2話 キムラくんとやまにしくんの朝の支度

 同じ大学同じ学部同じ学科の同級生と一緒に暮らしている。

 つまり大体同じ時間に起きて、大体同じ時間に家を出る。


「やまにしくんやまにしくん味噌汁もう全滅なんだけど」


 キムラくんは起き抜けから結構元気だ。しばらく動く気も起きない僕とはわけが違う。

台所からガサガサ音がするのはインスタント味噌汁の袋を振っている音だろうか。顔を出すとキムラくんがカップ麺なんかをまとめて入れてある段ボール箱の中を覗き込んでうなっている。今日はダメージジーンズにピンクと紫のボーダーのTシャツ。髪色とあいまってV系っぽいのだがそれが味噌汁を探しているのが不似合いで妙に面白い。


「キムラくんが帰りに買ってきなよ」

「今日バイトだよ、帰りだとスーパー閉まってるよ」

「いいじゃん一日二日くらい味噌汁無くたって。お米があれば」


 わりと食事に対して執着の強い、というかそれ以外に執着するものがあまりないキムラくんに対して、僕はそれほど食事に興味がない。料理は好きだが朝から気合を入れるほど酔狂でもなし。

 電子レンジがピー、と鳴ってキムラくんは観念したのか、味噌汁を諦めてラップに巻かれたご飯の塊を取り出す。ご飯はまとめて炊くので一回炊いたら2日は冷凍ご飯。

 律儀に僕の分も温めておいてくれたらしいそれを、茶碗に移すのも面倒なのでラップからそのまま、もさもさ頬張る。


「そういえばやまにしくんって昼どこで食べてんの? 学食とかでも見かけないし」


 キムラくんは一応茶碗に移して食べているのだが手間じゃないのだろうか。洗い物は基本的にキムラくんの係なので、キムラくんがかまわないというのならいいんだけど。


「昼そもそも食べてないから」

「えー、お腹空かない? 俺昼抜いたら絶対午後もたないんだけど。やまにしくんは燃費良いね」

「これでも食べるようになった方だよ」


 実家で暮らしていたころは食卓から逃げ回るように生活していたから、逆に学校での昼食しか食べていなかった。今は朝と夜、キムラくんに合わせた食生活になっている。

 今朝は移動も面倒で、台所で何となく立ったまま茶碗とラップを手にしての朝ごはんだけれども。


「よし、洗面所、お先」


 空になった茶碗と箸をシンクに突っ込んで、キムラくんはユニットバス兼の洗面所にばたばたと駆け込む。

 変に整えた結果鏡を叩き割るような真似はしたくないので身なりに対して不精な僕と違い、キムラくんはそのあたりわりと気にしているというか、曰く「おいしい見た目でいたい」とのことだが、キムラくんの言う見た目的な「おいしさ」はいわゆる美醜とは全然関係がないので僕には永遠にキムラくんのこだわりポイントが理解できない。

 朝の洗面所はたいていキムラくんに占拠されているので、諦めの良い僕は歯磨きセット一式をシンクの脇に置いている。歯を磨いて顔を洗ったら準備完了なのでキムラくんほどドタバタする必要もない。というか僕はキムラくんが洗面所でやっていることがよくわからない。

 何なら、そもそも普段キムラくんがどういう生活をしているのか僕はあまり知らない。

 同じ大学同じ学部同じ学科の同級生と一緒に暮らしていて、つまり大体同じ時間に起きて、大体同じ時間に家を出る。それだけ、とも言える。バイトとか、友達付き合いとか、サークルとか、彼女とか、そういうことは全然知らない。休み時間とか空コマだって別々だし。

 僕以上の世間との齟齬を抱えているのに、やたらと世間に関わりたがるキムラくんのことが、僕には全然わからない。


「あのさー」


 ふいにユニットバスの扉が開く音がして、死角から声がかかる。


「今日も帰るの12時まわるしさ、別に夕飯待ってなくていいよ」


 居酒屋でバイトをしているキムラくんは帰りが遅い。学生街の居酒屋なんて客も従業員も学生だらけだし半端に知り合いが多そうで、僕としてはぞっとしない空間だ。

 そのキムラくんの帰りを待っていれば、当然夕ご飯もそのくらいの時間になる。手持ち無沙汰だし腹も減るし、不健康だ。

 けれども。


「僕さ、キムラくんに会わないと、今日これが最後の会話になるんだよ」


 歯磨き粉を吐き出して、ちゃんと向こうに聞こえるように僕にしては声を張って喋る。

 キムラくんは今どんな顔をしているだろう。多分、あらゆる感情のごっそり抜け落ちた、空っぽの表情。キムラくんの素顔だ。

 聞こえてくる声も、およそ微笑んでいるとは思えない声音なので多分、そうだ。


「会話がしたいの」

「うん、ご飯の話とか、したい」


 人と、なるべく関わらないように生きている。僕の厄介な性質はトラブルのもとでしかない。今日も通学用のリュックサックにはびりびりに引きちぎるための雑誌が入っている。

 それでも面倒なことに心はただの人間で、人との関わりに憧れてしまう。

 キムラくんとご飯を食べて、おいしいとかおいしくないとか、何が食べたいとか、そういう話をしているときは、僕はびくびくする必要もないし、キムラくんとも話がかみ合う。人間と会話ができる、僕にとっての貴重な機会だ。

 言ってから、もしかしたら迷惑なのかもしれないと思いいたる。僕との会話は「おいしくない」のかもしれない。遠回しな拒絶だったのかもしれない。

 ごめん、と言いかけたそのとき、ひょいと台所にキムラくんが顔を出した。


「やまにしくんと話してると、頭使わないんだよね」


 冷蔵庫を開けて缶ジュース(先週キムラくんが勢いで買い込んできたものだ)を取り出しながら、キムラくんは言う。


「どういうこと?」

「やまにしくんは俺が『わかんない』ってわかってるじゃん。だから考えながらしゃべる必要がないっていうか」

「僕、褒められてる?」

「今のって褒め言葉っぽく聞こえた? じゃあそういうことでいいよ、褒められた方が『良い』んだもんね」


 そうやって向けられる、無意味な、形式的な笑顔。「好意を示すべき」という学習で作られた人なつこさ。


「じゃ、また、夜に。賄い、おいしいの出たら持って帰ってきたげる」


 それでも人が笑うと少し空気が明るくなるから、笑うのがへたくそな僕は感心するしかない。

 そういえば最近、笑顔と言えばキムラくんのそればかりを見ている。

 別にそれを言ったってキムラくんは何とも感じないのだろうけど、なんだかそれってどうなんだ、という気持ちに勝手になる。

 試しにごまかすように笑ってみると頬がひきつるのが分かった。僕は本当に笑うのが下手だ。

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