あいまいオリエンテーリング

第7話 あいまいオリエンテーリング-1

「あら可愛い!」

 リビングの扉を開けるなり、真子の華やいだ声が響いた。待ち構えていたかのようにソファから立ち上がって蘭花を出迎える。

「そっか、ママ私が制服着るの見るの、初めてだっけ」

 真木野学園の制服に袖を通した蘭花を見て、真子は満足げに笑う。

「そうよ。注文も一人で行かせちゃったし、届いた時も家にいなかったからね」

「制服屋の店員さん親切だったから、大丈夫だったけどね」

 言いながら、蘭花は胸元のリボンを整える。

 中学時代の制服リボンは最初から形作られているタイプだったけど、高校の制服リボンは一から結ばなければならない。着替えが手間になるなと思う一方、大ぶりのリボンはかわいらしいのでよしとしよう。

「さてと、もう行かないと。あ、ママ、時計つけたよ」

 蘭花は腕を掲げる。

 入学祝いに真子からプレゼントされたのは腕時計だ。高校生の持ち物だから高価なものではないけれど十分にいいものだし、ピンクゴールドのメタルバンドと華奢なつくりが気に入っている。

「うん、可愛い可愛い。それじゃ、気を付けてね。入学式行くからね!」

「うん、ありがと」

 新品の革靴を履く。どうせすぐに傷がつくのだろうけれど、靴底を擦ったりかかとを踏んだりしないように丁寧に足を押し込んだ。その間に真子が先回りして玄関を開ける。

「忘れ物ないね」

「うん、多分」

「あっ、待って。写真撮らせて!」

 真子はスマートフォンを取り出そうとした。蘭花は腕時計を見やる。

「ごめんママ、そんな時間ないよ。いいよ写真なんて」

「ええー、撮ろうよー。可愛いんだからー。ママ楽しみにしてたのにー」

 本気で残念がる真子を見て蘭花は笑う。

 普通科と芸能科では制服の作りがほんの少しだけ違って、母が長年楽しみにしていた制服ではないだろうに、それでも可愛いと言ってくれる母が嬉しかった。

「入学式の後で、外で撮ろうよ。ママも一緒にさ」

「わかった。そうね、桜は散ってるけどいいお天気だものね」

「じゃ、行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

 玄関を飛び出す。一度振り返り、母に手を振りながら蘭花は言った。

「あ、火連くんとも一緒に撮ってね!」


 満員の乗客に押しつぶされながら、まずは乗換駅までたどり着く。乗換駅から先は多少、混雑が緩和されるので、ほっと息をついて乗り換え専用の改札に向かった。

 人波の流れ込む改札の向こうに、背の高い人影が見えた。

「火連くん!」

 ぴかぴか新品の定期入れを読み取り機にかざして、改札を抜ける。

「おはよう!」

「おー」

 覇気のない返事が火連から帰ってきた。朝で眠いのか、もともとテンションが低いのか。蘭花をぞんざいに扱っているのではないとは思いたいけれど。

「蘭花、あの間抜けな定期入れやめたんだな」

「ああ、『もっふん』のこと?新しい定期入れにしたから、家でお留守番だよ」

 典子の教室に通うために使っていた定期入れは大きなぬいぐるみキーホルダーの形をしていたので、入学初めから目立つのもどうかと思ってシンプルなケースに交換したのだ。

「そんな名前だったのか、あの白い毛玉……」

 再会したあの日から、蘭花と火連は数度会っていた。

入学試験の日や入学説明会など、ほとんどが学校に関わる用事の時だったが、それで乗換駅が一緒なことが分かったので、入学式の日は待ち合わせていこうと約束したのだ。

「だけど嬉しいなあ。火連くんと一緒に真木野学園に通えるなんて」

 蘭花はにこにこ笑いながら火連の横に並ぶ。こんな日を、蘭花はずっと待ち望んでいた。

「魔法学校に行こうって言ってはいたけど、進学先までは決めてなかったのにね、奇跡だね!」

「市内では魔法学校は真木野だけなんだから、一緒になってもおかしくないだろ」

「うー。でもうちの中学から真木野に行くの私だけだもん」

 蘭花は唇を尖らせた。

 そもそも魔法使いの絶対数が少ないから、同校出身者が固まることも少ないようだ。

「俺は中学んときのダチが一人一緒だけどな」

 電車に乗り込んで、並んでつり革を掴む。けれど背が低い蘭花は疲れてしまうので、すぐに手すりに持ち替えた。

「あれ、一緒に行かないの?」

「あいつは家のそばにバス停あるから、ルートがちょっと違うんだよな」

「そっか。学校行ったら紹介してね」

「紹介も何も。全員自己紹介くらいやらされるだろ」

 そっけないなあ、と思いながらも蘭花は依然ご機嫌なままだった。

 ついこの間まで、本当に再会できるかもわからなかった相手と再び出逢い、今日から同じ学校に通えるのだから。

「しかし目立つな、女子の制服は。ジャケットは白いし、リボンはでかいし」

 ホワイトではなくクリーム色のジャケットなのだが、まあ目立つには目立つだろう。ただでさえ有名な学校の制服なので目を引くのは確かだ。

 この電車で長年通勤通学している人はこの制服を見るのも慣れているようだが、同じく真新しい制服に身を包んだ新入生らしき子や、まだリクルートスーツをそのまま来ているような新入社員風情の人たちからは時々視線を感じた。 

