五人で囲む食卓の上の晩餐は、鍋だった。

 最初こそぎこちない空気だったが、温かいご飯というものはやはり偉大なもので、いつしかダイニングには笑い声が響いていた。


「このあっつい夏の日に鍋かよって思ったけれど、おいしかったね」


 妹が食後の居間でテレビを見ながらそんなことを呟く。その前では頭を抱える従妹。


「うぅ……」


「侑芽姉ちゃん、まだ? さすがに長考過ぎない?」


「ちょっと……あともうちょっとだけ待って……」


 将棋盤の盤上と睨めっこしながら答える従妹に、余裕綽々な様子で「三分間だけ待ってあげる」と言ってから、妹は僕を振り返った。


「兄さん、片付けってあとどれくらいで終わりそうなの?」


「もうほとんど終わってる。本当なら今日の夕方には終わってたはずだけど、いろいろあったからね……。ま、それでも、明日の昼前には終わるよ」


「ふーん。じゃ、頑張って」


「いや、手伝ってくれないのかよ!!」


 妹はいたずらっぽく笑ってから、「ハイ、三分」と従妹を突っついた。

 従妹が焦った様子で次の手を打つと、間髪入れずに次の手を打つ。


「はい、王手」


「ひええぇぇ……」


 どうやら詰んだようだった。


「あら、風香ちゃんが勝ったの」


 そこへ、祖母と大叔母がやってきた。

 その手にはコップと、乳白色の液体。


「あ、ミルクセーキだ!!」


「食後に一杯いかが?」


「飲みます!!」


 風香が飛びつくようにコップを受け取ったのを皮切りに、五人でミルクセーキを飲む。


「うわ、おいしい!!」


「やっぱりこの味ね」


 女の子二人がきゃいきゃいと騒ぐ中で、僕も一口飲んでみる。

 控えめな甘さの中に、ほんのりと静かに、でも確かに主張するバナナの風味は、初日の夜の記憶を呼び覚ました。


「そういえば、全部ミルクセーキを飲んだところから始まったんですよね……」


 僕はコップを見つめて口を開く。


「ミルクセーキにまつわる小さなエピソードから、僕の知らなかったおじいちゃんの話をたくさん聞くことが出来ました。びっくりするようなこともたくさんあって、でも、勇気をもらっているような感覚もあって……」


 ちらりと目線をあげて、祖母に微笑む。


「おばあちゃん、ありがとうね」


「いいえ。つまらない話をあんなに真剣に聞いてくれて、こちらこそありがとう。こんなにもしっかり聞いてくれる子が相手だと、きっと河野さんも話していてうれしかったと思うわ」


「いえ、そんな」


 優しい声に思わず僕は咳ばらいをした。


「それで、ひとつお願いがあるのですが……」


「どうしたの?」


「せっかくなので、明日、片付けが全部終わった後にお昼からお墓参りしたいなと思って」


 僕がそう言うと、祖母は「まぁ」と満面の笑みを浮かべた。


「いいね、私も行きたい!」


「侑芽ちゃんも……いやほんと、うれしいわ。じゃあ、明日みんなでお墓参りに行きましょうか」


「はーい!」


 盛り上がる僕と侑芽。

 その隣で、「ねぇねぇ」と風香が大叔母の袖を引いた。


「おじいちゃんのお墓に行く前にさ、私、知りたいことがあるの」


「知りたいこと?」


「うん……」


 僕や従妹も、妹の言葉に思わず固まった。

 そういえば、と妹をまじまじと見つめる。そういえば妹はずっとどこか暗かった。

 仏間で尻切れトンボに終わった話の断片から察するに、何か悩みがあるのだろう。


 そんな風に考えて強張る僕の脳裏を透かし見たかのように、妹は「そんな大したことじゃないよ」と焦ったように手をひらひらとさせた。


「ここにくる前から、私は兄さんからおじいちゃんについての話を電話で聞いてきた。そして今日は、おばあちゃんとおじいちゃんのふたりの話を聞かせてもらった。どれも、胸がいっぱいになるようなお話ばかりだったわ。でも一方で、私では決して届かない遠いところにあるお話のようにも感じていたの。みんながおじいちゃんのことを懐かしんでいても、私だけどこかただ遠い昔のお伽話のように感じてしまう……」


「それで、何を知りたいの?」


 大叔母の優しい声に、妹はうん、と頷いて言葉を継ぐ。


「それでね、思ったんだ。松子おばさんは、おじいちゃんの妹でしょ? 妹として見たおじいちゃんの姿がどんなのだったのか、知りたいなって」


「妹、か。そういえば、おばあちゃんにトミヤおじちゃんの話聞いたことなかったね」


 従妹が妹の言葉に「確かに」と頷くと、それに元気を貰ったらしく、妹は少し落ち着きを取り戻した。


「おじいちゃんを妹として一番近くで見てきた松子おばちゃんの話が聞きたい。それはもちろんおじいちゃんのことを知りたいっていうのもあるけど、妹としての松子おばちゃんのことも知りたいからなんだ。だから……」


 妹はグイと大叔母の袖を引く。


「おばちゃん、ダメかな?」


「別にダメな事はないけど……」


 そう言って大叔母はチラリと祖母を振り返る。


「さくらねぇさん……」


「私が決めることじゃないわ、まっちゃん自身のことなんだから……それに、折角だから私も聞きたいわ。おじいさんが可愛い妹にどう見られていたのか」


「うわ、その言い方なんか怖いわ……」


 あははと笑う祖母と大叔母に、妹は顔をぱぁと輝かせた。


「じゃあ!」


「うん。話を、しましょうか」


「やった!」


 ニコニコとする妹。

 その笑顔を見ていると、従妹がこそこそと僕の隣にやってきた。


「どうした?」


「いいえ……ただ、私も初めて聞く話だからね……」


「ほんとに初めてなんだ」


「そう。おばあちゃん、いつもは明るい人だけど、昔のお話の時だけは無口になるんだ」


「へぇ……」


 そうかと振り返ってみると、たしかに僕の結婚話の時や河野との世間話の時は元気にマシンガントークをするその口が、彼らが昔のことを語り出すと回転を止めていた。

 まるで聞き入るかのように。あるいは、僕らに聞かせようとするかのように。

 そして、その間は決して自分からは口を開くことはない。


「たしかに、自分の話もしないし、他の人の話に横槍を入れることもしないな」


「でしょ? いつもは私の持ってきた世間話にすらブスブス刺しまくるのに。だから、ちょっと楽しみなんだ。聞いたことのない話を聞けるなんて」


「へぇ」


 僕は顔に笑顔を貼り付けてそう応じた。


 正直、僕は大叔母の話をそこまで聞きたいとは思っていない。少なくとも妹や従妹ほど、はしゃいではいない。

 祖母の話、大川の話、河野の話、そして祖母の話……それらでもうお腹いっぱいだ。

 これ以上聞いたところで蛇足。そんな思いの方が強かった。


「それじゃあ、どこから話そうかしらね……」


 だが、そんな僕の考えなんか知らないで、大叔母はミルクセーキを机に置いてそう呟いた。

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