雨の中
祖母の話から一夜明け、目を覚ますと朝から雷が鳴っていた。
テレビをつけると、どうやら夕方から雨が降るらしい。数日は続くという雨が降り出す前に、母屋の外にある納屋の整理を終わらせてしまおうと思った。
身支度を整えて台所へと降りると、祖母はすでに起きていて朝ご飯の用意をしていた。キャベツとハム、そして目玉焼きが載ったトーストを食べながら、二人で朝のニュースにアレコレと感想をつける。昨夜、あれだけ重い話を聞いたとは思えないほどに穏やかな朝だった。
朝食を終えて母屋の外に出ると、初夏の猛暑に加えて曇りの日特有の湿度の高さによる気持ちの悪い蒸し暑さが僕を包み込んだ。思わず一瞬気持ちが萎えそうになったが、すぐに昨日の気持ちが蘇る。
「頑張ろう」
そう呟いて、むわっと纏わりつく熱気に立ち向かった。
昨晩の話を聞いて以降、僕は祖母の断捨離により前向きに取り組みたいと思うようになっていた。とは言っても、これまでが前向きでなかった訳ではない。今までは言わば「祖母への孝行」と捉えて取り組んできた。
しかし昨晩、あの話を聞いてからというものの、僕はこの断捨離を単に祖母のためだけのものとは思えなくなっていた。何か自分のルーツを探しているような、自分のためのものでもあるようにも捉えはじめていた。
「わお、カビ臭い」
納屋の中に入ると、そこは昼間にも関わらず真っ暗闇に閉ざされた世界だった。電気系統の配線はなされているが、長らく放置されてきたようで灯りはつかない。一旦母屋に戻って懐中電灯を取り出し光を灯すと、そこには思っていたより物が無くがらんとした空間が広がっていた。
「これくらいなら半日くらいで片付きそう」
錆びついたチェーンソーや古い軍手の山、さらにはいつのものか分からないくらいに古い折りたたみの自転車。母屋の押入れとはまた毛色の違った物品が揃う薄暗い小屋はどこか秘密基地のよう。
そして無造作に置かれた無機物の中にいると、知らないはずの昭和の世界が眼前に蘇るようでなんだか懐かしく感じた。ちなみに、あまりにも無骨で古い自転車が気になったのでスマートフォンで調べてみると、どうやら80年代の高価なレアもののようで少し驚いたりした。
けれど、最初に掘り出し物に遭遇したことで上がったテンションも、それ以降はお宝もなくただ平々凡々とした物品の整理を淡々と進めるだけとなったことで平常運転へと戻っていった。とはいえ、その品々の一つ一つから祖父がどんな人だったのかを想像するなどして、それなりに楽しんではいたけれど。
「悠くん、お昼できたよ!」
夢中になっていた僕はその声で一旦手を止めた。ふと時計を見るといつのまにか三時間近くが立っていた。振り返ると納屋の入り口には祖母が立っている。
「どうです? 懐かしいものとかありますか?」
「うん、捨てたと思っていたものも結構残っていたのね」
「みたいですね。レトロな品ばかりでとっても楽しませて頂いています。なんだか昭和を感じますね」
「そうかしら?」
祖母は笑った。
「なんなら、好きなものを持って帰ってもいいわよ」
ともかくご飯が出来たから食べましょうと言って祖母は納屋を出た。なにを持って帰るかは後で考えるとして、とりあえず納屋の探索を中断して祖母の背中を追った。
手を洗ってから台所に入ると、そこには冷やし中華が特盛りに盛られていた。
「さっぱりしたものが並んでいますね」
正直、蒸し暑さにやられて食欲はなかったのでちょうど良かった。
早速席について麺を口に運ぶと、心地良い冷たさが喉をすり抜け、体内の火照りを冷ましていく。
「あっさりしていて美味しいですね」
「お口にあったようで良かったわ」
そのまま麺を堪能していると、しばらくしてから祖母がコトリと箸を置いた。
「昨日の夕方にこっちに来てから、悠くんはずっと働いてくれているからね。明日か明後日には少し出かけましょうか」
「良いんですか?」
「もちろんよ。むしろ、せっかく大分まで来てくれたのにずっと整理ばっかりだと楽しくないでしょ?」
祖母と外出。
十年くらい前までは気恥ずかしく感じたであろうそんな事も、今ではとても貴重な機会のように感じて僕は快諾した。
心底嬉しそうな表情をする祖母を見ながらかぼすポン酢で頂く冷麺はさっぱりしていて、ジトジトと蒸し暑い日には格別の美味しさだった。
昼食を終えると、僕は再び納屋へと足を向けた。
