昭和二十年

「おじいちゃんと初めて会った時の話……ですか?」


「えぇ。今まで話したことなかったからね」


 喫茶店メルクリウスで祖父の話を聞いた次の日。つまり、僕が従妹から励まされた次の日の昼間。

 祖母が突然「話をしなければならないことがある」と改まって僕たち二人を呼びつけた。

 不審がりつつも祖母の前に座ると、彼女は開口一番に「悠くんに、あなたのおじいさんの話をしたい」と、そう言った。


「でも、なんでいきなり?」


「まあ、色々私も思うところがあったのよ」


 そう、祖母ははぐらかした。

 その反応にさらに不信感を抱いた僕だったが、そのとなりから従妹が口を開く。


「初めて会った時……それはいつなんですか?」


 僕が「え?」という顔をすると、従妹はいいから話を聞こうと声を出さずに言った。

 それに僕が渋々と従うと、祖母が口を開く。


「初めてあったのは戦中だったわ」


「戦中……」


 祖母の言葉に、思わず過去に思いを馳せる。

 子供の頃には半世紀ほど前の戦争は、つい昨日のことのように感じていた。しかし、それから二十数年。今では計り知れない程に遥か遠くに留まるモノのように感じて、少し固まってしまった。


「昔のおじいちゃんとおばあちゃん……」


「美男美女よ?」


 ふふふと笑う祖母。冗談のようだが、実年齢と違って若々しいその見た目を目の当たりにするとあながちズレてはいないのかもと思ってしまう。


「あれ? おばあちゃんはいつ生まれたんですか?」


「昭和八年よ。だから……えっと、1933年」


「じゃあ、おじいちゃんは?」


「昭和四年」


 だとすると、終戦時の祖父は十六歳。祖父に至っては十二歳だ。


「なら、二人の青春時代は戦後……?」


「戦後……まあそうね。戦中から戦後にかけて、だわ」


 そういうと、彼女は一瞬目を伏せて静かに呟いた。


「死ぬ前に新しい世代に話しておくべきなのかも知れない……。私もそんなことを思っちゃったのよ」


 祖母は姿勢を正す。その目には今まで見たことのない色の光が宿っていた。


「それじゃあ、おじいさんの事を話そうかしら」


 **


 おじいさんの話の前に、少しだけ私の話をするわね。

 私たちが若かった頃、日本は戦争していたの。

 ……さて、悠くん。先の大戦って言ったら何年続いたイメージがある? 五年? いいえ、もっとよ。

 実はね、日本ってずいぶん長い間戦い続けていたの。支那事変……日中戦争からは八年、満州事変から数えたら十五年くらい続いていたわ。

 どちらにしても私が物心をついた時にはすでに、海の向こうでは戦いが繰り広げられていた。私の子供時代と青春の隣には、戦争があったの。


 --可哀想? ありがとうね。でもね、若い人たちが想像しているより、その当時は悲惨なことなんて一つも無かった。

 物も食料も日をおうごとに無くなって、娯楽もなかった。私の祖母や母から話に聞いていた、大正の頃の華やかさや明治の活気溢れる日本の姿には及ばないとも思っていた。

 でも、それは戦争中だから仕方ないと思っていたわ。戦争が終わればその夢のような時代を自分も体験できると信じていた。

 それになにより、戦争なんて海の向こうの話で、実感が湧かなかったの。十歳前後の内地の子供なんてみんなそんなものだったわ。

 ただ、日本は正義のために戦っている信じていた。そして私たちや、他の国の人たちのために命を賭ける軍人さん達のことを誇らしく思っていた。

 --びっくりした? 今では考えられないでしょ?

 だから、我慢することは日増しに増えていったけど、日本とアジアの同朋を救うために戦ってくれている軍人さんたちの事を思えば、まさに『贅沢は敵』だった。銃後にいる私たちは軍人さんたちのお陰で戦争というものに触れずに済んでいたのだから、我慢くらいなんてことはなかった。


 でもね、それも私が尋常小学校--今で言う小学校を卒業する頃までの話。終わりの始まりは、昭和十六年、日本はアメリカとも戦争を始めたことだった。

 今でこそ、先の大戦は「日本とアメリカの戦争」っていうイメージが強いかもしれないけれど、当時はずっと中国との戦争が主だったの。

 でも、ある日突然アメリカと戦争が始まった。

 それからはどんどんと生活が苦しくなっていった。飢えて田舎まで食べ物を分けてもらいに行ったりしたわ。リヤカーに交換する着物や瀬戸物を乗せ、妹や弟を連れながら何度も田舎に通った。

