もしもしまひろ?
プルルルルル、プルルルルル。
『……はい』
懐かしい、あのか細いような柔らかい声が受話器越しに私の脳髄に届いた。
――嗚呼、本当にまひろなんだ。
「もしもし?」
『もしもし……えっと……』
「はるかだよ! はるか! まひろ、なんでしょ!?」
緊張してるのか遠慮してるのか、中々話を切り出さないまひろに痺れを切らして私はまくし立てるように自分の名前を叫んだ。
昔から人からの誘いを断れないような遠慮がちな子だった。一度落ち込むとすぐに行動に移せなくなる。……さっき一回電話無視しちゃったもんね、名前言い出せなくて当然だよね。
『あ……はるかちゃん!?』
受話器の向こうの声がぱっと花咲くように明るくなった。
「そうそう! はるかだよ!」
『あー、良かった! やっぱりはるかちゃんだよね? SNSではるかちゃんのかもしれないアカウントをフォローしたんだけどね? 本当にはるかちゃんのか心配になってさ、電話したの。……思えば電話番号交換してなかったから出たくなくて当然だったよね、ごめんね』
「全然! こんな私がいけないんだよ。ほら、疑り深いとこがあるからさ」
『昔からそうだったっけ?』
「いやぁ……? ちょっと怖いことがあったからさ。ほら、私が引っ越しした後にさ、クラスメートが一人殺されたじゃん? 誰かはお母さん教えてくれないけどさ」
『あーあーあったね、そんな事。確かアレだよね? クラスメートの親に扮して電話かけて来た人に誘拐されちゃったんだよね?』
「そーそー! それそれ! それからだね、私が疑り深くなったのは。今でもクラスの約束守ってるし」
『偉いなー』
「ふふ。そうでもないよ? タカシにも『もうその約束守ってるのはテメェだけだ』ってちょっと前に言われたばっかだし」
『流石、はるかちゃんだね!』
「えへへ、ありがとう。そう言ってくれるのはまひろだけだよ」
『そー? 照れるなぁ。……あ、ごめんねはるかちゃん』
「ん? 何が?」
『なんか私ったら長話しそうになってるから……忙しかったら遠慮なく切って良いんだからね?』
「いーよいーよ! 最近業者さんが新しくWi-Fi取り付けてくれたからさ、通信料とかは心配しないで」
『うー、はるかちゃん優しい! ありがとう!』
「何感謝してんのよ。あはは、ホントそーゆーとこはずっと変わらないんだね」
『あんなに昔の事なのに覚えてくれてるんだ』
「とーぜん! だって親友でしょ?」
自信満々に言い放てた。確証の無い無責任な理由、小論文でこんな理由書いたら点数なんか貰えない。
でもこれで良い。これが良い。
点数の貰えない理由でも分かり合える、それが「親友」。
『ありがとう……! ありがとう、本当にありがとう!』
大げさな感謝を繰り返し受話器の向こうで放つまひろ。
「もう大げさだってば。そんなに感謝なんかして、最近なんかあった?」
『いや、ただ……こんなに優しいはるかちゃんはここにはいないんだなって思って急に寂しくなっちゃって。ちょっと前にタカシくんから聞いたよ? 携帯なくしちゃった人の携帯探し手伝ってあげたんだって?』
「ええ、そんな小っ恥ずかしい事言ったっけ……?」
『言ったよ言った! だって私聞いたもん! ……ね、その時の話聞かせてよ! 私も以前頼まれたけどさー、全然見つけられなくて、もう良いですなんて言われてさー。心にグサッときたー……』
「良いよ良いよ、教えたげる。ま、でもこれはその時、なくした人から教えてもらった方法なんだけどね」
『へー! その人頭良いのね』
「いや、結構皆普通にやってる事だよ。相手の電話番号打ちこんで、かけてあげるだけ」
『ホントだ、意外とフツー……』
「でしょおー? 今度まひろもやってみなね!」
『うん! はぁー、それにしても、どうしてはるかちゃんと電話番号交換しなかったかなー。住所も聞かなかったから遊びにも行けないしお手紙も出せないし』
「担任の小平先生から聞けば良かったじゃん」
『2年生の時に異動しちゃったんだよねー。それに1年生の時の私が先生の所に素直に聞きに行けると思う?』
「……ごめん、思わない」
『ほらー、ね? でも今になってすっごく後悔してる。こんなに話してて楽しい友達の連絡先とか、何で聞いとかなかったんだろ』
「もう、そんなに言うならさ、今から言うからちゃんとメモして」
『え……良いの?』
「良いよ良いよ! それでさ、今度まひろん家のお母さんとお父さん連れてさ、家に遊びに来なよ!」
