第96話 好奇

 小さな身体を包む、漆黒のワンピースドレス。

 両手に携えているのは二振りの短剣――抜き身のグラディウス。

 円形闘技場中央、『コッペリア・ベルベット』は俯き、立ち尽くしていた。

 肩口から垂れる御下げ髪と黒縁眼鏡のせいで、表情はハッキリと伺えない。

 僅かばかり垣間見える口許に、仄かな笑みが浮かんでいる様に思える。

 今から仕合える事に喜びを感じているのか。

 或いは、全く違う何かを感じているのか。

 演壇に立つ男が叫ぶ、戦乙女『コッペリア・ベルベット』――その魂は、憎悪と怨嗟の精霊『レギオン』であると。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 観覧席最上段に設けられた、バルコニー席。

 ビロード張りの欄干に肘を乗せ、レオンは闘技場を見下ろしている。

 その眼差しは厳しく、微かに眉が顰められていた。

 傍らに座るシャルルは、その理由を理解してる。

 『コッペリア・ベルベット』――かつて懇意にしていた、ベネックス所長が錬成したオートマータだった。


 ベネックス所長とは、シャルルも過去に何度か顔を合わせた事がある。

 薬科学に精通し、錬成科学にも造詣が深く、気さくで飾らぬ性格の女性だった。

 レオンとは旧知の仲であり、良き理解者であるとシャルルは認識していた。

 そんな人物にレオンは、裏切られていたのだ。

 レオンの父親――マルセル氏と通じ、レオンを『グランギニョール』へ参加させるべく行動していた、それまでの関わり全てが嘘偽りであったと、そう告げられたのだと言う。

 掛けるべき言葉が見つからなかった。


 シャルルは黙したまま、レオンと同じく闘技場を見下ろす。

 エリーゼが行う仕合に際し、有益な情報を獲得する。

 今、シャルルに出来る事は、それくらいしか無かった。 


 ◆ ◇ ◆ ◇


 程無くして、東側の入場門より『コッペリア・クロエ』が姿を現す。

 すり鉢状に延々と連なる観覧席から、居並ぶ貴族達の大歓声が降り注ぐ。

 『コッペリア・クロエ』は、細身かつ流麗なコッペリアだった。


 すっきりとした目鼻立ちに、ブロンドのセミロングヘアが良く似合う。

 身に纏うショートドレスは水色で、身体にフィットするタイトな作りだ。

 ウェストからアンダーバストまでをカバーしているのは、黒いコルセット。

 防刃処理が施されているのだろう、微かに光沢を帯びていた。

 コルセットの背中には、刀剣ホルダーが取り付けられている。

 そこに納まる武器は『スティレット』と同種の刺突剣、長さにして五〇センチほどの『ミゼリコルド』だ。

 そして両手には、厚手の白い革手袋が嵌められていた。


 一際目を惹くのは、右手に携えられた特殊武装――投網用のネットだ。

 もちろん実際に漁で使用する投網を、そのまま使用しているのでは無い。

 殺傷力の高い『武器』として改良された戦闘用の代物だ。

 ネットは刃物で切断可能な縄や綱では無く、細い鎖で編まれている。

 ネットの縁に取り付けられた錘(おもり)には、刃の付いた鋭い鏢(ひょう)が用いられていた。


 演壇の男が改めて声を上げる、戦乙女『コッペリア・クロエ』――その魂は蠱惑と残酷の精霊『アスライ』である、その様に紹介が成された。


 管弦楽団の演奏に歌声、歓声と嬌声が響き渡る中、二人は対峙する。

 その距離、およそ六メートル。


「それでは、お互いに構えて!」


 演壇に立つ男が告げると、向き合うコッペリアは腰を落とす。

 手にした短剣の切っ先を下へ垂らし、ベルベットは膝に溜めを作る。

 対するクロエは姿勢を低く身構えると、ネットを保持する右腕を後方へ引く。

 観覧席の貴族達が、固唾を飲んで見守る中。


「始めぇ……っ!!」


 仕合開始を告げる絶叫が響いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 弾ける様にベルベットが石床を蹴り、疾駆する。