 それでも、戦場ではないだけマシだと思っていた。徴兵された父のことを思えば、これくらいなんてことはなかった。

 その頃はまだ、戦場は海の向こうのことだと思っていた。


 やがて昭和二十年の夏。

 私の住む街に、空襲があった。


 十二歳だった私は、当時大分市内に住んでいた。

 --昔からここに住んでたんじゃないのかって? この家はね、戦後に建てたものなの。私もおじいさんも当時は大分市民だったのよ。

 その頃になると、東京や大阪が大きな被害を受けたっていう話がよく流れてきたわ。でもね、空襲なんて都会の話だと思っていた。当時の大分市はそこそこ大きな町だったけれど、所詮は地方都市。小規模な軍事施設はあったけれど、まさか攻撃しにくるなんて事はないだろうと思っていたわ。

 でも、そんなことはなかった。アメリカからすると、日本の片隅の小さな軍事施設でも決して見逃すわけには行かない場所だったのよ。


 その日は、蛙の合唱がいつもよりもうるさい日だった。

 突然、アメリカの飛行機が町を襲ったの。


 空襲警報が鳴り響く中、夜だというのにまるで昼間のように明るく空が照らされた。

 それから間も無く、町に爆弾が落とされた。

 そこはまさに「戦場」だったわ。

 この世のものではないような恐ろしい音が絶え間なく響き、なんども遠くなったり小さくなったりした。

 防空壕なんて意味はなくて、建物の中に隠れていても建物ごと破壊された。

 悲鳴と怒号が響き、紅蓮の炎に照らされながら粉塵がキラキラと美しく舞う中で、気がつけば私は一人きりになっていた。

 ボロボロの服を身に纏ったまま、ただ目的地もなくふらふらと地面を見つめながら徘徊していたわ。しばらくしてハッと顔を上げると、そこは駅前のクスノキの下だった。


 そこに至って始めて今まで自分が歩いてきた道を振り返ったわ。振り返ってみて、目を疑った。

 街があるはずのそこには、何もなかった。駅から見えるのは、遥か彼方にあるはずの別府湾だけ。その手前に無数に並んでいたはずの家屋の殆どが瓦礫と化していた。

 膝から崩れ落ちてしまったわ。全てを失ったのだもの。駅前に聳える立派なクスノキにもたれたまま、泣いて泣いて……ただ、泣くだけしかできなかった。

 ボロボロの服のまま、どれだけそうしていたのか。やがて空が白み始めた頃、座り込んだままの私に突然服がかけられた。顔を上げると、そこには若い男の人が立っていた。


「さくらさん……?」


「あっ……」


 その人はご近所に住んでいた知り合いのお兄さんだった。


「さくらさん……家は……」


「なくなっちゃった」


「ご家族は……お母様は?」


「みんないなくなっちゃった」


 その人は一瞬黙り込んで、それから膝をついて私と目線を合わせた。


「親戚は近くにいるかい?」


 私は首を横に振った。父方の親族の話も母方の親族の話も、親から聞いたことはなかった。

 そんな私を前に少し考えるような表情をした後、お兄さんは優しく微笑んだ。


「しばらく、僕の家に来るかい?」


 それが当時十六歳だったおじいさんとの関わりの始まりだったわ。


 おじいさんは、茫然自失としたままの私を連れて帰ったらしい。私はあまり覚えていないけどね。

 おじいさんの家は焼け残っていた。とはいえ、半焼の状態でとてもそのまま住めるようなものではなかったけれど。それでも、屋根と壁の一部、そして主要な柱が残っていたから雨を凌ぐには十分だった。

 おじいさんの家族は、おじいさんとその妹、そして両親の四人家族。空襲で焼け出されたものの、全員が無事だった。

 そこへ私は拾われていったわけだけど、みんなとても優しかった。生活は苦しかったに違いないのに、余所者の私を受け入れてくれた。

 私も、その優しさに甘えているばかりではダメだと思って必死に手伝いを頑張ったわ。生家にいた頃のツテで田舎に野菜をもらいに行ったり、鉄屑拾いをしたり、炊事洗濯のような家事、そして家の修繕のお手伝い……本当によく働いたと思う。


