第80話 糸口

 清潔に保たれた室内は、エーテル式白色灯の明かりで照らされていた。

 水色の検診服を纏ったレオンは、施術台に横たわったまま動かない。

 全身麻酔の効果が、正常に作用している。

 口と鼻を覆うのはガラス製の酸素吸入器であり、左腕と左脚からは輸液処置が施されていた。


 施術台の周囲には、灰色の施術着を纏った複数の錬成技師達がいる。

 皆それぞれに、与えられた役割を的確にこなしている。

 そんな技師達の中心で、メスを振るっているのがレオンの父・マルセルだ。

 可変式の拡大レンズを目許にセットし、瞳を輝かせながら施術を行っている。

 カトリーヌが届けた特殊義肢、人造右腕の接続施術を行っているのだった。


 レオンの右上腕には、既に金属製のライナーが取り付けられている。

 いわば義肢を取り付ける為の、土台となる部位だ。

 そこへ、検査を終えた特殊義肢を接続しようとしている。

 神経を繋ぐ事で自在に可動が可能、触覚、温冷覚すらも存在する義肢だ。

 レオンが独自開発した、革新的な神経網を用いた義肢だった。


 しかしながら、施術難易度は高い。

 ましてや錬成技師であるレオンの右手機能を、完璧に回復させるとなると。

 それでもマルセルの動きに、迷いや澱みは無い。

 むしろ嬉々として施術を行っている様に見える。

 周囲にて施術をサポートする錬成技師達は、その神業に息を飲む。

 模型を組む様に、パズルを解く様に、融通自在に施術を続ける。

 既に施術開始から数時間が経過しているが、些かの疲れも見せない。

 それはまさに『アデプト(達士)』と呼ぶに相応しい業前であった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 レオンは夢を見ていた。

 不思議な夢だった。

 まず、自分が夢を見ていると、自覚出来る事が不思議だった。

 そして、全身麻酔の効果時間内に、夢を見ている事も不思議だった。

 これら二つの事柄に驚きつつ、レオンは自身の工房にて作業を行っていた。

 

 眼前では、スチーム・アナライザー・ローカスが蒸気を漂わせている。

 その傍らには、巨大な水槽の如き錬成用生成器が設置されている。

 生成器の内側には、希釈した薄紅色のエーテル製剤が満ちていた。

 そんなエーテル製剤の底へ沈み、傷を癒しているのはエリーゼだ。

 白い裸身の至る所に傷を負っている。専用の縫合糸によって塞がれた傷だ。

 致命傷は避けているものの、どの傷も決して浅くは無い。


 エリーゼの身体には、痛覚抑制措置が施されていない。

 負傷すれば痛みを感じる。

 これほどの傷を全身に負えば、身を捻るだけで激痛が走るだろう。

 しかも筋肉組織を限界まで酷使して、戦闘を行っている。

 負傷に加えて身体的負荷、それでもエリーゼは苦痛の色を一切見せない。 


 それでも確実に痛覚は存在する。

 ナヴゥル戦後のメンテナンスで判明した、神経網への甚大なダメージ。

 過負荷が掛かっていた証拠だ。

 痛みに耐える事が出来たとしても、このダメージは確実に肉体を蝕む。

 精神力とは無関係に、致命的な行動の遅延を招く可能性が高い。


 眼前の生成器に沈むエリーゼは、ナヴゥル戦直後の記憶だろうか。

 夢であると自覚してはいても、早く施術をせねばと思ってしまう。

 しかし、このまま負傷個所を再錬成するだけでは駄目だと思う。

 エリーゼの負担を軽減する為に、何か手を打つ必要があると感じる。


 強化外殻の装備は……まず拒否されるだろう。

 特殊武装『ドライツェン・エイワズ』の使用に支障が出る為だ。

 恐らくエリーゼは『ドライツェン・エイワズ』の使用を望んでいる。

 それはエリーゼの前世――魂の形状と、関係があるのかも知れない。

 『ドライツェン・エイワズ』を敢えて選択する理由は、そこだろう。

 エリーゼは、あの繊細かつ複雑怪奇な武装を、必要とする精霊なのだ。

 

