権謀術数

第68話 軍医

 エリーゼは待機スペースの欄干を乗り越えると、レオンの傍へ近づく。

 レオンは立っている事が出来なくなり、壁に凭れたまま力無く頽れる。

 腕を差し伸べたエリーゼは、レオンの身体を抱き留めた。


 そのまま慎重に床の上へ寝かせ、レオンの医療用カバンを探る。

 そこから止血用ベルトを取り出し、エリーゼは口を開いた。


「改めて止血を行います、これで出血は防げます」


「ああ……」


 エリーゼの言葉に、レオンは掠れた声で応じる。

 しかしその顔は、蝋細工を思わせる程に青褪めている。

 出血が酷い、すぐにでも輸血が必要な状況だ。

 同時に、強烈な苦痛を感じているのだろう。

 レオンは眉根を寄せつつ、額に冷たい汗を滲ませていた。


「すぐに、救護の者が来ます」


「ああ……」


「この傷は、助かる傷です。問題ございません」


「ああ……」


「出血は防げております、呼吸を楽に」


「ああ……」


 止血を行いつつ、エリーゼはレオンに声を掛け続ける。

 苦痛とストレスを軽減させる為の措置か。

 そんなエリーゼに、レオンは浅く呼吸を繰り返しながら声を掛ける。


「エリーゼ、こそ、大丈夫、か? 出血が、酷い、熱もある、だろう……神経の、損傷も……すぐに、メンテ、ナンスを……」


 エリーゼは微かに頷く。


「問題ございません」


「しかし……」


「ご主人様と同じく、私も問題ございません、大丈夫です。救護の者が来ます」


 ふと、エリーゼは顔を上げた。

 直後『待機スペース』入口のドアが開く。

 戸口には黒い修道服を纏った、背の高いシスターが立っていた。


 腰まで届くウェーブ掛かった漆黒のロングヘアに、冷たく光る黒い瞳。

 相貌は整っており美しい――が、言い様の無い威圧感を見る者に与える。

 抜き身の刃を思わせる、そんな佇まい。

 『マリー直轄部会』所属、シスター・マグノリアだった。

 エリーゼとレオンを見下ろしながら、シスター・マグノリアは告げた。


「――私は『枢機機関院』より『グランギニョール』に招集された『マリー直轄部会』所属のシスター・マグノリアだ。軍医としての活動経験がある。この場で応急の鎮痛処置、止血処理が行える。必要なら手を貸す」


「――お願いします」


 淀み無く紡がれたシスター・マグノリアの言葉に、僅かな沈黙を経てエリーゼは応じた。

 身分の不確かな者は『グランギニョール』円形闘技場に入れない。

 逃げ場の無いこの状況で『枢機機関院』の関係者を騙る者もいない。

 そう判断したのだろう。

 シスター・マグノリアは、レオンの傍らに片膝を着いて座る。


「鎮痛と止血を行う」


 身を屈めつつ呟くと、レオンのシャツをはだけさせ、右肩を露出する。

 レオンは低く呻くも苦痛を噛み殺す。

 次いでシスター・マグノリアは自身の左袖口を、軽く捲り上げる。

 そこには黒い革のベルトが巻きつけられていた。


 右手の指先を伸ばし、ベルトの内側から細い針を取り出す。

 長さは四センチほど、それは裁縫用の待ち針を思わせた。


 シスター・マグノリアは摘まんだ針を、素早くレオンの首筋に刺し込む。

 更にもう一本取り出すと、右肩付近に深く刺す。

 躊躇や迷いは無い、刺す場所を指先で探る様子すら見せない。


 新たに三本の針を取り出し、今度は右上腕部に打ち込む。

 一〇秒ほど経過した所で、レオンの呼吸が次第に安定し始めた。

 施術が功を奏したという事か。

 シスター・マグノリアは刺し込んだ針を抜き取りつつ、口を開く。

 

