彼女たちの戦い

第11話 彼女たちの戦い-1

 学園のカリヨンが音楽を奏でる。

 連休も明けた五月のチャイムは『茶摘み』で、自動演奏のそれは季節ごとに違ったメロディを奏でた。時間割に合わせて鳴り響くメロディは、もうすっかり生徒たちの耳に馴染んでいた。

「うあー……」

 授業終了のチャイムと、先生の号令を受けて教室内はいっせいに騒がしくなる。五十分の授業から解放されて、蘭花は唸り声をあげた。

「蘭花、次は実技だから移動だよ。行くよー」

 椅子の背もたれにのけぞった蘭花に美弦が声をかけた。体を伸ばしてから蘭花は立ち上がる。

「やった、実技ー」

 教室外の廊下に備えられているロッカーを開けてジャージを取り出す。同じように荷物を取りに来ていた火連と夏樹と合流して更衣室に向かった。

「草壁ちゃんって実は運動神経良いのなー」

「うん、体動かすほうが好き。机について勉強するの、すごい苦手だもん」

 魔法の勉強は実技にとどまらず、当然教科書で学ぶ事柄もたくさんある。何時間もじっと座り続けて勉強していれば、疲労してしまうのはどんな学校の学生でも当然だった。

「蘭花ってどっちかっていうと鈍そうなんだけどね。私より体力もあるしさ」

「典子先生の教室でずっと鍛えてきたからね。芸能科には行かなかったけど、ダンス好きだし」

 言いながら蘭花はステップを踏んだ。

 入学からひと月以上経過して、蘭花がランファの娘だということは周知の事実となっていたし、美弦や夏樹は蘭花がパフォーマンス教室に通っていたことも知っていた。

「そういや蘭花、今でもその先生の教室通ってんのか?」

「うん。でも典子先生のレッスンはプロ志向の子ばっかりだからやめたの。典子先生もちょっと意識を変えてみたらって言ってくれて、もっと自分のペースで続けていけるような講師のレッスンに変更してもらったよ」

 芸の道には進まなかったが、それでも積み重ねてきたものを投げ出したくはなかった。好きなことの一つとして続けていきたかった。真子も蘭花がどんな形であれレッスンを続けることを賛成してくれたし、ひとつのことを継続するのはどんな進路に進んでも意味があるだろう。

「中学よりも学業との両立も大変そうだし、それくらいがちょうどいいかなって」

「そうだな、小テストとか課題多いもんな」

「うう、小テストの話はやーめーてー」

 火連に言われて、蘭花は頭を抱える。

「火連くんは頭いいもんね」

「……言っとくけど、俺は魔法学の勉強はいっぱいいっぱいだぞ」

 ふいと顔をそらせて火連が言った。

「え、だってこの前の小テストいい点数取ってたじゃない。私が間違ったところも教えてくれたし」

「あれはたまたま日向に教えてもらったところが出ただけで……」

「ああ、やっぱり日向くん魔法学得意なんだ。プリントとかテキストの回答も全然間違えないし、小テストも毎回点数いいもんね」

「魔法は感覚半分、理屈半分で使うもんだからな。俺ね、その理屈をこねくり回すの結構好きなの」

 その、『理屈をこねくり回す』のが魔法学だ。

魔法の成り立ちや術式の分析、使い方の具体例や使用法などを細かく紐解き学術的にアプローチをして学んでいく。

「ま、あとは向き不向きだな。西園ちゃんも割と魔法学得意なほうじゃない?」

「好きってわけでもないけど、まあ割とできるほうかな」

「うらやましい……」

 蘭花はうなだれて美弦にすがりつく。

「まあ私らまだひよっこですから。魔法の勉強するために真木野に入ったんだしさ」

「うん、頑張る」

 顔を上げたところで更衣室にたどり着いた。

 当然着替えは男子と別れるが、男女別の体育と違って魔法の実技は混合だ。

「じゃ、またあとで」

 

 体を巡るのは熱だった。

 使うのが水のように冷たいものでも、風のようにも涼やかなものでも、魔力はエネルギーとなって体内を駆け巡る。魔力の流れは熱をもって体内を巡ると、最後は手のひらに行きついた。

