第44話 狂気

 円形闘技場中央。

 鋭く光る切っ先を下に、揺らぐ事無く起立する剣の上。

 紅いドレスを纏ったエリーゼが、紅い髪を靡かせて直立している。

 血の滲む両手を広げ、血に塗れた美貌を輝かせ微笑みながら。

 観客席にて当惑する貴族達を見上げ、高らかに宣言したのだ。


「そう! この決着に! 異議異論がおありならば! 名乗りを上げれば良いのです! グランギニョールにて! 私を打破し否定すると! 正式な決闘にて否定すると! そう宣言なされば良いのです! そうであるならこの私が! 全て受けて立ちましょう! 聖戦にて決着をつけましょう!」


 エリーゼの言葉に、闘技場内がざわめいていた。

 己が勝利を喧伝するコッペリアは存在する。

 己が勝利を誇示するコッペリアも存在する。

 己が主に勝利を示し、狂喜するコッペリアも存在する。


 しかし己が勝利を以て、観客を挑発するコッペリアなど前代未聞だった。

 それも初参加のコッペリアによる大言壮語、暴言と言い換えても良い。

 いったいどういう事なのか。こんな事が許されるのか。


 にも関わらず。誰もがエリーゼの言葉に聞き入っていた。

 血塗れの小さな姿が、透き通った声が、ピジョンブラッドの瞳が。

 貴族達を惹きつけているのだ、求心力とでも言うべきか。

 エリーゼの立ち居振る舞い、そして言葉には。

 人の心をざわつかせる『何か』があるのだ。


 更には、アデプト・ピグマリオン・マルセルの存在。

 エリーゼは、天才錬成技師・マルセルが『宿敵』と評した『息子』の作品――レオンの手掛けたコッペリアなのだと、多くの貴族達が知っている。

 ならばこういう異変があっても不思議では無い、そういう想いがあるのか。


 その時。

 ナヴゥルが入場に使用した『東方門』より、黒いラウンジ・スーツを着込んだ複数の男達が、闘技場内へ小走りに立ち入って来た。折り畳み式ストレッチャーを抱えた二人の男を先頭に、倒れ伏したナヴゥルの元へと近づく。搬送しようという事か。

 最後に入場した初老の男が観客席を見上げつつ、右手を上げて叫んだ。


「ご観戦諸公に申し上げる! ゲヌキス領守護兵団所属『ナヴゥル』は! 意識混濁の機能不全を起こし、既に損壊状態! オートマータ損壊を以て敗北とする『グランギニョール』の法に則り! ゲヌキス領守護兵団は! 敗北を宣言する!」


 観客席のざわめきが、大きなどよめきへと切り替わった。

 ラークン伯爵が、自らの敗北を正式に認めたのだ。

 それも、こんな横紙破り的な勝利宣言を、あのラークン伯が認めたのだ。

 ラークン伯の人となりを知る貴族達は、驚きを隠す事無く声を上げていた。


 コッペリア・ナヴゥルは、意識不明のままストレッチャーに乗せられ、六人掛かりで闘技場から運び出されて行く。観覧席の貴族達は、その様子を見下ろしながら、興奮した面持ちで言葉を交わす。


 激闘の感想を述べては、賭博の結果と今後の展望を論じる。

 『アデプト・マルセル』が『宿敵』と評したレオンについて憶測する。

 雑多で野卑な風説が乱れ飛び、円形闘技場内が騒然となる。

 そんな喧しく響く貴族達の声を遮る様に、一人の男が大声で叫んだ。


「コッペリア・エリーゼよ! 私は君の発言に賛同しかねる!」


 観覧席の中段辺り、グレーのスーツに青いタイを締めた男だった。

 背恰好はレオンやシャルルに近いが、三〇代半ばといった年齢だろう。

 整った顔立ちに、怒りの相を浮かべている。

 ショートにカットされた鮮やかな金髪も、逆立っているかの様だ。

 男は客席から立ち上がると、エリーゼを指さしながら言葉を続けた。


「ラークン伯が! 寛大な対応を採り、君の要求を受け入れてみせたからこそ、この場が納まったのだ! 君の暴言が罷り通った訳では断じて無い! 決死の相手を! 君は侮辱したも同然だ! 死闘を愚弄したのだ!」