「痛覚の麻痺、筋肉と血管の収縮を促した。針は回収するが止血は十五分、痛覚の麻痺は三十分ほど保つ。その間に救護の者が対処すれば問題無い、輸血は必要だが」


「ありがとうございます」


 エリーゼは謝意を口にしつつ、目を伏せる。

 微かに頷き応じたシスター・マグノリアは、低い声で言った。


「――我々『マリー直轄部会』は『グランマリー在俗区派閥』と繋がりのある組織だ。『衆光会』とも近しい。君たちが孤児院運営を維持すべく、グランギニョールに参加している事も把握している。もし君たちが……」


 そこへ、複数の足音が闘技場側から近づいて来た。


「大丈夫か、レオン!?」


「大丈夫ですか!?」


 そう声を掛けつつ欄干を乗り越えて来たのは、血相を変えて駆け寄るシャルルと、救護のスタッフ達だった。

 簡素な儀礼用制服を身に纏ったスタッフは、レオンに止血が施されている事を確認すると、慎重に担架へと移す。

 係員の一人が状況確認の為、シスター・マグノリアに声を掛ける。

 『マリー直轄部会』の司祭が、事前に連絡したのだろう。

 シスター・マグノリアは、エリーゼに行った処置の説明を改めて繰り返す。


 闘技場の方でも動きがあった。

 複数の会場スタッフと『シュミット商会』の関係者、そしてグレナディの主であるヨハンも、アリーナへ立ち入り集まっている。

 何事かを話し合っていたが、やがてヨハンと『シュミット商会』の関係者は、倒れ伏したまま動かないグレナディを担架に乗せ、場外へと運び出した。

 同時に一人の男が、小走りで闘技場中央に向かう。

 演壇上にてコッペリアの紹介と仕合開始を告げていた初老の男だ。

 男はざわめく観覧席を見上げると右手を掲げ、大音声で宣言した。


「本戦に於きまして! 『シュミット商会』所属の『コッペリア・グレナディ』が! 重大かつ深刻な規約違反を犯しました! それと同時に! 『コッペリア・エリーゼ』の攻撃を受け! 『コッペリア・グレナディ』の機能が停止した事、我々『錬成機関院』は把握致しております! 故に本戦は! 『衆光会』所属『コッペリア・エリーゼ』の勝利と認定致します!」

 

 その宣言に円形闘技場内は、一気に熱を帯びる。

 会場全体が震えるほどに、観覧席から激しいどよめきが漏れた。


 あの『衆光会所属』の『コッペリア・エリーゼ』が。

 二戦目にして『グランギニョール』の実質ナンバー・ツーを下すとは。

 やはり『アデプト・マルセル』の血を引く男は違うという事か。

 しかし、最後の事故はどうなったのか――。


 観覧席に居並ぶ貴族達は、興奮を隠す事無く声を上げる。

 シルクのシャツに汗染みを作りながら唾を飛ばし、顔を上気させる。

 誰彼構わず感想を述べては、評論家を気取って囀り続ける。

 

 その時、オーケストラ・ピットから勇壮な調べが、立ち上がり始める。

 混沌とした会場に秩序を与えるべく、管弦楽団が演奏を開始したのだ。

 チェロが、ヴィオラが、バイオリンが、優雅な音色を紡ぎ出す。

 ホルンが、フルートが、オーボエが、低く高く心地良く響く。

 ティンパニが弾け、蒸気式オルガンが唸りを上げる。

 やがて青いドレスを着込んだマスクの女が、歌い始めた。

 

 見よ! 彼の者を見よ!

 聖女・グランマリーに選ばれし、勇者たる者の姿を見よ!

 聖戦の高みを望む猛き魂、そのありかを見よ!


 暑苦しく湿った空気を浄化する様に、澄み渡るソプラノが突き抜ける。

 その歌声に触発されたか、貴族達もそれぞれ思うが侭に声を張り上げる。


 嗚呼! 我らグランマリーの子! その叡智を顕し給え!