 抑え込めなくなった力を体外に放出するように両手を突き出す。蘭花の手のひらから強い風が巻き起こって、前方にあった水の膜を揺らした。

「お、おおおお」

 蘭花は妙な声を上げる。

 グラウンドには透明な水のスクリーンが魔法で作り出されていた。魔法で編み出されたそれは風を受けても壊れることなく次の生徒の放つ魔法の衝撃に備えている。

「すごーい、もう何発も魔法受けてるのに水スクリーン壊れなーい」

「課題の時にぶち当たった壁はそれなりに時間かけて作ったんだろうけど。今、先生が即時に作ったってのにめちゃくちゃ丈夫だな、すごいな」

 火連が感心したように言った。

 六畳ほどの大きさで、的の代わりになっている水のスクリーンは、すでに生徒の半数の魔法を受けてなお壊れずにいた。

「そりゃあ僕は先生だからね。君らの評価もしなくちゃいけないのに、君らの魔法がぶつかるたびに壊れる心配するのも、壊れるたびに直すのも面倒だ」

 蘭花の評価をクリップボードの書面に書き込みながら結月が答える。魔法の実技担当は、担任でもある結月だった。

「だったら最初から思いっきり頑丈に作っておいたほうが楽」

「それだけ頑丈なモン、一瞬に魔法で作ること自体が難易度高いのー」

 夏樹がもはや笑いながら言った。格が違いすぎて笑うしかない。

「うん。草壁さんは風の魔法、勢いも方角もコントロールは抜群だね」

「はい、結構得意みたいです」

「草壁さんは空飛べるでしょう。飛空魔法は風を読まないとうまく操れないっていうから」

「私、風なんて読んだことないですけど」

「多分それ、感覚でできちゃってるんだよ。だから風の魔法も、感覚で結構うまくやれちゃうんだと思う。得意じゃない魔法は、感覚だけで操るのは難しくなってくると思うよ。頑張って」

 笑顔で励まされる。

 結月の指導は丁寧で物腰柔らかだが、その実、粘り強く、根気強い指導でも有名らしい。生徒が投げ出そうとすると笑顔で厳しいことを言ってくると評判なので気は抜けない。 

「はい、じゃあ次は日向くん」

「はーい」

 魔法は四大要素からなるとされている。火、水、風、地の四元素で、この四つを基礎として魔法は成り立っている。

 そのため、まずはこの四つの魔法をコントロールする術を覚えることから実技授業は始まった。

 生徒たちは順番に魔法を展開し、水のスクリーンを揺らしていく。

「はい、日向くんもオーケー。すごいね、ほぼスクリーンのど真ん中に当ててきたねえ」

「その分、魔法の発動までに少し時間かかりましたけどね」

 冷静に分析しながらも、夏樹の表情はどこか誇らしげだった。結月も満足げにペンを走らせる。

「日向くんは分析と構成が得意だね」

「いいなあ、私も猛勉強すればどうにかなるかなあ」

 どちらかといえば感覚で魔法を使う蘭花にとって、理論的な魔法の組み立てはこれからの課題だ。それを得意とする夏樹のことは素直にうらやましい。

「もちろん、頑張って勉強してね。でも日向くんは空間移転の魔法が使えるからね」

「空間移転は、もろに構成と分析の魔法なのよ。移転先の座標計算に、移動距離の計算に、結構理詰めなの」

 軽く口にする夏樹に、蘭花は感嘆の息を吐く。

「はー、すごいなあ。私も頑張らなきゃ」

「感覚で使えるってのも、十分武器になるけどね」

 言いながら、結月は美弦に向き直る。

「はい、次は西園さん」

「はい」

 美弦は定位置について構えた。睨むようにしながら前方のスクリーンを見つめ、しばらく考え込むようにしてから風の魔法を放つ。

「あ、ずれた」

 魔法が手から離れた瞬間、美弦が口惜しそうにつぶやく。風はスクリーンの中心よりやや右上にぶつかって霧散した。

「あー、やっちゃった」

「うん、少しね。でもこれだけできれば、今の段階なら上等だよ」

「美弦ちゃんもかっこいいー」

 蘭花は小さく拍手した。悔しそうな顔をしていた美弦も少し頬を緩める。

「やっぱ変身魔法も、感覚より理屈の魔法?」

 夏樹が美弦に興味深そうに尋ねる。

「んー、イメージさえつかめちゃえば後は感覚って人もいるみたいだけど。そのイメージ自体、具体的に細かく突き詰めていくからなあ。目は大きくてとか、輪郭は細めとか……結構細かく頭の中で組み立てていかないと。頭をフル回転して変身するから、私は他の魔法使うときも感覚より頭で考えるの重視」

