあまり感じないのに、歌うとぐっと大人っぽい声になる。色気づくのではない、大人を圧倒する迫力ある歌声は、むしろ雄々しくさえあった。

「みんなも聴いてよ、ほんとかっこいいから!」

「おはよ。なに盛り上がってんの?」

 火連に音楽プレイヤーを押し付けていたところに、登校してきた美弦がやってくる。蘭花は美弦にも興奮のまま語り掛けた。

「おはよう美弦ちゃん!あのね、渚先輩の歌がすごいって話してるの」

「渚先輩の話?」

 美弦はわずかに眉をひそめた。

「うん。私すっかりファンになっちゃったんだ。美弦ちゃんも聴いてみてよ、すっごい素敵だから!」

「あー……」

 熱心な蘭花を前に、美弦は鈍い反応をした。目をそらしながら美弦は言う。

「私、あの人のこと正直苦手で」

「え、そうなの?」

 夏樹が驚いた風に言った。

「この前、おっかなかったから?」

「いや、入学する前から苦手だった。歌、うまいのはわかるけど……。ちょっとあの人は、どうも駄目なのよ」

 歯切れの悪い美弦の言葉に、蘭花は音楽プレイヤーを握っていた手をゆるゆると下ろした。

「そっか。うん、じゃあ仕方ないね」

「盛り上がってるのに、なんかごめん」

「ううん。私もちょっと突っ走っちゃって」

 そのまま蘭花は音楽プレイヤーをポケットにしまった。

「案外あっさり引き下がるんだねえ」

 意外そうに夏樹に言われて、蘭花は苦笑いを浮かべる。

「だって、好き嫌いはあるもの。誰にでも好かれるなんて無理だよ。ファンもいればアンチだっているし」

「私はアンチってほどではないつもりだけど」

「うん。好きじゃないからって貶めたりするような真似しなければ、全然かまわないんじゃないかな」

「達観してるなあ」

 夏樹が感心したように呟く。

「子どもっぽいわりに、時々な。ランファのことで、色々思うところがあるんだろうけど」

 火連は小さく息を吐いた。

「もしかして火連くんも、迷惑だったかな」

「今更かよ」

「うん。火連くんはなんだかんだで話聞いてくれたから、つい」

 返事はずっとそっけなかったけど、無理に遮られたり黙るように言われたりしなかったから、つい調子に乗ってしまった。

「俺は別にいいけどさ。渚先輩の歌、良いと思うし」

 そんな蘭花のことを、やっぱり火連は否定しなかった。相変わらずそっけない言い方だけれど。

「えっと、コンサートもいいけど、ミュージカルもおすすめかな。たっぷり歌が聴きたいならコンサートがいいし、ミュージカルは渚先輩ヒロインじゃないんだけど、ヒロインを圧倒するくらい素敵だし、ストーリー面白いし」

「……そうかよ」

 これでも幾分反省して控えめに薦める蘭花に、火連は呆れたように返す。とりあえずこれに入っているだけ、と言って、小さな音楽プレイヤーを火連に手渡した。


「皆さんは、色々なことを考えた上で、この学校で魔法を学ぼうと入学してきたのだと思っています。中にはなんとなくで選んだ人もいるかもしれません。どんな理由で入学してきたにしろ、ここで学んだ魔法をいつか社会や実生活の中で役立てていってくれればと思います」

 蘭花たち生徒に語り掛けるのは、先日の先輩との揉め事の時に駆けつけてきた生方先生だ。

淡々とした口調は相変わらずで、表情もあまり変わらない。生徒を激励するには熱がない気もしたし、冷静で理知的にも見えた。

「私が行うのは、使い魔の扱いを学ぶ授業です。使い魔は、現代社会でも十分に社会に貢献しうるものです。映画で見るような、諜報活動に使うなんてのは、それこそ特殊な組織や団体にでも所属しない限り縁がないでしょうけれど……。介助動物の育成や、動物そのものの生態研究などにも有用ですね」

 ここにいるすべての動物が、使い魔として私の管理下にあります。そう言って、生方は辺りをぐるりと見まわした。

 オリエンテーリングを行った裏庭の一角にある、ガラス張りの建物で今日の授業は行われる。

 建物の中は植物園のように木や草花が生い茂っていて、天井に届くような大木もある。ガラスの天井から降ってくる自然の太陽光が眩しいが、どうしても人工の施設という感覚はぬぐい切れなかった。植物を植えてある建物の両サイドは土の地面だが、蘭花たちが授業を受ける通路兼広場はコンクリートを打ってあるし、空調も効いている。