 嗚呼! 我らグランマリーの子! その勇気を示し給え!


 演奏と歌声に貴族達の叫びが加わり、場内の空気を震わせる。

 血と暴力の宴に酔い痴れながら、貴族達は歌う。

 その場に勝者の姿は無く、重大な事故が発生したにも拘わらず歌い続ける。

 一時の享楽が全てに勝る、それが『グランギニョール』の本質なのだろう。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ 


「この状況は、さすがに予想外だったろう? マルセル」


 円形闘技場最上階に設けられた、バルコニー型観覧席。

 エリク皇子はビロード張りの椅子にゆったりと腰を下ろし、ワイングラス片手に下層階の観覧席が湧き返る有様を眺めつつ、楽しげに言った。

 皇子の傍らに立つマルセルは、額に指先を添えると目蓋を閉じる。

 そして二度、三度、頭を振っては、重々しく口を開いた。


「皇子の仰る通り、まったく予想外です――この世は何時だって、ボクの予想や想いを容易く超えてゆく。計算とは偶然を凌駕出来ないモノなのだと、何度も何時も思い知らされ、打ちのめされる……」


 芝居掛かったマルセルの態度と物言いに、エリク皇子は口許を綻ばせる。

 そんなマルセルを揶揄する様に、透き通った声が響いた。


「あの子――レオンは助けに行かなくても良いの? パパ」


 純白のシュミーズ・ドレスに身を包んだ、狂おしい程に美しい娘が言う――『グランギニョール』序列第一位・オランジュだった。

 オランジュはカウチソファに身体を預け、マルセルを見上げている。


「私はあの子の事、気に入っているわ。お姉様の事もね? 二人には、こんな所で消えて欲しくは無いのだけれど。レオンの腕、落ちてたわよ?」


 不満げにオランジュは呟く。

 マルセルは解っているとばかりに腕を広げ、大きく頷き応じる。


「もちろん助けに行くさ、ボクだってレオンの事は心配だよ? でも、ここのスタッフは有能だし、ドクターも良い腕だ。にも拘わらず、ボクが大慌てで出向いたりすれば、彼らは委縮して混乱するかも知れない。止血等の応急処置はスタッフに任せて良いよ。ボクの出番は、その後さ。それに――」


 モノクルの下で、悪戯っぽく片目を閉じた。


「――レオンがボクの息子だって事は、彼らも良く知っているんだ。一人残らずね。だったら彼らは、絶対にミスしないんだよ」


 マルセルは世間話の様に、軽く言ってのける。

 ――が、レオンの応急処置を担当する者が聞けば、寿命の縮む言葉だろう。 


「正しいけれど、正しく無いわ、パパ――」


 オランジュは額に指先を添えて目を閉じると、軽く首を振って見せた。

 その仕草は、先ほどマルセルがエリク皇子に見せた動きを真似たものだ。

 上目遣いにマルセルを見上げて言った。


「――先の仕合、グレナディが刀を投げる直前。闘技場の最前列上段、関係者席に座っていた『マリー直轄部会』のシスターが、急に席を立ったの。そんなタイミングで観戦を中止して席を立つ、とても不自然で目についたわ。焦っている様にも見えた。焦って何処に向かったのか? 階段を下り、関係者用通路を抜けて地階へと続くドアへ。その先は西側の選手入場門へと繋がる廊下。憶測に過ぎないのだけれど――」


「……レオンの所へ向かったと?」


「――他に焦って向かうべきトコロがあるのかしら? 私も気がついたもの、あの状況に追い込まれたグレナディが何をするのか。そしてレオンがどうなるのか。あのシスターは人間じゃない、『マリー直轄部会』の戦闘用オートマータでしょうね。だから、この結果が予想出来た」


「ほう……」


 マルセルは銀色に光るモノクルの奥で、眼を細める。

 オランジュは軽く頷き、続ける。


「戦闘用だからこそ、シスターはグレナディが暴走する可能性に気づき、予め行動を起こしたのだと思う。グランマリーのシスターなら、それなりの錬成知識と医療知識を有している筈だから応急処置も行える。ただ、問題があるとするなら、ここから先……」


