決闘遊戯(四)
第117話 不吉
黄色アーク灯に照らされた石造りの通路が、真っ直ぐに続いている。
いにしえの歴史を紐解けば、巨大な猛獣の運搬にも使われていたという。
不幸な罪人や、不運な剣闘士と仕合わせる為の、血に飢えた猛獣だ。
檻ごと運び入れていたのだろう、天井は高く、通路幅も広い。
しかし、それほどに広く設けられた通路であっても、圧迫感は拭えない。
行き着く先は闘技場だ、刃を振るい命を奪い合う場所だ、当然だろう。
カトリーヌは緊張と不安で震えぬ様、奥歯を食い締め歩き続ける。
身に纏うは濃紺の修道服、顔を覆う儀礼用の黒いベール。
レオンより預かった小型差分解析機を両手に携え、皆の後ろに続いて歩く。
スーツ姿のシャルルとレオン、ヨハン、灰色のワンピースを纏ったドロテア、純白の仕合用ドレスを纏ったエリーゼの背を、追い掛けている。
「――この仕合、当然の事だが君は勝利するだろう。しかし勝利後の状況次第では次戦、僕が用意した『強化外殻』を着用して欲しい。トーナメント戦の仕合間隔は一週間しか無いんだ、仮に再錬成が必要な状況となった場合、僕とレオン君が手を尽くしたとしても、十分な措置が施せない可能性も在り得る。その際に備え、考えておいて欲しい」
素足のまま歩くエリーゼの隣りでは、ヨハンが寄り添い提案を続けている。
連戦かつ連勝が必須条件である以上、その提案は妥当と言えた。
ヨハンの言葉にエリーゼは、短く相槌を打ちながら歩き続ける。
通路奥から地鳴りの様な歓声が、少しずつ近づいて来るのを感じる。
「モルティエさん、そろそろ指定の座席へ向かいましょう」
シャルルは観覧席へと続く階段入口の脇で足を止め、声を掛けた。
ヨハンは振り返ると答える。
「そうだな、解った。介添え人として立ち会えんのは残念だが、立場上やむを得ない。レオン君、シスター・カトリーヌ。エリーゼ君を宜しく頼む」
レオンとカトリーヌは頷き、解りましたと応じる。
更にヨハンはドロテアに近づくと、腰を屈めては顔を近づけて言った。
「――ドロテア。君の力で彼らに万全のサポートを頼む、出来るね?」
ヨハンの言葉を受け、ドロテアは口許に笑みを浮かべる。
胸を反らせるとワンピースの胸元を、右手でポンッと打ってみせる。
ヨハンはドロテアの頭を軽く撫で、シャルルと共に階段へと向かった。
「行こうか」
レオンが促し、カトリーヌとドロテア、エリーゼは再び歩き始める。
通路奥から響く歓声が、更に大きくなる。
管弦楽団による演奏も聞こえる。
通路の温度が、幾らか上昇した様に思える。
やがて前方に、巨大な鉄扉が見えて来る。
闘技場と通路を隔てる鉄扉だ。
その時が近い事を、カトリーヌは意識する。
レオンが言った。
「シスター・カトリーヌ、ドロテア。僕達はこちらだ」
「はい……」
通路の傍らにドアがあり、そこから介添え人用のスペースへと抜けるらしい。
足を止めて応じたカトリーヌは、次いでエリーゼに声を掛けた。
「エリーゼ」
「はい、シスター・カトリーヌ」
両手にはロングソード。
小さな白い背中には、鈍く光る鋼の特殊武装『ドライツェン・エイワズ』。
ダミアン卿の中庭で、演習を行っていた時と同じ姿だ。
そして普段と変わらぬ、落ち着いた声と穏やかな表情。
でも――控え室で感じたエリーゼの『内面』が、自分の思い込みで無ければ。
その落ち着きも、穏やかさも、仮初めでは無いかと不安になる。
同時にカトリーヌ自身も、心が揺らぐのを感じる。
あれほど固く意を決したつもりだったのに。
自身の脆さが情けなく思える。
「気をつけてね……」
「はい、ありがとうございます」
口をついて出た言葉は、酷く月並みなものだった。
それでもエリーゼは謝意を口にし、優しく微笑む。
レオンも、エリーゼに声を掛けた。
「エリーゼ、バックアップは任せて欲しい。君の無事を祈る」
「ありがとうございます、ご主人様」
口許を綻ばせたままエリーゼは答えると、鉄扉の方へ向き直る。
そのままゆっくりと、闘技場へ向かって歩き始めた。
「僕達も行こう」
レオンは、通路脇のドアを押し開く。
歩き出すレオンに、カトリーヌとドロテアが続いて行く。
僅かに下り坂の狭い通路を少し歩けば、再び鉄製の扉が見えて来る。
歩きながらレオンは言った。
「シスター・カトリーヌ、待機スペースに着いたらすぐ、各種ケーブルの接続と、エリーゼの『神経網』との同期作業を頼む。それなりに余裕はある筈だが、演習の時とは状況が違う、早めに準備に取り掛かろう」
「は、はい、解りました」
カトリーヌは頷きつつ、気を引き締め直す。
悩んでも、迷っても、状況は変わらない。
ならば可能な限り、最善を尽くすべきだ。
レオンが鉄の扉を開く。
途端に凄まじい熱量を体感した。
更に怒涛の歓声と管弦楽団の演奏、スチーム・オルガンの重低音。
仄暗い待機スペースの向こう側に見えるのは、煌々と照らし出された円形闘技場と、すり鉢状に積み上がった貴族達の群れ集う光景だった。
◆ ◇ ◆ ◇
白き姿を朱に染め! 静寂斬り裂く不可視の一閃!
