第8話 あいまいオリエンテーリング-2

 週の真ん中に始まった学校は、入学後初めての週末を迎えた。

 入学式翌日は学園生活やカリキュラムの説明に終始し、あらゆるプリントを配布され昼食もなしに午前授業で終了した。

 今日までが昼食無しで、来週からは六時間授業が本格的に始まる。今日はオリエンテーリング授業となるとのことだった。

「まあ、校内でやるからそんな御大層なものじゃないけどねー」

 そうのんきに言うのは、蘭花たちの担任の結月ゆづき先生だ。

 どことなくのんびりとした風情の男性教諭は、まだ二十代後半と若い。

 ただ、魔法の実力は年齢だけで推し量れるものではなく、若輩が老年者を格段に上回ることは珍しくもない。

 魔法学校で担任を任される魔法使いはそれ相応の実力を持ち合わせているはずで、若いからと言って舐めたものではないと、真木野に来るような生徒は理解している。

「いや、学校の敷地内に、これだけだだっ広い土地を構えてるあたり十分御大層なんですが……」

 誰かが呟く。

 朝のホームルームが終わって、生徒たちは真新しいジャージに着替えて校舎を出た。集合場所は普通科一年の教室がある校舎の裏だ。

 校舎裏は雑木林になっていて、それを突っ切る形で道がある。道は数名で横並びに歩けるくらいの広さはあるが、雑木林を越えた場所の景色は蘭花たちがいる場所からは見えない。実際は芝に覆われた広い平地があって、そこも道が整備されていくつかの建物が配置してある。

 それを見るに無駄に遊ばせている土地というわけでもないようだが、少し歩いたくらいでは学校の境界になる塀や門は見えてこないから、その広さがうかがえる。

「運動公園みたいなもんだよ」

 言いながら、結月は手に持ったクリップボードと生徒たちを見比べる。全員集合したかを確認しているようだった。

「先生、整列しなくていいんですか?」

「んー、良いかなあ。全員いるのは確認できたし、整列してもしなくても、あんまり支障ないんだよね」

 ボードをペンでぱたぱたと叩く音が響く。生徒たちはなんとなく近くのものと顔を見合わせた。

「オリエンテーリングって、班とか決めるのかなあ?」

「さあ」

 蘭花の質問に、火連はそっけなく返す。

「班決めするなら一緒になれたらいいね!」

「班は特別決めないよー」

 蘭花の意気込みを一蹴するように結月が言った。

「みんなばらばらの場所からスタートするからね。ただ、フィールド上で誰かと会うだろうから、そしたら協力しあってゴールしてね。詳しい説明は学園長が来たら説明するから」

「なんで学園長」

「激励の挨拶に来るとか?」

 火連と蘭花、そろって首をひねる。

 学園長は入学式で会ったが、そもそも式典で会うくらいのものだと思っていた。

「まあいいか。じゃあ私、絶対火連くんのこと見つけるからね!」

「何言ってんだか。結構広そうだから無理だろ」

「やってみなくちゃわかんないじゃない。最初っから諦めちゃ駄目だよ」

 そう言って、どこかすました顔で宣言する蘭花に、火連は何とも言えない複雑な表情を浮かべる。

「蘭花、もしかして探索系の魔法使える?」

「ぜーんぜん」

「とりあえず、かくれんぼや鬼ごっこじゃないんだから、まともにゴールすることだけ考えとけよ」

「はーい」

 そう返事をして、なんとなく体の向きを変えたその時だった。そばに立っていたらしき人影に軽くぶつかる。

「わ、ごめんね」

 慌てて謝る。ぶつかった相手は軽く微笑んだ。

「楽しそうでいいね」

 背の高い女子だった。巻き毛の蘭花とは正反対の真っすぐな長い髪を一つに結んでいる。

「浮かれて迷子にならないようにね、恋愛バカ子さん」

 微笑んだまま辛辣な言葉を投げつけられて、蘭花は言い返す言葉を失った。長い髪の少女はすでに知らん顔で結月のほうを向いている。

「……私もしかして、今すっごい馬鹿にされた?」

「浮かれたことばっか言ってるからだよ」

 火連から慰められることはなかった。けれど火連もどことなく件の少女を厳しい目つきで見ていたので、少しだけ申し訳ない気持ちになって、大人しく学園長の登場を待つことにした。


「皆さん、少しは慣れましたか。今日は皆さんがどんな生徒さんか、オリエンテーリングを通して見させてもらおうと思います」

 入学式の時、舞台の檀上に立つよりももっと近い距離で見る学園長はやっぱり普通の人だった。

ファンタジー映画の老魔法使いのような長い髭を蓄えているでもなく、ローブや三角帽を身に着けているでもない。髭は綺麗にそられているし、上等そうな三つ揃えのスーツを着こなしていた。

「これから皆さんには、ばらばらの場所からスタートして、またこの場所に戻ってきてもらいます。オリエンテーリングとは言いますが、チェックポイントなどは設けません。とにかくこの場所に戻って来られればオーケーです」