 そこで言葉を区切ったオランジュは、ワインで唇を湿らせる。

 改めてマルセルを見つめ、口を開いた。


「……重傷のレオンにエリーゼのメンテナンスは不可能。だけどエリーゼお姉様の損傷は限界に近い。きっとあのシスターは申し出るでしょうね、我々『グランマリー教団・マリー直轄部会』がメンテナンスを行いましょう……って」


「……ああそうか!」


 オランジュの言葉を聞き、マルセルは天を仰いだ。

 悩ましいとばかりに、金色に輝く左手の義手で頭を抱える。


「レオンに意識があれば、恐らく提案を受け入れるわ。『マリー直轄部会』が、教皇守護の戦闘用オートマータを抱えている事も知っているし、高いレベルでのメンテナンスが可能な事も知っている。彼らがエキシビジョンにしか参加しない事もね。そしてレオンは、グランマリー教団の『在俗区派閥』に属する孤児院で働いている……」


「確かにそうなる可能性を感じるね、これは迂闊だった」


「更に『マリー直轄部会』は『教皇マリー』の直轄であり『在俗区派閥』とも距離の近い組織。権威主義的な『枢機機関院』や『錬成機関院』とは相容れない――軽い対立関係にすらある。そんな『マリー直轄部会』が、エリーゼお姉様のメンテナンスを行ったなら、色々と問題があるのではなくて? それでなくとも謎の多いオートマータだと思われているわよ? お姉様は……」


「その通りだね、いや、まったく……」


 マルセルは口許を歪めると、左の義手で頭を抱えたまま嘆息した。

 苦悩しているかに見えるが、大仰に過ぎてふざけている様にも見える。

 何処か芝居掛かっている為、真剣さが感じられない。


「――ひょっとしてもう何か対策してある?」


 つまらなそうにオランジュは唇を尖らせる。

 背筋を伸ばしたマルセルは、頭髪を義手で撫でつけると、笑みを浮かべた。


「……いやあ、オランジュの視点は完全に見落としていたよ。あの仕合中にそんな事が起こっていただなんて、思いも寄らなかった。やはりこの世の事象は、ボクの予想や想いを超えてゆく。計算なんて儚いものだね。しかしまあ、ギリギリ大丈夫だ」


 マルセルは右手を差し出すと、窓辺に座るエリク皇子を示した。

 エリク皇子は愉しげな笑みを浮かべつつ、ワイングラスを掲げる。


「うん……オランジュにもサプライズを楽しんで貰おうと思って、秘密にしてたんだけれどね。エリク皇子に、楽しいイベントの開催を提案したんだ」


「楽しいイベントって?」


 カウチソファに深く凭れ掛かりながら、オランジュは尋ねる。

 輝く様に白い肢体が優美に波打ち、ブロンドのロングヘアが靡いて煌めく。

 オランジュの質問に答えたのは、エリク皇子だった。


「僅か二週間のうちに、衆光会の『コッペリア・エリーゼ』が、立て続けに上位ランカーを打ち破った。加えて『ベネックス創薬科学研究所』の『コッペリア・ベルベット』も、デビュー三戦目にして上位ランカーを打ち破ってる。つまり、序列四位以下が一気に変動したのさ」


 エリク皇子はワイングラスを翳して、エリーゼの姿を垣間見る。

 その極まった美貌を透明な紅色越しに愉しみつつ、エリク皇子は続けた。


「――このままじゃ、序列が掛け率に反映されない状況に陥る。オッズ・コンパイラー達が悲鳴を上げるだろう? そういう名目で『グランギニョール』序列一位から八位までの格付けを、適切な物とすべく『トーナメント戦』の開催を宣言するつもりだ」


 その言葉にマルセルは、白い歯を煌めかせつつ笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る