起死回生

第26話 交渉

 政治団体『衆光会』本部は、ガラリア・イーサの特別区画を守護する、巨大な防衛外壁に程近い高級住宅街、その入り口となる街道沿いに建てられていた。

 五階建てのレンガ造りであり、壁は白い漆喰で綺麗に固められ、剥落も無く、鋳鉄パイプが整然と配管されている。


 華美な装飾こそ施されていないものの、一般居住区内の建物にしては、随分と瀟洒かつ堅牢な作りだ。この団体に参画する複数の貴族が、それなりの立地と居住性、利便性を要求したのだろう、維持費用も決して安くは無さそうな物件だった。


 レオンとシャルル、そしてヤドリギ園・副院長であるシスター・ダニエマの三人を乗せたカブリオレ型蒸気駆動車は、衆光会々館の敷地内へ乗り入れる。 

 タールマカダム舗装された車回しに白い縁石、緑の芝生が美しい。

 資金繰りに困っているという話を何度も耳にしたが、とてもそうは思えない。


 建物の入り口でシャルルが身分証を示す、それを確認した守衛達は、鉄製の飾り蝶番と面格子が取り付けられた重厚な扉を、ゆっくりと押し開く。

 エントランスホールには受付カウンターが設けられており、レオンとシスター・ダニエマは、そこで訪問を示す記帳を行い、そのままシャルルと共に、応接室を訪ねた。


 大きな窓から陽光の差し込む応接室には、黒いローテーブルと、ベルベット地のソファが設置されていた。

 ソファには今回の交渉相手であるコルベル運輸の代理人、そしてヤドリギ園の土地を管理しているルイス卿の代理人が、既に腰を降ろしている。

 当然の事ながら親しい間柄では無い、コルベル運輸の代理人に至っては敵対しているも同然の関係だ。

 社交辞令を省略し、シャルルはレオンとシスター・ダニエマの紹介を行い、二人はそれぞれ軽い会釈で応えた。


 シャルルは事前にレオンから、今回の経緯を伝えられている。

 エリーゼが自ら、グランギニョールへ参戦を希望した事も知っている。

 内心、忸怩たる想いがあった事は想像に難くない、しかしシャルルは全てを飲み込み、レオンとエリーゼのバックアップを行うと約束したのだ。


 三人がソファに座ると、グレーのスーツに身を包んだコルベル運輸の代理人が、ぎょろりとした眼を光らせ、指先でモノクルを摘みつつ、テーブルの上へルイス卿と交わした契約書類を広げて示した。


「――手短にいきましょう。ヤドリギ園の敷地及び周辺関連施設の土地、二〇ヘクタール分、これらの土地はこの通り、既にルイス卿からコルベル運輸へ、正式な売却が決定していました。にも拘らず居住権を盾に、立ち退き反対を主張するというのは如何な物でしょう。裁判で争うなら半年足らずで、間違いなく我々が勝ちます。強制退去は免れませんよ? 無駄に時間を稼ぐ意味が解りません。それとも、土地購入の目処が着いたという事でしょうかね?」


「その通りです」


 白のシャツに黒いウェストコートを着込んだレオンは、あっさりと肯定した。

 どの様に交渉を行おうと意見は平行線だ、ならばさっさと話を進めるに限る。

 

「衆光会の尽力もあり、土地購入の資金を賄う目処がつきました。確実とは言えませんが、その結果を待って頂きたい。これは居住権を持つヤドリギ園サイドの正当な主張です」


「それは何時までを指しての事でしょうか? ヤドリギ園周辺の資産価値は現在のところ四億四〇〇〇万クシール、ですがそちらが購入を主張しておきながら入金を渋るという事なら、コルベル商会としては機会損失の補償も要求せざるを得ない、待てという事ならそれ込みで半年、四億八〇〇〇万クシール。これも正当な主張でしょう、待てる期間は半年が限度です」