 ならば内部構造を調整すべきか。

 シャルルの話では三か月後に、序列上位のコッペリアによるトーナメント戦が開催されるという。『ヤドリギ園』の負債を返済する為には、このトーナメントへの参加は必須だ。


 義肢のリハビリに三週間ほど掛かるとして、エリーゼの調整に掛けられる時間は、およそ二ヶ月。

 二ヶ月の間に、エリーゼの負担軽減に繋がる措置を施す。

 とはいえ、簡単な事では無い。

 何をどうすべきか――その着想すら、未だ見えていない状況だ。

 恐らくこの夢は、その事を気に病んでの事だろう。


 エリーゼの小さな白い身体に作られた、無数の裂傷。

 夢の中故に曖昧なのか、先ほどよりも傷が増えている様に感じる。

 或いはグレナディとの仕合を経て、この様なイメージが喚起されたのか。

 ナヴゥル戦を上回る出血量に、更なるダメージの深さを見た為か。


 グレナディとの仕合――勝利したとはいえ、完全に紙一重だった。 

 美しいドレスを身に纏い、長刀と朱色の鉄鞘を両手に携えたコッペリア。

 神速の攻撃と回避、圧倒的反応、疾風怒涛にして鉄壁。

 攻防一致の極みだった。

 

 そして、円形闘技場の外周に等間隔で並んだ、白いドレスを着た娘たち。

 彼女たちが一斉に血涙を流し、頽れた事で、エリーゼは勝ちを拾った。

 

 恐らく、彼女たちこそが『グレナディの眼』だ。

 確か八人いた筈だ。

 八人で闘技場の周囲を取り囲み、全方向からアリーナ内側の光景を見つめる。

 これによりグレナディは、全方位の視覚情報を獲得していたのだろう。

 どの様な視覚認識であったのかは解らない。

 が、いずれにせよグレナディと娘達は、視覚を共有していたという事だ。

 視覚を共有する事で娘達は、グレナディをサポートしていた。

 ――驚愕の技術であり、信じ難い事例だ。


 しかしヨハンの研究分野を考慮するなら、朧気ではあるが、理解出来る。

 かつて精度の低さ故に普及しなかった電信技術に『簡易エメロード・タブレット』を採用、『疑似生命』による『精神交換』を以て、正確な双方向性を実現させたという、この研究成果だ。 

 有り得ぬ発想に天才性を感じる、まさに異端にして異形の才だ。

 その成果を更に発展させた物が『グレナディの眼』なのだろう。

 千里眼……と言っていたか。


 つまり、グレナディに組み込まれたエメロード・タブレットと、娘達に組み込まれたエメロ-ド・タブレットを同期させ、そこに『精神交換』を発生させた、という事だ。



 ――ふと、レオンは何かを感じる。

 これは、糸口なのではないか。

 そう……もしこの方法を、流用出来たなら。

 エリーゼの負担を、軽減出来るのではと思う。

 負傷による激痛、過可動による苦痛。

 それによって磨滅する神経網。

 これらの問題を緩和出来るのではないか。

 

 夢の中でレオンは、傷に塗れたエリーゼを見下ろしながら思う。

 この傷は本来、錬成技師である僕が背負うべき傷ではないのか。

 つまらない社会批判と自己顕示欲、生ぬるい承認欲求、先走った理想論。

 そんな思い上がりの果てに錬成してしまった娘が『アーデルツ』だ。

 そして今、過去の歪みをエリーゼが背負い、戦い続けている。


 どうすべきか。

 その解答が、見えた気がする。

 この発想の先に答えがあるのでは無いか。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 光と音、同時に人の声を感じる。

 それと、フェノール希釈溶液の匂い。

 レオンはゆっくりと目蓋を開いた。


 口腔から喉奥へと通されているチューブに、違和感を覚える。

 全身麻酔時に使用する酸素吸入管だろう。

 全身がだるく、思考が定まらない。

 ともあれ、覚醒したという事か。


 室温が高めに設定されているのか、ベッド自体に暖房が入っているのか、寒さは感じない。

 体温も安定している筈だ、震えやけいれんといった症状は感じない。

 その時、看護を務めていたであろう女性技師の一人が声を掛けた。

 マルブランシュ様、違和感や痛みはございませんか。

 レオンは微かに頷き応じる、喉に挿管されている為、声を出す事は出来ない。

 

 施術台の周囲に技師達が集まって来る中、レオンは右腕に意識を向けてみる。

 微かに、右手小指が、動くのを感じる。

 まだ自在に動かす事は出来ないが、他の指先も僅かに動かせる。

 更に、施術台の上に投げ出された義肢から伝わる重みと、体温を感じる。

 その感覚に、レオンは安堵を覚えていた。

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