第10話 あいまいオリエンテーリング-4

「いたた……」

 体の痛みを感じた。激しい痛みはないが、細かく小さな痛みがあちこちに走る。

 起き上がるために体に力を入れようとした瞬間、手足が不自然に沈んだ。

「あっぶな……」

 思わず硬直する。不自由な動作で首を動かして辺りを見回せば、地面は遥か遠く、自身の体は大きな木のてっぺん近くに引っかかっていた。

「これは移転魔法失敗ってことかな?」

 枝葉を広げた木の上に、仰向けになるようにかろうじてとどまっていた。こんな高い木を登れるはずもなければ空も飛べないので、これは間違った場所に移転させられたということだろう。

「自力で降りるのは無理かな」

 足も腕も太い枝には届かない。もとより木登りなんて経験がない。

「見つけてもらえるまで待つしかないかな」

 呟いた声は弱々しくなった。

 教師陣が監視をしているはずだから、本当に危なくなったら助けてもらえるはずだ。しかしこの難所をどう乗り切るかを見ているとしたら、しばらく教師の介入はないと考えられる。

 切迫感こそないが、純粋に高所に対する恐怖があった。風だって強い。

「本当に見つけてもらえるかなあ」

 高所を探索するのに適した魔法は限られているだろう。親しくなった生徒も限られている。そもそも、本当に打ち解けたともいえないだろうに。

(今までだって、誰かに見つけてもらえたことなんて、なかったっけ)

 地上よりも強く吹く風は耳元でひゅうひゅう鳴る。

 身動きもできない木のてっぺんに置き去りにされて考えるのは孤独だった。

 人の目は自分を素通りする。誰も自分を見つけてはくれない。

「西園くん?」

 暗い思考の海に沈みかけたその時。

 風の音を切り裂くような、少女の声が響いた。


「あれ……?」

 木の上に人影を見つけて、蘭花は目をしばたたかせた。

 夏樹が移転魔法に失敗し、はぐれた美弦を探すべく空を飛んでいたところ、そう離れていない場所に生えた木の上に人が引っ掛かっているのを見つけた。上空の強い風に逆らうように近づいてみれば、そこにいた人影は妙に小柄で。

「えっと。西園くん……じゃない、ね」

 美弦を見つけたと思ったら、そこにいたのは女生徒だった。印象的な長い髪を一つにして束ねている。

「あの、何してるの?」

「遊んでるように見える?」

 困惑したまま蘭花が尋ねるも、そっけない答えが返ってきた。

 この突き放したような物言い、確かこの子は蘭花を『恋愛バカ子さん』呼ばわりした、あの時の。

「移転魔法が失敗したみたいでさ」

「え、学園長失敗しちゃったの?」

 夏樹のような半人前の学生ならまだしも、魔法の権威ともいうべき学園長が失敗するなんてことがあるのだろうか。あれだけの人数を一度にいろんな場所に移動させるのは学園長でも難しいということか。

