第106話 遺跡

 今を遡る事、五〇年前――神歴一八四〇年。

 エルザンヌ共和国北方の山岳地帯にて『エリンディア遺跡』は発見された。

 『エリンディア遺跡』とは、複数の文献に存在が示唆されながらも、今まで発見に至らなかった古代遺跡のひとつであり、現在の『錬成科学』以前に研鑽された技術――『錬金術』の大規模な実験工房であると、そう伝えられていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 『錬金術』とは、いわゆる『卑金属』を『金』へと置換する技術では無い。

 『不完全』を『完全』へと進化させる技術である――そう定義されていた。


 『不完全』さ故に劣化する、この世の全ての現象事象。

 これらを恒久無限の絶対安定状態――『完全』へと導く。

 古の錬金術師達は、その為に研鑽を重ねていた。

 同時に彼らは『錬金術』という究極技法の悪用を恐れ、遍く民へ広く周知する様な真似は決して行わず、信頼の於ける弟子に対してのみ『口伝』という形式で、その秘術を伝授していたのだった。


 しかし時は流れ、『錬金術』の存在が市井の徒に知られ始める。

 今から一九〇〇年ほど前、困窮した南方小国での話だ。

 『錬金術』の真髄を極めた一人の女性錬金術師が、その秘術を以て、病や飢餓に苦しむ人々を救うべく、過去の因習を捨てて歴史の表舞台に姿を現し、活動を開始した為だった。

 その女性錬金術師の名は『マリー』であり、『マリー』が行使する『錬金』の技は奇跡と呼ばれ、多くの人々に救いを与えた。


 小国を治める王は、『マリー』の評判を聞きつけ、接見を求める。

 そして『錬金術』の真実性を見定めると即座に『マリー』の庇護を決定した。

 領土領民の為、自国繁栄の為、『マリー』の地位と身分を約束したのだ。

 また、自身が抱える研究者達へ知恵を授ける様、懇願したりもした。

 王は『錬金術』に、世界の変革と躍進の夢を見たのだ。

 やがて『マリー』は、国王と並ぶほど賞賛された。

 

 ――が、『錬金術』と『マリー』は、いつしか他国の権力者達から警戒される様になる。

 急激な発展を遂げた南方小国を見過ごしては、自国の存亡に拘わる――その様に考えたのだろう。

 また近隣の国々では、南方国の『マリー』に対抗すべく、自国でも錬金の秘術を手にする事は出来ないかと模索し始めた。

 つまり、隠遁している錬金術師達を探し出そうという活動が行われたのだ。

 その活動を恐れた錬金術師達は、隠れ家を捨てて祖国を逃れ、国境を跨いでの逃亡を試みるようになる。

 だが、追跡の手は緩む事無く苛烈を極め、その攻撃的な追跡劇は、国境付近の治安を悪化させ、次第に国家間の関係をも険悪化させてゆく。

 程無くして『錬金術』と『錬金術師』を巡り、複数の国々が衝突を開始。

 戦火は瞬く間に広がり、そのまま大規模戦争へと突入したのだった。


 戦乱の時代は長期に及び、多くの国が隆盛と衰退を繰り返した。

 戦火に巻き込まれた南方小国は滅び、錬金術師『マリー』も姿を消す。

 しかし『マリー』の後を継ぎ、知恵を授かった錬金術師達は、それぞれが奇跡の担い手として、多くの民に必要とされ続けた。


 血生臭い動乱の中で『錬金術師』は、万能の医師として扱われる事もあった。

 或いは凶悪な威力を秘めたる、戦争の道具として扱われる事もあった。

 その一方で危険思想の集団として、忌避される事もあった。

 排外的な国が勢力を強めた時、『錬金術師』達を弾圧の対象に指定した。

 度重なる排斥と粛清を経て『錬金術』の衰退と消滅が危ぶまれた。

 それでも錬金術師達は『マリー』の教え通り、歴史の影で苦しむ民を救い続けた。


 やがて人々は『錬金術師』と『錬金術』を讃え、崇める様になり、同時に古の女性錬金術師『マリー』は開祖として、或いは預言者として神格化され、『グランマリー』と呼ばれる様になる。


