開戦前夜

第31話 博戯

 巨大な円形闘技場の隣りに並び建つ、白亜の建物『喜捨投機会館』。

 グランマリー教会上層部直属機関の『枢機機関院』が管理するその建物は、グランギニョールで行われるコッペリア同士の仕合……聖戦を通じて、グランマリー教会への『喜捨』と、聖戦の喜びを分かち合える『投機』の機会を、等しく貴族達へ提供するべく設けられた、公営の遊興娯楽施設だった。


 グランギニョールの開催が近づき、仕合に参加するコッペリアの名と所属が公示される時期ともなれば、貴族達が大挙して押し寄せ、施設の掲示スペースに貼り出された経歴と掛け率を確認しつつ、勝敗の行方を占う事が通例となっている。


 グランギニョールの開催を二日後に控えた今日。

 レオンはシャルルと共に『喜捨投機会館』へと赴いていた。


 ゴート風の意匠が凝らされた石造りの建造物は、荘重な風情を湛えていた。

 巨大な石柱が建物の周囲に連なり、スレート葺きの勾配屋根を支えている。

 神殿を思わせる建物の造形は、グランマリー教の指針に則っているのだろう。

 石柱の間を抜けると、係員と警備員の並ぶ正面ゲートが設けられており、ゲートを通り過ぎれば、そのまま広々とした施設中庭の入り口へと辿り着く。

 建物自体が、回廊状の構造となっていた。


 掲示スペースとして開放された中庭は、既に多くの貴族達で溢れている。

 白いクロスの敷かれたテーブルが、中庭入口脇に設置されており、そこには磨き抜かれたワイングラスと、一口サイズに作られた色鮮やかなオードブルが、クラッシュアイスの上に並んでいた。


 フロックコートにシルクハットの貴族達、バッスルドレスにトーク帽という装いの婦人達が、ワイングラス片手に談笑しつつ、中庭の向こう正面に設置された、巨大な掲示板を見上げている。

 そこには何枚ものポスターが、二枚一対の横並びに、貼り出されている。

 その数、合計で二十八枚。

 今回のグランギニョールに参加する、コッペリア達のポスターだった。


 飾り罫で彩られたポスターには、モノクローム肖像写真が嵌め込まれている。

 写真の下には名前と所属、戦歴といったプロフィールが記載されている。

 二対ずつ横並びとなっているのは、対戦者である事を示しているのだ。

 そしてポスターの下段には、現在のオッズが記入された木製プレートが掲示されている。


 オッズとは『枢機機関院』の担当官……オッズ・コンパイラー達が、過去の戦績や、制作者であるピグマリオンの実績を基準に算出した、デシマル形式の倍率であり、貴族達のベッティング(賭け)が開始されると、随時変動する仕組みになっている。


 簡単に説明するなら、『乙』というコッペリアが勝利するか、『甲』というコッペリアが勝利するか、あるいは『引き分け(両者行動不能)』となるか、基本的に三種類から結果を選択する賭博であり、より可能性の低い結果を選ぶほど、オッズ倍率は高くなる。


 とはいえ倍率の高さを見込んだ者が大勢発生し、可能性の低い結果に選択が集中すると、今度は逆に『選択者が多い=可能性が上がっている』という理屈が成り立ち、自動的にオッズが下がる……つまり変動する事となる。


 あるいは、余りにも実力差の大きな仕合であると判断された場合は、『甲』と『乙』の勝敗だけで無く、オッズ的に有利な側の勝ち方を指定して賭ける事で、高額な配当金を狙う事も可能だ。


