第42話 散華
侮られ、軽んじられて、生きて来た。
広大なゲヌキス領を治める大貴族、ラークン家の四男として生まれたものの、病弱な体質であったが為、幼少期の大半をベッドで過ごした。
度重なる手術と投薬で、苦痛に苛まれる日々を送った。
それでも錬成科学と薬科学、医学の進歩によって、ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークンは、どうにか命を取り留めたのだ。
にも拘わらず、その事を喜ぶ者は、僅か程もいなかった。
父親も、兄達も、ラークンの家に纏わる他の貴族達も、その関係者も。
疎ましげに、或いは忌まわしげに彼と接するのだ。
病弱故の不健康さ、見栄えのしない風貌――そればかりが理由では無い。
広大なゲヌキス領の現当主である父親が、次期当主たる長男以外の兄弟に、財産分与をどうすべきか、それを考える時期に差し掛かっていた為だ。
死ぬ筈の者が生き残り、いらぬ混乱を招いている――そう思われているのだと、幾らほども経たぬうちに、気づかされた。
邪魔であると邪険にされ、惰弱であると嘲笑され、見苦しいと嫌悪され。
病魔との戦いに打ち勝ってなお、地獄の様な日常を送らねばならなかった。
ラークン家に纏わる人間、全てが敵だった。
唯一の味方は彼の世話係を長年務めた、年老いた乳母がひとり。
その乳母も、彼が十二歳の時に死んだ。
それが、ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークンの子供時代だった。
黒々とした感情が呪いを産み、呪いは精神の歪みを増大させて行く。
やがて歪みは殺意となり、胸の裡で意志と固まるまで、そう長くは掛からなかった。
しかし、それを容易く表に出してはならぬと、彼は直感していた。
感情を殺し、ただひたすらに耐え忍ぶ。
幼少の頃、地獄の病苦を耐え抜いた様に。
それからの一〇年、彼は力を蓄える事に専念したのだ。
学業に勤しみ、経営と法を学ぶ。
風采が上がらぬ事を、周囲から馬鹿にされ。
大貴族の出自ではあっても、四男である事を虚仮にされ。
しかし彼は、その世評を受け流し、聞き流し、或いは馬鹿を装いもした。
それでも己に有益な人脈だけは繋いで来た。
いずれ事を成す時の為に耐えるのだと。
成すべき時が来れば、事を成すのだと。
そう信じて、地獄を生き抜き耐えたのだ。
関わる者、全てを見下ろす為に。
そして現在。
ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークンは、大貴族としてガラリアに君臨している。
ラークン家の当主となり、広大なゲヌキス領の領主となっている。
受け継いだのでは無い。勝ち取ったのだ。
己が運命に抗い、あらゆる手段を用いて、絶対の勝利を獲得したのだ。
そんな彼が『コッペリア・ナヴゥル』の錬成を打診されたのは三年前。
ガラリア随一の天才錬成技師『アデプト・マルセル』が錬成した『エメロード・タブレット』を基に、戦闘用オートマータを造らないかという提案だった。
その『エメロード・タブレット』に封印された精霊の魂は『ナクラビィ』。
非常に強力かつ優秀な戦闘用オートマータになる、そう伝えられた。
しかし『魂』が安定しない可能性があるとも説明されていた。
狂暴凶悪な精霊として恐れられた『ナクラビィ』は、同時に醜悪怪異極まりない容貌であった為、恐怖よりも嫌悪を以て忌避される存在だったという。
過去に幾人もの錬成技師が、『ナクラビィ』の魂を戦闘用オートマータに利用しようとして失敗、悉くが現世での存在に耐えきれず、自己崩壊を起こしたとの事だった。
「自己嫌悪ゆえに……そういう事です、ラークン伯」
そう説いたのはマルセルだ。