『でもはるかちゃんのお母さんに迷惑じゃない?』
「ほら、またその癖だ。大丈夫、心配しないで。お母さん聞いたらきっと喜ぶよ! 私から言っといてあげる」
『で、でも』
「じゃあ折角私のアカウントフォローしてくれたんだからさ、DMでまた伝えるよ。ね? これなら良いでしょ?」
『う、うん……本当にありがとう』
「そいじゃあいくよー。N県ー……」
『あ、ちょ、ちょっと待って! えっと……N県……』
「大県群、門田町の○○-★☆★☆」
『大県群の、えっと、門田町……』
「○○-★☆★☆」
『○○-★☆★☆っと! ありがとう、本当にありがとう!』
「だからそんなに感謝されちゃうと照れるから!」
『わああ……! 楽しみ! お泊まり会とかしたいね!』
「お、良いね! しようしよう!」
『はるかちゃんは好きな人とかいるの?』
「え!? な、何で私!?」
『いや、恋バナはお泊まり会の常識でしょー!』
「ええ、そうだけどー」
『あ、でもはるかちゃんは昔からひとり言多かったから彼氏は出来ないか』
「ええ!? 昔からそうだったっけ!?」
『うん。確認する事とかも全部口に出てたイメージ』
「何だとー!? 言ったねー? まひろー。お泊まり会の時覚悟しな!?」
『やだー! それは勘弁だよー! ……あ、だったらさ! それともはるかちゃんが最近よく話してる話題にする?』
「ん? 最近?」
『そう。これも昨日タカシくんから聞いたんだけどねー、最近はるかちゃんカレーはまってるみたいじゃん! しかもチーズカレー。……ね、やっぱり入れるのはチェダーチーズなの?』
……え?
血の気が一気にサッと引いた。
心臓がばくばく鳴る。
『やっぱりモッツァレラとかなのかな? あ、あれはカレーに合わな――』
「え、待って。あんた誰?」
『……』
ブツン。ツーツー。
――え、待って! 待って待って! 今の誰、今の誰!?
あの時の誘拐事件を覚えているのなら、今の会話は絶対にあり得ない。
何故なら「昨日のカレーライスに入っていたのは?」という質問と、それに対する答えの「チーズ」は私達が互いが本物である事を証明する為の秘密の質問だからだ。
あの時の誘拐事件は私達の記憶に鮮烈に残っていたはずだ。
それは私が引っ越したまさに次の日。
クラスメートが誘拐された。しかも犯人はクラスメートの親に扮して子どもを堂々と家の外におびき出した。――これの怖いところは電話の向こうのその声は本物の親と声があまりにも似ていたという事。
だからさらわれた子の親も犯人と話したのに全く聞き分ける事が出来なかった。
『この事件から身を守るためには「秘密の合言葉」が必要です。お友達、それかお友達のパパママから電話がかかってきたら必ずこの「秘密の合言葉」を言って下さいね』
この事件は先生の記憶に強烈な傷跡を残したらしく、一年毎、欠かさず先生から「秘密の合言葉」を覚えているかどうかの確認の電話が来た。
だからまひろは覚えているはずだ。
もし偶々何年かに一回先生がうっかりして忘れるなんて事があったとしても怖がりなまひろは絶対に忘れたりしないと思う。
そうするとアレは誰なの?
――全ての始まりはSNSのアカウントをまひろと名乗る何者かがフォローしてくれた所から始まった。……あれ? でもあの時どうしてまひろは私の事分かったのかな? いや、だって「知り合いかも?」って出てたから、電話番号で分かったんだって思って……あれ? ちょっと待って。いつ私はそいつと電話番号の交換したの!? 非通知に出た覚えは無いし、窓を開けたりもしてないし、私一人の時に変な人が来た覚えも無い。いやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って! 私、あいつに住所教えちゃったけど!?
喉はカラカラ、お腹はゴロゴロ。不安で肌全体に鳥肌が立った。全身の血液がまるで凍ったみたいで、外はそれなりの蒸し暑さなのに私だけクーラーの風が直に当たったみたいに寒かった。
――やだ、やだやだやだ! どうしよう、どうしよう! お母さん、お母さん!!
私は無料トークアプリを急いで開こうとする。でもこういう時ばかりタップのし過ぎで中々開かない。水色の線がぐるぐる回り続けるばかりで、不安が募る。
どっと汗が噴き出した。
肩で息をした。
「ハァハァ、お願いだよ……何で開かないの!! ひ、ら、い、て!!!」
無駄にタップをだぱだぱ押しまくってしまう。
誰か助けて!