 逆に言えば、それだけ管理が行き届いているということだ。

「では、さっそく今日の授業でパートナーを務めてもらう子たちを紹介しましょうね。この三匹のフクロウです」

 先生の立つ隣には、木製の足場に止まった三匹のフクロウ。

 一抱えはありそうな大きな体は三匹とも、目の色が黒色のフクロウが二匹、琥珀色の目をした個体が一匹、大人しく待機していた。

「他にも猿や、あちらの温室には蛇なども飼育していますが、今日はこの子たちです。目が黒くて毛が灰色の子がタタン、茶色の毛の子がオペラ、オレンジの目の子がミモザという名です」

 言いながら、生方はくちばしの下の羽毛を撫でてやる。

 無機質な印象のある人だったが、愛情の感じられるしぐさにようやく人間味を垣間見た気だった。

「この子たちは私がよく慣らしているから、実は魔法がなくても人に良く慣れています。けれど、『魔法による指示があった時のみ行動するように』とこの子たちに制限をかけますので、魔法によって動物を動かすことを学習してください」

 生方はすっと右腕を持ち上げると、フクロウたちはいっせいに飛び立った。離れたところにある木の、大ぶりな枝に止まる。

「少し後ろに下がってくれる?」

 生方の指示に、生徒たちはフクロウの止まった木から離れるように後ろへ下がる。

 それを確認して、生方は再び右手をかざした。フクロウに指示を出す時と変わって、一瞬厳しい顔つきになると、手元から炎の魔法が飛びだした。炎は地面に着弾すると、間隔を開けて四本の火柱になる。

「ちょおおおおお⁈」

 荒々しい光景に、生徒たちから慌てふためいた声が上がる。

「静かになさい」

 生徒たちの動揺も構わず、生方は真っ直ぐフクロウたちを見つめて言った。

「普段から名前を呼べば飛んで来るように仕込んではありますが、今は『魔法の指示のもとに』という状態になっていますので、それだけでは私のもとに帰ってきません。魔法であの子たちの意識と私の意識をつなぎ、私のイメージのままに行動させる感覚です。この魔法は目に見えるものではないので、こういうことができる、ということを見ていてくれれば結構ですよ」

 生方はフクロウの足場につるしてあった皮手袋を左手にはめる。

 タタン、と口の形だけで名前を呼ぶと、フクロウのタタンが大きく翼を広げて飛び立った。火柱に向かってくる姿に蘭花は凍り付くが、タタンは器用に炎をよけながら飛空し、もともと止まっていた足場に着地する。

 後の二匹も次々と枝を離れ、炎の間を縫うようにして飛んできた。オペラは足場に、ミモザは生方の腕に止まって、そのまま羽を休める。生方はいたわるようにミモザの羽を撫でると、最後に右腕を一振りして火柱を消した。

 生徒たちから拍手が起こる。

「すごーい!」

「俺、何気に使い魔見るの初めてかも」

 興奮気味の生徒を前に、生方はうっすらと微笑んだようだった。

「かっこいいー!典子先生のショーみたい!」

 蘭花も思わず声を上げる。すると生方が一歩前に進んで言った。

「草壁さん。私の授業はアニマルショーのためのものではないですよ」

 その一言に、色めき立っていた生徒たちも一様に黙った。

「あなたたちがそのような感想を抱いてしまうのは仕方ないでしょう。けれど、そのような浮ついた気持ちで授業に取り組んでほしくないんです」

「芸の世界は、浮ついたものではないと思います」

 思わず蘭花は言い返す。はしゃいでしまった蘭花が悪いかもしれないけれど、聞き逃せなかった。

「私はあなたたちに芸を教えるわけではないのだから、アニマルショーのようだと思うことが、授業の趣旨から外れているということを言いたいの。芸の世界についてとやかく言ったつもりはないですよ」

 決して責める口調ではなく、冷静に諭してくる。途端に気まずくなって、蘭花はうつむいた。

「……はい。すみませんでした」

 思い違いから言い返したことを蘭花は謝る。そもそも、芸よりも社会貢献のための魔法が学びたくて普通科に進学したのは蘭花自身だ。

「まあ、炎の間を動物が飛んでくるなんてのは、ショーのようですものね。ただ、炎を出したのは、火災現場や災害現場でも使い魔を活躍させることができるということを見せたかったのだけど」

 先に説明するべきでしたね、と言って、生方は右腕に止まらせていたミモザを足場に移した。

「さあ、それではさっそく皆さんもやってみましょう」

 緊張に顔をこわばらせる生徒の前で、フクロウたちがくるりと首を回した。

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