午前と同様に、納屋の中から物を出して庭に並べていく。朝イチから始めて、かれこれ四時間ほど。もともとガランとしていた納屋の中はほとんど空になり、逆に庭にはガラクタが無数に並べられている。そこにはぱっと見、バザーか露天商でもやっているかのように思えるほどに多彩な物品が並んでいた。
「よくもまぁ、こんなにバリエーション豊かに……」
後はもう残す物は納屋に戻し、要らない物は捨てるだけ。そう思ってひと段落つく。
「お、ついにお宅はフリーマーケットでも始めたのかい?」
地面に並べられた数々の品。その圧巻の景色にしばし見惚れていると声が聞こえた。
顔を上げるとそこには一人の老人。
「あ、こんにちは」
「おやおや、トミヤかと思ったが違うのか」
彼は祖父の名を口にして、「似てるな」と言った。
「祖父と、お知り合いなんですか?」
「祖父……あぁ、君はトミヤにいっつもくっついていたちびっ子か。もうこんなに大きくなっていたんだな」
頭を掻いてから彼は頷いた。
「あぁ。君の祖父のことはよく知っているさ。嫌になるくらいにな」
吐き捨てるような言い草に少しムッとした。
そういえば、一言目からどこか僕に突っかかるような感じだったなと思う。
それに、そもそもうちは中流家庭であって金持ちではない。
「あの、あなたは……?」
「俺か? 俺は……」
そこで彼は少し目を伏せた。
一瞬の後、彼の目は再び僕を捉える。
「俺は、鏡の中のトミヤさ」
「鏡の中の……おじいちゃん?」
僕は彼の言葉に一瞬呆けた。
言っている意味が分からなかった。
「それは……どういう?」
「そのままだ」
彼はポケットをまさぐり、煙草に火をつけた。一口吸って、それから僕の質問に答えぬまま再び口を開く。
「君は、自分の祖父のことをどれだけ知っている?」
どきりとした。タイムリーな話を撃ち込まれて、言葉に詰まった。
「……そ、祖母からは、祖父が家族を大切にした人だったとは聞きました」
「昔の話は?」
「昔……?」
「戦後すぐの話……聞いていないのか?」
「僕は、僕に関する祖父の話しか聞いたことはありませんが……」
彼は「そうか」と呟いた。
そのまましばらく紫煙をくゆらせて、彼は考え込んだ。
「……まあいい、今日は君の祖母に用があったんだが。また、出直すとするよ」
そう言って踵を返す男。よく見ると軽く足を引きずっていた。
「あの。すみません」
思わず声をかけてしまった。
足のことが気になったのか……いや、そうではない。
「……何か?」
足を止め、振り返らずに彼は答えた。
その低い声にひるむ気持ちを抑えて、僕は一歩踏み出す。
「祖父のこと、よく知っておられるのですか?」
「……まあな」
「あの、僕は正直に言って祖父のことをあまり覚えていません。それどころか、祖母の教えてくれた姿とは違う祖父を心の中に置いて生きてきました」
「何が言いたい?」
射殺さんとするかのような目。
湧き出す生唾に喉を鳴らしながら、僕はその目を真っ直ぐに見据えた。
「僕は祖父の本当に生きた道筋を知りたい。だからもし、ご迷惑でなければ少しお話を聞かせてはいただけませんでしょうか」
勇気を振り絞って、そう言った。
きっと今までの自分ではこんなことは言わなかっただろう。だけど、祖母の話を聞いた後では祖父のことをもっと知りたいという欲求に抗うことなどできなかった。
「……話すのは良い。だが……」
ほんの一瞬、その目に迷いの色が浮かんだ。
「聞き方次第では俺が君の祖父を嫌っているように聞こえるかもしれない。……まあ、たしかに俺はあいつを嫌っていたが、孫である君の耳にはそれが不快に響くかもしれない。それでもいいか?」
それでいい、とは言えるはずがない。
昨日の話を聞いていたら、なおさらだ。
「……はい」
けれど、僕は頷く。
たしかに、恐れる気持ちもある。
だが、それ以上に僕は祖父のことを知りたいと言う思いが強い。
このタイミングで祖父のことを知る人から直接話を聞くことができるという千載一遇の機会をみすみす逃すことなど、今の僕には出来ない。
「お願いします!」
「……わかった。それじゃあ、話をしよう」
そんな思いが通じたのだろうか。
老人はそう言ってから、ようやく僕を振り返った。
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