「半年……」


「そちらの方で支払い能力があると主張しているのにも関わらず、だらだらと期日を引き延ばすとなれば、それは居住権を盾にした居直りに過ぎないと司法も判断するでしょう、それは間違いなく裁判に影響する、我々の待てる限度と損金のバランスを考えても、半年以内に四億八〇〇〇万クシール、それが限界です」


 やはり驚くほどに高額であり、そして半年――六ヶ月という期日も、非常に厳しく思える。

 黙したまま話に耳を傾けていたシスター・ダニエマが、微かに眉を顰める。

 しかし、それでも無茶な要求だと突っぱねる事は出来ない。

 法的に争うなら、明確にヤドリギ園側が不利なのだ。


 ただ、この一件は偶発的な事故ではない。

 レオンの父・マルセルによって仕組まれた出来事だ。

 だからこそ、ヤドリギ園が居住権を盾に居座る事を、ルイス卿の代理人が認めている、故にこの様な話し合いが可能となっている。

 レオンは口を開いた。


「解りました。確かに半年程度は時間が掛かる可能性もある。損害補償を含めた金額が四億八〇〇〇万クシールと仰っていましたが、正確な内容と金額算出について、ルイス卿の売却が成立した日から計算し半年分、書面として提出をお願いしたい。それでよろしいか?」


 半年と言うなら、それは飲むしか無い。

 半年の猶予が得られたと考えるしか無い。

 四億四〇〇〇万が、賠償額を含めて四億八〇〇〇万クシールになったとしても……常識の範囲内であり、根拠があるなら、応じるしか無い。


 レオンの行おうとしている事は、要するに博打だ。

 博打にヤドリギ園の命運を賭けているも同じ、決定的な要素など何も無い。

 否定に足る根拠が無いのだ。

 しかも今は、それしか道が残されていない。


 その事を知っているシスター・ダニエマも、問題の対応をレオンとシャルルに預け、沈黙を貫く事しか出来ない。しかしそれは、無責任なのでは無く、この場を見守る責任者としてレオンを信頼し、園長の決定を尊重している為だ。

 コルベル運輸の代理人は、軽く肩を竦める仕草をして見せると、ローテーブルの下に置いてあったトランクから、小型のタイプライターを取り出す。

 

「どの様な手段を用いるつもりかは知りませんが、支払い意思があり、ルイス卿側からのクレームも無く、居住の理由に一定の法的根拠がある以上……こちらは半年間、待つしかないという事ですかね。良いでしょう。正式な文書を添えて、金額に関する書類を後日、使者に届けさせます。では今の内容を書面にしますので、今しばらくお待ち下さい。後に確認とサインをお願いします」


 そう告げたコルベル運輸の代理人は、無表情のままタイピングを開始する。

 ルイス卿の代理人は興味無さげに、袖口のカフスを指先で弄っている。レオンの予想通り、この売買に大した興味が持てないのだろう。

 コルベル運輸代理人との交渉はスムーズに行われ、程無く終了した。

 

 衆光会本部を後にしたレオンとシャルルは、駆動車内でグランギニョールの登録手続きについて話し合う。


「衆光会の参加枠を使うのだろう? 手続きは俺が請け負う。ただ、参加枠が未だ有効かどうか、先に確認させてくれ。グランギニョール内で、衆光会の評判は良いとは言い難い、アーデルツの仕合を俺が強制終了させた件もある……」


「ああ……でも、問題は無いだろう。この一件には、僕の父が絡んでいる」


「――確かにな。今日のルイス卿代理人の態度を見れば、レオンの話にも得心が行く。資金的に問題があるのは事実だろうが……売買以上のメリットを、君の父親に提示され、いきなり売却をぶち上げたのかも知れない。とはいえ念の為だ。枠の有無はすぐに連絡するよ」


「解った、よろしく頼む」


 シャルルの言葉にレオンは頷き答えた。

 

