うめとまつ

「納屋の整理はもう少しかかるかな」


 物置の中で、僕は一人呟く。

 腕時計を覗くと今は夕方の五時。大川が去ってから一時間ほど経っているが、考え事をしていたせいでほとんど整理は進んでいない。


「雨が降りそう……」


 初夏の夕方。

 本来ならばまだまだ太陽が元気な時間だというのに、その姿は今は分厚く垂れ下がる雨雲の向こうに隠れてしまっている。

 早く終わらせてしまわないと……そうは思うが、余計に体は重く心は怠くなっていく。


「やっぱり家族と他人に見せる顔は違ったのかな……」


 大川の話を思い出し、溜息をついた。

 祖母の話や写真の笑顔から、身近な存在として受け入れることが出来そうだった祖父。けれど、彼はたった一時間ほどの話で再び遠い存在へと戻ってしまったように感じた。

 結局、祖母の話す祖父の姿と大川の話す祖父の姿のどちらを信じたら良いのか……考えるだけで心が重くなった。


「結局、僕は何も知らないんだな……」


 祖父のことだけではない。

 祖母のことも僕は何も知らない。昨日のような昔話は別として、祖母はそういった過去の話を好まない人間だった。

 小学校六年生の頃に「家族の昔話を聞きましょう」という課題が学校で出た時も祖母は頑なに話そうとはしなかった。

 

