4話 キムラくんとやまにしくんと友達
金曜日の夜、レポートのためにパソコンと向き合っていると、ポップアップがメールが来たことを告げた。キムラくんからだ。メールをしてくるということはバイト中ではないのだろう。
一緒に住んではいるけどスケジュールを把握しているわけではないので、キムラくんがいつ何をしているのか、僕はいまいち知らない。
『明日もバイトだよね?』
携帯を不本意ながらぶっ壊してしまって以降、キムラくんとのメールのやり取りはノートパソコンで行っている。学校も家も一緒となると連絡をわざわざ取るタイミングが意外と無くて、そんなに不便は感じていない。
キムラくんには「せめてLINE入れてよ」と抗議されているが、キムラくんと違って僕には友達欄とトークルームで管理しなければならないほどの知り合いはいないのだ。
さてそんな僕の貧弱なコミュニケーション事情を察しているキムラくんからの連絡ということは、まあまあ緊急性の高い話であるはずだ。
『そうだよ どうしたの』
『友達が家来たいって』
キムラくんはとにかくメールの返信が速い。四六時中スマホを握っているのだろうかというぐらいの速度で返ってきた文章に、げ、と露骨に嫌な顔になってしまう。
僕は土日にカレンダー工場でバイトをしているので日中は家にいない。なので問題は無いように思えるが、大学生男子だか女子だか知らないがとにかく学生どもを家に上げて夜の8時か9時で帰ってくれるとはとても思えない。
というか一度、舐めてかかってうっかり許可を出したら帰ってくれなくて、怖気づいた僕が家に入れず、行き場をなくした挙句駅前のカラオケで歌も歌わずに膝を抱えて過ごしたことがある。あんな思いはもうごめんだ。
『絶対ダメって言って』
『おっけー』
返事は速攻で、そしてとても軽かった。
ただいまぁ、と気の抜けた声とともにキムラくんが家の扉を開けたのはもう日付が変わった後だった。終わりかけのレポートから顔を上げると、何を思ったのか目が合ったキムラくんは「お土産ないです!」と大きく手でバッテンを作った。何も言ってないんだけど。顔がちょっと赤いけど酔ってるのか。
「今日何だったの?」
「今日はねー、サークルぅー」
語尾がぐにゃぐにゃしているしかすかに酒臭い。酔ってるな。飲み会か。
「ボランティアするやつ?」
「ううん、そっちじゃなくてなんか……なんだっけ? 旅行? ま、タテマエだもんねえ」
キムラくんはやたらといろんなコミュニティに首を突っ込んでいる。それで友達も多いのだが、どれもこれも大体僕が恐れてやまない華やかなタイプなので近寄りがたい。
キムラくん曰く、『サンプルは多いほうが実験も信頼度が上がるでしょ』と言うことらしい。
『いろんな人間とか、コミュニティとか、いろいろ試して、「楽しい」とか「つまんない」とか「好き」とか「嫌い」とか、いろんな人が言ってるのを聞きたいんだよね。そうしたら「ああ今ここは『楽しいね』って言うところだな」とかって分かるようになるじゃない?』
そう言っていたキムラくんにとって、じゃあ僕はあまり良いサンプルではないな、と思ったのを覚えている。感性と反応が標準の規格から離れすぎている。ユニークな例外ではあるだろうけど。
「断って良かったの?」
「だってやまにしくんが絶対ダメって言ったんじゃんねぇ」
「……なんて説明したの?」
「え? 説明っていうか、無理!ごめん!って言ったよ」
軽やかに言いながら、キムラくんはリビングを突っ切って台所に直行していく。勢いよく水が流れる音がした。
「いいの? 友達、怒らない?」
「怒ってるかもね、まあ、それもサンプルだから。こういう風に人は『怒る』んだなあって、大事でしょ」
水を飲んで落ち着いたのか、さっきより幾分しっかりした語尾で話すキムラくんは、そこで不意に言葉を切り、ひょいと台所から顔を出す。
「『サンプル』は人間の話してないみたいで駄目、なんだよね」
学習の成果を披露する得意げな顔。
何と言ったらいいのかわからないので、レポートに没頭するふりをしようとパソコンの画面に目線を戻したが、もうすっかり集中が切れている。
土日はバイトなので今日中にレポートを仕上げてしまいたいと焦る僕の胸中を完全に無視して、リビングにごろんと転がったキムラくんはしゃべり続ける。
「飲み会するなら駅前の『やまの』は止めといた方がいいよ、ご飯おいしくないしお酒も薄いし」
「僕飲み会とかしないから」
「友達のおすすめだったんだけどねー、まあそりゃ値段は安かったけど」
メッセージのやり取りをしているのか、キムラくんの視線はスマートフォンに向けられている。
ふと、先ほどから何度も現れる言葉について尋ねたくなって、目線はパソコンのまま、なるべく何でもないような調子で問いかけてみる。
「キムラくんの友達の基準って何?」
「俺は『一緒にどこかに出掛ける人』のことは友達ってことにしてるけど」
まるで前々からそのことについて考えてきたというように速やかに、きっぱりと返される返事に、僕が思わず面食らってキムラくんを見つめると、その顔をどう解釈したのか、キムラくんがちらりとスマホから顔を上げて補足する。
「学校で知り合って、学校以外の場所に一緒に行く人とかね」
おそらくは、前々から考えていた「ように」ではなく、本当に考えていたのだろう。幼稚園児のころから今に至るまで人と関わるとき軽々に飛び交うその言葉について、キムラくんは真剣に考えて、サンプルを集めて比較して分類して共通項を導いたのだ。
僕は僕にとっての友達がどういう人間なのか、説明できない。
そもそもいないし。
「おいしいとかおいしくないとか、関係ないの?」
「それだと他の人の定義と合わないじゃん。俺的に応用の松下教授とか超おいしそうだけどああいうポジションの人のことを、みんな友達とは言わないでしょ」
言う人もいるかもね、とか、立場を超えた友情ってのもあるかもよ、とか、この場で言うべきではないのだ。キムラくんには例外は役に立たない。僕がサンプルとして役立たずなのと一緒だ。
「その定義で言うと、僕は友達じゃなさそうだね」
「そうだねえ。スーパーとかも結局俺一人で行くし。俺と友達になる?」
「……いいよ、僕と出かけてもつまんないでしょ」
「そっかー、じゃあ俺シャワー使うから」
つまんない、が負の意味の語彙であることぐらいキムラくんは理解している。しているけれどもそれに関して空っぽだとバレている慰めを言ったりしないキムラくんに、僕は少し安心する。
「キムラくんレポート大丈夫なの?」
「明日頑張るよぉ」
おやすみぃ、とまだちょっとだけぐんにゃりした語尾を残してキムラくんはリビングを出ていく。
壊しようもない剥き出しの破綻を確認するたびに、「僕が近くにいてもいい人だ」と思える。
それさえあれば十分だ。友達なんてものじゃなくていい。
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