「男子は女子みたいな白い学ランじゃないんだね」

「やめてくれよ……」

 男子生徒はごくシンプルな紺色の学ランだった。入学式の時は留めるのかもしれないが、火連は詰襟のホックを開けて楽に着こなしている。

「とはいえ、小さい頃はもっとこう、魔法学校の制服!って感じのを想像してたんだけど、結構普通なんだよね」

 真子に言わせれば、最近の学校の制服はみんな凝っていておしゃれなのだそうだ。真木野学園の制服もその中の一つに過ぎないデザインだ。

「だからって、映画やら漫画で見るようなファンタジックな制服、街中で着たいか?マントとかローブとか宝石ついたようなやつ」

「……ちょっと着たい」

 蘭花のとぼけた答えに、ああそうですか、と諦めたように火連がつぶやいた。

「でもかっこいいよねえ、学ラン。うちの中学は男子ブレザーだったんだよね」

「俺は中学んときも学ランだったけど。真木野みたいなジッパー式じゃなくて、ボタンのやつ」

「えっ、第二ボタン誰かにあげた?」

 勢い込んで尋ねる蘭花に、あきれたように火連は答えた。

「制服ごと中学のバザーに出したよ」

「つまんなーい」

 蘭花が万事こんな調子なものだから、それに付き合わされる火連は入学式の前から疲れたような顔をして電車に揺られるのだった。

 

 入学式はつつがなく行われた。

 居並ぶ教師陣はみな魔法使いなのだが、やはり着ているものは一般的なスーツ類で、参列する保護者も在校生も一般的な学校のそれと変わりない。良くも悪くも学園長や在校生の祝辞も型通りだ。

 入学式が行われているホールは、体育館とは違い劇場のような作りになっていた。赤い布張りの座席シートや本格的な照明室が備わっていて、大掛かりなステージ公演ができる。魔法のパフォーマンスを学ぶ芸能科が設けられているこの学園の特色の一つであった。

 蘭花たち新入生の中には、入学前に学校説明会や文化祭等でこの場所をすでに見学している者も多い。それでもいざ大きなホールで入学式に挑むと、雰囲気に圧倒されてしまう。緊張気味の新一年生たちは静粛に式の進行に身を任せていた。

『以上を持ちまして、真木野学園入学式を終了いたします。皆様、席に着いたままでお待ちください』

 入学式終了のアナウンスとともに、ステージ上の照明が落ちる。場内の空気が緩むが、次いで客席側の照明も落とされて、窓のないホール内は真っ暗になった。

 一瞬のざわめきの後、ステージ上に蛍のような無数の光がともった。光はふわふわと舞い、うっすらとステージ上を照らし出す。

 ステージには学習机や教卓が置かれ、その上には無造作にノートや教科書などの学用品、理科室の実験道具と思しき品や音楽室の楽器など、学園生活を連想させる品々が並んでいた。

 その道具一つ一つに、光が寄り添った。光のとりついた道具は宙に浮かび上がる。ノートには文字が走り、教科書はパラパラとページを広げた。実験道具のビーカーはカラフルに光る液体を揺らせて、楽器はひとりでに音楽を奏でだした。

 客席から歓声が起こる。

 ステージの中央に一人の少女が立つ。簡素な白いワンピースを着て裸足で立っている少女を囲むように踊る道具たち。

 楽器が奏でる音楽が高まり、歌声が響いた。歌いながらステージ袖から現れた少女は真木野学園の制服を着ている。伴奏に負けない力強い歌声を響かせ、少女は舞台中央に近づく。制服の少女が、いらっしゃいというように手を伸べると、ワンピースの少女はその手を取る。白いワンピースが真木野学園の制服へと一瞬に変化した。