「人に唾棄され、忌避された存在である『己』に、生者としての価値など無い……かりそめの生を得た瞬間、そう感じるのだそうで。水妖海魔たるナクラビィは、殊更に強烈な『死』の概念を与えられた精霊。満ち足りた生を憎み、暴威を振るい、存在を否定されたが故の過剰な力を持つ、『満ち足りた者』への憎悪が、破壊衝動に繋がっているのです」
その性質を制御し、コッペリアとして戦えるように調整したのだと、マルセルは告げ、更に言葉を紡いだ。
「――『エメロード・タブレット』の錬成は完璧です。これに対する適切な身体を錬成し、組み込む事が出来たなら。掛け値無しに無双無類のオートマータとなるでしょう、我が『マルブランシュ』の名に懸けてね。ですが恐らく、それでも。このオートマータは主人を選ぶ。『真』の実力者、強者で無ければ、主人とは認められない可能性がある」
「……」
「苦難を乗り越え生き抜いた者。激情の末に本物の勝利を得た者。死の縁から返り咲く程の力を有した者――でなければ、御し切れない程に強力なオートマータなんですよ。だからこそボクは、『真の』大貴族である貴方に打診したんです、ラークン伯。貴方にこそ相応しいコッペリアなのだと――」
マルセルは微笑みを浮かべつつ、優しく囁いた。
その言葉を聞きながら。
ラークン伯は、眼前のクリスタル・ケースを見つめていた。
濃縮エーテルに沈み発光する『エメロード・タブレット』を凝視していた。
押し黙ったまま、沈痛な面持ちで見つめ続けた。
己の過去を、思い出していたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
今も思い出している。
過去に味わった屈辱の全てを思い出している。
更にそれら屈辱を、己が力で覆した事実を思い出している。
敗北など在り得ない。敗北する事など無い。
それが何であれ、私が敗北する事など在り得ないのだ。
この『グランギニョール』であろうとも、敗北するわけが無い。
どの様な苦境に陥ろうとも。
どの様な危機に見舞われようとも。
血に塗れようと、屈辱に塗れようと。
我らは勝利するのだ、我らは勝利する。
そうだろう? ナヴゥルよ。
我らは勝利する、必ず勝利するのだ。
屈辱に塗れたまま、敗北する事など在り得ぬ、必ず勝利するのだ。
与えられて、満たされて。
そんな奴らに、我らは負けぬ。
「勝ていっ、ナヴゥルッ!」
広大な円形闘技場のボックス席から、身を乗り出しながら。
ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークン伯爵は拳を握り締め、叫んでいた。
◆ ◇ ◆ ◇
『能力』の使用を自ら閉ざしたナヴゥルに、その声が届いたかどうか。
しかしその想いは、主人と完全に一致していた。
勝利する。
勝利以外の結果など在り得ない。絶対の勝利を。
鮮血の如き濃縮エーテルに塗れ、見苦しく汚れようと。
身体を切り裂かれ、刺突され、左腕を失おうと。
必ず勝利を掴む。この一手で、確実なる勝利を。
全力の疾駆疾走にて、一気に距離を詰めるナヴゥル。
ナヴゥルの突撃に対し、ロングソードを合わせるエリーゼ。
当たれば勝負が決する神速の一閃を、ナヴゥルは左掌で受け止める。
もとより左腕は肩に重傷を負っていた為『盾』として使い捨てたか。
そのまま、前腕部半ばまで食い込んだ剣を絡め取り、投げ捨てた。
バランスを崩したエリーゼは、ナヴゥルと対峙する形で、闘技場の床に両手両脚を着く。
そこへ容赦無く踏み込むナヴゥル。
血塗れの左腕を横へ払うと同時に、隠し爪を伸ばした必殺の右拳を――。
ナヴゥルはエリーゼの顔面目掛けて、起死回生の右拳を撃ち込んでいた。
◆ ◇ ◆ ◇
白い顔面に右拳が、鋭く尖った爪の切っ先が、到達する直前。
あろうことか、エリーゼは距離を詰める様に、前へと動いた。
