第114話 再会
雨粒が弾ける石畳の遊歩道は、白く煙って見えた。
陰鬱な色彩に塗り込められた空の下、花壇も色褪せ街路樹も項垂れている。
人気の無い『特別区画』の中央広場を、黒い駆動車は大きく迂回してゆく。
目的地は広場に面して建てられた『グランギニョール円形闘技場』だ。
程無くして速度を落とし、駆動車は関係者用の通用門前で停まる。
運転手が傘を差し出しつつドアを開け、シャルルは車を降りる。
「行こう」
シャルルに促されてレオンも車を降り、傘を受け取ると歩き始める。
後に続くのは、儀礼用のベールで顔を隠したカトリーヌだ。
マントを羽織ったエリーゼは、その隣りを歩く。
通用門前に立つ雨に濡れた警備員に、シャルルは参加証を提示した。
「どうぞ、お通り下さい」
軽く頷き、警備員は後ろに下がる。
無言で通り過ぎるシャルルとレオンを、カトリーヌは足早に追い掛ける。
呼び止められる事も、見咎められる事も無かった。
以前、負傷したレオンの元へ義肢を届けようと訪れた際には、呼び止められた。
南方大陸出身である事を理由に、身分証の提示を求められたのだ。
シャルルに取り成して貰ったが『特別区画』内での自身の立場を痛感した。
苦い想いはある、でも今は余計なトラブルを招かぬ事が肝心だと考えている。
だからベールで顔を隠した、全ては後の事だ。
通用門を通り過ぎ、エーテル水銀式の黄色灯が連なる石造りの通路を歩く。
地下通路だが路幅は広く天井も高い、壁面上部に採光窓もある。
そのまま暫く進むと、控え室が並ぶ区画へと辿り着く。
本来なら参加準備に取り掛かるスタッフの声が、通路にまで漏れ聞こえて来るほど賑わっている区画だが、到着時刻が早かったせいか、人の気配は殆ど無く、静かなものだった。
等間隔で並ぶスチール製のドアを横目に、カトリーヌは歩き続ける。
『衆光会』に割り当てられた控え室はまだ遠いのだろう、シャルルとレオンの歩調に淀みは無い。
と、その時。
自分達とは別の足音が通路奥から響くのを、カトリーヌは聞いた。
歩む先に、地下通路と合流する階段が見える。
その階段から、黒衣を纏った集団が降りて来たのだ。
身に纏う黒衣は、修道服だった。
胸元で揺れているのは『グランマリー』のシンボル。
五名ほどの集団だった。
先頭を歩くのは、痩せた壮年の司祭だ。
眉間には深い皺、猛禽類の如き鋭い眼差しで、こちらの様子を伺っている。
その後ろには、直立した熊を思わせる巨躯の司祭が二名。
更に枯れ木の様に痩せ、度の強い眼鏡を掛けた老司祭と、同じく眼鏡を掛けた年若い司祭が続く。
そして最後尾を歩くのは、背の高いシスター。
そのシスターの姿に気づいた時。
カトリーヌは立ち止まっていた。
ウィンプルの下から見えるロングヘアは、ウェーブ掛かった腰まで届く漆黒。
冷たく研ぎ澄まされた、刃の如き端麗な美貌。
前髪の下から覗く双眸の鈍い輝きは、黒曜石を思わせた。
黒衣の司祭達は階段を降りると、こちらへ向かって歩いて来る。
シャルルとレオンは司祭達に道を譲るべく、通路の端に寄る。
痩躯の司祭と巨躯の司祭は共に、軽く目を伏せると謝意を示し、そのまま通り過ぎようとする。
その時。
「シスター・マグノリア……?」
微かに震えた声は、カトリーヌのものだった。
カトリーヌは口許に両手を添え、立ち尽くしていた。
そんなカトリーヌの隣りには、目を伏せたままのエリーゼが寄り添っている。
背の高いシスターは足を止め、振り向く。
そのままカトリーヌの傍まで、歩み寄る。
片膝を着くと、口を開いた。
「――カタリナか。久しぶりだな。元気にしていたか?」
低く掠れた声が、優しく響いた。