「あの時はおばちゃんが教えてくれたから良かったけど……」


 お松おばちゃんというのは祖父の妹、つまり大叔母のこと。僕の二つ年下の孫がいる。


侑芽うめと一緒に色んなところに連れて行ってもらったっけ。いっつも笑っていた明るい人だよなぁ」


 二つ年下の従妹のことも思い出す。僕と妹は大叔母に懐いていて、同時に従妹とも仲が良かった。

 いつも明るく、そして良い意味でとてもうるさい。僕が大阪の喧しさについていくことができたのは大叔母のおかげといっても過言ではないだろう。

 そんな賑やかな昔のことを思い出すと、どこか懐かしい気持ちになった。


「お松おばちゃんに会いたいなぁ」


「分かる分かる。ついでに可愛い従妹いとこにも会いたいよね」


 独り言に返す言葉があってビクッと背筋が伸びた。振り返るとそこには女性が一人。


侑芽うめ!」


「おはよう、にいさん。2年ぶり?」


 従妹の侑芽が手を後ろ手に組みながら微笑んでいた。随分と久しぶりの再会に思わず頬が緩む。


「なんだ、来るなら先に言っててくれたら良かったのに」


「にいちゃんの連絡先知らなかったからね。おばあちゃんから連絡をもらって慌てて来たのよ」


「連絡?」


「『悠ちゃんが断捨離を手伝ってくれている。折角だから侑芽ちゃんも悠ちゃんに会いにきなさい』ってね」


 そう言いながら、従妹は僕が片付けていた納屋の中を覗き込む。


「結構スッキリしたね。前に見た時はごっちゃごちゃだったのに随分と整理できてる」


「朝から片付けているからな」


「やるね。じゃあ、早速終わらせよう」


 そう言うと、従妹は納屋の外に転がるガラクタに手を伸ばした。


「雨が降る前に終わらせよう!」


「ああ」


 大川の話を聞いてから、僕は少ししょげていた。

 だが、明るい従妹と話しながら作業を進めるうちに心は紛れ、納屋の片付けの進展に従って頭の中の暗い思考も整理されていった。

 一時間程そうしていると、気がつけばほとんどの片付けは終わってしまった。


「にいさん」


 すっかりガランとした納屋の中で箒を掃いていると、母屋へと最後の荷物を運んでくれた従妹が帰ってきた。


「ご飯はもう出来てるってさ。おばあちゃんが呼んでたよ。手を洗って居間の方に早く来てね」


「はいはい」


 答えた途端、腹が鳴った。

 くすりと微笑む従妹に、少し顔が赤くなるのを感じつつ誤魔化そうとして顔を背ける。


「それにしても、ずいぶんスッキリしたね」


「もともとこの中にはあまり物もなかったからな」


「おじいちゃんの『秘密基地』だったからね。亡くなる前に整理したんじゃないかな」


「極秘のものは秘密のうちに闇に葬り去ったか……」


 従妹は「言い方」と笑った。

 それからしばらく、二人で並んで納屋の中を眺める。


「助かったよ。ありがとう」


「どういたしまして。でも、にいさんだけでも出来たでしょ? いつのまにやら、こんな立派な男の人になったんだから」


「いや、行き詰まってたから助かったよ。ほんとに」


 あのままでは大川の話が気になって手に付かなかっただろう。


「それに、いつの間にやらって……二年ぶりくらいだろ?」


「二年は久しぶりだよー。にいさん、筋肉ついたんじゃない?」


「ぼちぼちかな。侑芽も、すっかり大人だ」


「もうすぐアラサーだからねぇ」


 くすくすと従妹は笑った。


「随分と時間が経つのは早いな」


「だね。この間までは学生だったはずなのに……」


「俺も気づけば三十歳だよ……はぁ、いやだ」


 時の流れの速さに辟易としていると、「時間の流れといえば……」と従妹が呟く。


「……この納屋、近いうちに壊すらしいよ。なんでも、維持が大変なんだって」


 そういうと、従妹は顔を曇らせた。


「この納屋には思い出が沢山あるから、寂しいね」


 それだけ言って、背を向ける従妹。

 その背中を見送りながらも僕は何も言えなくて、もう一度だけ納屋を振り返る。


 どん底から這い上がった祖父が自らの手で建てた小屋。今朝までは風景の一部にしかなかった納屋。

 その僕の知らない物語を知った今では、その最後が近づいているという事がどこか切なく感じた。


 **


「いやぁ、もう、流石の腕前ねぇ! 流石さくら姉さんだわ!」


「最近は人もなかなか集まらないからねぇ。沢山料理を作るのが久しぶりでつい腕が鳴ったわ」


「分かるわぁ。最近はみんなで集まることないからね。こうして一緒に食卓を囲むのも久しぶりじゃないかしら」


「そうね、二年ぶりかしら? まっちゃんは元気だった?」


「ご覧の通りピンピンしてるわ!」


「やっぱりまっちゃんは私と違って若いわね。あなたはまだまだ断捨離とかしなくて良さそうねぇ」


「六つも年が違うんだもの。 私はまだまだこれからが人生の本番やけん!」


「そんなこと言って……まっちゃんももういい歳なのよ。孫が二十五才を越えたらあとはもう、消化試合」


「それはそうね! 老いては孫に従おうかしら! あっはっは!」


 二人の高齢者の笑い声が食卓に響き渡る。

 その片隅で僕は隣に座る従妹に視線を送った。


「侑芽さん侑芽さん」


「なに?」


「なんか、めっちゃ盛り上がってんだけど」


「久しぶりだからねぇ。松子おばあちゃんもこっちに来たかったらしいんだ」


「いや、そもそもお松おばちゃんが来るって聞いてないんですけど」


「さくらおばさんは知ってたんじゃない?」


「そもそも侑芽が来ることも伝えてくれてないからな。それにおばちゃん来るなら心の準備が……」


 ヒソヒソと二人で話していると、影が差した。


「やあやあ、悠くんお久しぶり! 元気にしちょった?」


「はい、おかげさまで。お松おばさんも元気そうですね」


 いつのまにか二人の話はひと段落ついていたようで、その視線は僕らにロックオンされていた。


「彼女さんは元気? まだ結婚しないの?」


「え!? まだ別れてないの!?」


 早速大叔母が爆弾を投げてきた。背中からも撃たれた気はするが、その少し拗ねたような声は無視して苦笑いを浮かべる。


「いや、まだ踏ん切りつかないんですよ」


「あらあら」


 誤魔化しの言葉を必死で並べ立てる。大叔母の事は好きだが、こういうところは少々面倒だ。それにこの話題はツッコまれることが分かっていたから会うには心の準備が欲しかった。

