第27話 朧月

 コルベル運輸との会見を行った翌日。

 衆光会枠現存の確認が取れたと、シャルルからの連絡が入った。

 ただ、既に参加実績がある以上、下位スタートでは無く、初戦から本戦レベルの試合となる可能性を示唆されたと言う。


 理不尽な話ではあるが、過去にシャルルが完全決着の約定を反故にした経緯を思えば、枠が取り消されなかっただけでも、良しと考えるべきかも知れない。

 ただ、実際にはレオンの父・マルセルの威光で、衆光会の枠が消される可能性など、低かったのかも知れないが。


 いずれにせよ、エリーゼのグランギニョール参加が確定となった以上、準備が必要になる。

 レオンは園長とカトリーヌに、その旨を説明した。

 しばらく医院の仕事をシスター・カトリーヌに頼みたい、申し訳ないが協力をお願いしたい……カトリーヌはレオンの要請に、一も二も無く快諾した。

 留守の間は全て任せて欲しいと応える。

 カトリーヌにしてみれば、ヤドリギ園の存続が懸かった状況で、何の力にもなれない事こそが苦痛だったのだ。

 

「ありがとう、シスター・カトリーヌ。もし重篤な患者が訪ねて来たなら連絡して欲しい、二時間もあれば戻れるから」


「はい! レオン先生も無理なさらず、頑張って下さい!」

 

 力強く頷くカトリーヌは、闊達な笑みと共に答えた。

 些か気負い過ぎに見えなくも無い、しかしそれはレオンに余計な心配をさせぬ様、努めての事なのだろう。

 その心遣いに感謝しつつ、カトリーヌに医院を託したレオンは、シャルルに駆動車と運転手の手配を頼み、特別区画内にある自身の『練成工房』へ、エリーゼを伴い赴く事にした。


 

「エリーゼ、グランギニョールに参加するなら『外殻』が必要だ。エリーゼの身体は神経伝達と反射を優先してる、痛覚も人間並みに存在するし、筋力、瞬発力は戦闘用に特化したオートマータにはどうしても及ばない、そのままでは戦えないだろう」


 特別区画へ移動する車内で、レオンは言った。

 『外殻』――それは、アーデルツがグランギニョール参加時に着用装備していた、エーテル蒸気駆動式『全身強化外殻』を指していた。


 銃火器の使用が制限されたグランギニョールに於いて、筋力と瞬発力の差は勝敗を大きく左右する。むしろ容易に覆せるアドバンテージでは無い。

 その差を埋めるべくレオンは、全身を覆うタイプの強化外殻着用を、エリーゼに提案したのだ。

 

 強化外殻とは、過去の国家間戦争に於いて開発された、歩兵の為の武装であり、その技術をオートマータに転用した物だった。

 人体の微弱な生体エーテルに感応して駆動するそのシステムは、エーテルそのものをエネルギーとして稼動するオートマータとの相性が良く、筋力や瞬発力の向上は言うに及ばず、痛覚抑制や多腕化、特殊武装装備といった、オートマータならではの幅広い用途を生み出していた。


 ただ、低出力のオートマータをサポートする装備として有効ではあったものの、強化と負荷のバランス調整が難しく、攻撃性能を上げようと複雑化すれば、不安定な要素が増えるというデメリットが存在した。


 結果的に、不安定な外殻を用いるくらいならば、戦闘に特化した高品質なコッペリアを練成した方が良い、オートマータは戦闘用コッペリアである……という考えが主流となり、近年では『全身強化外殻』を装備するオートマータは減少傾向にある。


