第109話 提案

 トーナメントの予選が終了し、既に四日が経過していた。

 本戦開催までの日数は、残り九日。

 その九日間をレオンは、エリーゼとの演習に費やすつもりでいた。

 義肢に内蔵された『知覚共鳴処理回路』の調整と、知覚共有時に発生する身体的負荷の耐性を、可能な限り上げる為だ。

 レオンとカトリーヌ、エリーゼの三人は、『ヤドリギ園』園長の許可を得て、当分の間、シャルルの邸宅に滞在する事を決めていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 シャルル邸の中庭を借り、レオンは演習と実験を繰り返す。

 しかしエリーゼの行う演武にレオンは、五分と耐える事が出来ない。

 『ドライツェン・エイワズ』を制御するエリーゼの『神経網』に掛かる負荷が、『知覚共鳴処理回路』を内蔵した義肢を介し、疼痛を伴う強烈な不快感となって、レオンの神経を蝕むのだ。

 簡単に克服出来るものでは無い。

 ただ『小型差分解析機』を用いた、カトリーヌによる緩和措置は有効に作用しており、高熱や嘔吐、意識の混濁、義肢の不具合といった明確な症状は、徐々に緩和されつつあった。


 とはいえ今のままでは、仕合に導入出来るとは思えない。

 エリーゼが演武を行うだけで、レオンは半ば動けなくなるのだ。

 仕合となれば、疲労と負傷が重なる筈だ。


「あと九日ある……シスター・カトリーヌの調整で、義肢に掛かる負担も、身体に掛かる負担も、大幅に軽減されている……後は僕が、この状態に慣れて、耐える事が出来れば……」


 午前中の演習を終えて中庭のベンチに腰を降ろしたレオンは、憔悴していた。

 既に『知覚共鳴処理回路』は解除されているが、状態は芳しく無い。

 背中を丸めて俯く顔色は青褪めており、掠れた声で低く呟く。 


 レオンの隣りではカトリーヌが真剣な面持ちで、膝の上に乗せた『小型差分解析機』を操作している。

 解析機側面部からは、何本もの接続ケーブルが伸びており、それらのケーブルは全て、レオンの右義肢と繋がっていた。カトリーヌは義肢を通じてレオンの神経に干渉、ダメージの沈静化と恢復に務めているのだった。


 ベンチの脇に立つシャルルは、険しい表情で二人を見下ろしている。

 時折、何か告げようと口を開き掛けるが何も言えず、再び口を噤む。

 無茶だ、止めた方が良い――そう言えずにいるのだ。

 止めたとしてどうするのか。他に方法があるのか。

 代案が無い以上、止める事など出来ず、この無茶な方法を認めざるを得ない。

 シャルルは中庭へ視線を送る。

 そこではエリーゼが、未だ黙々と演武を続けていた。


 タイトな白いドレスに包まれた小さな身体が、陽光に照らされている。

 芝生の上に逆立つ長剣の柄頭を揃えた爪先で捉え、真っ直ぐに起立している。

 恐ろしいほどに研ぎ澄まされた、信じがたいバランス感覚だ。

 更に両の腕を優雅に躍らせ広げては、羽ばたく様にうねらせる。

 その動きは、ある種の舞踊を思わせた。


 エリーゼの周囲には半透明の煌めく球体が四つ、音も無く浮遊している。

 ただ浮遊しているのでは無い、乱舞と静止を繰り返している。

 直径一〇センチほどの煌めく球体だ。

 それらは全て、空中にて高速旋回するスローイング・ダガーだ。

 エリーゼの背に装着された特殊武装『ドライツェン・エイワズ』――そこに設けられた八本の小型金属アームより紡ぎ出されるフック付きワイヤーを介し、腕と指先の動きにて、スローイング・ダガーを操作しているのだ。

 乱舞する球体の有様は、あたかも意思持つ鬼火か、小妖精の飛翔を思わせた。

 