 突然現れた年若い男の発言に、観客の多くが呆気に取られていた。

 が、やがて複数の貴族が、男の身分と正体に気づき、小さく囁き始める。


 『錬成技師互助会・シュミット商会』の代表だ――。

 ヨハン・ユーゴ・モルティエ――なるほど『革命児』か。

 『アデプト・マルセル』を継ぐと噂されていた男だ。


 そんな貴族達の会話を尻目に、その男――ヨハンは、更に発言を続けた。


「異議があれば名乗りを挙げよと君は言った! 正式な決闘にて否定せよとも君は言った! ならば、その言葉通りだ! 私は君を否定する! 故にこの『グランギニョール』での決闘を申し込む! それで宜しいか!?」


 レオンは待機スペースから身を乗り出し、声を上げようとした。

 ただでさえ状況は悪い。ここで重ねて問題を起こすべきでは無い。

 にも拘わらず。

 闘技場のエリーゼは楽しげに眼を細め、即答した。


「宜しゅうございます! お受け致しましょう!」


 一切の逡巡を感じさせないエリーゼの答え。

 そんなエリーゼを、ヨハンは忌々しげに睨みつける。

 出遅れたレオンは、懸命に紡ぐべき言葉を模索する。


 しかし、何と言って場を納めれば良いのか。

 エリーゼの宣言を取り消す事が出来るのか。

 そもそもこんな突発的な決闘を、枢機機関院が認めるのか。

 エリーゼの後見人として、何と発言すべきか解らない。

 レオンが迷っている間に、再びヨハンの声が飛ぶ。


「ならば二週間後だ! 君が無茶を宣言したのだ、二週間後の公式戦で決着をつけようじゃないか! 無理だなどとは言うまいな!? 出来ぬならこの場で謝罪し、ラークン伯の寛容に感謝せよ!」


「お気遣い無く! 二週間後! 枢機機関院がお認め下さるならば! 喜んでお受け致しましょう!」


 レオンは眩暈を覚えた。

 短慮に過ぎる。そうとしか思えない。

 エリーゼの傷は決して浅く無い、流血も激しい。

 確かに二週間あれば、ある程度の裂傷なら塞ぐ事も可能だ、しかし。

 あれほどの戦闘と損傷、身体構造に過負荷が掛かった可能性がある。

 戦闘用の身体では無いのだ、応力の不均衡が広がれば損壊に繋がる恐れもある。


 思わぬ展開にレオンは戸惑うばかりだ、しかし事態は更に悪化する。

 勇壮な交響曲の最終楽章が、オーケストラ・ピットから流れ始めたのだ。

 力強い管弦楽団の演奏に観客達は総立ちとなり、拍手と歓声で応える。


 皆、理解しているのだ、この演奏が意味する所を。

 つまり、枢機機関院が正式に許可したという事だ。

 エリーゼと『シュミット商会』の決闘を。

 ヨハンは観客席からエリーゼを睨み、叫んだ。


「我ら『シュミット商会』は! 『コッペリア・グレナディ』を参加させる! 二週間後の本戦にて待つ!」


 そのまま踵を返すと、湧き返る貴族達を掻き分け、出口へと歩き出す。

 エリーゼは静かに微笑み、剣の上からカテーシーにてその後ろ姿を見送る。

 そんなエリーゼの姿を、レオンは茫然と見つめるばかりだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 


 揺らぐな我らは求道の信徒! 怖気る事無く栄光目指せよ!

 ひるむな我らは不動の信徒! 憚る事無く賛美せよ!

 我らが預言者グランマリー! 慈悲と叡智を授けし神の子!

 我らが預言者グランマリー! 勇気と力を認めし神の子!


