喫茶店『メルクリウス』

 大分駅から府内城に向けて十分ほど歩いた辺り。再開発が進み現代的な景観となった駅前とは違い、昔ながらの昭和情緒の面影を残す下町の一角に、その喫茶店はある。


「喫茶店『メルクリウス』」


「ここが、その『おばあちゃんのオススメ』の場所か……」


 木組みの家屋には手書きの書で『めるくりうす』と書かれた看板がかかっている。

 ギィと心地の良い軋みを響かせる木製のドアを開くと、柔和な表情の主人が僕たちを待ち構えていた。


「いらっしゃいませ」


「お久しぶり、河野こうのさん」


「お久しぶりです、桜さん」


「へい、マスター!」


「やめてくださいよ、松さん。私はもう引退して、今は孫の店ですから……。それはそうと、ご無沙汰しております。お二方ともお元気そうでなによりです」


 腰の低い主人に、祖母と大叔母は優しい笑みを浮かべる。


「そちらは……」


「若い男の方が私の孫の悠太。女の方がまっちゃんの孫の侑芽うめよ」


 祖母の紹介に続いて僕は頭を下げる。


「はじめまして。尾田悠太です」


工藤くどう侑芽です」


「はじめまして。以前から話には聞いていましたよ」


 そう言ってから河野は「何はともあれお座りください」と席へと案内してくれた。

 店内は落ち着いた雰囲気。観葉植物と恐らくはビンテージものと思しき古い小物がそこかしこに飾り付けられ、それらを天井から下げられた白熱電球の温かな光が優しく包み込む。

 外のシトシトと降り続く雨や蒸されるような暑さとは対照的に、穏やかな春を思わせる麗らかな照明と肌に心地の良い空調が快適だ。


「二人はここに来るの初めてよね?」


「はい、初めてです」


「こんなにオシャレな喫茶店がこんなところにあったなんて。もっと早く知りたかったよ」


「そうそう。なんというか、落ち着きます」


 僕達の言葉に、祖母と大叔母は顔を見合わせて微笑んだ。


「言ったでしょ? ここは私のオススメの場所だって」


 そこへ、主人がメニュー表を持ってやってきた。


「悠太さん、侑芽さん。こちらがメニューとなります。ご注文がお決まりになりましたらそちらのベルを押してください」


「「ありがとうございます」」


「私たちはいつものアレでお願いね。二人と同じタイミングで持ってきて下さい」


「かしこまりました」


 頭を下げて、去っていく主人。


「いつものって?」


 侑芽が問いかけた。


「私たちはいつもここに来たら頼むオリジナルドリンクがあるのよ。私は『松』。抹茶とコーヒーを混ぜ合わせたものよ。で、さくらさんは『櫻』をよく飲んでいるわね」


「『櫻』は小豆とミルクコーヒーよ」


 祖母は頷き補足した。

 なるほど、メニュー表を見るとオリジナルコーヒーがいくつかある。


「『櫻』、『松』、『美山みやま』……色々あるんですね」


 どういう基準での命名なのだろうか。

 そう思った僕の心の中を読んだかのように、祖母が口を開く。


「これはね、私達の名前がモチーフなのよ」


「え?」


 改めてメニュー表を見る。


「『さくら』、『まつ』……本当ですね。あれ、でも、『みやま』?」


「おじいさんの名前、『とみや』でしょ? そこから『みや』を取り出して、綺麗に音を整えたのよ」


「美山……綺麗な名前だね」


 従妹はそう言うと、「私、これにするわ」と微笑んだ。


「じゃあ、僕も同じものに……」


 そう言いかけて、ふとメニュー表の端に目が吸い寄せられた。


「『結葉むすびは』……」


 僕の漏らした声に、祖母が微笑んだような気配がした。


「抹茶のラテよ。あなたには是非飲んで欲しいわ」


「飲んで欲しい……ですか」


「ええ」


 --それはおじいさんからあなたへの贈り物だから。


 そう祖母に促されるままにベルを鳴らす。

 間も無くやってきた主人に注文を伝えると、彼の表情もえにも言われぬものへと変化した。


 **


「『木の葉同士が結ばれているようにみえるほどに茂る木々のように、沢山の人と出会い人の和を結うような人に育って欲しい』……それが『結葉』に込められた想いです」


 僕に抹茶ラテを差し出しながら、カフェの主人はそう呟いた。


「この抹茶ラテに名前を付けて下さったのは尾田斗巳也さん……あなたのお祖父様です」


「そうでしたか……」


「お祖父様には、このカフェを始めるにあたって大変なご助力を賜りました。この喫茶店があるのも全てお祖父様のおかげです」


「祖父のおかげ……」


「はい」


 また、おじいちゃんだ……と、思った。


「悠ちゃん、せっかくですから河野さんにもお祖父さんのお話を聞いてみたら?」


 祖母の言葉に、カフェの主人は「おお」と目を輝かせた。


「それはもう是非に。お話しさせていただきたい」


「大変嬉しいのですが……良いんですか?」


「はい。まだ今は特別営業ですから他にお客さんも来られません。それに、今日は孫も私の好きなように店を使って良いと言ってくれているので大丈夫ですよ。あ、ちょうど今出ていますね。彼ですよ、彼」


 店主の声が聞こえたのだろうか、キッチンの方からひょっこりと人が覗いて会釈をしていた。


「さて、それでは悠太さんのお祖父さん……斗巳也さんのお話を早速話していきたいとは思うのですが……」


 そう言ってから彼は祖母を振り返る。


「さくらさんからはどこまで聞いておられるでしょうか」


「祖母は自分の昔話はしてくれないのですよ」


「そうでしょうね。さくらさんはお祖父様の話をなさることはあってもご自身の話であったり、お二人の話であったりはあまり明かされることが無いと思います」


 そう言って店主が祖母を見ると、彼女は少し顔を赤くしながら首を振っていた。


「私の話はどうでも良いでしょう」


「さくらおばちゃんと斗巳也おじちゃんの話ね。私、気になるわ。おばあちゃんとおじいちゃんはいつも話してくれるけど、さくらおばちゃんの話は中々聞けないもの」


「それでは、今回はお二人の仲について話をさせていただきます」


「おねがいします」


「いらないでしょうよ……」


 呆れる祖母をさておいて、店主は椅子に腰掛けると静かに口を開いた。


「私と、お祖父様--斗巳也さんの付き合いの始まりは物心ついた頃にまで遡ります……」

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