 それからしばらくして、戦争が終わった。家族が全員いなくなってから、たった一ヶ月も経たないうちの出来事だった。この時ほど戦争を、神様を恨んだことはなかったわ。ほんの一ヶ月早く戦争が終わっていれば、ひょっとしたら私の家族は……何十年経っても、元号が二度変わっても、その思いだけは消えないわ。


 ラジオで戦争が終わったことを知った日の夜、私は家を抜け出した。海岸に行って、海を見ていた。水際に座り込み、寄せては返す波の音をただ一人聞いていると枯れたと思っていた涙が止めどなく溢れた。


「さくらさん……」


 声をかけられた。

 振り返るとそこにはおじいさんが立っていた。どうやら私を探しに来てくれたらしかった。


「戦争は終わりました」


「……でも、家族は帰ってきません」


 私はそんなことを言った。


「帰ってこないんです……」


 声も立てずにただただ涙を流していると、おじいさんは私の隣に座った。そのまま長い間二人でそうしていた。座り込んだままお互いに何も言わず、ただ寄せては返す波を見ていた。

 やがて、私は口を開いた。


「私、家を出ます。いつまでもお世話になっているわけにはいきませんから」


「満足な生活を送っていただくことができていないことは心苦しく思っています。家もあんなで……」


 半壊した家や苦しい生活が、私に不便を与えている。そう思ったらしい彼はそう言って頭を下げた。

 もちろん、私の真意はそうではなかったから慌てて首を振ったわ。


「いいえ、本当に他人の私に良くしていただいて感謝はすれども不満などありません」


「でしたら何故そんなことを……」


「これ以上、ご迷惑をおかけすることはできません。以前からずっと思っていました。ご家族が助かったとはいえ、家は焼けて生活は決して楽ではない。それなのに私のような居候まで……。感謝の念はもちろんのことですが、心苦しくも思っているのです」


 失礼な事だとはわかっていた。タダ飯を食べさせてもらった身の上でこんなことを言うなど、失礼も甚だしい。それでも、負担になりたくなかった。

 そんな私の想いを聞いたおじいさんは黙り込んでしまった。

 30秒、一分、十分……。

 どれだけの時間が経ったのか、分からなくなり始めた頃おじいさんは身じろぎをした。


「家を出て……それからどうするのですか?」


「分かりません。でも、何とかなると思います」


「なんとかならなかったら?」


「その時は、家族に会えます」


 その言葉に彼が息を飲んだことが分かった。


「……戦争が終われば、きっと大変な時代が来ます」


「だからこそ、あなたのご家族にこれ以上負担をかけるわけには……」


「これぐらい、なんだというんです!!」


 突然、おじいさんが大声をあげた。そのあまりにも大きな声にびっくりして、海を見ていた私はそのまま固まってしまった。

 そんな私の顔をぐいと強く、しかし優しく手のひらで自分の方に向かせると彼は顔を近づけた。


「子供の一人養うくらいなんだというんです! 私達兄妹もうちの両親も、元は武士の家系です。多少食い扶持が増えたところでなんだ! 大切な人を見捨てることに比べたらなんてことはない!」


 そう言うと、彼は立ち上がった。


「絶対に家から出しません。あなたが立派な大人になるまで、私たち家族は全力をもって守ります。二度と、貴方から大切なものを奪わせない」


 彼は泣いていた。

 おじいさんが泣いたのは、後にもこの時と初めての息子--悠くんのお父さんが生まれた時だけだった。その溢れる雫は、胸が痛くなるほどの優しさだった。そして私は、その涙にどこか救われたような気がした。


「夏でも夜は冷えますね……」


 しばらくしてから彼はそんな風に呟いた。さっきまでの激昂は鳴りを潜め、静かな優しさだけが満ちていた。

 彼は薄着の私に羽織っていたシャツをかけてくれた。私はそれを素直に受け取った。

 きっとその時、彼から受け取ったものはシャツだけではなかったのかも知れない。だって、温かくなったのは体だけじゃなかったから。


「すっかり遅くなりました。もう、帰りましょう」


「はい」


 気がつけば、私は彼の言葉に素直に頷いていた。

 彼の後ろについて海岸を離れる時、ふと見上げた空の彼方には、天津風に流れる雲が月に美しくかかっていた。


 それから八年。

 戦争が終ってからの八年で、日本はどんどん変わっていった。それまでの常識がまるっきり変わってしまい、狐に化かされたかと見紛う程に街は急速にその姿を変えていった。

 その間、おじいさんは勉強を頑張って、いい大学に行った。私も中学校、そして高校にまで通わせてもらえた。本当に感謝しかなかったわ。


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