 大きな変革を経て時代がうねり、ようやく戦乱が治まった時。

 一つの巨大な国家が、世界の覇権を握っていた。

 それが『ガラリア帝国』だった。


 国力と政治力を以て周辺諸国を次々と併合した『ガラリア帝国』は、『錬金術』の有用性と『グランマリー』に対する世論の圧倒的な支持を鑑み、庇護した錬金術師達の身分を保障すると同時に、『錬金術』にて世を救った『グランマリー』の思想を国教に認定、更には自国を『神聖帝国ガラリア』と呼称した。


 その後『神聖帝国ガラリア』は、一〇〇年に及ぶ平和な時代――『喜ばしき凪の時代(カルム・エポック)』を樹立、一時は衰退も危ぶまれた『錬金術』の再興に取り組む。

 その過程で『神聖帝国ガラリア』の研究者達は、『口伝』によってのみ引き継がれて来た難解な『錬金術』の教義を適切に体系化、学術としての『錬成科学』へと昇華した。

 これにより『錬金術』の秘奥は次々と紐解かれ、多くの『錬成技師』を生み出すに至る。

 その一方で、弾圧と排斥を受けて失われた『神学』に関する過去の記録は、長期に渡る研究と解析を経てなお、完全な形での体系化には至らず、地道な実地調査が続く分野となっていった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 故に。

 『エリンディア遺跡』の発見は、ガラリア・イーサの『錬成機関院』で活動する錬成技師達に、大いなる希望を与えた。

 ここへ大規模な調査団を派遣出来たなら、『錬成科学』及び『神学』の分野は飛躍的に発展するだろう――皆がその様に期待した。


 しかし『エリンディア遺跡』へ調査団を送る計画の実現は、難航する。

 遺跡が発見された『エルザンヌ共和国』は、『神聖帝国ガラリア』とは対立関係にある『ウェルバーグ公国』の同盟国であり、国交が無い為だ。

 とはいえ、それを理由に遺跡調査の機会を見逃す事など出来ない。

 『ガラリア帝国議会』と『錬成機関院』は、遺跡発見の事実を一般に公表せず、まずは他国の外交ルートを通じ、『エルザンヌ共和国』への打診を繰り返す事で、正式に調査を行う術を探った。


 だが『錬成機関院』に籍を置く若い錬成技師たちは、この対応に業を煮やしていた。未知の遺物発見が期待される『エリンディア遺跡』を前に何故、手をこまねいているのか。ここで時間を掛けたなら『ウェルバーグ公国』に全ての成果を独占されるでは無いか。

 否、むしろ『エリンディア遺跡』にて未知の成果物が得られるならば、『ウェルバーグ公国』と成果を分け合う形になっても良いではないか。

 『錬成技師』にとって、錬成の深淵に挑む事より大切な事など無い筈だ。


 やがて『錬成機関院』に属する錬成技師の中でも、特に急進的な者達が秘密裏に有志を募り、『ガラリア帝国議会』と『錬成機関院』に許可を取る事無く、『エリンディア遺跡』の発掘調査に乗り出してしまう。

 その非公式な調査団の一員として、特に実行力を発揮していたのが、マルセル・ランゲ・マルブランシュの父親――『ファブリス・ランゲ・マルブランシュ』だった。

 彼は国交が無い筈の『エルザンヌ共和国』と、独自ルートで連絡を取り、遺跡発掘に『エルザンヌ共和国』側の調査隊が参加する事を受け入れ、入国許可を獲得、発掘チームの活動に尽力したのだった。


 『ガラリア帝国議会』と『錬成機関院』の制止を他所に『エリンディア遺跡』の発掘調査は進められ、やがて過去の調査では得られる事の無かった画期的な遺物が、複数発見されるに至る。

