第4話 女王

 死闘で沸き返る円形闘技場上階に並ぶのは、バルコニー型の観覧席だ。

 闘技場の熱気よりも、プライベートを愉しみたい貴族達に人気のある席だった。

 大理石の壁で小部屋状に区切られ、ビロードの紅いカーテンが飾られている。

 床には臙脂色のカーペット、柱は金箔押しの装飾が施されている。

 ビロード張りの猫脚椅子が、同じくビロード張りの欄干に沿って並んでいる。

 そしてその娘は、猫脚の椅子に座り、欄干に凭れ、気だるげに闘技場を見下ろしていた。


 緩やかなウェーブを描きつつ腰まで流れる、ブロンドのロングヘア。

 長い睫毛に縁取られた切れ長の双眸は、物憂げに光るエメラルドグリーン。

 繊細な筆致で描かれた様な眉、すっきりと整った鼻梁、瑞々しく紅い唇。

 淡雪の如くに白い肌、滑らかでシャープな頬のライン。

 それは信じ難い程の美貌だった。

 白いモスリン地のシュミーズ・ドレスに包まれた肢体も、残酷な程に美しい。

 それは一切の不完全さを否定する美であり、生物らしさを廃した美でもあり。

 一種異様な、無機質的な美の結晶を思わせる娘であった。


「あの子が次の挑戦者……?」 

 

 クリスタル・グラスの縁をなぞるが如き、透き通った声で、美貌の娘は傍らに立つ男に話し掛けた。

 話し掛けられた男は、かなりの長身にして痩躯、頭髪と瞳の色は共にグレー。

 紫紺色のタイトなスーツに、黒のウェストコートを合わせている。

 白いシャツの襟元には、美しく糊付けされた白いクラバットが揺れる。

 カフスのボタンは黒のオニキス、左目には銀のモノクル、細い銀の鎖が揺れている。

 男は眼下の闘技場を見下ろしながら答えた。


「ああ、その予定だったんだが、うーん……タブレットをブッ壊しての確殺と念押ししたのに、あいつめ。ナクラビィは粗暴に尽きるね……まあ良いさ、手は打ってある……」


 目尻の皺から察するに、歳の頃なら五〇代半ば……といったところか。

 しかし男の瞳は少年の様に輝いており、口許に浮かぶ微笑も妙に若い。

 紳士を装いながらも何かが欠けている様な、異質な物を感じさせる男だった。


 何よりも目を惹くのは、ゴールドに鈍く輝く金属の左腕だ。

 各関節には複数のギアとシャフト、精緻な蛇腹構造に仕上げられた手。

 闘技場で死闘を繰り広げていた娘達の、強化外殻を彷彿とさせる。

 しかし外殻の様に、腕をカバーしているという様な、一回り大きなサイズではない。

 男の体格にフィットしたその左腕は、精密な金属製の義手だった。

 男は口を開き、愉しげに言う。


「ところでパパが設計したナヴゥルは、如何だったかな? オランジュ」

 

 金属の義手は音も無く作動すると、椅子に座る娘の頭を、そっと撫でた。

 美貌の娘……オランジュは、闘技場に視線を戻すと気だるげに言った。


「悪くは無いけれど……でもあの子、私とは根本的に違うでしょう? きっと届かないわ、私には届かない」


 男は軽く肩を竦めて見せると、内ポケットからシガレットケースを取り出しつつ訊ねた。


「じゃあ……鎧を着た女の子の方は? ナヴゥルに負けちゃったけれど」


 男の問いにオランジュは、淡く首を振って答える。

 質問意図すら解らない、とでも言いたげな風情だった。


「戦車レースに油彩画で挑んだお馬鹿さんよ、あの子は。あれじゃあ……聖戦を舐めてるって思われても仕方無いんじゃない?」


「はは……オランジュは賢いなあ」


 オランジュの言葉を聞いた男は嬉しそうに目を細め、クスクスと笑う。

 更にケースから取り出した煙草の葉を巻き紙の上に乗せると、指先で器用にクルクルと巻いた。

 そのまま筒状になった煙草を口に銜え、男は火を着ける。


「でもね、あの子だって本当は凄いんだよ……? 少なくともボクの見立てではね、恐ろしく良く出来ていたんだ……凡百のオートマータじゃ及びもつかない、それがボクの見解なんだよ」