 とはいえ、戦闘用コッペリアとして練成されていないエリーゼの身体にとって、強化外殻は必要不可欠な装備に思えた。

 しかしエリーゼは、首を縦に振る事無く答えた。


「ご主人様、可能ならば、強化外殻よりも優先して頂きたい武装がございます」


 外殻の制作には時間が掛かる。

 出来れば早めに取り掛かりたいという想いがある。

 しかし実際に戦うのはエリーゼだ、尊重すべきだろう。


 ヤドリギ園を出て三〇分。

 駆動車は特別区画を取り囲む巨大な城砦の、楼門を通過する。

 更に十数分、街路を走り続けると、レオンの練成工房へ辿り着く。

 駆動車を停める為に設けられた前庭と、レンガ造りの建物が二棟。

 工房に立ち入るのは、エリーゼを蘇生した日以来だった。


◆ ◇ ◆ ◇


 レオンは工房内のエーテル水銀灯を点灯すると、漆喰壁に伝う鋳鉄ダクトのバルブを次々と開放し、換気扇を起動させた。

 そして工房入り口脇の小部屋へ、エリーゼを招く。


 面格子の取り付けられた窓を開け、部屋の空気を入れ替えたレオンは、エリーゼにソファを薦めた。

 灰色の修道服に身を包んだエリーゼは、膝を揃えてソファに腰を降ろす。

 レオンはコートをハンガーに掛けると、ローテーブルを挟んだエリーゼの向かいに座り、口を開く。


「駆動車での話の続きだが……エリーゼの言う武装が、どんな物か教えて欲しい。全身強化外殻よりも優先したいと言う事なら、接続コネクタを使用する、特殊な武装なんだろう?」


 レオンの質問に、エリーゼは頷き答える。


「仰る通りでございます。私が過去に使用していた特殊武装でございます、ご主人様が練成された『この身体』であれば、問題無く使いこなせます。ならばそれに勝る備えはございません」


 エリーゼは、レオンに紙とペンを貸して欲しいと告げる。

 レオンはキャビネットに手を伸ばし、便箋と万年筆を取り出す。

 万年筆を受け取ったエリーゼは、便箋に絵を描き始めた。


 さらさらと澱み無くペン先が滑り、瞬く間に精緻な絵が浮かび上がる。

 以前、シスター・カトリーヌから、エリーゼの手先の器用さについて聞かされた事があったが、これは瞠目に値する繊細さだ。

 一〇分後、絵を完成させたエリーゼは、便箋の端にサイズと材質を記入し、レオンへ差し出した。


「これは……?」


「三〇年前、私を練成した技師が、組み上げた武装でございます」


 写真と見紛う精度で描かれたそれは、武装とは思えない奇妙な機器だった。

 幾つもの歯車と滑車、金属ワイヤーで構成された――複合小型ウィンチ(巻き上げ機)と言ったところか。

 或いは円形の機械式時計に、見えなくも無い。


 上下幅の薄い円錐台形の本体部分中央に、大型のウィンチが一つ。

 それを囲む形で四つ、更に外側にも八つ、小型ウィンチが描かれている。

 小型ウィンチは、複数の関節を備えた八本の金属アームと連動しており、金属アームは本体から左右に四本ずつ伸びている。

 更にアームの先端部を含む要所に、それぞれ小さな滑車が取り付けられていた。


 金属アーム先端部の滑車からは、細いラインが伸びており、ラインはアーム関節部に沿う形で滑車を経由し、本体部のウィンチに巻き取られる機構となっている。

 緩やかな弧を描くアームの先端部から伸びたラインは、非常にしなやかな素材を想定しているのだろう、ただの鋼線やワイヤーでは、柔軟に巻き取る事が困難な筈だ、そしてラインの先端には金属製の鉤爪……フックが描かれていた。


 この絵から察するに、背中の接続コネクタを介して装備、使用する武装らしい。八箇所の小型ウィンチと多関節金属アーム、ライン、金属フック。

 これをどの様に扱うのか。

 そもそも武装として成立しているのかどうか。

 便箋を見つめるレオンの耳に、エリーゼの声が響いた。


「戦闘機『ドライツェン・エイワズ』と、制作者は呼んでおりました」


「ドライツェン・エイワズ……」


 言葉の響きは、ガラリアと対立関係にある、ウェルバーグ公国の公用語に似ている。しかし聞いた事の無い名称だ。

 辛うじて、ドライツェン……十三という数字が、機器に仕込まれたウィンチの数を指しているのかも知れないと感じる程度だ。

 エリーゼは更に続ける。


「内部構造は把握しております。工房の差分解析機をお貸し頂ければ、設計図を再現する事も可能です。『ドライツェン・エイワズ』の使用をお許し下さい。強化外殻に勝る武装であると、断言致します」