 一つは、オートマータを錬成する上で重要な『魂の憑代』――高等練成技術の結晶である『エメロード・タブレット』の原型にあたる代物だった。


 煌めき重なる翠玉切片には、古代数字がびっしりと刻み込まれていた。

 錬成概念を示す数式は精緻かつ複雑で、未だ解析に至らぬ文字列も含まれ、その規模の大きさから、現行のタブレットを遥かに凌ぐと期待された。

 発見された太古のタブレット群は、過去の記録に倣い『タブラ・スマラグディナ』と呼称され、遺跡内の仮設研究施設にて厳重に管理される事となった。


 更に遺跡の調査は進められ、程無くしてまた新たな遺物が発掘される。

 『タブラ・スマラグディナ』に次いで発見されたのは、身長が二メートル五〇センチを超える、巨大なオートマータだった。

 差分解析機関はおろか、精密な錬成機器も無かったであろう時代に、どの様な技法でこれほどのオートマータが錬成されたのか、全くの謎であったが、とにかくこれも、世紀の大発見と呼ぶに相応しい代物だった。

 金属を基に受肉置換された女型が、石像の様に硬質化した状態で目蓋を閉じ、石棺の中に横たわっていたという。


 調査団に参加した技師達、研究者達は、想像を超える成果に歓喜し、引き続き遺跡調査を行いつつ、遺物の検分にも力を注ぐ方向で一致する。

 仮設研究施設は活況を呈し、更なる成果を得るべく、皆一丸となって発掘に調査、検分と検証を繰り返した。


 ガラリアの錬成技師達は『ガラリア帝国議会』と『錬成機関院』の許可を得ず発掘調査を行っている為、いずれはその責を問われる事になると感じていた。

 が、その罪を贖って余りある程の発見を手土産に、帰国する事が出来たなら、或いは『錬成化学』発展の功労者として、受け入れられるのでは無いか。

 皆、その様な思いを抱えつつ、発掘現場での活動を続けていた。


 しかしある日、一人の錬成技師が、取り返しのつかない事件を引き起こす。

 その技師は、遺跡内で発見された『タブラ・スマラグディナ』と、石棺で眠る巨大オートマータに組み込まれた『タブラ・スマラグディナ』が、全く同一である事を看破、ここまでの検証結果を流用し、独断でオートマータの起動実験を行ってしまったのだ。


 この実験により、石棺内の巨大オートマータは覚醒する。

 直後、制御不能に陥り暴走。

 遺跡内で活動する調査団員に襲い掛かり、次々と殺傷。

 更には遺跡自体をも破壊し尽くし、己を含めた全てを灰燼へと帰さしめたのだった。


 結果、調査に参加していた技師と、研究者の多くが死亡。

 辛うじて生き残ったのは、数名の錬成技師と神学者のみ。

 彼らは残された幾つかの『タブラ・スマラグディナ』と、実験及び検証に関する資料を回収し、這々の体で帰国する事になる。


 甚大な人的被害を被った『エリンディア遺跡』非公式調査について、『ガラリア帝国議会』と『錬成機関院』は激怒していた。

 その怒りは、生きて帰国を果たした隊員の一人『ファブリス・ランゲ・マルブランシュ』にも向けられ、ファブリスは『錬成機関院』に於ける一切の活動を禁じられた上、数年に渡る禁固刑も言い渡される。

 更に『エリンディア遺跡』で得られた成果は『錬成機関院』内部のみで扱う極秘資料とし、公的には一切発表しない事も決定。

 これにより『ガラリア神聖帝国』は『ウェルバーグ公国』及び『エルザンヌ共和国』に対し、遺跡で発生した事故により、成果を得る事が出来なかったと正式に通達、入手した『タブラ・スマラグディナ』と、その資料及びデータの隠匿と独占を図ったのだった。

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