人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~

九十九清輔

決闘遊戯(一)

第1話 対峙

 華美な装飾が存分に施された巨大な石柱。

 石柱は等間隔に連なり緩く弧を描き、整然と林立している。

 そして丸みを帯びた円蓋型の天井を、きっちりと支えていた。


 見上げるほど遥か高みに在る円蓋天井は、リブ・ヴォールト様式。

 放射線状に広がる太い梁で、均等に区切られている。

 梁と柱の接合部には蛇を抱く聖女、聖女を守護する天兵達の姿が見える。 

 生きているのかと見紛うばかりに、精緻極まり無い石像の数々。

 

 そこは教会の大聖堂を思わせる建造物だった。

 現に、この世を繁栄に導く聖女・グランマリーの像が祀られていた。

 しかし、この空間を満たしている空気は決して神聖なモノでは無かった。

 神聖さなど無かった、厳かさも無かった、在るのは熱狂だった。 

 これ見よがしに着飾った、貴族達の熱狂だった。


 大気を震わせる程の圧倒的大歓声。

 円形の建造物、石造りの広大なアリーナを、夥しい量の熱が支配していた。

 その熱気を煽るのは、管弦楽団とオルガンの重厚な演奏だ。

 そして蒼いドレスを身に纏い、目元を仮面で隠した女の歌声。

 ソプラノ・ドラマティコ。


 並み居る紳士達は皆、フロックコートにウェストコートを併せた出で立ちで。

 シャツはシルク、首許のタイを瑪瑙かパールで飾るのが今の流行りだ。

 胸元に垂れる懐中時計の鎖を揺らしては、汗に塗れた拳を振り上げて叫ぶ。

 それこそ、大理石で造られた観覧席から身を乗り出さんばかりに。

 彼らの口から際限無く溢れ出るのは、罵声に怒号、野次に激励。

 或いは蒼いドレスの女が歌う、その歌詞を口ずさむ者もいる。


 ふくよかな貴婦人達は皆、仕立ての良いサテン地のバッスルドレス姿だ。

 髪を高く結い上げては、香水と白粉の匂いを漂わせている。

 彼女達はコルセットで胴を締め上げ胸元を抑えながら、歓声を上げている。

 ビロード地の座席から腰を浮かせて、オペラグラスを覗き込む。 

 彼女らの口からは、高く激しく絞め殺される鶏にも似た嬌声が溢れ出す。

 或いは蒼いドレスの女が歌う、その歌詞を口ずさむ者もいる。

 

 気がつけば楽団の演奏は激しさを増し、アリーナ全体を包み込んでいた。

 音の奔流、調べの濁流。

 やがて演奏は高らかに、爆発的に盛り上がる。

 蒼いドレスの女は両手を大きく広げると、朗々と聖歌を謳い上げる。

 その演奏と歌声に、貴族達もまたそれぞれに、声を張り上げて謳い始めた。


 舞い踊るが如くに斬り結び、祈るが如くに血花咲かせよ!

 斬り結びてこそ輝ける魂、我らが神に捧げよ!

 これぞ人が咲かせる叡智の花ぞ!

 この世の悪意に抗う花ぞ!

 我らが聖女・グランマリー、見給えこれぞ聖なる戦ぞ!

 神に捧ぐる兵の舞を観給え、血花咲く様を観給え、御霊の許へ届き給え!


 荘厳と響き、雑然と混ざり、絢爛に轟き、糜爛して流れる歌声。

 叫び声、怒鳴り声、わめき声、感極まったかの様な、声、声、声。


 ここでは誰もが興奮しており。

 ここでは誰もが俗物的であっても許された。


 ここは血と闘争を観賞する礼拝大劇場にして、巨大円形闘技場。

 神に捧げる為の聖戦――『グランギニョール』が、夜な夜な開催される場所。

 贅の限りを尽くした、豪奢で華美な娯楽の殿堂。

 教会へ巨額の寄付を行い、特権を得た者たちが群れ集う聖地だった。



「ふーっ……」


 それは大きなため息だった。


「宴もたけなわ……あの享楽に満ちた聖歌を聴け、なあ?」 


 そして巨大な戦斧だった。

 ハルバード、と呼ぶべきか。

 ただしその大きさは、尋常では無かった。

 左右に張り出した刃は驚くほど分厚く大きく、研ぎ澄まされていた。

 例えるならば、巨大な雄牛の頭部程にも大きく……と言ったところか。

 しかも先端部は槍の様に、長く鋭く尖っている。

 柄の部分も木製では無い、鋼鉄製だ。

 切先から柄尻まで、全てが鋼鉄で造られた戦斧。 

 長さにして二.五メートル、重さは三〇キロを超えるのではないか。

 凡そ、人に扱える代物では無かった。


「待ち侘びているのだよ、観客共は。そろそろ幕の引き時だとな、そう謳っている」


 鈍色に光る長大にして異形の得物は、一人の娘が手にしていた。

 そしてこの娘もまた、尋常では無かった。

 短くカットされた黒い頭髪。

 鈍く光る赤い眼。

 一九〇センチに届く長身に、長い手足。

 豊満かつ、しなやかな身体のラインにフィットした黒いレザースーツ。

 張り詰めた革のスーツ越しに、鋼の様な筋肉の束が見て取れる。

 スーツはノースリーブで肩と腕が露出しており、強靭さを秘めた右腕には聖女・グランマリーを讃える聖句、そして焔を思わせる刺青が彫られている。


 特徴的なのは、肘から前腕、指先までをカバーする金属製の外殻だ。

 古の騎士が装備した金属籠手を彷彿とさせる構造で、前腕部は太く強靭な装甲で覆われ、手首から先は関節の稼動と捻りの運動を可能にすべく、複雑な蛇腹式の構造となっている。