◆ ◇ ◆ ◇


 広々としたその空間は、ヤドリギ園の敷地内に設けられた礼拝堂だった。

 入り口の重厚な扉を押し開けば、木製の長椅子が整然と並んでいる。

 床材はオレンジ色のテラコッタ、壁は白い漆喰で固められたレンガ造り。

 天井は高く、太い木製の柱に支えられ、美しいアーチを描いている。


 正面の壁に掲げられているのは、大きなグランマリーのシンボル、杖と蛇に翼を組み合わせた、馴染み深い紋章だ。

 紋章の両サイドには縦に長く設けられた、色鮮やかなステンドグラス。

 ステンドグラスを通して床に落ちる陽光は、複雑な色彩に輝いている。

 輝ける色彩の谷間には、花サフランの飾られた木製の祭壇が配置されており、祭壇には、清潔な白いクロスが敷かれていた。

 

 クロスを除けば、木製の祭壇も、長椅子も、テラコッタの床も、時と共に劣化し、古びている様に見える。しかし古びてはいても、手入れが行き届いている為、みすぼらしい印象は受けない。

 むしろ時を経てなお、清浄さが保たれている事実に敬意が感じられる。

 神聖さとは、そこへ集う人々によって作られるのだろう。

 そんな礼拝堂の床を、灰色の修道服を纏ったエリーゼが、エニシダの箒で埃を立てない様、静かに掃き清めていた。


 一見すると礼拝堂の床は、さほど汚れていない様に見える、とはいえ午後の礼拝に訪れたのは、昼の間に散々、ヤドリギ園の庭で遊び回った子供達だ、細かな砂に砂利に泥、木の葉が散らばり落ちているのだ。

 エニシダの枝がテラコッタに擦れ、小気味の良い音を立てていた。


 ふと。

 無言で掃除を続けていたエリーゼは、顔を上げると、入り口を見遣った。

 程無くして、礼拝堂の入り口に設けられた木製扉が、勢い良く押し開かれた。

 姿を現したのはカトリーヌだった。


 普段と様子が違う。

 走って来たのだろうか、呼吸が乱れている。

 豊かな胸元に手を添え、つぶらで大きな瞳を潤ませている。

 その表情には、悲痛な色が滲んでいる。

 カトリーヌは礼拝堂の中を見渡し、エリーゼの姿を見つけると声を上げた。


「エリーゼッ」

 

 カトリーヌは、修道服の裾が乱れるのも構わず、小走りに駆け寄る。

 エリーゼは掃除の手を止めると顔を上げ、カトリーヌの方へ向き直った。


「エリーゼ、私っ……」


 カトリーヌは、エリーゼの細い肩を抱き寄せると、改めて名を呼ぶ。

 エリーゼは腕を伸ばすと、手にしていた箒をそっと祭壇へ立てかける。

 

「ごめんね……エリーゼ、本当にごめんなさい……」


 カトリーヌは何度も謝罪の言葉を繰り返す。

 そして、嗚咽を洩らす。

 エリーゼはカトリーヌが落ち着きを取り戻すまで、黙したまま動かない。

 そのまま、幾許かの時が流れて。

 やがてゆっくりと、カトリーヌはエリーゼから身を遠ざけた。


「その……ごめんね? 急に抱きついたりして……」


 手のひらで涙を拭いながら、カトリーヌは謝罪する。

 エリーゼは修道服のポケットから白いハンカチを取り出すと、差し出した。


「これをお使い下さい」


 カトリーヌは、ありがとう……と言ってハンカチを受け取り、目許を拭う。

 エリーゼは、カトリーヌを見上げて言った。


「――グランギニョールの件について、お聞きになったのですね?」


 ハンカチを手にカトリーヌは俯く。

 呼吸を整えて答えた。


「うん……ヤドリギ園存続の為に、エリーゼが戦わなきゃいけなくなるって、…園長先生が……それで私……何も、何もして上げられなくて……ごめんなさい。私達の事なのに……エリーゼに頼るしか無いだなんて……こんなの……何て言えば良いのか……」


