第67話 終極
主を想わぬオートマータなど存在しない。
主に尽くさぬオートマータなど存在しない。
狡猾老獪な手練手管で仕合いながら『決死決着』を望まぬなどという選択は。
明らかに異質――そこに『主の意志』を感じる。
それは『枷』としか思えぬ程の弱みであり、それほどの『枷』を抱えて仕合に臨むなど、主に依っている左証であると、グレナディは思う。
故に埒外からの一手。
『レオンへの加撃』。
その瞬間、必ず隙が生じる。
仮に対応出来たとて必ず一手、遅延が生じる。
そこを突く、そこに勝機が在る。
低い姿勢のまま、全力でグレナディは突っ込む。
真紅に染まりドロリと歪む視界の中、エリーゼを捉える。
全身を捻り上げ、左手に握り締めた鉄鞘を振り被る。
そのまま、エリーゼの頭蓋を砕かんと。
全力で振り抜こうと。
「死ねぇっ……!!」
掠れた声が、鉄鞘の一閃と共に放たれて。
直後。
突発的な力がグレナディの身体を捕らえ、後方へと強く引き込んだ。
「!?」
有り得ぬ方向から加わる有り得ぬ力、これは強烈な牽引か。
不可解な衝撃に、グレナディは姿勢を崩す。
いったい何が!?
一気に引き込む様な、この力は。
――ワイヤーか? ワイヤーによる牽引なのか?
グレナディは身体を沈めると左膝を着く。
強烈な牽引は一瞬だった、よろめいたものの転倒は免れる。
が、しかし、歪み引き攣れた紅い視界の中に。
猛然と詰め寄るエリーゼの姿が映っていた。
「っ……!?」
レオンを守るべく、長刀にワイヤーを放ったのでは無いのか。
長刀の勢いにワイヤーごと上体を引かれ、姿勢を崩したのでは無いのか。
いや、それ以前に。
何故、何の躊躇も無く、こちらへと向かって来れる!?
紅く滲み歪む視界、一瞬で加速するエリーゼの姿を正確に捉え切れ無い。
それでも追い縋る、敗北は有り得ない。
左膝を着き、右脚を伸ばしたグレナディは、左手の鉄鞘を掲げて上体を捻る。
目視範囲ギリギリに、身体ごと滑り込むエリーゼの姿を認識する。
「そこにっ……!!」
全力で鉄鞘を振り下ろす――が、手応えが無い。
避けられたか!? そう感じた次の瞬間。
鉄鞘を振り切った左腕に、そして首に、違和感を覚えた。
腕だ。
腕が絡みついている。
「なっ……!?」
それは一瞬の出来事だった。
左腕に絡む腕は背後から腋の下を通り、そのまま後頭部へと伸びていた。
首に絡む腕は喉の下を通り、ブラウスの襟を鷲掴みにしていた。
「!?」
なにを――!?
反射的に身を捩ろうとした次の刹那。
腰に二本の脚が絡みつくのを感じた。
そのまま強引に背後へ仰け反る様、引き倒されたのだ。
背中だ、背中にエリーゼが取りついている。
背後から両脚を腰に絡め、そして首に腕を――。
背筋に冷たいものが走る。
いけない!
これは、振り解かなければ駄目だ!
仰向けに倒れたグレナディは、喉に絡むエリーゼの腕を掴む。
――が。
同時にエリーゼの右手が、グレナディの襟首を一気に引き絞った。
更に首の後ろに回り込んだエリーゼの左手が、後頭部を前方へと押し込む。
一瞬にして意識が遠退く。
首筋に、ブラウスの襟が強く食い込んでいる。
何が――いったい何が!?
意識が!?
エリーゼの腕を引き離そうと、グレナディは掴んだ指先に力を込める。
解けない、片手では無理だ。
しかし左腕は掲げる様に持ち上がったまま、動かす事が出来ない。
後方へ引き倒されたまま、起き上がる事も出来ない。
闘技場の円蓋天井を見上げた姿勢のまま動けない。
何故!? 何故エリーゼは主を気に掛けないのか!?
主の安否に構わず戦闘を続行するなど。
主を想わぬオートマータなど――。
仰向けに倒れた己が姿の遥か前方。
西方門脇に設けられた待機スペースを視界が捉えている。
真っ赤に歪み、融け出す視界の中。
そこに倒れる事無く立っている、レオンの姿を見た。
愕然とした。
投擲した長刀は、確実にレオンを捉える筈だった。
完璧なタイミングだった。
如何にエリーゼがワイヤーで妨害したとしても。
あの状況からワイヤーを放ったとして、完全に防ぎ切る事など。
完全に防ぎ切る事など出来ない――そう確信していた。
にも拘わらずレオンは立っている、倒れてなどいない。
つまりエリーゼは主が倒れていないと知り、攻めに転じたのか。
主が無事だと判断したが為、躊躇無くこちらへ向かって来たと――。
そんな事が。そんな筈が。
「……っ!! ……っ!!!」
エリーゼの腕に爪を立てる。
ギリギリと爪を立てる。
それでも引き剥がせない、力が足りない。
濃縮エーテルの流出が多過ぎた為か。
大量に濃縮エーテルを失い、更に頸動脈を圧迫されて。
もがく事も、足掻く事も出来ない。
駄目だ……駄目だ!