 ただし、仕合に参加するコッペリアの保有者及び管理者、そして利益で繋がる関係者は、自身が属するコッペリアの『敗北』に賭けてはならない。

 これを認めれば、金銭目当ての片八百長が横行する危険がある為だ。

 『自陣営の敗北』に賭ける行為は、公式ルールとして明確に禁止されている。


 この様な賭博がグランギニョールでは一般的であり、『枢機機関院』はこの賭博の胴元となり『喜捨投機』と位置づけ、広く推奨しているのだった。


「見ろ、あったぞ、レオン」


 濃紺のフロックコートを纏ったシャルルが、傍らのレオンに囁く。

 黒いフロックコート姿のレオンは、小さく頷く。

 人混みに紛れて見上げた掲示板の上段。

 一日目の最終戦、七試合目の位置。

 『衆光会所有・エリーゼ』対『ラークン伯爵所有・ナヴゥル』。

 二枚のポスターが、並べて掲示してあった。


 レオンは、ポスター下に提示されているオッズの数字を確認する。

 『ナヴゥル=1.25』『エリーゼ=12.25』『引き分け=34.00』

 つまり枢機機関院のオッズ・コンパイラー達は『エリーゼの敗北が濃厚である』という判断を下しているのだ。


 当然だろうとレオンは思う。

 初参加のエリーゼと、グランギニョールのランキング一〇位。

 この差がそのままオッズに跳ね返っている。

 シャルルは抑えた声で言った。

 

「オッズの偏りが激しい。俺達のベッティングで変動する可能性もあるが、これで勝てれば……」


 レオンは黙ったまま頷く。

 シャルルの言わんとしている事が、理解出来る為だ。

 確かにこの仕合で勝てたなら、今後のオッズ変動にも拠るが、二仕合目、三仕合目で、目標金額に届く可能性が出て来る。

 希望的観測ではあるが、それが現状では最善だろう。

 その時。


「勝てれば? 当家の『ナヴゥル』に勝てれば……何かね?」


 妙にしゃがれた、高圧的な声が辺りに響いた。

 シャルルは顔を上げ、レオンは振り返る。 

 背後に、丸々と肥え太った小男が、嫌な笑みを浮かべて立っていた。

 紫色のフロックコートが丸く膨らみ、パンパンに張り詰めていた。

 突き出た腹を、強引に抑え込んでいるかの様だ。

 薄い頭髪は整髪油でピッチリと撫でつけられ、テラテラと塗れ光っていた。

 派手なフリルのドレスシャツに緑色のタイ、短い指には瑪瑙の指輪。

 目の下の弛みと、顎の下の弛みがブヨブヨと揺れている。

 その周囲を取り囲む様に並ぶのは、黒いスーツを着た彼の護衛兼従者達だ。

 ラークン伯……ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークン伯爵、その人だった。


「久しいね、ダミアン卿。数か月前……数期前のグランギニョール以来かな?」


「ご無沙汰しています、ラークン伯……。その節は失礼しました……」


 口髭を太い指でなぞりつつ、ラークン伯は言う。

 シャルルは表情を曇らせながらも、黙礼と共に社交辞令を返す。

 そんなシャルルの様子に、ラークン伯は唇の端を吊り上げた。


「ところで二日後に開催されるグランギニョール、また君が所属している衆光会所有のコッペリアと、再び対戦する事になってねえ、いやはやなんとも……」


「……良い聖戦を、聖女グランマリーに捧げましょう」



 貴様が仕組んだのだろう、という想いがレオンの裡に湧き上がる。

 しかしそれを口にする事は無い、憶測に過ぎない上、無意味だ。

 シャルルも同様なのだろう、返答は形式的な挨拶に留め、その場を立ち去ろうとレオンを促した。

 だが、ラークン伯はそれを許さなかった。

 

「待った待った! なんだって? 良い聖戦を聖女グランマリーに捧げる? 君がそれを言うのかね? いやはや……前回の仕合をお忘れか? ダミアン卿はグランギニョールで、どの様な有様だったのか、それをお忘れか?」