 マスクで目許を隠した女の、優美なソプラノ・ドラマティコに導かれて。

 貴族達の大合唱が、闘技場の熱を未だ維持していた。

 全ての仕合を終えてなお、誰もが死闘の余韻に酔い痴れている。

 至福至高の宴が終わる事を憂うかの様に、貴族達は歌い続けた。


 波打ち蠢く貴族達の乱痴気を見下ろす、円形闘技場の最上段。

 個室に区切られ、紅いカーテンで飾られた、バルコニー型の観覧席。

 紅いビロード張りの猫脚カウチソファに、腰を下ろした娘が一人。

 ビロード張りの欄干に身を凭せ、オペラグラスを覗いている。

 傍らのサイドテーブルにはワイングラスが二つと、赤い薔薇の花。


「――歪な者同士が補い合う、依存にも似たその関係は、時にプラスへと転化され、感情の発露を起点に想定を超えた力となる……」


 切れ長の双眸は、長い睫毛に縁取られていた。

 エメラルドグリーンの瞳は、宝玉を思わせた。

 繊細な眉の形、整った鼻梁、艶やかな紅い唇。

 乳白に透き通る滑らかな肌。


「……偶発では無く、意図的にそれを成した――と。それでも届かなかった」


 優美な曲線を描く腰のラインを、美々しく彩るブロンドのロングヘア。

 シュミーズ・ドレスに包まれた肢体の端麗さは、生物の限界を超えている。

 美を司る女神の顕現か、或いは、人の形を得た美の概念か。

 グランギニョール序列第一位『レジィナ』の称号を持つ、無双のコッペリア。

 信じがたい程に美しい娘――オランジュだった。


「……人とオートマータ本来の、理想的な関係さ。まあ、現行タブレットを限界まで活用した上での裏技みたいなものだ……それでも成果は十分だったと思うよ。ラークン伯も良い夢が見れたろうし」


 錆びた声音で、しかし砕けた調子で、長身痩躯の男は楽し気に言う。

 光沢を帯びたダークパープルのスーツに、濃紺のウェストコート。

 白いシャツの襟元には、丁寧に糊付けされたワインレッドのクラバット。

 細い鎖が揺れるモノクルの下は、涼しく光るグレーの瞳。

 額に掛かるグレーの前髪を、ゴールドに輝く金属製の義手で撫でつけながら。

 その男――天才錬成技師・マルセルは、無邪気な笑みを浮かべていた。


「――ともかく、どうだったかな、オランジュ。アレが『エリーゼ』だ。キミの退屈を埋めるに足る相手……だと思うがね。ご感想は?」


「……遊興の為に、全てをつぎ込み身を削る、正真正銘のお馬鹿さん」


 鈍色に輝くオペラグラスを覗き込んだまま、オランジュは小さく応える。

 マルセルは軽く小首を傾げ、尋ねた。


「お気に召さない?」


 身体を起こしたオランジュは、サイドテーブルにオペラグラスを置く。

 そのままゆったりと猫脚の椅子に凭れ、微笑んだ。


「ううん……ああいう子は嫌いじゃ無い。解るわ……パパ。あの子が私の『分身』なのね?」


 オランジュの言葉にマルセルは、満足げに深く頷く。

 そしてサイドテーブルの上に並ぶ、二つのワイングラスに手を伸ばした。


「そうさ、あの子がキミの『分身』――いわば『姉』の様な存在だ」


 そう告げたマルセルは、手にしたグラスの一つをオランジュに勧める。

 オランジュはグラスのステムを、そっと指先で摘まんだ。

 そのままクリスタルグラスを傾け、一口、二口と、ワインで唇を湿らせる。

 束の間の沈黙を経て、オランジュは呟いた。


「――あれが私の『お姉様』。だけどあの『身体』は、前に一度見た『油彩画』の子。あの状態で、ううん……あの状態をこそ愉しんでいる。足りぬを愉しむ、瀬戸際を良しとする、生死の狭間に興を感じる狂気――いいえ。恐らくは、それだけに留まらぬ『何か』。そうね、私の『お姉様』に相応しい……かも」


 油彩画の子――これは以前、オランジュが『アーデルツ』の仕合を観た際に述べた『アーデルツ』に対する印象だった。戦えるオートマータでは無い、そういう意味で例えたのだろう。

 オランジュは一目で、エリーゼの身体が『アーデルツ』の物である、そう見抜いていた。


「でも、キミまで届くかどうかは解らないさ」


 ふと、柔らかに落ち着いた声が、バルコニー席の小部屋に響いた。

 マルセルの声では無かった。

 オランジュの声でも無かった。

 それは三人目の声――二人の背後から投げ掛けられた、女の声だった。


 マルセルが視線を送る。

 金箔押しの装飾が施された白い石柱の隣り。

 豊かさと優雅さを兼ね備えたシルエットの、美しい婦人が佇んでいた。

 モスグリーンのロングワンピースに、黒のショールとコルセット。

 ライトブラウンのロングヘアを、後頭部で丸く纏め上げている。

 涼し気なヘーゼルカラーの目許には、銀縁の眼鏡が光る。

 『ベネックス創薬科学研究所』所長。

 イザベラ・ヴォベル・ベネックスだった。

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