第79話 必要

 『一般居住区』を出発して一時間弱、二台の駆動車は目的地に到着する。

 グランギニョール円形闘技場の裏手に設けられた、専用の駐車スペースだ。

 目と鼻の先に、関係者用の通用門がある。

 

 車を降りたカトリーヌは、周囲の壮大な建造物群に圧倒される。

 街の景観全てが、白々と輝く美術品の様に思えた。

 右手に聳え建つのはグランマリー大聖堂、その奥には神聖教会館が見える。

 どちらも写真でしか見た事の無い、グランマリー教団の総本山だ。

 神々しくも洗練されたこれらの施設に、心動かされぬ訳は無い。

 しかし――レオンの容態を思えば、そんな高揚も色褪せる。


 何よりここは、レオンとエリーゼが共に傷つき、血を流した場所なのだ。

 浮ついた気持ちでいられる筈も無い。


 シャルルは、義肢が積載されたキャリーカートを駆動車から降ろす。

 カトリーヌは身を屈めると、金属ケースに問題が無いか確認する。

 そこへ後方の車から降りてきた『錬成機関院』の技師が近づき、声を掛ける。


「恐れ入りますダミアン卿、そしてシスター。義肢を納めたケースは、我々の方でお預かりします」


「……ああ、構わない。後は頼む」


 シャルルは短く答えると、カトリーヌに告げた。


「――『ヤドリギ園』を出発する前、彼らに状況を確認したんだが。マルブランシュ氏は施術を急ぐべく、既に準備を進めているそうだ。殺菌した治療室への立ち入り許可は、下りないだろうと言われた。だからレオンへの面会は、明日改めて行おう」


「あの……もし控室の様な場所があるなら……」


 施術に立ち会う事が出来無くとも、傍で待ちたいとカトリーヌは思う。

 しかしシャルルは軽く首を振った。


「いや、施術には時間が掛かる――シスター・ダニエマとの約束もある、シスター・カトリーヌに無理をさせる訳にはいかないよ。それに執刀を担当しているマルセル氏はレオンの父親だ。父親がいるなら、私たちが家族の代わりに待つ必要も無い……シスター・カトリーヌの気持ちは解る、でも無理をしても状況は改善しないからね」


「そう……ですね、解りました――」


 カトリーヌは頷き応じた。

 同時に改めて、自身の身勝手さと至らなさを恥じて悔やんだ。

 少し考えれば、気がつきそうな事だ。

 

 シャルルは暗い眼差しで俯くカトリーヌを、心配そうに見つめていたが、やがて傍らの技師にキャリーカートを預けつつ、質問した。


「施術にどれくらいの時間が掛かるか、解るかね?」

 

「恐らくですが――義肢用ライナーの接続に二時間、義肢の確認と調整、そして接続に四時間強……やはり明け方まで掛かる筈です。面会を希望するなら、明日の午後をお勧めします」


 技師は懐中時計を片手に、そう答えた。



 ◆ ◇ ◆ ◇


 広々とした室内には、フェノール希釈溶液の匂いが仄かに漂っていた。

 高い天井も滑らかな壁も、共に白い漆喰仕立て、床には塵一つ落ちて無い。

 鋳鉄パイプの配管も、各種錬成機器の配置も、全てに於いて無駄がなかった。

 ここは『シュミット商会』本部施設内に設けられた、ヨハンの工房だった。

 

「――傷口の縫合と、骨折箇所の整復を行った。ただし機能不全を起こした複数の臓器は未だ再錬成されていない、時間が掛かる。なので体内の濃縮エーテルは、濾過器経由で循環させている。音響麻酔で痛覚は麻痺していると思うが、身体に異常を感じたりはしないか?」


 灰色のスーツを着込んだヨハンは、暗い眼差しで伝声管越しに問い掛ける。

 視線の先には、強化ガラスと制御機器を組み合わせた巨大な水槽の如き、錬成用生成器が、低い音を立てて稼働していた。


「些かも。全く問題はございません」


 僅かにくぐもった――しかし涼やかな声が、ヨハンの問いに応じる。

 薄紅色の希釈エーテル製剤で満たされた、錬成用生成器の内側。

 白い素肌を晒したエリーゼが目蓋を閉じ、横たわっていた。

 口許には酸素吸入器、腕と足には輸液用のチューブが、それぞれ装着されている。

 そして、その小さな身体の至る所に、痛々しい縫合跡が刻まれていた。

 エリーゼの返答にヨハンは頷き、改めて口を開く。


「皮膚と筋肉、臓器、骨格に関しては、音響解析にて適切に把握出来る――二週間もすれば再錬成される筈だ。ただ……キミに使われている血管と神経網は、かなり特殊な物だ、それでも血管は、過去のデータを参照して再錬成可能だが……神経網は独自性が高過ぎて厳しい。仕合中に、強烈な過負荷が掛かっていたのだろう、損傷の度合いが激しい。キミの主であるレオン・マルブランシュ氏の記録を基にしなければ、正しく再錬成されない可能性がある。神経網の修復は応急処置に留め、後日改めて、レオン・マルブランシュ氏の措置を受けるか……僕が措置を行うにしても、彼からの情報提供を待ちたい」


「はい――応急処置と適切な対応、深く感謝致します」


 ヨハンの説明を受け、エリーゼは謝意を伝える。

 が、ヨハンは俯いたまま首を振ると、低い声で言う。


「いや、感謝の言葉は不要だ……僕の短慮と未熟さが事故を招いた。グレナディの暴走は全て僕の責任だ。キミの主人であるレオン・マルブランシュ氏にも、そしてキミに対しても、詫びるべき言葉が無い――僕は、僕が出来る限りの対応を取る事で、誠意を示したい」