 嘲りを含んだその声は、極めて大きく周囲に響いた。

 中庭で掲示板を見上げていた貴族達も、一斉に振り向く。

 数多の視線が一気に集まった。

 ラークン伯と、そしてシャルルに。

 ラークン伯は、だらしの無い腹肉を揺らしながら、いやらしく嗤った。


「君はグランギニョールの聖戦を穢したのだよ? ダミアン卿。聖女グランマリーに捧げられる筈の聖戦に際して、命乞いをして見せたのだよ?」


 ラークン伯の、ざらついた声音が、大きく響く。

 離れた場所で歓談していた貴族達も、何事かと集まって来る。

 シャルルとレオン、そしてラークン伯を丸く取り囲む様に集まって来る。

 ラークン伯は目を細めながら周囲を確認し、両手を軽く広げて言葉を続けた。

 

「次の聖戦でも、前回と同じ様に『仕合を途中で止める』などという愚を犯さない様に願いたいものだ。お解りか? 聖戦は喜捨と投機の対象なのだよ? グランマリーに対する信仰を示す場なのだ、キミはそれを邪魔したのだよ? もう二度と、ここに参加しておられる方々に迷惑を掛けないと誓えるのかね?」


 それは強烈な侮辱だった。

 いかに貴族としての家格が違うとはいえ、この物言いは本来有り得ない。

 しかし周囲を取り囲む貴族達は、ラークン伯の弁に物申す様子など見せない。

 むしろ、愉しんでいる節さえある。

 先のグランギニョールでの件を、覚えている者が多いのだ。


 更にシャルルが参画している衆光会も、貴族社会では疎んじられている。

 シャルルが世襲貴族では無い事も、事態を悪化させている。

 故にラークン伯の発言を、誹る者など現れない。

 この場において、シャルルは孤立無援の状態だった。

 

「レオン、行こう……」


 シャルルは無表情のままレオンに耳打ちし、歩き出そうとする。

 この場を切り抜けるには、それが最善の判断かも知れない。

 しかし、そんなシャルルを逃すまいと、ラークン伯が追い討ちを掛ける。


「どこに行かれるつもりかね? ダミアン卿。私は次回の対戦相手だよ? 前回と同じ様に仕合を妨害されては困ると、そう言っておるのだよ。ここに集って下さった方々も同様に心配しておるのだ、君がまたも暴走して、喜捨と投機が無駄になるのでは、とね」


 ニヤニヤと笑み崩れるラークン伯の、陰湿な口撃は止まらない。

 事の行く末を見守る貴族達もまた、口許に冷笑を浮かべている。

 ラークン伯は周囲に集まった貴族達を見回すと、掲示されているエリーゼのポスターを、指で指し示しながら口を開いた。


「お集まりの紳士淑女諸君! 如何ですか!? あのポスターをご覧下さい! 彼女が衆光会の代表たるコッペリアだ! どうです!? ああ、またぞろこの手合いだ! 前回もこの様な、少女のコッペリアだった! 確かに愛らしくはありましょう、見目麗しくはありましょう、ですが聖戦に参加する資格を有していると言えますか!? この華奢な身体で! 戦うのですよ!? 戦いに適していると言えますか!? このコッペリアが!」


 過剰にして執拗なラークン伯の言葉が、貴族達の嗜虐心を擽り煽る。

 粘りつく様な陰湿さであり、悪意に満ちた名調子であった。

 弛んだ頬肉を震わせながら、ラークン伯は更に追い討ちを仕掛ける。


「数期前のグランギニョールでもそうだった! こんな少女の如きオートマータだった! 今回もだ! ダミアン卿は何か、勘違いされておられるのでは!? グランギニョールは聖戦を捧げる場だ! そこにこんな……愛玩用の様なオートマータを持ち込んで! こういった幼げな少女を愛でるという、高尚な趣味でもおありですかな!?」

 

 極まった暴言だった。

 シャルルは血相を変えて、ラークン伯を睨みつける。

 そのまま歩み寄ろうと振り向く。

 しかしレオンが、シャルルの腕を掴んで止めた。

 ラークン伯の意図を推察したのだ。


 オッズだ。

 ナヴゥルとエリーゼの掛け率について、レオンは考えていた。

 現時点で『ナヴゥル1.25倍:エリーゼ12.25倍』と発表されている。

 かなりの偏りはあるが、これならまだ賭けが成立するだろう。

 しかし大貴族であるラークン伯が、衆光会とシャルル、そしてエリーゼのマイナスポイントを、喜捨投機会館内で公然と挙げ連ね、激しく罵倒し、それでもなお、周囲から全く否定され無いという状況が、広く知れ渡ったなら。