カトリーヌは自身の顔を覆うベールを取り外す。
シスター・マグノリアを見つめ、瞳を潤ませた。
「は、はい……本当に、シスター・マグノリアなんですね? お久しぶりです、ご無沙汰しておりました……」
「なるほど――『グランマリー』のシスターになったのだな。幼少の頃に決めた道を選んだか。修道服が似合っている……」
身を屈めたシスター・マグノリアはカトリーヌを見上げ、そっと微笑む。
カトリーヌは小さく、はい……と、答えた。
シャルルとレオンは口を噤んだまま、事の成り行きを見守っている。
声を掛けるべきか――そう考えている。
司祭達も黙したまま立ち止まり、どうという行動も取ろうとしない。
視線が集まる中、シスター・マグノリアは首を巡らせ、エリーゼを見遣る。
掠れた声で、囁く様に言った。
「貴様も久しいな、『エリス』。マルブランシュ氏の傷が癒えた様で何よりだ」
「その節はお世話になりました、シスター・マグノリア。ただ――私の名前は『エリーゼ』にございます」
眼を伏せたまま、エリーゼは静かな口調でそう答えた。
不意に、シャルルが小さく声を上げた。
「そうか、『枢機機関院』のオートマータ……『コッペリア・マグノリア』だ」
「え……?」
『喜捨投機会館』に掲示されていたポスターの写真を思い出したのだ。
シャルルの呟きに、カトリーヌは当惑する。
しかし、エリーゼが短く否定した。
「それは違います」
「……エリーゼ?」
戸惑いつつ視線を送るカトリーヌ。
エリーゼは顔を上げた。
目前のシスター・マグノリアを見据え、口を開く。
「彼女は先の仕合に於いて、負傷したご主人様に、止血と鎮痛の措置を施して下さった『マリー直轄部会』所属の『シスター・マグノリア』でございます。そして……幼い頃のシスター・カトリーヌと、親しい間柄にあった筈。シスター・カトリーヌのベッド脇――クローゼットに置かれた写真立て。そこで何度も、お顔を拝見致しておりました」
「――なるほどな」
シスター・マグノリアは、得心した様に呟く。
口許に浮かぶ穏やかな微笑みは、いつの間にか消えている。
代わりに冷徹な眼差しで、エリーゼを凝視していた。
「あの時、あの場で私の提案を受け、何ら確証が無いにも関わらず、即断した理由はそれか。闘技場にて貴様が見せた手並み……手練手管に、些かそぐわぬ判断かと思ったが――そういう事か『エリス』……」
「シスター・マグノリア……?」
カトリーヌの大きな瞳が、不安に揺れる。
シスター・マグノリアは、カトリーヌの視線に気づき、その目を見つめる。
おもむろに顔を伏せると目蓋を閉じる。
静かに息を吐きながら告げた。
「事に於いて――」
錆びた声が、カトリーヌの耳朶を打つ。
「――事に於いて胸を張れる、そう信じて、この道を歩んで来たのだな、カタリナ。いや……シスター・カトリーヌ」
再び目蓋が開かれ、黒い瞳がカトリーヌを見上げた。
そこに冷徹な色は無く、しかし強い光が宿っていた。
シスター・マグノリアは、ゆっくりと身体を起こす。
「私もそうだ。私も『グランマリー』の司祭として、己が裡に在る尺度を信じ、ここまで来た。何があっても、それが揺らぐ事は無い。解るだろう、シスター・カトリーヌ」
そのまま立ち上がり、エリーゼを見下ろした。
「良いか? 『エリス』――私は道を違え無い。私は進むべき先に正道を見据えている。何がどうであろうとも、私は正義正道を貫くべく、貴様を討ち果たす」
「――承知致しております」
シスター・マグノリアを見上げ、エリーゼは答える。
凍てつく沈黙が、周囲に立ち込めた。
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