 二人の女生徒は、声を合わせて歌う。

『真木野学園へようこそ』

 輝く笑顔で少女たちが高らかに言うと、一斉に大きな拍手が巻き起こった。

 真木野学園に入学した新入生を祝うのは、芸能科在校生による魅惑の魔法ステージだった。


「ほら火連くん、見てみて!すっごい良く撮れてる!」 

 入学初日のプログラムもすべて終わり、蘭花と火連は写真撮影に興じていた。

 入学式後、興奮冷めやらぬ新入生たちは教室に戻ると同時に、身近な者同士でおしゃべりや自己紹介を始めた。

 幸いにして、蘭花と火連は同じクラスになった。そのうえ出席番号が『く』同士で席も近かったので浮かれていたが、蘭花が席に着くころには火連は自席にいなかった。

 席の近かった女生徒とおしゃべりをしながら火連を探したが、火連は火連で男子生徒同士集まって話している。その中の一人とずいぶんと親しげな様子だったから、多分その彼が中学からの友達なのだろう。

 解散後、彼と一緒に帰るのかなと思い、蘭花はいったん外で待っていた真子のもとへ向かった。その真子が火連をすでに捕まえていたために、蘭花の思惑通り一緒に帰ることとなったのだ。

「あー、うん」

「ママありがとー」

「ママのスマホでも撮るからまだ動かないでー。あ、撮ってあげるから火連くんもスマホ貸して」

「いや、俺はいいです……」

 目立つんだって……と火連はげんなり呟く。

 確かに先ほどからチラチラと視線を感じる。

 真子はプライベートで出歩くとき、変装とまではいかなくても大きなサングラスをかけるとか、帽子をかぶるとか、一応顔が割れにくいような格好をする。けれど学校行事にそのような格好はふさわしくないだろうと、今日は周りの保護者と変わらない恰好をしていた。

 真子がランファだと気付く者も多いようで視線を投げかけてはくるが、学校という場所が利いているのか、いきなり話しかけてきたり群がってきたりする者はいない。

 それでも火連は蘭花が来るまでの間、『ランファの子ども?』だとか『息子?』だとかいう声を耳にしたらしく、ずいぶんと神経をすり減らしたようだった。

「いやー、ごめんねえ。私が火連くんとも写真撮りたいってママに言ってたからさ」

「ランファって蘭花にめちゃめちゃ厳しいんだと思ってたんだけど、実は結構甘いのな」

 真子はにこりと笑った。

「ママは締めるとこは締めますからね。私の前だろうが隠れてだろうがイチャイチャしてくれていいけど、度が過ぎるようなことがあったらママが即、締め上げに行きますからね」

「……甘いのな」

 もはやイチャイチャの方には突っ込む気力もなかったらしい。火連は弱々しく息を吐き、話題を切り替えた。

「しかし入学式のパフォーマンスはすごかったな。午前は普通科だけの入学式なのに、芸能科が歓迎してくれるとは思わなかった」

「祝辞とかはみんな普通科の先輩だったけどねえ。それにしても、ほんとにすっごかったねえ!綺麗だったー」

「蘭花はああいうの見慣れてるんじゃないのか?フーディエとか」

「それはそれだよ。雰囲気もパフォーマンスも全然違うもん。魔法の楽器演奏もすごかったし、制服で登場した先輩、めちゃくちゃ歌うまかったー!」

「歌は魔法じゃないだろ。でも確かにうまかったな。どっかで見たことあるような気もするけど、もうプロなのかな」

 芸能科というと、芸能活動と学業を両立するためのカリキュラムを組んだ学校もあるが、真木野学園芸能科は、主にこれから芸の道に進む生徒に魔法のパフォーマンスを指導するための科だ。音楽学校や舞踊学校などに性質が近い。

 とはいえ、中には在学中にプロデビューを果たす者や、芸能活動をしつつパフォーマンスを学ぶため在籍する生徒もいるようなので、テレビや舞台で見かけた顔があっても不思議はない。

「ここの生徒の中から、どれだけ私たちの世界にやってくるのか、楽しみね」

 厳しいが若者の可能性を信じている舞台の魔女は、笑みを浮かべて少年少女を見渡した。

「あれだけすごいんだから、そりゃ芸能科は普通科より目立つよな」

「そうかもね」

 蘭花の友人たちも真っ先に芸能科のことを口にしていた。芸能科のほうが目立つのは仕方ないことだろう。華やかな世界なのだし、成功者のイメージもつきやすいのだから。

「蘭花はそういうの気にならないか」

「比べるものじゃなくない?」

 芸能科に比べて普通科が華やかに見えなくても、魔法で何かを成し遂げるイメージがつきにくくても、確かに魔法の力で誰かを助けている魔法使いは社会に存在しているのだから、蘭花たちがこれから普通科で学ぶことは十分に価値がある。

もちろん、芸能科だって日々切磋琢磨しているのだろうから、比べるものではないだろう。

「蘭花って、あんまり深く考えない方か」

「え、単純なのかな」

 火連の指摘に、呆れられているのかと、蘭花はどきりとする。

「それくらいでいいのかもしれない」

 そう言って、火連は少し笑ったようだったから、蘭花もそっと微笑み返した。

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