「ってことは、オリエンテーリングが始まってからずっとここにいるの?」

 思わず腕時計を確認する。ゆうに一時間は経過していた。

「うわー、怖かったでしょ。しかも寒いよね、今降ろしてあげる。少し体起こせる?」

 蘭花は少女に向かって両腕を伸ばした。少女は冷えているのか、少し青ざめた顔で蘭花を一瞥して。

「ほんといい子だよね、草壁さんは」

 伸ばされた手を無視して言った。『いい子』という言葉とは裏腹、冷たく響く。

「私、さっき草壁さんのこと馬鹿にしたのわかった?それともそんなことも気づかないくらいおめでたいんですかね、恋愛バカ子さんは」

 今度は言葉通り馬鹿にして辛辣な言葉を投げつけてくる。恨みを買うような覚えはないというのに。

「それともとりあえず私を助けてしまわないと、西園を探しに行けないから?」

「西園くんのこと知ってるの?」

 思いがけない言葉に蘭花は問い返す。

「知ってるよ、よーくね。あいつ嫌なやつでしょ。ほっといたら?それでもいい子の草壁さんは助けに行っちゃうのかね」

「あのさ。私いい子じゃないし、正直今すごい腹立ってるよ。いいから早くつかまって」

 蘭花は更に腕を伸ばした。

「なにそれ。ムカついてるわりに助けてくれるんだ。落とすつもり?」

「ムカついてるけどね」

 少女を睨むようにして腕を差し出す。

「人を助けることとそれは別」

 そのまま強引に少女の腕をつかんで引き寄せた。ぎゅっと抱き着いて、二人空中に飛び出す。

「っていうか、この状況で放っていける人っていなくないかな」

「草壁さん、素直だねえ」

「私、人の顔が見えないのは嫌いだから」

「……なにそれ」

 腕の中の少女が、少し低い声で尋ねた。今までのような棘を含んだでもなく、意地悪い響きでもない声音だった。

「私のことを何も知らない人に好き勝手言われるのは嫌い。本当の私たちのことなんて何も知らないくせに悪意をぶつけてくる人は怖い」

 母や蘭花のことなど何も知らないのに、無責任に騒ぎ立てる人たちがいた。危害を加えようとする人がいた。顔の見えない相手や、目に見えない悪意と戦うのはまっぴらだ。

「そういう人たちはいやだから。だから自分は素直でいたいだけ」

 できるだけね、と付け加えて蘭花は少し笑った。

「隠し事したり、ごまかしたりすることもあるけどね。なんでもかんでも正直にやっていけるほど器用でもなければ、世の中甘くもないしさ」

「そうだよ。世の中は草壁さんみたいに、頭お花畑でいられるほど甘くないよ」

「うん」

 厳しいがもっともだ。

 格好つけたことを言ってもお寒い限りといわれても仕方ないし、ましてや声高に主張して人の心に訴えたいわけでもない。

「ただ、まあ、性格だから」

 性格だし、生き方だ。

 まだ十数年しか生きていない小娘である自分が生き方を主張するなんて、青臭くて甘っちょろくて、あまりに生意気かもしれないけれど。どこかで変わってしまう生き方かもしれないけれど。

「あ、火連くんと日向くんいた!」

 二人を見つけて、ゆっくりと降下していく。

 夏樹が手を振っていた。地上に降り立とうとしたとき、火連が少しだけ腕を伸ばした。それが蘭花たちを受け止めてくれようとしていたみたいに見えて、思わず笑顔になる。

「お疲れー。って、あれ?」

 駆け寄ってきた夏樹が、蘭花の腕の中の人物を見て首をひねった。

「西園じゃない」

「あ、うん。西園くんはまだ見つかってないの。この子が木に引っかかってるのを先に見つけて」

「なんじゃそら」

「うーん、詳しくは本人に聞いて。私、もう一度西園くんを探してくる」

「いや、蘭花は少し休んだほうがいいだろ。お前、今日飛ぶの何回目だよ」

 気遣うような火連の言葉に嬉しくなりながら、蘭花は首を振る。

「ううん、大丈夫。早く西園くんを探しに行かないと」

「探さなくていいよ」

 え、とその場にいた一同が一斉に救出した少女のほうを見た。少女は軽く笑い。

「ここにいるから」

 そう一言告げると、少女の周りでふわりと空気が揺れた。一瞬少女の像がゆがんだと思うと、次の瞬間、そこには西園美弦がいた。

「えっ…西園くん⁈」

 少女と入れ替わるように現れた美弦に、蘭花は驚愕の声を上げた。火連も夏樹も信じられないものを見る目つきで美弦を凝視する。

「西園、なんでお前いきなり」

「は、え?あの子どこ行った?」

「ここにいるよ」

 途端、美弦の姿がゆがむ。次の瞬間には、また少女が現れた。

「変身魔法か!」

 火連が驚きに目を見開いたまま言った。一人冷静な笑みを浮かべて少女が答える。

「そう、私が得意なのは変身魔法。さっきまでここにいた男の西園美弦は私の変身した姿で、本当の私は女の西園美弦ってこと」

「つまり、美弦くんじゃなくて、美弦ちゃんってこと?」

 蘭花は女の子の姿をした「西園美弦」を、まじまじ見つめながら聞いた。

「そういうこと」

 美弦は手を広げて己の姿を一同にさらした。

「年齢性別問わず、割とどんな人間にも変身できるよ。人間以外はできないけどね」

 変身魔法も珍しい部類の魔法だ。

 蘭花は今目の前で起きたことがまだ信じがたくて美弦を凝視する。

「西園く……さんが言ったこと、どこまで本当なの。モデルっていうのは嘘?」

「モデルってのはほんとだよ。でも、男の姿に変身してメンズモデルをやってたってわけじゃないの。素の姿でもモデルにはなってない」

 そういうと、美弦は再び変身してみせた。

「綺麗……」

 変身した美弦の姿に、蘭花は見惚れた。

 ぱっちりとした大きな目に長いまつげ、真っ白な肌の美少女。

 あまりに綺麗すぎて、ほめる言葉がかえって陳腐になるくらい、圧倒的な美少女の姿だった。

「モデルの時は、こういう超絶美少女に変身してたってわけ」

「引退しちゃったってのは本当?」

「本当。まあ、モデルの世界って、かわいいだけじゃのし上がれないっていうかさ。思ったほど人気も出なかったし、それに」

 そして投げやりな口調で吐き捨てた。

「馬鹿らしくなっちゃった」

 苦笑いを浮かべながら美弦が言った。

「誰も私のことなんか見てないんだよ。素の姿を隠してモデルの仕事をする私を『空っぽだ』って言った人もいた。そしたら、自分が誰かわからなくなりそうになって、いやになっちゃった」