拳による打撃のポイントをずらす為に、距離を詰めるという考え方はある。
しかしナヴゥルの右拳には、鋼鉄の爪が装備されている。
鋭利な爪に向かって距離を詰めるなど、正気の沙汰では無い。
どんな理由があろうと構わない――ナヴゥルは思う。
打撃の位置など関係無く、爪で貫けば必殺に至る。
全力でコイツの顔面に、致命の一撃を叩き込む、それのみに専心する。
が――。
ふと気がつけば。
エリーゼの両手が、突き出したナヴゥルの右腕――右手首に。
淡く添えられていた。
エリーゼの体勢も、床に伏せる形では無くなっている。
ナヴゥルの攻撃を迎える様な、仰臥の姿勢だ。
何時の間に動いたのか。どの様に動いたのか。
先に『ドライツェン・エイワズ』より射出されたワイヤーだった。
ナヴゥルの両脚に撃ち込まれたダガーと繋がったままのワイヤーを、急速に巻き取り、瞬間的に走り込むナヴゥルの下へと滑り込んだのだ。
「……シィッ!!」
それでも逃さぬ。
逃れる事は許さない。
必殺の一撃を。
確実な死を。
ナヴゥルの右腕が、必殺の爪が、エリーゼの顔面へと打ち下ろされてゆく。
研ぎ澄まされた爪の先端が、エリーゼの頬を捉え、掠め、朱色の線を引き。
束ねられたプラチナの頭髪を解いて。
――床へと逸れた。
「!?」
手首を捉えたエリーゼの両手が、右腕ごと上体を引き込んだのだ。
更に右腕は捻られ、同時にエリーゼの右脚が、ナヴゥルの首に絡まる。
次いで伸び切ったナヴゥルの右腕を、エリーゼの左脚が外側から捉える。
ナヴゥルの首と腕を抱えた両脚が、後頭部でしっかりと交差、固定された。
圧倒的な恐怖が、ナヴゥルの背筋を貫く。
「……ッ!!」
理屈は解らない。
しかしこの体勢。この状態。
これは絶対にまずい。
エリーゼの脚が、自身の右肩が、首筋を締め上げている。
いったい何が。この技術はいったい。
駄目だ! 振り解かねば!!
左腕はロングソードの斬撃を受け、もはや動かす事が出来ない。
右腕も伸ばし切った状態で引き絞られ、動かす事が出来ない。
左右の籠手に仕込まれた爪を稼働させようとするが、動かない。
『ドライツェン・エイワズ』から吐き出されたワイヤーが、フックが、爪の可動部に潜り込み、絡まっているのだ。
ナヴゥルは身を捩り、エリーゼを振り解こうとする。
だが解く事が出来ない、どうやっても解く事が出来ない。
エリーゼの脚に、腕に、ワイヤーが巻きつき、手脚を固く結束しているのだ。
砕けんばかりに歯を食いしばり、全身に力を込めてもがく。
足掻く、足掻こうとする。
しかし動けない。
否、もはや、緩慢にしか動く事が出来ないのだ。
濃縮エーテルの急激な消失。
更に、激しい戦闘行動による血圧の上昇。
その上で、首の頸動脈を一気に締め上げられている。
『エメロード・タブレット』を維持する『人工脳髄』の稼働に必要な酸素供給が、停止する。
もはや意識すら保てない。
だが意識を失えば、それは。
――負けるのか?
私は負けるのか!?
否! 駄目だ!
まだだ!
なんとしても! 策を! 手立てを!
勝利を! 我が主の為に!
我が主の為に!
私は、私は――!
私は――我が主の。
我が主に……。
暗く霞む視界の中で、血に塗れたエリーゼの白い相貌が滲む。
肩から背中へと流れる、銀色の長い頭髪まで紅く染まっている。
紅いドレス、紅い首筋、濡れ光る紅い瞳。
切なげに眉根を寄せて。
戦慄きながら、微かに綻ぶ紅い唇。
その唇が、小さく動いた。
「――お見事です」
転がる銀の鈴を思わせる囁きが耳朶を打った時。
ナヴゥルの意識は静かに暗転していた。
※来週(3/21)の更新はお休みとなります、ご容赦下さい。
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