 大理石の壁に背中を預け、凭れながら、煙を吐く。

 白い靄の向こうで蠢き騒ぐ、無数の貴族達を見下ろしつつ、男は呟いた。


「大丈夫さ……パパがオランジュの退屈を癒してあげる。そうさ……そう遠くないうちに、オランジュが保有する『レジィナ』の座を脅かす……そんな相手を用意してみせるよ。この、黄金の左腕に賭けて、ね……」


「だったら右腕を賭けて頂戴、パパ。その方が愉しいわ」


 オランジュは男の発言を遮る様に、己の言葉を被せた。

 そして、蕩ける程に妖艶な微笑を口許に浮かべた。


「――だって取り返しがつかないでしょう?」


 その男……マルセルは、口の端を吊り上げると白い歯を見せて嗤った。

 モノクルの下で光る眼が、キラキラと煌めいていた。


「……よーし、じゃあパパは右腕を賭けるよ? どうだい? ピグマリオン・マルセル、生身の右腕だ」


「素敵よ、パパ。愛しているわ」


 濡れた舌先で艶やかな唇をソロリと舐め上げ、オランジュは眼を細めて囁く。

 その様は傾城傾国の美、そのものだ。

 人を堕落させずにはおかない、そんな美貌。


 彼女こそが、現グランギニョールの最高位である『レジィナ』であり。

 そして、一〇年無敗を誇る、至強無敵のコッペリアであった。


◆ ◆ ◆


 神歴一八九〇年初頭。

 叡智と繁栄、技術と戦略を尊ぶ『グランマリー教』が絶大な信仰を集め、蒸気機関と練成技術が発展し、人の世のあらゆる事柄は次々と刷新されていった。

 途上国の内戦や、小国同士の潰し合いはあれど、大国による大規模な軍事衝突は回避される様になり、産業と経済、生活環境が改善し、人々は有史以来、最も安定した一〇〇年にも及ぶ『喜ばしき凪の時代(カルム・エポック)』を享受していた。


 世界興隆の礎となった『練成術』とは、古よりグランマリー教庇護の下、数多の練成技師達によって研鑽され続けた特殊技術だった。

 この技術に長けた練成技師は、莫大な財と権力を抱えた貴族、或いはグランマリー教司教に召抱えられ、安定した資金援助を受けながら研究を続け、その成果を発表する事がステータスとなっていた。


 練成技術発表の場、そのひとつとして設けられたのが『グランギニョール』。 叡智と戦略を司る聖女・グランマリーに捧げられる『聖戦』として、同時に貴族達、司祭達の権威を示す場として、更には究極の娯楽として、世界的に推奨されていた。


 『グランギニョール』にて『聖戦』を行う者は皆、ただの人間では無く、練成技師達によって生み出された自律型自動人形・『人造乙女(オートマータ)』であり、グランギニョールで戦闘を行う為に造り出された個体は特に『コッペリア』と呼称され、人々の畏怖と賞賛を集めた。

 同時に、優秀なコッペリアを精錬する事の出来る練成技師は『ピグマリオン』と呼ばれ、畏敬の念を以って讃えられた。


 しかし、聖戦の名の下に執り行われる『グランギニョール』は、流血を善しとする残酷無残な戦闘遊戯、ブラッド・ゲームであり、『喜ばしき凪の時代』にあっても、人々の心に真の平穏など訪れていない事を示しているかの様で、その有り様に疑問を持つ者も少なくは無かった。


 それでも人々は、暴力と権力、財力と自己顕示欲、欲望と興奮に彩られた『聖戦』の悦び、そこから生み出される革新的な練成技術の旨み、そして莫大な金銭を投じて行われる賭博の愉しみ、それらを手放す事が出来ず、『グランギニョール』の歴史は連綿と紡がれ続けたのだった。

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