 なんとか大叔母の猛追を交わしながら、僕は頭の片隅で話を変えようと模索する。


「そういえば、昨日おばあちゃんにおじいちゃんの話を聞かせてもらったんですよ」


「そうらしいね」


「あ、私も聞きたい!」


 従妹がまるで十代の乙女のように目を輝かせながら身を乗り出してきた。


「それじゃあ、また昨日の話をしましょうかね」


 祖母はそう言って、再び昨日の話を語り出した。新しい話も聞けるかと思ったが、大体は昨日と同じ話。その隣で大叔母はというと、いつもとは打って変わって静かに祖母の話に耳を傾けていた。

 そんな中で、驚いたのは従妹が祖母の話に「うんうん」と頷きながら聞いていたこと。


「懐かしいね、そんなこともあった!」


 エピソードを聞くたびにそう言って笑い、さらには補足の話を挟んでくる従妹にどこか羨ましさを感じた。


「侑芽はおじいちゃんのこと、結構覚えているのか?」


「うん。覚えているよ。私のおじいちゃんがトミヤおじいちゃんと仲良かったから」


「そうなんだ」


「今は私の両親と一緒に住んでるけど、昔はおばあちゃん達もこの家のすぐ近くに住んでたからね」


「そう言えばそうだったな」


 遠い昔の記憶をなんとかほじくり返す。

 返事をしながら、「よく覚えているものだな」と少し従妹に感心した。


「侑芽ちゃん、今福岡に住んどるんよね?」


 祖母が従妹に問いかけた。

 福岡という言葉に、僕は少しどきりとした。昼間の大川の話が脳裏にパッと一瞬だけ閃いた。


「そうです。ラーメンが美味しいですよ」


「この子ね、二十八歳にもなって合コンひとつ行かずに一人でラーメン巡りしてるらしいのよ?」


「ちょ、おばあちゃん!」


 大叔母が突然ニヤニヤと笑い始めた。


「そんなことばっかしてるから男っ気の一つもないのよ。いい人いないの?」


「いないことはないけど……」


「え、どんな人!?」


 歯切れの悪い従妹に僕もニヤニヤしながら問いかけると、従妹は少し怖い顔になった。


「にいさんが別れたら教えてやる!」


「な、なんだよ……」


 思わぬ反抗にたじたじとなったところで、「まあまあ」と祖母が割って入る。


「続きは明日ゆっくり聞きましょう。それでね、明日は日曜日だからちょっと出かけようかとおもうのだけど、どうかしら?」


「聞かれることには聞かれるのね……」


 ゲンナリとする従妹をさておき、叔母が祖母に首を傾げた。


「雨だけど、大丈夫?」


「あの喫茶店に行こうと思うの」


「『メルクリウス』?」


「そう。喫茶店『メルクリウス』」


「いいわね、久しぶりに顔を出しましょう。侑芽ちゃんはどうする?」


「私も行くよ」


「そう、ありがとうね!」


 祖母はにっこり微笑んだ。


 **


 丘の上から夜の街を見下ろすと、そこには無数に輝く街の灯りが広がっている。眺めるガラス戸の外からは、雨が屋根や地面やガラスを叩く重い音。

 みんなが寝静まった夜、僕は一人真っ暗な居間から外を見ていた。


「大川与太郎……」


 昼間の男の話が頭から離れない。

 寝ようとしても、どうしても祖父と大川のことを思い出してしまう。


 祖父は、本当に彼の話す通りの「強欲な人間」だったのか。それとも、祖母の話のような「良いおじいちゃん」だったのか。


「大川……与太郎か……」


 もう一度呟いて板の間で仰向けに寝転がる。

 そのまま真っ暗な部屋の天井をぼんやりと見つめていると、ゴソリと物音がした。


「起きていたのか、侑芽」


「にぃさんこそね。何してるの?」


「ちょっとたそがれてただけだよ」


 従妹は僕の隣に腰を下ろした。