 シャルルはエリーゼの演武から、視線を逸らす。

 胸の裡を苦いモノが伝う。

 眼前で憔悴しているレオンの姿と、エリーゼの演武を重ねて見てしまう為だ。

 エリーゼに悪意など、ある筈が無い。

 実際に命を賭して仕合い、傷を負い、血を流しているのはエリーゼだ。

 非難する事など出来ない。

 にも拘らず、黙々と演武を続けるエリーゼの姿に感情がざわめく。

 この感情のざわめきこそ、己が未熟を示すものではないかと思う。

 自身の不甲斐無さに、恥じ入るばかりだった。



「旦那様、電信が届いております――」


 その時、老齢のハウスメイドが、シャルルに声を掛けた。

 屋敷の戸口から静かに歩み寄ると、手にした電信用出力紙を差し出す。

 用紙を受け取ったシャルルは内容に目を通すと、レオンに声を掛けた。


「……レオン。『シュミット商会』のヨハンから電信があった。提案したい事があるので、話し合いの場を設けて欲しいとの事だ」


「ヨハンが?」


 ベンチに座ったまま、レオンは顔を上げる。

 シャルルは頷く。


「ああ――仕合が近いだろうから、出向いても良いと書いてある、どうする?」


「……解った、応じよう。日時の都合は合わせると返答してくれ」


 レオンはそう答えると、傍らで『小型差分解析機』の操作を続けるカトリーヌに声を掛けた。もう大丈夫だ、ありがとう――カトリーヌは微笑みで応じ、レオンの義肢に繋がるケーブルのコネクタを、ひとつずつソケットから取り外した。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 その日の午後、シャルルの邸宅にヨハンが訪れる。

 応接室にて対応するのは、レオンとシャルルの二人だ。

 大きなマホガニーのテーブルを挟み、ヨハンと向かい合っている。


「本日は突然の申し出にも関わらず、快く面会に応じて頂き、感謝する」


 濃紺のラウンジスーツを纏ったヨハンは、良く通る声でそう切り出した。

 シャルルは軽く頷き、鷹揚に対応する。


「いえ、お気になさらず。それと――」


 そこで言葉を切り、シャルルはヨハンの背後へと視線を送る。


「――後ろのお嬢さん……ドロテアさんでしたか、どうかお座り下さい。控えているのも疲れるでしょう」


 視線の向かう先――応接室の壁際に、黒いワンピースドレスを纏った娘が、静かに佇んでいた。

 短くカットされたライトブラウンの艶やかな頭髪に、端正な顔立ち。

 ただし、その目許は黒い布で覆われている。

 シャルルの言葉にヨハンは頷き、背後の娘へ肩越しに告げた。


「――ドロテア、こちらに来て、隣りに座りなさい」


 以前『シュミット商会』本部施設にて出会った事のある娘――『オートマータ』のドロテアは、嬉しそうに微笑むとシャルルに頭を下げる。

 そのままヨハンの隣りに、腰を下ろした。

 同じタイミングで応接室のドアがノックされる。

 姿を見せたのは、給仕ワゴンを押す老ハウスメイドだった。

 四人の前にティーカップが並んだところで、シャルルは質問する。


「ところで今日は、どういった御用向きでお見えになったのでしょう?」


 ヨハンは応じた。


「レオン君が開発した『知覚共鳴処理回路』についてだ。以前、僕が義肢への取り付け施術を請け負った際にも、問題点を指摘したと思う。今日はその問題の対応策を提案したいと、訪ねたんだ」


 レオンは思い出す。

 確かに以前、『知覚共鳴処理回路』の取り付け施術を行った際、ヨハンに指摘された。

 オートマータの『神経網』に掛かる負荷を、自身の脳と神経で肩代わりする『知覚共鳴処理回路』――このシステムを実行したなら、エリーゼの『神経網』はある程度保護されるだろうが、その反動でレオンの身体に、どれほどの負荷が掛かるのか想像もつかない……その様に懸念を示していた。

 そんなヨハンの懸念は、まさに的中していた。

 レオンは質問する。


「対応策の提案とは……どういった内容でしょうか?」


「彼女――ドロテアを試して欲しい。『知覚共鳴処理回路』使用時に発生する負荷を、軽減出来る筈だ。以前『グレナディ』の視覚情報を制御し、処理していた。その能力を応用する事で、エリーゼ君の神経網から発生する体感情報も、適切に変換制御出来る様、調整してある」


 ヨハンは傍らに座るドロテアへ視線を送った。

 ティーカップに口をつけていたドロテアは、名を呼ばれて顔を上げる。

 同時に口許を綻ばせると、童女の様な笑みを浮かべた。

 ヨハンは言葉を続ける。


「僕は君に大きな借りがある、エリーゼ君にもな。どうだろう、良ければ力になりたい。現在の状況について、聞かせてくれないか――」

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