 多くの貴族が賭けるに値しない仕合だと、判断するかも知れない。

 すると更に、オッズが偏る。

 有り得ないレベルで偏る恐れもある。


 そうなれば、グランギニョールを管理する『枢機機関院』が、ギャンブルの質を維持出来ない仕合であると、決定を下す危険も出て来る。

 エリーゼの参加するこの仕合は、払い戻しの対象となり、エキシビジョン扱いとなってしまう。

 そんな状況を、ラークン伯が意図的に狙っている……その可能性を感じる。


 つまり、こちらの資金回収手段を断ち、ヤドリギ園周辺の土地を早々に買い上げる為の手段を講じている、という事だ。


 更に付け加えるなら、貴族社会に馴染めないシャルルを強引に責め立て、煽り続ける事で問題を誘発させたなら、そのままシャルルと衆光会をグランギニョールから締め出す事も可能だろう。

 いずれにしても、ここで極端な反応を示し、ラークン伯にペースを掴ませる事は、マイナスにしかならない。 

 問題の発生と拡散は、ラークン伯の望むところなのだ。


「行こうと言ったのは君だぞ、シャルル。先に手続きを済ませるべきだ」


 レオンは冷静さを保ったまま、低い声でシャルルに伝える。

 表情を強張らせていたシャルルは、それでもレオンの言葉に小さく頷く。

 だが、ラークン伯の悪意に満ちた追撃は止まらなかった。


「ほっほっ! 言い返す言葉も無しとは、まさかの図星ではありますまいな? 確かに事実なら、自慢出来る趣味ではありませんからなあ!? いやいや、むしろ自慢の愛玩人形を衆目に晒し、社交界で注目を浴び、自己顕示欲を満たしたいと!? 市井より這い出した家柄のお方は、随分と強靭な精神をお持ちの様だ!」


 クスクスと忍び嗤う声が、漣の様に辺りから漏れ聞えて来る。

 シャルルの立場に理解を示す者など、一人もいない。

 レオンはシャルルの腕を引き、そのまま歩き出そうとする。

 そんなレオンの背にも、ラークン伯の嘲笑う言葉が投げ掛けられた。


「ところで君は誰かね? ダミアン卿と随分、親しそうだが? ん? 衆光会の関係者かな? それとも同好の士という間柄かね!? 愛玩人形がお好きかな!? 名前をお聞かせ願えまいか!?」




「――レオンですよ」


 レオンの物では無い、錆を含んだ声音が、朗々と辺りに響いた。

 新たな声の主に、集まった貴族達が一斉に視線を送る。

 中庭入り口に程近い、大きなパラソルの下。

 その男は木製のガーデン・チェアにゆったりと座り、軽く脚を組んでいた。


「レオォオオン・ランゲ・マルブラァアアンシュ。彼はボクの一人息子です――ラークン伯」


 シルバーグレーのフロックコートに、シルバーグレーのスーツ。

 胸元を飾るタイとポケットチーフは、鮮やかなワインレッド。

 グレーの頭髪にグレーの瞳。

 左目には銀の細い鎖が揺れるモノクル。

 口許に子供っぽい笑みを浮かべていた。


 長身痩躯であり若々しくも見えるが、目元の皺から考えれば五〇代半ばといったところか。

 そして何よりも特徴的な、ゴールドに輝く精緻に作り込まれた金属製の左腕。

 中庭に集う貴族達が、口々にその名を囁き始めた。


「天才ピグマリオンの、マルセルだ……」

「マルセル・ランゲ・マルブランシュ卿……」

「達士(アデプト)・マルセル……」


 マルセル・ランゲ・マルブランシュ。

 レオンの父・マルセルは、真珠の様に白い歯を煌めかせ、楽しげに笑った。

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