第116話 選択

 円形闘技場の控え室には、窓が無い。

 外部からの干渉を防ぐべく、地下に設けられている為だ。

 とはいえ利用者に息苦しさを感じさせぬ様、配慮が成されている。

 適切な排気と吸気、天井は高く、シーリング・ファンも旋回している。

 鮮やかな風景画の飾られた壁は、淡い色彩のアカンサス模様。

 革張りのソファ・セットも、ローテーブルも、質の良い代物だ。

 仕合を行うコッペリアの主である、貴族達に対しての配慮だった。


「……ガラリアに渡った私は、マウラータでの出来事を軍法会議の場で証言しました。私以外にも証言者が何人もいて……内戦終結の一助となったそうです。その後、私はシスター・マグノリアの導きで『グランマリー教団』が運営する、ガラリア・イーサの孤児院に引き取られました」


 そんな控え室に、不穏な気配が漂っていた。

 カトリーヌが不測の事態に直面し、取り乱した為だ。

 それは、円形闘技場の地下通路で『マリー直轄部会』の面々とすれ違った際、『シスター・マグノリア』と対面した事に起因する。


 『シスター・マグノリア』――『枢機機関院』所属の序列三位。

 今回のトーナメントにも参加する、至強との呼び声も高いコッペリア。

 そして、幼い頃のカトリーヌを救助した人物だった。


「――孤児院での暮らしは、楽しい事ばかりでは無かったけれど、でも、シスター・マグノリアが時々、私の様子を見に来てくれて……それが凄く嬉しくて、有難くて、だから私は頑張れたんです……」


 ソファに座るカトリーヌは俯き、眼を伏せたまま、事の経緯を語った。

 時折、嗚咽混じりに声を詰まらせたが、感情的に振る舞う事は無かった。


「――シスター・マグノリアは、オートマータだったんですね……」


 気持ちに整理をつけるべく、話したのかも知れない。

 全てを聞き終えたレオンは、穏やかな口調で切り出した。


「……シスター・カトリーヌ。もし心苦しい様なら『知覚共鳴処理回路』の制御は、ヨハン氏の『ドロテア』に任せる事も出来る。僕はそれでも耐えられる」


「ああ、レオン君の言う通りだ」


 レオンの発言を引き継ぎ応じたのは、ヨハンだった。

 ドロテアを連れて先に会場入りし、調整作業を行っていたのだ。

 ヨハンは間仕切りで区切られた作業スペースから、姿を見せつつ言った。


「『ドロテア』のシステムは不測の事態に備え、ある程度余裕を設けてある。レオン君の負荷は多少増大するだろうが、ドロテアの方で処理する幅を増やせば、恐らくは許容範囲内に納まるはずだ。それに『強化外殻』の用意もある」


 ヨハンの言葉にカトリーヌは顔を上げる。

 涙に濡れた眼でレオンとヨハンを見遣り、それでも静かに告げた。


「――ありがとうございます、レオン先生、ヨハン先生。でも、私は大丈夫です。レオン先生のサポートは行えます」


「でも……」


 微かに眉を顰め、カトリーヌを見つめるレオン。

 レオンの心配そうな様子に、カトリーヌは小さく微笑み応える。


「私はレオン先生の助手です。その為に来たんですから」


 しかしヨハンは、その言葉を受けてなお、真剣な面持ちで質問する。

 

「闘技場でシスター・マグノリアと――『コッペリア・マグノリア』と、エリーゼ君が刃を交える事になっても、そう言えるかね?」


「モルティエさん、それは……」


 シャルルが険しい表情で口を挟む。

 ヨハンは軽く右手を挙げ、シャルルを制した。

 カトリーヌを見つめたまま、更に問う。


「程無くしてエリーゼ君は『コッペリア・ベルベット』と仕合う事になる。僕は間違い無く、エリーゼ君が勝つと確信している。しかしそうなれば次戦、高い確率で序列三位の『コッペリア・マグノリア』と仕合う事になる。君の恩人である彼女は、かつて『グランギニョール』序列一位にまで昇り詰めた、優秀なオートマータだ。三〇年以上の軍歴があるとも聞く。良いかね? そんな彼女とエリーゼ君は敵対する。その時、君は的確に作業を行えるのかと、問いたい」


「……」


「僕は『シュミット商会』の代表として、錬成技師として、エリーゼ君とレオン君のサポートに、何があろうと全力を尽くすつもりだ。ドロテアを介して得たデータを基に、次戦以降の対応も行う。より万全を期する為にね。しかし、シスター・カトリーヌが万全の状態でサポート出来るか、出来ないか、それによって対応が変化する、それは危険な不確定要素だ。はっきり言おう、不確定要素は排除し、安定した条件で仕合に望みたい」