 琥珀のような留め具がついたループタイが物珍しくて目を引かれる。けれどそれは魔法使いであることと関係はなく、おそらくそういう趣味なのだろう。後ろに撫でつけた髪は見事な白髪で杖も握っているので、すでに老境に入っていることがわかるが、紳士然としている。

「まず、私たちが裏庭と呼んでいる雑木林の向こうのフィールドに散ってもらって、そこからこの校舎裏を目指してください。裏庭は遭難するほどの危険はありませんが、知らなければ多少迷うくらいの広さはあります。一応地図は配りますが、目印になるものが少ないのでそれだけでゴールするのは難しいでしょう」

 そこまで言って、学園長は各々の顔を見渡した。

「ですから、魔法の使用を許可します。私も結月先生も魔法による監視を行いますし、危険な行為でない限り、使用を制限しません。とは言え、魔法には向き不向きがあります。すべての生徒がオリエンテーリング向きの魔法を使えるわけではないので、今回魔法を使うか使わないかでこの先の学園生活に影響が及ぶ事はありません。私は皆さんが力を合わせて頑張るところが見たいだけですから」

 学園長の言葉が終わると、結月から地図とクラス名簿が回された。地図を眺めてみるも、確かに道は奥までは続いていないし、目印になりそうなものも少ない。

「じゃ、みんな。ここから先はふざけたりとかナシね。一応、少し身構えといて」

 結月に言われて、蘭花を含む生徒の多くは身構えるもなく棒立ちのままになる。ばらばらの場所からスタートするといったが、これからそれぞれどうやって散らばるのだろう。

「それでは皆さん、頑張って」

 学園長が生徒たちに向かって杖を掲げる。見事な装飾の施された握りより少し下を持ったと思うと、その装飾が淡く輝く。

 驚く間もなく、蘭花の体に軽い衝撃が走った。体にかかる圧に思わず目を閉じる。しばらくすると圧から解放されたので、そっと目を開けた。

「……ええっ?」

 一瞬、言葉を失う。次に飛び出たのは頓狂な叫びだった。

 先ほどまで視界にあったのは、校舎と雑木林と、先生たちとクラスメイト達だった。けれど今、目の前に広がるのは、誰一人いない森の風景。

「えっ、なにこれ。えっ、えっ?嘘でしょ」

 きょろきょろと辺りを見回す。

 あたりを囲む木々はまばらなので、そう深い森でもなさそうだ。もしここが裏庭の中なら、校内であるし実際はこれも雑木林なのかもしれない。

「もしかしてこれって、空間移転の魔法……」

 蘭花は呆然とつぶやく。

 人を一瞬にして遠隔地に運ぶ魔法がある。おそらく学園長が使ったのはそれだ。あの杖は歩行用ではなく魔法道具だったのだ。そう思えば、あの杖を支えに立っていたりはしなかった。

「信じらんない……。さすが真木野の学園長」

 空間移転の魔法は、魔法を使う本人だけが移動するならそう難しくないらしい。

 空を飛ぶ魔法のように適性があり誰でも使えるわけではないので、勿論それだけでもすごいのだが、他人を動かすのは更に高度な魔法だ。しかもいっぺんにあの大人数。

 多くの魔法学校は少人数クラスを採用しているので、蘭花のクラスも二十人ほどだが、一度に数十人を移動させるなんて聞いたことがない。

「とりあえず、歩いたほうがいいかな」

 そのうち誰かに会えるだろうと思い歩き出す。

 地図に書かれた道はないが、草深い場所を避けたり、比較的明るい場所を選んだりして歩いた。しばらく歩いて、少し呼びかけをしてみようかなと思った頃合い。

「おーい」

 背後から声がした。振り返ると、一人の男子生徒が駆けてきていた。

「ああよかった、一人見つけた」

 蘭花はほっとしたように息をついた男子の顔を眺める。

(あ、かっこいい)

 瞬間的に思ったことはそんなことだった。

 綺麗な顔の男の子だ。けれど中性的というほどには甘くなく、程よく凛々しい顔つきをしている。

 大概の同級生は男女問わず蘭花より背が高いことが多く、彼もまた長身だ。彼の場合は足の長さが身長を稼いでいるようで、緩いシルエットのジャージ姿でもすらりと長い足が印象的だった。

「えっと、ごめん、名前なんて言うの?」

「私は草壁蘭花。よろしくね」

「草壁さんね。俺は西園にしぞの

 名簿の名前欄を探す。西園の名を見つけて、下の名を確認した。

「えーと、西園、美弦みつるくん。へー、これでミツルって読むんだ」

 名簿にはふりがな付きで名前が並ぶ。とびぬけて奇妙な名前はないが、名簿を眺めた真子いわく、ひと昔前と比べると、どれもこれも親の願いのたっぷりこもった個性的な名前が多いらしい。