 蒸気式差分解析機――スチーム・アナライザー・ローカスを扱えると言う。

 きっと問題無く使いこなすのだろう。

 エリーゼが目覚めた当初は、練成の知識を有していた事に驚いたが、今となっては、彼女が練成技術に造詣が深い事など明白だった。

 何れにせよ内部構造を把握しているならば、図面の完成にそこまで時間は掛から無い筈だ。


 そして、強化外殻に勝るという言葉。

 グランギニョールで実際に仕合を行う――そして過去、実際に仕合を行っていたエリーゼの言葉だ。

 命を賭して仕合うのは、エリーゼなのだ。

 レオンは口を開いた。


「解った。『ドライツェン・エイワズ』の制作に取り掛かろう。基本設計はエリーゼに任せる。僕はサポートと実作業に回る」

 

「ありがとうございます、ご主人様」


 エリーゼは静かに眼を伏せた。


◆ ◇ ◆ ◇


 エリーゼと共に工房へ篭り三日、設計作業が完了する。

 これは予想外の早さと言えた。

 特殊武装『ドライツェン・エイワズ』の内部構造を、エリーゼがほぼ完全に把握していた事から、作業は驚くほどにスムーズだった。


 しかし問題はここからだと、レオンは考える。

 前例の無い武装だけに、既存兵器類からのパーツ流用が期待出来ず、必要パーツの大半を、一から削り出さなければならない。

 それらの作業と組み上げに掛かる時間……レオンは図面を確認しつつ、凡そ一ヶ月での完成を想定していた。


 同時にそれ以上、時間を掛ける事は難しいだろうと考える。

 グランギニョールに参加し、土地の購入資金を得る為には――オッズにもよるが――やはり複数回の仕合が必要になるだろう。

 とはいえ無謀な連戦は避けたい。

 適切なメンテナンスを行う為の、インターバルも必要だ。

 いずれにせよ、作業を急ぐに越した事は無い。

 猶予は半年しか無いのだ。


 設計図完成の翌日。

 レオンはエリーゼを伴い『ベネックス創薬科学研究所』を訪ねていた。

 必要な素材の手配を依頼する為だった。

 受付カウンターで座る娘に、レオンは話し掛ける。


「ベネックス所長はおられますか? 電信で予約していたレオンです」


「承っております、奥の診察室へお入り下さい」


 水色のブラウスを着た端正な顔立ちの娘は、黒縁眼鏡の奥で、静かに微笑みつつ、右手で診察室のドアを示した。

 レオンは一礼と共に、歩き始める。


 傍らに付き従うエリーゼは、娘を一瞥すると眼を伏せて会釈を残し、通り過ぎた。


 レオンが診察室のドアをノックすると、どうぞ、という声が中から響く。

 促されるままにドアを開ければ、ベネックス所長が両手を広げて出迎えた。

 

「待っていたよレオン。君からの電信を読んだ……ヤドリギ園で発生している問題について、概ね理解しているつもりだが……大丈夫なのかね?」


「はい。事態解決の為、自分に出来る事を行うつもりです」


 モスグリーンのドレスシャツに黒のコルセット、フレアスカートという出で立ちのベネックス所長は、レオンの傍へ歩み寄ると肩を抱いて頬を寄せ、親愛の情を示した。

 そのまま、レオンの表情を確かめる様に見つめ、静かに頷く。


「うん、迷いの無い良い顔だ。私にも出来る事があれば、何でも言って欲しい。全面的に協力するよ」


「ありがとうございます、ベネックス所長」


 レオンは謝意を口にする。

 ベネックス所長は銀縁眼鏡の奥で、悪戯っぽくウィンクを飛ばしながら言う。


「何度も言っているだろう、イザベラと呼んでくれたまえよ、レオン。まあ良い、必要な物を手配しよう……でも、その前に」


 そして、レオンの傍らに立つエリーゼを見遣った。


「この子が――例の女の子なのだろう? 紹介してくれたまえよ。いや、電信で連絡をくれていたとはいえ……もっと早く紹介して欲しかったよ。水臭いじゃないか、私とレオンの仲なのに」