「土砂降りだね」


「ああ」


 沈黙。

 二人とも、それきり黙ったままただ窓の外を眺める。


「悠にぃさん」


 どれだけ時間が経ったろうか。従妹が口を開いた。


「おじいちゃんのことで、何かあった?」


「っ!」


 突然の問いかけに驚いて思わず従妹を振り返ると、彼女は「あ、当たってた?」と首を傾げた。


「どうして……?」


「さくらおばちゃんが話している時の雰囲気で、かな。最初は聞き飽きたのかと思ってたけど、どうもそうじゃないみたいに見えたから」


「よく見てるな」


「それで、どうしたの?」


 言うか、あるいは言うまいか。暗闇の中、迷う僕はすぐ隣で温かく輝く双眸に容易く折れた。


「……今日、侑芽と会う少し前に一人の老人と会ったんだ」


 そう切り出して、大川の話を伝える。大川の話のニュアンスを漏らさぬように注意をしながら、簡潔にまとめた。


「強欲な人……」


「大川さんは、おじいちゃんをそう形容したよ」


 表情の見えない侑芽の呟きに答えてから僕は体を起こす。


「こんな話を聞かされて、正直困った」


「どうして?」


「……僕はおじいちゃんのことをあまり覚えていない。正直、いい思い出もないんだ。おばあちゃんの話を聞いてからは親近感も湧いていたけれど、大川さんの話を聞いてからは正直何を信じたら良いか分からないんだ」


 雨粒がガラスに弾けて、バチバチと激しく鳴った。


「……本当のおじいちゃんは大川さんの話したような人間なのか、それともさくらおばちゃんの話すように良い人だったのか……。僕には分からない」


 抱えていたものを吐き出す。

 そんな僕の隣で、影が揺れた。


「……私は今日ね、おばちゃんとにいさんの話を聞いて、思っていたより知らないことがたくさんあったんだなって思った」


「侑芽……」


「だからこそ、私は知りたい。おじいちゃんのことも、おじいちゃん達の生きてきた世界のことも、そして、その先にある私の知らない私自身のことも」


「……」


「知らないことを見つけて、パズルを埋めていく。そうすれば、きっとそこには新しい模様が描かれているはず……」


 彼女は僕を振り返って微笑んだ。


「にいちゃんも、そう思ったからおじいちゃんの生きた証を追いかけているんでしょ?」


 --そうだった。

 僕は、僕の知らない祖父を知りたかった。記憶の中の細い背中の向こう側にある、僕の覚えていない表情を知りたかった。

 そして、そんな祖父の姿を通して僕の知らない僕を見つけ出したかったんだ。


「たとえ昔のおじいちゃんがどんな人だったとしても、私はそれも引き受けていきたい。そして、私は私の知るおじいちゃんの姿を、さくらおばちゃんの話でもっと分厚く補完したい」


 大川の感情を直接ぶつけられた僕と、その言葉だけを伝え聞いた彼女とでは祖父への想いはまた違うだろう。あるいは、祖父の思い出を持つ従妹とその殆どが散逸してしまった僕とでは向き合い方が違うのかもしれない。

 だけど、ゴールは同じ方向に据えていた。


「そうだな」


 僕はそう言ってから「ありがとう」と呟いた。

 そのままふと時計を見るとすでに二時。


「明日出かけるみたいだし、もう寝ようか」


「うん」


 従妹は立ち上がった。二人とも、大川の話についてもう何も言わなかった。


「明日には晴れると良いね」


 そう言って従妹は「おやすみ」と立ち上がった。

 いつしか窓を打つ雨音は密やかになり、シトシトと夜雨が地面を優しく洗っていた。

 

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