 カトリーヌの言葉に、エリーゼは小さく頭を振る。


「それは違います、シスター・カトリーヌ」


 その言葉に、カトリーヌは口を噤んだ。

 しかしそれは、否定の言葉で遮られ、戸惑ったからでは無い。

 自分に向けられた言葉が、驚くほど優しく響いた為だ。

 エリーゼは、穏やかな眼差しでカトリーヌを見上げながら言った。


「ヤドリギ園で暮らしているのは、私も同じでございます。私達の事……と、仰るのでしたら、そこには私も含まれております。ならば、問題解決に向けて私が行動する事に、何の矛盾もございません」


 銀の鈴を思わせる可憐な声音だ。

 だが、エリーゼを見つめるカトリーヌの瞳から、不安の色は消えない。


「でも危険過ぎるよ、あんな事やっぱり……怖いよ。エリーゼに何かあったらって……」


 更に発言しようとして、二度、三度、口を開き掛ける。

 でも、なかなか次の言葉が出て来ない。

 言い出し難い事なのだ。

 それでもカトリーヌは、擦れた声を震わせながら言った。

 

「エリーゼがヤドリギ園に来る前……グランギニョールに参加した、オートマータの女の子が搬送されて来て、ボロボロだったんだよ……」


 カトリーヌは、アーデルツが搬送されて来た時の様子を思い出していた。

 血の滲む包帯で顔を覆われた、小さな身体を思い出していた。

 目も当てられない程に酷い状態で。


「取り返しがつなかいくらい損傷が酷くて……レオン先生が言ってた、この子は戦える身体じゃ無いって。身体も小さいし、この子は戦えないって、何度も言ってたんだ……」


 温厚なレオン先生が血相を変えて、戦える身体では無いと叫んでいた。

 その通りだと思った。

 壊れそうなほどに、小さくて華奢な身体だった。


 そしてその身体は、機能不全を起していたエリーゼに移植されたのだと聞いている。

 つまりエリーゼの身体は、あの子の身体と、さほど変わらない筈なのだ。

 カトリーヌは、再び嗚咽を洩らして俯く。


「戦闘用で無い身体では戦えないって……レオン先生が言ってたんだ……レオン先生がそう言って……そう言ってたのに……それでも私達はエリーゼに頼る事しか出来なくて、止めてって言えなくて……私は何もせずにいて、こんなの卑怯で……ごめんなさい、ごめん、ごめんね……」


 あの残酷を知っているのに。

 あの残酷をエリーゼに強いる事でしか、居場所を守れない。

 カトリーヌは己の無力に痛みを感じていた。



 

「嬉しゅうございます。シスター・カトリーヌ」


「えっ……?」


 思わぬ言葉にカトリーヌは顔を上げる。

 エリーゼが微笑んでいた。


「泣かないで下さいまし。泣く必要などございません」


 嫣然という言葉が相応しい笑みだった。

 エリーゼは口許を綻ばせたまま、静かに告げた。


「――幾度も幾度も死地へ赴き、幾度も幾度も死線を潜る、それのみを望まれ、それのみを望む、それで好しと思っておりました。そう望まれる事を望み、そう望む、その様な魂だったのでございます」


 滔々と紡がれる言葉が、昔話の様に流れる。

 カトリーヌは、その言葉の意味を掴む事が出来ずにいた。

 それでも黙って耳を傾け続ける。


「コッペリアとして、この現世に留まりし訳など唯のそれのみ、でなければ現世なぞ虚ろにして朧、闘争の宴に咲く刹那の華こそが真にして現……その様に思っておりました。ですが――」


 右手を胸元へ添え、エリーゼは告げた。


「ですが、この地、この場、この時に於いては、違うのでございますね? 戦う事に意義があり、生きて残る事を望まれて……これほどの誉(ほまれ)、エリーゼは幸せ者にございます」


 一点の翳りも無い紅の瞳が、美しく濡れ光り、煌めいていた。

 以前にも、この煌めきを見た事があると、カトリーヌは思った。

 

 あの日。

 路上で暴漢に襲われた日。

 肩越しに私を見て、妖艶に微笑んだ……あの時の瞳だった。

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