「綺麗な名前だね」

「そう?美しいって字が入ってるせいか女子の名前にも見えるだろ。男子でミツルは珍しくないけどな、男子なんだか女子なんだか」

 美弦がどこかで聞いたようなことを言うから、蘭花は思わず笑った。

「そんなこと、火連くんも言ってたなあ」

「カレンくん?」

「熊谷って名字の子。火連って名前でしょ」

「ああ、ほんとだ。へえ、これはなかなか個性的な名前で」

「ね、かっこいいよね」

 本気でそう言う蘭花に、美弦は一瞬の間をおいてからにやりと笑った。

「なに、好きなの」

 問われて、今度は蘭花が一瞬考える。

「そうだね。火連くんは私の恩人だし、ずっと目標だったからね」

 思うことを素直に答えた。一瞬考えたのは、言葉にするためだ。

美弦の言葉にはからかう響きがあったけれど、そんなことは気にならなかった。

「同じ中学校?」

「ううん。小学校一年生の時に仲良くなって。でも、私がすぐ転校しちゃったから高校で久しぶりに再会したの」

「へえ、運命じゃん。その間、他に好きなやつとかできなかったの?」

「うん。別に好きな人はできなかったなあ」

 美弦の話は恋愛の色が濃く出ていて、蘭花と火連の関係にどんな答えを期待しているかはわからなかった。なので、蘭花は事実をそのまま答える。

「一途だねえ!いいね、俺そういう女の子すごい好き」

 そう言って綺麗な顔で笑う。

 たとえ軽口でも、これは本気でときめいてしまう女子がいてもおかしくない。

「西園くん、もてるでしょ」

「うん。俺の顔好きだっていう女子は多いと思うな」

「自覚あるんだ」

「俺ね、モデルやってたの」

「ああ!」

 驚くと同時に納得した。確かに彼なら容姿を生かした仕事もできるだろう。

「といっても、もう引退してるんだけどね」

 けれど見方が変わったその途端、美弦の情報は更にひっくり返されてしまった。

「そうなの?もったいないね」 

「高校も普通科を選んだから学業優先にしたいし。それに、色々疲れちゃってさ」

 笑いながら疲れたという美弦に、それ以上のことは聞けなかった。

 表舞台に立つ人間がどれだけの苦労を抱えるかは、レディ・ランファを母に持つ蘭花にはよくわかる気がしたし、同時に、軽々しくわかった気になってはいけない気もした。

 美弦もそれ以上は語らない。

「それにさ、自由に彼女の一人でも作って青春したいじゃん」

「ああ、そうだね。それも楽しいかも」

 美弦の言葉は確かに軽いが、恋愛は十代の少年少女が望む青春のひとつだ。それを求めてなんらやましいものなんてないだろう。

「でしょ。ねえ草壁さん、俺と付き合わない?」

 会話の流れにあっさりと滑り込んだ言葉に、蘭花は動揺するよりも照れるよりも先に、わけがわからなくて聞き返す。

「はあ?」

「だから俺、草壁さんみたいな一途な子、すっごい良いと思うんだよね。だから彼女になってくれたらすごい嬉しいんだけど」

「……あのさ」

 いよいよもって訳が分からなくなった蘭花は、声を低めて訪ねた。

「西園くん、私が火連くんのことずっと忘れなかったのを聞いて一途だって思ったわけだよね。ってことは、私がここで西園くんの彼女になったら、私って西園くん好みの一途な女の子じゃなくなっちゃわない?」

 もしも蘭花が火連以外の誰かとお付き合いをしたとして、別にそれで火連の存在や思い出を忘れるわけではない。けれど美弦の考えをなぞると、どうも恋に一途だったはずの女の子が、別の男の子にあっさり乗り換えるという構図が出来上がる気がする。

「あー、それもそうだねえ」

「ね。なんか変じゃない?」

「んー。でも俺って一途な人って、それはそれでなんか信じられないんだよね」

「あれ、なんか言ってる事おかしいよ西園くん」

 美弦の言うことは妙にふらふらしている。軽いとかそういうことじゃなくて、何かが定まっていない。

「おかしくても別にいいや。ね、どう?案外、俺にも火連くんと同じくらい一途になっちゃうかもしんないし、あっさり火連くんのこと、どうでもよくなるかもしれないし」

「やだ」

 きっぱりと飛び出たのは拒絶の言葉。美弦の存在を拒絶したかったのではない。

ただ。

「私、火連くんのことどうでもよくないもん」

 蘭花にとって火連以上に存在の大きい男の子はいないから。

 その存在の大きさがどんな感情をもってして形作られているのだとしても、今のところその大きさを超える存在は現れないのだ。

「嫌かー」

「あのさ、あんまりその調子でどんどん女の子に声かけないほうがいいよ。どんなに見た目がかっこよくても、中身が軽いと信用してもらえないから」

「中身ねえ」

 どこか小馬鹿にしたような響きがした。

 それが引っ掛かったが、これ以上美弦に踏み込む権利もないだろうと、蘭花は黙って地図を広げた。

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