「……」


 長きに亘り『コッペリア・グレナディ』と共に『グランギニョール』へ参加して来たヨハンの視点は、レオンやシャルルと違い、甘さや配慮の介在しない、厳しいものだった。

 強い口調で、ヨハンは質問を繰り返す。


「シスター・カトリーヌ。この状況でも君は、万全のサポートを行えるかね?」


 カトリーヌはヨハンを視線を受け止め、落ち着いた口調で答える。


「……はい。レオン先生のサポートは、私にお任せください」


 気負いや、虚勢を感じさせない表情だった。

 ヨハンは軽く息を吐き、頷く。


「解った。失礼な事を言った……すまない、シスター・カトリーヌ。闘技場ではレオン君のサポートをよろしく頼む。僕は『ドロテア』のチェックを続ける」


 そう答えるとヨハンは、部屋を二つに分ける間仕切りの奥へと消えた。

 シャルルは複雑な表情でヨハンを見送り、再びカトリーヌに視線を送る。


「シスター・カトリーヌ、良いんだね……?」


「はい」

 

 カトリーヌは穏やかに微笑み、目を伏せた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 爆炎の熱と、硝煙の臭いに包まれたマウラータは地獄だった。

 父が死に、母が死に、家が焼け落ち、知り合いも、友達も皆、吹き飛ばされた。

 全てを失い、全てが苦しく、恐怖と孤独で、圧し潰されそうだった。

 それでも生きる事を選択出来たのは、シスター・マグノリアがいたからだ。


 シスター・マグノリアがいたから、生き延びる事が出来た。

 シスター・マグノリアがいたから、生きて行こうと思えた。

 シスター・マグノリアは私の理想であり、憧れだった。


 だから私は、シスターの道を選んだ。

 事に於いて、胸を張れる自分である為に。

 シスター・マグノリアの様になりたくて。


 だから本当は、何一つ良く無かった。

 平気なわけ無い。


 シスター・マグノリアが闘技場で戦う。

 オートマータ……『コッペリア』として戦う。

 いずれはエリーゼと戦う、その可能性もあると。


 まだ、実感が湧かない。

 だけど通路で再会した、シスター・マグノリアの眼差しには。

 子供の頃にも見た、漆黒に鈍く光る瞳――その奥には。

 一切の嘘が無かった。


 シスター・マグノリアは、私の事を覚えていてくれた。

 私が子供の頃に語った、シスターになるという夢を覚えていてくれた。

 そして夢を叶え、シスターとなった私を認め、微笑んでくれた。

 その上で。

 シスター・マグノリアは、エリーゼを討ち果たすと言った。


 あの状況で、エリーゼと私が、全くの無関係だとは考えまい。

 私の隣りに立つエリーゼが、私にとってどんな存在であるのか。

 凡そ理解した上でシスター・マグノリアは、討ち果たすと断言したのだ。

 その行いが、自分の信じる正義正道であると。

 全く嘘の無い真っ直ぐな瞳と、その言葉が、恐ろしかった。


 それと同時に。

 シスター・マグノリアの言葉に即応したエリーゼもまた、恐ろしかった。

 エリーゼも、シスター・マグノリアと私の関係を半ば理解した上で、何の迷いも無く応じたのだ。

 そんな二人のやり取りに恐怖し――取り乱したのだ。


 それが仕合に赴くという事なのか。

 これが闘技場で刃を交えるという事なのか。

 こんな価値観が、認められて良いわけ無い。


 微笑みと、真剣さと、想い、感謝、共感。

 その全てを踏み躙る、絶対的な死の予感。

 そんな物が、人々の生活の傍にあって良いはずが無い。


 だけど。


 幼い頃に彷徨い歩いたマウラータでの記憶。

 あの凄惨な、焼け爛れた街と住民達の絶望的な光景。

 あの残酷を、私は今でも覚えている。


 父が死に、母が死に、友達が死に、知り合いが死んで。

 燃える家を見て、燃える人間を見て、血に塗れた道路を歩く。

 飢えて渇き、涙も出ず、死にたいと思っても、死ねなくて。

 あれは全て、現実だった。

 現実に存在する地獄だった。


 その地獄から私を救い出してくれたのは、シスター・マグノリアだ。

 シスター・マグノリアに救われて、私は地獄を抜け出した。

 あの地獄から歩き出した先に、今の私が在る。

 だから私は――


 ◆ ◇ ◆ ◇


「――シスタ・カトリーヌ」


 銀の鈴を思わせる玲瓏な声が、カトリーヌの耳に届いた。

 顔を上げるとそこには、装備を整えたエリーゼが立っていた。


 華奢な身体を包む、ゴート風のタイトなドレスは、純白に輝いて見えた。

 両手首と両肘には、小さな金属円盤付きの黒い革ベルトが巻きついている。

 両手全ての指に、指貫状の指輪が嵌められている。

 しなやかに伸びた両脚――その上腿部には、ホルダー付きの黒革ベルトが巻きつき、小型のスローイング・ダガーが十八本、納まっている。

 その小さな背中には、鈍く光る鋼鉄製の特殊武装『ドライツェン・エイワズ』が装備されているのだろう。

 そして指輪の光る両手に握られた、一振りのロングソード。

 桜色の艶やかな唇が動いた。

 

