強欲な男

「没落……?」


 思いもしない男の言葉に僕は耳を疑った。


「あの……祖父の家は没落したんですか?」


 尋ねる僕から男は目を逸らした。


「ああ。あいつは……あの家の奴らはみんな他人のことばかり優先していたからな。俺みたいな他人に金を使い、気がつけば俺よりも貧しくなっていたよ」


「そんな……」


「結構苦労したみたいだ。それでも一切援助は受け付けなかった」


「どうして……」


「さあな。ただのバカだよ」


 そう言ってから男は顔を歪めた。


「金持ちのくせに他人にばかり金を使って、そして騙されて……見かねて援助を申し出ても断られた」


「……」


「借りを返させてはもらえなかったんだ。いつも『これは私たちが好きでやったことです。恩があるなどと思わなくてよろしい』と言っていた。思い出すだけでも腹が立つぜ……」


「祖父は……無欲だったということでしょうか?」


「いや、無欲では無い」


 男は首を横に振った。


「むしろ強欲だった」


「え?」


「誰よりも欲が深かった」


 男は拳を強く握った。


「誰よりも強欲で、そして最後までそれが変わることはなかった。くそ、今思い返しても腹がたつぜ」


 そう言ってから彼は僕の目を見た。


「だが……俺はあいつのことは否定しない。あいつはそういう男で、そういうところが俺は嫌いだったが、一方で確かに魅力でもあった。あいつの強欲さに惹かれて、あるいは救われてあいつの周りに集まる人も多かった。かくいう俺もその一人だがな。そして、あいつはそうした人の繋がりに救われ、救われるからこそその欲深さを自重することなく出来たんだ」


「人の繋がり……」


「俺は人を見る目は相当にあると自負している。まぁ、若い頃にあいつの周りをずっとちょろちょろしていて、いろんな人間を見てきたからだろうが。その見る目を通して分かったことで、ひとつお前に聞きたいことがある」


「なんですか?」


「お前がしたいこと、それは自分の周りの大切な人を振り回してまでしたいことなのか?」


「え……」


 驚かされた。

 僕の心の奥のモヤモヤを的確に突いてくるその眼力に、少し背筋が冷たくなった。

 そんな僕の心情をバッサリと切り捨て無視して、男は再度問いかける。


「どうなんだ?」


「……正直、自分でも分かりません」


 そう言ってから思い切って問いかける。


「どうして、そんなことを?」


「お前には斗巳也に似たものを感じるんだ」


「同じもの……ですか?」


「ああ。決して簡単ではない夢、そしてそのために大切な人を振り回す選択肢を待っているということだ」


 男はそう言ってから「だが」と首を振る。


「一方で、決定的に違うところもある。それが、あいつの人生とお前の在り方の根本的な違いとも言えるが」


「なんです?」


「時代。人間関係。そして、覚悟だ」


「君にはない、と言っている訳ではないよ」そう言って男は語り出す。


「あいつには甘えることのできる人間が周りにいた。たとえ全てを失ったとしても絶対に離れない、離れることのできないという人間関係があった。そうした支えがあったからこそ、そして、奴の理念が受け入れられ背中を押してくれるような時代と環境があったからこそ、奴は奴の欲を押し通すことができた」


 そう言って男は頭を下げる。


「いや、こんなことを初対面の男に言われることには思うところもあると思う。すまない。だが、君には言っておきたい。あいつのように自分の夢や理念だけを追うな、と。周りの人を巻き込むことの意味やその責任の重さをしっかりと理解しておけと」


「……」


「それが、俺から送ることのできる君への言葉だ」


 それきり、男は僕に何度も謝りながら、しかし祖父のことはもう二度と口にしなかった。

 なぜ彼が僕に声をかけてきたのか、なぜいきなりそんな話を振ってきたのか僕には分からない。

 だけど、僕の中に芽生えつつあった祖父への敬愛の念に、彼の言葉が楔のように打ち込まれてひび割れていくことだけは感じた。


 しばらく呆然とした後、僕は再び納屋の中へ足も向ける。だけど、それまでは軽やかに動いていた腕は動かず、今では遅々として片付けは進まない。

 空を見上げると、曇天の中で鉛のように鈍く重く輝く空が垂れ込めていた。









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