 ただし正面からの突撃では無い。

 クロエの左側へと回り込む様に、走り始めたのだ。

 漆黒のワンピースドレスが閃き、二房の御下げ髪が後方へ靡く。

 クロエが装備した、右の投網を警戒したか。


 対するクロエはベルベットの挙動に併せ、ゆるりと軸足をずらす。

 大きくは動かない、必要最小限の動きだ。

 投網は近距離から中距離までを広くカバー出来る、走り寄る必要など無い。

 腰を据えての迎撃――カウンターこそが最適解という事か。


 ベルベットはクロエを牽制する様に、左側へ、左側へと回り続ける。

 投網の射程外にて走る事で牽制しているのか。

 ただこれは、効果的な仕掛けとは思えない。

 クロエは悠然と待ち構え、その場で僅かに向きを変えるのみだ。

 投網を避けるべく、大きく弧を描くベルベットの軌道は、無駄が多過ぎる。

 いたずらに体力を消耗するばかりでは無いか、誰の目にもそう映った。


 しかしここでベルベットは、いきなり進行方向を変えた。

 身構えるクロエに対し、真正面から突撃したのだ。

 左側から回り込もうとしては、即対応される一連の流れに業を煮やしたか。

 ――が、この仕掛けは、あまりにも無策に過ぎる様に思えた。

 万全の態勢で迎撃を狙うクロエにしてみれば、これは格好の獲物だ。


 次の瞬間、ベルベットはクロエの射程圏内へと飛び込んでいた。

 間髪置かず、クロエの右手が閃く。


 風を裂く重い音が響き、鎖製のネットが放たれた。

 距離にして三メートルほど、完璧なタイミングでのカウンターだ。

 放射状にネットは広がり、突っ込んで来るベルベットに襲い掛かる。


 その狙いは足元。

 鎖で造られた巨大な扇が、ベルベットの足元を薙ぎ払う。

 石床の上に、無数の火花が飛び散る。

 ネットの縁に取りつけられた鋭い鏢(ひょう)が、床石を削ったのだ。

 

 たたらを踏んで立ち止まったベルベットは、そのまま後方へと飛び退る。

 同時に引き裂かれた黒いドレスの切れ端と、血飛沫が弾ける。

 直撃は避けたとはいえ、被弾していた。


 鋼鉄の鎖で作られたネットは非常に重く、束ねて振るえば鈍器となる。

 そしてネットの縁に取りつけられた鏢(ひょう)は、鋭い刃だ。

 クロエはベルベットとの間合いを適切に見切り、鏢(ひょう)を用いての斬撃を放ったのだ。


 距離を取ったベルベットは腰を落して身構え、クロエを見据えている。

 カウンターを取られた心理的動揺は、その表情からは読み取れない。

 睨みつける様な目つきではあるが、無表情だ。


 しかし斬撃を受けたスカートは引き裂かれ、裂け目から太腿が露出している。

 白いタイツに包まれた太腿には、幾筋もの紅い裂傷が刻み込まれている。

 傷口からジワジワと濃縮エーテルが染み出している。

 決して浅くは無いダメージであった。

 

 初手から突撃策を選択したベルベットは、機動力を活かした近接戦闘、ヒット・アンド・アウェイを得意とする筈だ。

 手にした武装もグラディウス、接近戦闘用の短剣である。

 そんなベルベットが脚を負傷する――それは窮地に陥った事を意味する。


 にも拘わらず相対するクロエは、余裕や緩みの色を一切見せない。

 観覧席に居並ぶ貴族達も、ベルベットの窮地に色めき立つ様子は無い。

 ベルベットが危機に陥っていると、未だ誰もが認識していないのだ。

 むしろ何事かを察してか、或いは期待してか、低いどよめきが広がり始めた。


 その理由は明白だった。

 ベルベットは過去に行った三試合全てで、逆転劇を演じた為だ。

 それも、ただの逆転劇では無い。

 圧倒的危機からの逆転勝利を収めていた。

 血に塗れた逆転劇、瀕死の縁から蘇っての逆転勝利。

 そんな驚異的な逆転劇を、貴族達は今回も期待しているのだ。


 或いは逆転に至らぬまま、悲惨に、凄惨に、敗北しても良し。

 その残酷な有様を望んでいる。

 勝って良し、負けて良し。貴族達はそう思っている。

 会場に満ちる異様な気配は、ベルベットに向けられた好奇の感情であった。

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