「私はこの仕合に勝利し、そして次の仕合にも勝利します」


 俯いたまま、エリーゼはそう告げた。

 いつもと変わらぬ、透き通った美しい声だ。

 ただ、伏せられた目許が、どこか寂しげで。


「或いはあなたの大切な人を、私は討ち果たすかも知れません。その結果、あなたに忌み嫌われる事になるかも知れません。ですが私は、あなたと『ヤドリギ園』の子供達を、決して裏切りません……」


 エリーゼの言葉を聞きながら、カトリーヌは思い出していた。

 自室のベッド脇に飾られた、写真立て。

 子供の頃の自分と一緒に映る、シスター・マグノリアの姿。

 レオン先生が負傷した時、エリーゼはシスター・マグノリアと対面していた。

 その際、シスター・マグノリアがオートマータである事に気づいたのだろう。

 そして後日、レオン先生から、トーナメントの組み合わせについて話を聞かされた――選手として参加する『コッペリア・マグノリア』の名前と共に。

 だからエリーゼは、試合前に何度も不安げな様子を見せていたのだ。


「……決して、裏切る事はありませんから」

 

 同時に、数日前にも同じ言葉を、エリーゼから聞かされた事を思い出す。

 レオン先生が自身と父親との確執に『ヤドリギ園』を巻き込み、負い目を感じていると、そう言っていた。


 その事を知りながら伏せている事に、私は耐えられなくなったのだと。

 自身の裡に在る『アーデルツ』の想いが、許さないのだと。

 静かな口調で、そっと眼を伏せて。

 その目許は、どこか寂しげで。


 つまり、この言葉は。

 ガラスの様に透き通った声で紡がれるこの言葉は。

 これはエリーゼの悲鳴なのだ。


 今この瞬間も、エリーゼは不安に揺れているのではないか。

 『アーデルツ』の想いを抱え、怖いと感じているのかも知れない。

 大切な物を失いそうな予感に、怯えているのかも知れない。


 それは私も同じだ。

 大切な人との別離を、自ら招こうとしているのでは――そう感じている。

 いや……このまま仕合に臨むなら、エリーゼの勝利を祈るなら。

 そうなってしまうのかも知れない。

 それでも。


 カトリーヌはソファから立ち上がった。


「――大丈夫だよ、エリーゼ」


 そう言ってエリーゼに近づき、両手を差し伸べる。

 白く細いエリーゼの肩に、そっと添えた。


「私はエリーゼの事、絶対に嫌いになったりしない」


 エリーゼは顔を上げる。

 煌めく紅玉の瞳が、カトリーヌを見つめる。


「私も子供達を守りたい。『ヤドリギ園』を守りたい。この仕合は、私達の仕合なんだ。エリーゼだけが背負う仕合じゃない、私も一緒なんだよ」


 そう――エリーゼは、私が子供の頃に彷徨った、あの場所にいる。

 あの残酷と絶望の地獄へ自ら飛び込み、ずっと彷徨い続けている。


 初めての仕合が決定した日。

 孤児院の礼拝堂で、エリーゼから聞かされた。

 死地へ赴き、死線を潜る為、仕合に臨むのだと。

 闘争の宴に咲く、刹那の真実を求めて、仕合を行うのだと。

 にも関わらず、生きて戻る事を望まれている、それが嬉しいのだと言っていた。

 エリーゼは濡れた瞳で私を見つめ、微笑んでいた。


 だけど、今は違うのだと――改めてそう告げられた日の事を思い出す。

 自身の裡に『アーデルツ』の想いが宿っている、そう打ち明けられて。

 戦闘格斗で得られる高揚感、闘争の宴。

 刹那に咲き誇る華の真実。

 それら以上に――子供達と『ヤドリギ園』に価値を感じているのだと。

 その変化も含めて自分なのだと、エリーゼは静かに告げた。

 

 何があってもシスター・カトリーヌを裏切らないのだと、そう言って。

 ああ――恐らく、あの時からエリーゼは。

 ずっと不安を抱えていたのだろう。


 私は、絶望と恐怖の地獄から、シスター・マグノリアに救われた。

 傷つき、血を流しても、シスター・マグノリアは私を見捨てなかった。

 あらゆるものをシスター・マグノリアは、私に分け与えてくれた。

 そんなシスター・マグノリアに、私は憧れたのだ。


 だからこそシスターへの道を選んだ。

 絶望と残酷に苛まれても、事に於いて、胸を張れる自分である為に。

 そして今は、子供たちの為に、エリーゼの為に。

 あの日出会えた、シスター・マグノリアの様に。


「私は、私の選択が正しいと――胸を張る事が出来るから」


 瓦礫と化したマウラータの生き残りとして。

 あの残酷を生き延びた者として。

 私はエリーゼに手を差し伸べていた。

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