「もとより私への謝罪は不要にございます、ヨハン・モルティエ様」


 希釈エーテル製剤に身体を沈めたエリーゼが、静かに告げた。


「死を賭し臨んだ仕合にございました。私は彼女に、己が全てを全て、曝け出しました。何もかも一切、全てにございます。故に……今はもう、何も想う事がございません」


 顔を上げたヨハンは、目蓋を閉じたエリーゼの白い美貌を見つめる。

 グレナディと死闘を繰り広げた娘の顔を、じっと見つめる。


 ヨハンは思う。 

 錬成技師として自分は、全力でグレナディをサポートしていた。

 最高のメンテナンスと、最高の環境を常に与えようと懸命だった。

 グレナディの望む、最高の状態を維持してやりたいと考えていた。

 錬成技師として可能な全ての事を、施してやりたいと思っていた。


 しかし、仕合う、戦う、その意味を、果たして理解していたのかどうか。


 グレナディは、ヨハンの為に戦うのだと、そう言っていた。

 子供達を授けて下さった恩に報いたい、そう言って笑った。


 グレナディは、死を賭して仕合い、刃を振るい続けた。

 一歩も退かず、微笑みさえ浮かべ、圧倒的に力を振るい続けた。


 エリーゼを前に、勝ち筋の見えぬ状況に陥ってなお、それは変わらなかった。

 肌を裂かれ、血に塗れ、手足が動かなくなり、全てを捨てる事になっても。

 子供達を失い、心の箍が外れ、取り返しのつかぬところへ踏み出し、それでもなお、前へと。

 その想いを僕は、本当に理解していたのか。


 一呼吸、二呼吸。

 エリーゼの言葉に、短く、そうか……と、応じた。

 

 そのまま、壁一面を覆い尽くす程に巨大な解析機――スチーム・アナライザー・ローカスへと近づく。白い蒸気を仄かに漂わせつつ稼働する解析機は、生成器に沈むエリーゼの身体状況を、専用用紙上にタイプアウトしていた。

 ヨハンは用紙を手に取ると、そこに記述された数値へ目を通す。


「……この度の治療にあたって、キミの身体を音響測定させて貰った。仕合前、想像していた通りキミは――エメロード・タブレットと人工脳髄、それに神経網を除けば、かつて僕がメンテナンスを請け負っていた『アーデルツ』と、寸分違わぬ身体構造を有している。だからこそ、肌に筋肉、骨、臓器、血管の再錬成は、比較的容易だと判断した」


「左様でございますか」


 ヨハンは顔を上げると、エリーゼの方を振り向く。

 薄紅色に沈む、華奢で小さな身体を見遣る。


「ただ――キミにグレナディが敗北した事実を踏まえてなお、伝えておきたい事がある。キミの身体は良く出来ている、が……本来、戦闘に耐えられる様に造られてはいない。身体構造を単純に数値化したなら、キミが、グレナディやナヴゥルに勝てたのは、奇跡に等しい。逆に言えば、その筋力と耐久力、瞬発力で、これから先も勝ち続けるなんて事は……とても無理だ」


 言いながらヨハンは、傍らの作業台に置かれたファイルを手に取る。

 そこには『アーデルツ』に関する詳細な情報が、記載されていた。


「悪い事は言わない、仕合を続けるなら『強化外殻』を使用すべきだ。かつて『アーデルツ』にもそう伝えた。でなければこの先、とても戦えない。ましてや、痛覚神経を活かしたままの状態で仕合うだなんて、無謀過ぎる。何か考えがあるのかも知れないが……それでも『強化外殻』の使用を勧める。今の特殊武装にこだわりがあるなら、コネクタの増設を提案する……多少は制御が難しくなるかも知れないが、それでも命には代えられないだろう」


 エリーゼの表情は変わらない。

 ガラスケースの内側、身動ぎひとつする事無く答えた。


「お心遣い、感謝致します。ですが――『強化外殻』は不要にございます」


「……いや、解せない。身体能力の向上と防御力の強化が、不利益になるとは思えない。痛覚を有したまま、筋力と瞬発力の弱点を抱えて仕合う事に、どんなメリットがある? キミの神経網は焼けついているも同然の状態だった。確かに強化外殻を装備する事で、特殊武装の攻撃力が多少低下する可能性はある、でも防御力の向上と身体的強化は、デメリットを補って余りあるメリットの筈だ。僕としても、キミが敗北するところは見たく無い……」


 ヨハンは手にしたファイルを確認し、首を振る。

 そこには、戦闘用オートマータとは言い難い数値が並んでいた。

 ――僅かな沈黙を経て、エリーゼは呟く様に言った。


「……必要なのです」


 酸素吸入器と伝声管を隔てたエリーゼの声が、響く。

 怪訝そうにヨハンは尋ねる。


「……必要?」


「苦痛も危機も。恐怖も焦燥も。動揺も不足も。必要なのです」


 希釈された薄紅色のエーテル製剤の中、目蓋が微かに開いた。

 紅い瞳が、ヨハンを映した。


「全てを賭して、全てに応ず。視るのでは無く、聴くのでは無く――」


 なんだ……と、ヨハンは思う。

 煌めく紅い瞳。

 この瞳の煌めき。

 この煌きを、過去にも何処かで見た事がある。


「その際に在り続ける事で掴める、手繰る事の出来る、その刹那の為に……」


 紅く揺らめき、光を放つ瞳。

 妖艶にして深遠。

 凄絶にして静謐。

 ――思い出した。


「……必要なのです」


 煌々と燃え盛る、紅蓮の焔に包まれたヨハンの屋敷。

 その有様を見据えて、兄の名を絶叫する母の姿。

 地獄の如き業火を睨みつけて、叫び続ける母の瞳。

 その瞳の煌めきと、同種の物だった。

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