 己の頭を指先でトントンと叩きながら美弦が答えた。

「考えて制御できれば苦労しないよな」

 ぼそりと言って、火連が美弦の横をすり抜ける。その顔は心なしかこわばっていた。

「なに、突っかかるじゃない熊谷」

「突っかかってるわけじゃない、ただの感想」

「火連くん、緊張してる?」

 蘭花が火連の顔を覗き込むようにして訪ねた。それには答えず、火連は結月に呼ばれて定位置についた。

「じゃあ熊谷君ね。肩の力抜いていいから」

「力、入ってますか」

「少しね」

 穏やかな顔の結月とは対照的に、渋面のまま火連は構えた。浅く深呼吸するように一息つく。手のひらを広げて突き出した右手は淡く光り、少しだけ火連の足元の砂が巻き上がると。

 火連の体を後方に弾くような強い風が吹き荒れた。

「おっと」

 火連の横に控えていた結月が素早く動いた。

 右手にしていたペンを即座に左手のクリップボートに挟んで、空いた右手をスクリーンに向かって掲げる。水の膜が上下左右に伸びて、強烈な風をしっかりと受け止めた。

「怪我ない?」

 よろけて座り込んだ火連に結月が問うた。

「……はい」

「スクリーンの作りこみが甘かったな。偉そうなこと言ったわりに情けない」

 結月は小さく息を吐いた。

「まあ、熊谷君の魔法、思ったより威力が大きかったからね」

「すみません」

「うん。ちょっと力の制御ができてなかったね。熊谷君は魔力の保有量が多いから抑えるのが大変でしょう」

 にこりと笑って結月は言葉を続けた。

「力を抑えることを覚えないといけないね。今のままじゃちょっと危なっかしいよ」

 結月の笑顔の裏の厳しさをかみしめるように、深刻な顔で火連は頷く。

「火連くんすっごいね!やっぱり火連くんの魔法ってめちゃくちゃ強くてかっこいい!」

「お前な……」

 無邪気に駆け寄る蘭花に、火連は呆れたように息をつく。

「どう考えても失敗だろあれは。あんな激しい勢いで魔法ぶっ放したんじゃ危ないだけだ」

「火連くん、小さいときからすごかったもんね。マンションの電子ロック吹き飛ばしちゃうくらいだし」

「あんな風に魔法使うのなんて滅多にないだろ。というか、二度とごめんだ」

「それは、そうだけど」

 蘭花は口ごもる。

 蘭花とてあのような経験はもうたくさんだ。それくらい恐ろしいことに火連を巻き込んだ後ろめたさは、今でも少なからずある。

「……いや、あれは蘭花のせいじゃないけど」

 そんな蘭花の考えを察したか、火連は少しだけばつが悪そうに言った。

 こうして時折フォローしてくれるのは彼の優しさだと思う。蘭花が単純なことばかり言うせいかもしれないけれど。

「しかし熊谷って、ほんとに魔力強いんだね。今は風の魔法だったけど、炎の魔法が得意なんでしょ?」

 美弦が感心しながら火連に尋ねた。火連は複雑そうな顔になる。

「得意ってわけじゃないぞ。さっきみたいに威力ばっか強くなるし、コントロールもいまいちだし」

「得意って言うのは語弊があるんだよな。ただ、炎の魔法は相当魔力を消費するから厄介で」

 火連の隣で、夏樹が的確に解説をする。

「例えば、ろうそく大の大きさの炎を生み出すにも、それを焚火くらいに大きくするのにも、結構なエネルギーを使うんだ。だからまともに操る前に力尽きちゃうことが多いんだよな」

「でも、魔力量が多ければそれだけできることが多くなるってことね。炎を大きくするにも、軌道をコントロールするにも、力尽きちゃったらできないわけだし」

 夏樹と美弦が冷静に分析するのを受けて、火連は更に決まり悪そうにした。

「大きい力を持て余してるようじゃ、結局何の意味もない」

 眼鏡を押し上げた手が、表情を隠してしまう。

「まあ、悩みどころだな」

「これからってとこじゃない?」

 あっさりと切り返される夏樹と美弦の言葉に、火連は息をついた。二人の反応は軽いものだったが、火連の肩からは少し力が抜けたようだった。

 今は二人の適当な距離感が心地よいのかもしれないと、そんなことを蘭花は思う。

「うん、これからだね」

 だから蘭花も今はそれだけを言って、静かに皆の横に並んだ。

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