ミルクセーキ

「あ、そうだ!」


 カレーを食べ終わり、ボンヤリとテレビの画面に視線を這わせていると祖母が突然声をあげた。


「せっかく押入れでミキサーを見つけたから、ミルクセーキでも飲みましょうか」


 納屋で発掘した1970年代の電気ミキサーを、久しぶりに使いたくなったらしい。


「ミルクセーキなんて久しぶりですね」


「悠くんが小さい頃はいつも作っていたのよ?」


 台所にはさっきまで埃を被っていた電気ミキサーが綺麗に洗浄されていた。そこに牛乳と卵黄、そして砂糖をいれる。


「バナナ入れる?」


「バナナジュースになっちゃいますよ」


「美味しいらしいわよ? せっかくだから入れましょう」


 最後に手で大まかにちぎったバナナを入れて蓋を閉め、祖母はボタンを押した。昭和レトロに派手な身体をガタガタと揺らしヴィーーンと大きな音を立てながら、電気ミキサーがバナナの塊を粉砕していく。

 最初はゴロゴロとしていたミキサーの中も、ものの一分程で静かになった。


「できたわね。はいどーぞ」


「ありがとうございます」


 出来上がったジュースをコップに注ぐと、二人で居間に戻る。


「あ、美味しい」


「ほんとねぇ。バナナが合うわ」


「これはグイグイいけますね」


「沢山あるからおかわりしなさいね」


「はい」


 美味しい。

 仄かに口に残る甘さは、かつての幼い日々を想起させる。


「……昔は、ミルクセーキが大好きでした」


「そうだったね。何食べたいかって聞けば、いつもカレーかミルクセーキばっかり答えていた」


「お恥ずかしい」


「いやいや、良いのよ。好きなものを好きな時に飲食できる事以上に幸せなことなんて無いのだから」


 そう言うと、祖母はどこか遠くを見るような目になった。


「だから、おじいさんと昔言っていたの。孫たちが来てくれた時は出来るだけ望むものを作ってあげようって」


「二十年くらい前、ですか?」


「そうね……その頃はおじいさんも元気だった……」


 祖父。

 祖父は約二十年前、僕が小学五年生の頃に亡くなった。だけど正直、僕は祖父のことをあまり覚えていない。祖父が亡くなった時にはもう随分と僕も大きかったし、その頃の出来事の記憶などもいくつかは残っている。けれど、祖父との思い出は驚くほどに数少ない。

 祖父について覚えている事といえば、祖母が今座っている位置にいつも座っていたということと、そしてその静かな細い背中だけ。物静かで、僕がよくいた台所に来ることもほとんど無く、いつも居間に泰然自若と座り込んでテレビを眺めているその姿は幼き頃の僕にとってどこか怖い存在だった。


「懐かしいわね……おじいさんは優しかったわ」


 祖母は遠い目をした。

怖かった祖父を、「優しい」と形容しながら。


「そうなんですか?」


「そうよ。悠くんがミルクセーキを飲み終えて、おかわりが欲しいって言った時。おじいさん、いつも『自分のを分けてあげてくれ』って言ってたのよ。『俺は良いから、悠太ゆうたに飲ませてやってくれ』って……」


「え……」


 息が止まるような気がした。


「それ……本当ですか?」


「そうよ。おじいさん、孫たちが大好きだった。悠くんのことも、他の子たちも……風香ちゃんが生まれた時もとても嬉しそうにしていた」


「そう……だったんですか」


 胸の奥が苦しい。上手く息ができない。

 その動揺の意味がわからないまま、どうしてか急に泣きたくなって、それを奥歯を噛みしめる事で何とか堪える。


「おじいちゃんって……優しかったんですね……」


「そうね。私が知る限り、誰よりも心優しい人だったわ」


 知らなかった。

 祖父が僕にミルクセーキを分けてくれていたなんて知らなかった。

 旅立ってから二十年程の間に、僕の中で組み上げられ固められていた祖父の無愛想な背中が揺らぎながら崩れていくような気がした。

 そこでようやく胸の苦しさの理由にはたと思い当たる。僕は、僕を大切にしてくれていた人を嫌っていたのかもしれない。そんな取り返しのつかないことに気がついて僕は呆然とした。

 そして同時に気がつく。僕は祖父のことを何も知らないのだ、ということに。


「ねぇ、おばあちゃん。おじいちゃんのことを僕に教えてはもらえませんか?」


 気がつくと、そんなことを頼んでいる僕がいた。

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