 更に上腕側面部には、複数の調節用ギアが仕込まれており、それらは鈍い光を放ちながら、関節各部から淡く蒸気を立ち昇らせている。

 つまりこの外殻は、動力を得た防御外殻であると共に、強化外殻なのだ。

 白く漂う揺らぎの中で、漆黒の娘は酷薄な笑みを浮かべ、円形闘技場の中央に立っていた。


 円形闘技場の広さは、縦にも横にも一五〇メートルはあろうか。

 足元は二メートル四方の石板で組まれた石畳だ。

 石畳は隙間無く、闘技場内にびっしりと敷き詰められている。

 石畳を区切るのは分厚い石壁であり、これは高さ五メートルといったところか。

 その壁の向こう、その上に貴族達の居並ぶ観覧席がある。

 観客席と闘技場は、石で造られたドーム状の天蓋で覆われており、空など見えない。

 それでもアリーナが闇に包まれないのは、天蓋や石壁の上を飾るが如くに幾つも設置された、練成技術の賜物・エーテル水銀式・黄色アーク灯のおかげだ。

 練成科学の灯火が、アリーナを隅々まで明るく照らし出していた。

 

 そんな眩い光の中で、漆黒の娘は巨大なハルバートを片手で軽々と振るい、激しく旋回させた。

 そして背中と肘で鋼鉄製の柄を捉えると、一切のブレ無く静止させ、脇に構える。


「ふーっ……」


 再び、長く尾を引く大きなため息。

 そして、揶揄する言葉。


「……怯懦極まる。聖女・グランマリーは、臆病な贄など欲したりはせぬだろう、なあ?」


 嘲りを含んだ娘の口調は高圧的だ。

 しかしその暴力的な得物を構える姿を見て、異を唱える者がいるとは思えない。

 全身に力が漲っていた。


 漆黒の娘が見据える先、七メートルほど距離を置いた位置。

 亜麻色の頭髪を靡かせ、正眼に大剣を構える娘が居た。

 身に着けているものは、白銀の鎧に鎖帷子。


 しかしこの鎧にも、漆黒の娘が腕に取りつけている外殻と同様、防護の役割に加え、練成科学の粋を凝らした強化機能が備わっている。

 鎧の稼動と制御を可能にする白い蒸気が、娘の周囲に立ち込めていた。

 上背はかなり低い……対手との身長差は四〇センチ程か。

 剣を携え死闘を行うには、明らかに小柄と言える娘だった。


 しかし、端正に整った相貌から、弱さは微塵も感じられない。

 ブルーに煌めく美しい瞳で、白刃越しに漆黒の娘を睨みつけている。

 真っ直ぐに構えた両刃の剣は、長大に見えるが実寸九〇センチ足らず。

 握り、刀身、共に聖女・グランマリーを讃える聖句と装飾が施されている。


 が、何度も打ち合ったのか、刃こぼれが目立つ。

 なにより、剣を構える娘自身が全身に傷を負い、朱に染まっている。

 身に纏った白銀鎧も血飛沫に汚れ、動作の不調を訴える様に微かな異音を放つ。

 首に巻かれた白のマフラーにも、血が染み付いている。

 肩で呼吸を繰り返し、口許には滲んだ血。

 深手を負っている事は明白だった。


「掛かって来ないのか? それとも来れないのか? ……ここに逃げ場は無い、挑んだのはお前と、欲に目の眩んだ間抜けなお前の飼い主だ。我が催す『グランギニョール』は、贄の首が転がり落ちるまで止まらない」


 漆黒の娘はそう呟くと目を細め、無造作に間合いを詰め始めた。

 娘が歩む闘技場の床――広大な石畳の上には、夥しい数の血痕が見て取れた。 

 新しいもの、古いもの、どれ程の血液がこびりついているのか。

 その有様は、咎人を討つ処刑場を思わせた。

 

 そんな床の上に、真新しい血痕を描く白銀鎧の娘は、それでも向かい来る漆黒の娘を凛然と見据えて叫んだ。


「……マスターを侮辱するな! ダミアン家の名を冠する我は未だ折れず! 貴様如きに屈するものか!」


 娘らしく澄んだ声ではあっても、その叫びは裂帛の気合に満ちていた。

 しかし全身に負った傷を考えれば、その姿から悲壮さを感じずにはいられない。

 或いは自らを鼓舞しているのかも知れない。

 対する漆黒の娘は、その気迫に対して嘲笑で応えた。


「ふーっ……。マスターなどと……嗤わせる、その成りでコッペリア? 仕合えるものかよ、馬鹿な好事家に造られたか、観賞用のオートマータか? それとも好き者の飼い主に囲われた愛人、或いはペットといった所か? いずれにしても、惨めで無様な愛玩人形って事さ、ははっ!」


 白銀鎧を纏う娘の顔が、ぱっと朱の色に染まった。

 屈辱に表情が歪む。

 胸の内に湧いた感情を、言葉と共に吐き捨てる様、鎧の娘は叫んだ。


「マスターを侮辱した罪、痛みを以って購えッ!」


 刹那、娘は奔り出す。

 正眼に構えられていた剣は疾走と同時に切先を下げ、脇構えに変化していた。

 鎧の全身に仕込まれた制御シリンダーが、激しく駆動する。

 七メートルもの距離が、瞬く間に詰まる。

 死を賭した激突は必至であった。

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