ソォオオオ……。
家の前を不意に通ったハイブリッドカーの音を聞いて寒気がした。
――家中の鍵を閉めなきゃ!
まずは玄関のドア、続いて一階の窓、二階の窓。暑くなるのは仕方ない、お母さんが帰ってくるまでの辛抱だから。
二重ロックも忘れちゃ駄目、カーテン閉めるのも忘れちゃ駄目、忘れちゃ駄目!!
「ハァッハアッ……まだ開かないの?」
そう言った瞬間、明るい画面にポップなキャラクターが周りを囲む私の大事な仲間達のリストが映し出された。
「開いた!」
私はお母さんの名前をタップして
「お母さん!」
とその五文字だけを幾つも幾つも送った。
汗がじわりと滲んだ。無意識の内に白い画面に吸い込まれるように顔を近づけていたのだろう、口呼吸が故の画面の白い曇りに変な憤りを感じた。
既読がつかない。
「お母さんお母さんお母さんお母さん! お母さん!! お母さん!!」
顔がくしゃんと縦に潰れた。涙を顔全体で絞り出してるみたい。とめどなく涙が溢れた。
座ったり立ったりを繰り返し、ぐるぐるとその場を回った。
――と、その時。
ピンポーン。
「ヒィイイイイッ!」
リビングの一番隅っこに身を寄せた。
ドンドンドンドン!!
「お願いお母さん、返事して! お願い……お願い……お願い!」
そう願った。
――でも案外神様はその願いをすんなり聞き入れてくれた。
「こらはるか! 鍵かけちゃったら入れないでしょ! 携帯に通知爆送りして遊んでないで早く手伝って!」
「……わ、わわ、わ! おか、あさん!」
とんでもない安堵が体を一気に駆け巡った。冷え切った心臓が温かさを取り戻し、違う意味で涙がとめどなく溢れた。
「お母さん!」
スマホを思わず投げて私はお母さんを迎えに行った。
「お母さん! お母さん!」
私はチェーンと鍵を震える手で開けてドアを開け放った。
その時、ヴーヴーと投げたスマホが向こうの暗い部屋でバイブレーションした。
「あ……」
何故だかそっちの方を見て、何故だか分からないけど物凄く後悔した。
開いた瞬間を「お母さん」は見逃さず扉を勢い良くこじ開けた。
「あ……」
細く冷たい指が私の喉を掴んで後ろに押し返した。
「お母さん」のもう一方の手が私の体を力強く抱きしめ、喉を掴んでいた手は滑るように私の左頰を指先で妖しく撫で、顔を自身の顔が見れるように持ち上げた。
痩せこけたその顔は長い前髪で覆われていてその奥からギラギラと鈍く光る怪しい濁った隕石がこちらを覗いていた。
「ズットサガシテイタンダヨ、スマホヲサガシテクレタアノヒカラ――イヤ、ソレヨリモズットマエカラキミヲサガシテタ。ナカヨシノオトモダチガ、マッテルカラハヤクイコウ」
「まひろ」にそう言われた私は何もすることが出来ず、ただただ口呼吸を繰り返しながら水槽から陸に持ち上げられた憐れな魚みたいに目をぎょろりと見開くことしか出来なかった。
「ただいまー。はるか、一体どうしたの? あんなに変なメッセージ送ってきて。……うわ、しかも真っ暗! 何なのよ」
はるかの母親はテレビをパチンとつけて部屋を外界から遮断するカーテンを開けて回り始めた。
「タカシくんも何か帰ってないって聞くし。もしかして何かあったかな。まひろちゃんから電話が来たとか何とか言ってたらしいよー。……ねぇ聞いてるー? ……もう」
全く反応のない娘に母親は肩をすくめる。
テレビでやっているのは昔の事件を振り返るという趣旨の特番だ。
〔あの凄惨な誘拐殺人事件から今日で11年となります。遠野まひろちゃんは今年で17歳になるはずでした。あの日、まひろちゃんはクラスメートの親を名乗る何者かに誘拐されてしまいました〕
母親はテレビから垂れ流され続ける、もう何も出来ない事への無機質な後悔を聞きながら眉をひそめた。
「そんなん言って、まひろちゃん家の親の気持ち考えたことはあるのかしら」
〔――しかし彼女は本当に殺されたのでしょうか。先日匿名の人物からまひろちゃんは生きてるという内容の投稿が寄せられたのです……〕
「オカルトかよ。……ま、良いや。良い機会だ。はるかもそろそろ知る時期だわ。はるか、はるかー? いい加減降りてらっしゃい! はるかー!?」
その3文字がヒステリックになるまで、あと十二秒……。
(おわり)
電話の向こうで 星 太一 @dehim-fake
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