可憐なるかな夢幻の乙女! 玄妙極まる至高の一閃!
我らの誓いを聖女に示せ! 我らの祈りを聖女に捧げよ!
我らの技術を聖女に示せ! 我らの闘争聖女に捧げよ!
開け放たれた巨大な鉄扉の向こうでは、地鳴りの如き歌声が荒れ狂っていた。
タキシードとドレスを纏う老若男女が、根限りに謳い上げているのだ。
拳を振り上げつつの絶叫だった、飽和し、糜爛し、熱を伴いうねって響く。
オーケストラ・ピット前の演台では、青いドレス姿の目許をマスクで隠した女が、両腕を躍らせつつ、振り絞る様な高音にて、貴族達の歌声に完璧な主旋律を織り込んで行く。
それは、エリーゼと共に聖女・グランマリーを讃える聖歌だった。
甘美繊細にして暴力的な聖歌が降り注ぐ中、エリーゼは闘技場へと歩み出る。
一歩ずつ前へと、タイトな白いドレスを纏う小さな身体は揺らが無い。
両手にロングソードを携え、素足で石畳の上を、静かに歩き続ける。
背中には淡く発光する金属円盤――特殊武装『ドライツェン・エイワズ』。
パーツの隙間から白い蒸気が仄かに溢れ出し、後方へ微かな帯を引く。
やがてエリーゼは、闘技場中央の開始位置へと辿り着いた。
そのタイミングを見計らった様に管弦楽団が、奏でる曲目を切り替える。
勇壮な演奏から幽玄な演奏へ。
オーケストラ・ピットより神妙かつ壮麗な調べが溢れ出す。
巨大なスチーム・オルガンが蒸気を吹き上げる。
青いドレスの女が、天を突く高音を喉から発する。
同時に観覧席を埋め尽くす貴族達も、相応しい聖歌を捧げ始める。
可憐に踊らば血花を咲かせ! 無慈悲に舞わば敵を討つ!
侮るなかれ! 不可思議の妙技! 我らを守護する美々しき戦乙女!
錬成科学の神妙深遠! 我らが祖国を守護する戦乙女!
我らが聖女グランマリー! 奇跡の娘に勝利を授けよ!
偉大なるかなグランマリー! 不屈の娘に勝利を授けよ!
エリーゼの向こう正面に設けられた、鋼鉄製の巨大な入場門が開く。
姿を現したのは『コッペリア・ベルベット』だ。
エリーゼほどでは無いが、こちらも小さな身体の華奢な娘だった。
身に纏う衣装は漆黒のワンピースドレス。
細いウエストには革のコルセット、足元のブーツも同色の革製だ。
端正美麗な顔立ちに黒縁眼鏡、ライトブラウンのおさげ髪が肩口で揺れる。
そして左右に垂らした両手それぞれに、冷たく光る抜き身の刃――グラディウスだ。
俯き加減の上目遣いにエリーゼを見つめながら、歩み寄って来る。
そのまま闘技場の中央付近、開始位置にて足を止める。
向かい合う黒白二人の距離は、およそ六メートル。
楽団が演奏を締め括り、貴族達も聖歌を謳い終えて着席する。
しかし観覧席は騒然としたままだ、貴族達は対峙する二名のコッペリアを見下ろしながら、どちらが勝つのか、勝負の行方を占いつつ、凄惨な死闘が行われる事を期待している。
程無くしてオーケストラ・ピット脇の木製演壇に、黒いラウンジスーツを着込んだ初老の男が駆け上がる。
男は壇上に設けられた、伝声管の蓋を開くと会場を見渡す。
おもむろに、大音声にて高らかに宣言した。
「大変お待たせ致しました、只今より! ガラリア皇帝陛下・第二皇子! エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア様が主催! 特別トーナメント本戦! 第一仕合を! 執り行います!」
観覧席が沸騰する。
歓声、嬌声、拍手に野次、貴族達は全身で喜びの感情を示す。
これから始まる血みどろの聖戦に華を添える為か。
むしろ昂ぶりのままに振る舞っているのか。
「まずはっ……!!」
演壇に向かう男が叫んだ。
伝声管より伝わる声は、円形闘技場内に隈無く轟き、響き渡る。
「西方門より出でし戦乙女っ! 無垢純白のドレスを纏う! 美麗な妖精ピクシーの如し! しかし放たれる刃は変幻自在! 常識を覆す一手を放ち勝負を決す! グランギニョール戦績二戦二勝! 衆光会代表! エリィイイイイゼェッ!」
選手紹介の絶叫に、貴族達も呼応する。
爆発的な歓声は、もはや質量が感じられる程だ。
「そしてぇっ! 東方門より出でし戦乙女! これまさに不倒不屈! 更には不死身! 死の淵より蘇りては敵を討つ! これが憎悪と怨嗟の精霊か! 或いは死神であるのか!? グランギニョール戦績四戦四勝! ベネックス勲爵士所有 ! ベルベェエエエエットッ!」
すり鉢状の観覧席から、雪崩の様に歓声が押し寄せて来る。
もはや一刻たりとも待てぬとばかりに、貴族達が足踏みを始める。
大地が揺れるのではと思えるほどに、重低音が響き続ける。
そんな熱と狂乱の坩堝と化した闘技場にて。
黒いワンピースドレスを纏ったベルベットは、俯いたまま微笑んでいた。
獣の様な鋭い牙が、愛らしい口許からゾロリと覗く。
不穏にして不吉な、それほどに異質な何かを感じさせる微笑みだった。
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