この腕が、この腕さえ!
ヨハンの為に、負ける訳にはいかない!
ヨハンの為に、反撃せねばならない!
ヨハンの為に、勝たねばならない。
ヨハンの為に勝たねば。
ヨハンの為に。
私は。
私は――私のヨハンに。
ブーツの踵が床の上を滑る。
指が、震える。
握り締めていた鉄鞘が、音を立てて床の上へ転がり。
遠退く意識の際、銀の音が如き震える囁きを聴く。
「――卑怯とは申しません」
酷く寂しげな、その声を聞いた時。
グレナディの意識は漆黒の闇に包まれていた。
◆ ◇ ◆ ◇
数秒後。
エリーゼは手足の拘束を解いた。
肩で呼吸を繰り返し、よろめきながら立ち上がる。
そして、足元に横たわるグレナディを見下ろした。
グレナディの身体には、フック付きワイヤーと繋がった状態のスローイング・ダガーが四本、深々と突き刺さっていた。
ダガーから伸びる四本のワイヤーは床の上を伝い、五メートルほど先に放置された特殊武装『ドライツェン・エイワズ』の金属アームに巻き取られていた。
戦闘の最中にエリーゼが、強制的に背中から接続を解除した物だった。
『ドライツェン・エイワズ』に備わるアームの数は八本。
うち四本から紡ぎ出されたワイヤーが、グレナディと繋がっている。
残る四本から伸びたワイヤーは、エリーゼの遥か後方まで続き、それらはグレナディが放った長刀の鍔に絡みついていた。
先の攻防でグレナディが唐突に姿勢を崩した――その原因がこれだった。
レオン目掛けて、投擲された長刀だ。
渾身の力で投じた自らの長刀に、グレナディはワイヤーを介し、身体ごと牽引されたのだ。
エリーゼは、己が膂力と体重では止めきれぬ……仮に止めたとしても、直後繰り出されるグレナディの加撃は避けられぬ、そう判断したのだろう。
故にグレナディの身体と長刀をワイヤーで繋ぎ、張力が限界になった所で『ドライツェン・エイワズ』を解除したのだ。
投擲された長刀の軌道を歪め、上手くすれば静止させる事も出来ると、そう判断したのかも知れない。
しかしそれは、苦肉の策と言わざるを得ない、リスクの高い賭けだ。
投擲された長刀を、確実に停止させる保証も無い。
『ドライツェン・エイワズ』を切り離すタイミングもギリギリだ。
その内部構造が衝撃に耐え切れぬかも知れない。
それでもこの策を選択せねばならぬ程、追い込まれていたという事だろう。
エリーゼは踵を返し、歩き出す。
背筋を伸ばしているが、見るからに足取りは重い。
ふらついている様にも見える。
身体に何かしらの異常を抱えているのかも知れない。
それでも立ち止まる事無く、エリーゼは歩き続ける。
向かう先は西側入場門脇に設けられた、待機スペースだった。
その光景を見下ろす円形闘技場の観覧席は、どよめいていた。
鎮魂歌の合唱も行われていない、いや、歌えないのだ。
この決着が尋常では無い事を、皆が察していた。
そもそも決着以前に、グレナディが放った最後の投擲。
あれは、意図的に行われた『関係者への加撃』ではなかったのか。
或いは意図しない事故であるなら、賠償責任問題として考えれば済む話だ。
しかし先の攻撃、あれは――どう見ても。
もし意図的な『関係者への加撃』であったならば。
それを行ったオートマータには、絶対的な処断が下される。
主従で繋がる人とオートマータの関係は、時として危うい。
主を盲信する余り、突発的に問題行動を起こすオートマータも少なくない。
故に、観客及び関係者への『意図的な加撃』は厳罰の対象となっている。
その規則を破ったのではないか――観衆の多くが、そう考えているのだ。
騒然とする観覧席を他所に、エリーゼは歩き続ける。
やがて、西側待機スペースの前で立ち止まった。
観覧席の下に設けられた空間には光源が無く、影が射している。
エリーゼは紅い双眸で、仄暗い待機スペースの内側を見つめる。
薄暗がりの中から、くぐもった声が響いた。
レオンの声だった。
「――エリーゼ、大丈夫か? 僕は、無事だ、応急で、止血してある……」
エリーゼは目を伏せ、頷き応じる。
そして、弾ける様に振り返ると観覧席を見上げ、叫んだ。
「今すぐ救護の者を、ここへ!」
待機スペース奥の壁へ凭れ掛かる様にして、レオンは立っていた。
顔面は蒼白だった。
左手を右腋の下に挟んでいた。
白いシャツは血に塗れ、右の肩口にワイヤーが巻きつけられていた。
よろめく足元には、血溜まりが広がっていた。
血溜まりの中に、グレナディの長刀が転がっていた。
長刀の隣りには、肘関節から切断された、レオンの右腕が転がっていた。
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