 そこまで言って、美弦は首を左右に振った。

「あー、やだ。話しすぎた。初対面からこんなベラベラと、馬鹿みたい」

 美弦は蘭花たちに背を向ける。

「もうやだ、しゃべりすぎた。忘れて。ほんと無理」

「どうでもいいけど、蘭花をからかったのはなんなんだよ」

 美弦の背中に向かって火連が問いただした。

「バカ子呼ばわりも大概だし、課題とは関係ないのに変身して、男のふりして蘭花をからかってたろ。何なんだよあれ」

「ああ、あれ?」

 美弦が振り向く。

「あんまり草壁さんが一途なこと言ってるからさ。こんな人あり得ないと思って、男の姿で言い寄ったらどんな風になるか見てみたかったんだよね」

 どこか小馬鹿にしたような笑みを美弦は浮かべた。けれどその笑みは、不快さより痛々しさがあった。

「なんだそれ。お前、性格悪いな」

 火連が言い放つ。

「悪いんじゃない?さっき言った通り、いやーな経験もそれなりにしたからさ、ひねくれちゃったのよ、私」

「知るかよ。それに、西園は蘭花のことただのバカ子だと思ってるかもしれないけど、蘭花だって結構大変な……」

「ストップ火連くん!」

 火連と美弦の口論に割って入って、蘭花は声を上げた。

「いやいや、それ以上言い合うと最悪、苦労した経験自慢になるよ。それよくないよ」

「……悪い」

 決まりが悪い表情で火連は視線をそらした。

「あのさ、西園さん。さっき一緒に飛んでる時も話したけど、私の性格も考えてることも、大体、あんな感じだから。気に入らないかもしれないけど、もうどうしょうもないから」

「うん。それはわかった」

 美弦は小さく息を吐いた。

「ちょっと反省した」

 美弦が蘭花を正面から見据える。

「なんかさ、さっきの話からすると、草壁さんも色々あったんだろうなとか、ちょっと思った。……って、これじゃ苦労自慢大会になっちゃうんだっけ」

「そうだね」

 『誰も自分のことを見ていない』と言う美弦の前で、蘭花は火連を絶対に見つけ出すと言った。

 それがどんな風に美弦に響いたか蘭花にはわからない。わかったところで、それは美弦の問題だ。

 蘭花が自分の好きな人たちに正面から向き合いたいという気持ちは変わらない。

「ごめんね」

 大きな声ではなかったけれど、美弦がはっきりと言った。蘭花は「うん」とだけ答えてうなずいた。

「あと、さっき木の上で、見つけてくれてありがとう」


「はいゴール!」

 ほどなくしてスタート地点に戻ってきた四人は、無事に時間内の課題クリアとなった。結月が全員の姿を確認して、穏やかに笑う。

「全員お疲れさま。無事ゴールできたね」

「いやー、ほんと疲れましたわー」

 夏樹は大げさに首や肩を回した。

「無事というかなんというか」

「あー、俺ってば魔法失敗したしなー。ごめんな、西園ちゃん」

 火連の言葉を受けて、夏樹が美弦に謝罪する。

「いや、別に」

 二人のやり取りを見て火連が顔をしかめる。

「まあまあ、穏やかに行こうぜ熊谷。草壁ちゃんが馬鹿にされてムカついてんのはわかるけど」

「蘭花がどうのじゃなくて、西園の態度がだな」

 ぶつぶつと文句を言いながら、二人校舎へと戻っていく。火連をなだめるように背を叩く夏樹と、それを払いのける火連の後姿を蘭花は追いかける。

「火連くん優しいなあ」

「お前がのんきなんだよ」

「もういいよ、ほんとに。ちゃんと西園さん謝ってくれたしさ」

「そうそう。仲良くやっていこうぜ、クラスメイトなんだからさ」

「知るか」

 輪に加わらず、最後尾についてくる美弦の姿をちらりと伺う。黙々と歩く彼女が何を考えているかまでは蘭花にはわからなかった。


「美弦ちゃーん、お昼食べよー!」

「蘭花の席動かす?それともこっち来るー?」

 週が明けて、真木野学園では昼休みを挟んだ六時間授業が始まった。

 昼休み、蘭花と美弦は机を並べてお弁当を広げる。

「おい、なんなんだこれ」

「おー、平和だねえ」

 その光景を前に、火連と夏樹の二人がそれぞれ感想を漏らした。

「なんでお前ら二人、結局仲良くなってんだ?」

 オリエンテーリングでの件で気まずくなるかと思われた二人が、仲良く並んでお弁当を食べている。

 火連は理解しがたいという顔をして二人に問うた。

「なんでかなあー?」

「なんでかねえ?」

 蘭花と美弦、のんきな声で生返事をして、構わず食事を続ける。二人で談笑したりおかずを交換したりする光景は実にのどかだった。

「火連くんも一緒に食べようよ!」

「いや、俺は日向とあっちで」

「おー、いいねいいね!みんなで食べようぜー」

「しょうがない、場所を空けてやるよ」

「おい西園、お前なんでそんな偉そうなんだよ」

 賑やかな昼下がりの教室。まだ出逢ったばかりの仲間たちは、反発したり、笑いあったりしながら小さな机を囲んだ。

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