 そう言ってベネックス所長は、拗ねた素振りを見せる。

 今までエリーゼと引き合せなかった事に対し、不満を述べているのだ。

 レオンは苦笑しながら頷き、口を開いた。


「申し訳ございません、ベネックス所長。紹介が遅れました……彼女がエリーゼです。ヤドリギ園の問題を解決するべく、彼女の力を借りる予定です」


 レオンの紹介を受けたエリーゼは、身に纏った修道服の胸元にそっと右手を添えると、ベネックス所長を見上げ答えた。


「初めてお目に掛かります、ベネックス所長。エリーゼと申します。以後、お見知り置き下さいませ」


「こちらこそよろしく、エリーゼ。レオンから電信で聞いていたが、本当に可愛いね! うん……今後もレオンを頼む。私も全力でサポートするよ」


 会釈するエリーゼに、ベネックス所長は笑みを浮かべて応える。

 そのままレオンの方へと向き直った。


「よし、それじゃあ本題に入ろう。レオン、必要素材の詳細を」


「はい、これらを頼みたいのですが」

 

 レオンはスチーム・アナライザーから出力された用紙を差し出す、そこには『ドライツェン・エイワズ』製造に必要な素材が記載されていた。


「ふむ……ニッケルクロム練成合金の鋳塊に、同材質の極小螺子、練成溶融コランダム、モリブデン練成合金のギア……なるほど、これなら二日も掛からず用意出来る。全て高品質な物で揃えられるよ」


 ベネックス所長は用紙に目を通しつつ、口許を指先でなぞりながら呟く。

 そんなベネックス所長の様子を、エリーゼがレオンの傍らからじっと見上げている。

 その視線に気づいたベネックス所長は、穏やかな口調で言った。


「……エリーゼ、気になる事があれば、何でも言ってくれたまえ。レオンとは古い付き合いだし、キミも気兼ねは無用だ」


「ご配慮頂き、感謝致します……ひとつ、お訊ねしたい事がございます。よろしゅうございますか?」


 ベネックス所長は楽しげな様子で応じる。


「もちろん! 可愛いレディの質問には、何でも答えるよ」




「では……ベネックス所長は練成技師としてコッペリアを練成し、グランギニョールを目指した事はございますか?」



 レオンは、エリーゼに視線を送った。

 エリーゼは普段と何も変わらない、儚げな美貌も何時も通りだ。

 ベネックス所長も、ごく自然に返答した。


「そうだね……まず立場上、過去にグランギニョールを観戦した事もある……ただ、レオンのグランギニョールに対する想いも知っているから、その事についてレオンの前で話をした事は殆ど無いんだ。その上で、参加を目指した事があるのかと問われたならば……まだ現実を知らない頃に、ひとりの練成技師として、目指した事もある……そう答えるべきだろうね」


 話を聞き終えたエリーゼは頷くと、そのまま眼を伏せ答えた。


「ありがとうございます、ベネックス所長。不躾な質問、お詫び申し上げます」


「気にする事なんて何も無いよ、エリーゼ」


 ベネックス所長はそう言って微笑み、レオンへ視線を移すと、在庫にある素材はすぐ用意出来る、今日中に直接工房へ届けるよ……そう告げた。


◆ ◇ ◆ ◇ 


「エリーゼ、さっき診察室でベネックス所長に質問していたが……何か気になる事でもあったのかい?」


 工房へと戻る駆動車内で、レオンはエリーゼに訊ねた。

 何気ないやり取りではあったものの、少し気になったのだ。

 エリーゼは傍らに座るレオンを見上げると、束の間その顔を見つめ、やがて静かに口を開いた。


「――いえ。ただ、私の中で定まらなかった疑問が解消されました。ご主人様は、予てよりベネックス所長と親しくされておいでですね?」


「え? ああ……そうだね、僕が子供の頃からの付き合いだからね、色々とお世話になった人だ」


「左様でございますか」


 エリーゼはそう答えると、膝の上へ視線を落とした。

 レオンは訝しげにエリーゼを見つめ、改めて訊ねる。


「……どうした? もし何か問題があるのなら、教えて欲しい」


 エリーゼは、ゆっくりと小さく首を振った。


「いいえ、何も問題はございません。ベネックス所長は、間違いなく最高の素材を提供して下さるでしょう」


「……そうか」


 違和感は拭えない。

 しかしエリーゼの横顔からは何も伝わって来ない。

 ただただ白々と美しく、何も読み取る事が出来ない。

 ともかく、武装を使用する本人が問題視しないという事であるなら。

 これ以上の追求は無意味という事か。

 レオンはそっと、車窓の外へ視線を移す。


 古風な尖塔群と鋭角的な切妻屋根が、練成都市の空を複雑に切り抜いている。

 その遥か高みに消え入りそうな昼の朧月が、白く淡く浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る