第44話 シウヴァ侯爵夫妻の来訪

 明くる朝、私はいつも通り朝のお勤めを済ませ、午前中の軽めのウォーキングと文字の授業をこなした後、自室に戻って身支度を整えていた。


「お嬢様、そろそろダイニングに向かいませんと……」


「そうね。すぐに向かいましょう」


 私はリタの手を借りて白の正装に着替え、指示された通りにダイニングへ向かう。今日は親戚とは言え、より上位の貴族であるシウヴァ家が公式に我が家を訪問することになっているらしい。屋敷を巡回する騎士たちの騎士服も、皆白地に黒のラインのものに変わっている。


「それにしても、どうしてダイニングなの? 屋敷の玄関でお迎えしなくていいのかしら」


 私は、前を向いて歩きながらリタにだけ聞こえるように呟く。それを拾ったリタが、


「シウヴァ家は、エリアーデ様のお部屋に設置されている転移陣からいらっしゃいます。そこはエリアーデ様の自室ですから、他の者がぞろぞろと迎えに入るわけには参りません。ですから、エリアーデ様が先にお迎えになり、お嬢様はその後ご夫妻がいらっしゃるダイニングで待機するようにとのことでした」


 なるほど。うちには王都の屋敷とシウヴァ侯爵家への転移陣が置かれているっていうのは、王宮に行く前に聞いていた。王都の屋敷の分は、お父様の執務室の奥にあったけれど、そういえばそこには一つしかなかった。もう一つは、お母様のお部屋だったのか。


 そうこうしているうちに、私とリタはダイニングに到着し、迎えてくれた使用人たちに案内されて席に着いた。ダイニングには、お爺様が座って待っている。


「おお、ソフィー。今日も元気にしておったか? アランが先ほどエリアーデの部屋の前まで出迎えに行ったからの。シウヴァ家の到着はもうすぐじゃろう」


「はい。久しぶりですから、お会いできるのが楽しみです」


 そうにっこりと笑った私に、なぜかお爺様が一瞬、悲しそうに顔を歪めたが、その理由を聞く前に侯爵夫妻の到着を知らせる使用人の声がダイニングに響き渡った。






「おお……、エリーゼ、ソフィーが動いておる! 立って、歩いておるぞ……!」


「あなた……。よかった、よかったですねえ……」


 私はお爺様と使用人に囲まれて、ダイニングでシウヴァ侯爵夫妻を迎えた。先導してきたお父様とお母様の後ろから、シウヴァ家の使用人と見える人たちを何人か連れた、穏やかそうな夫婦が現れた。


 シウヴァ侯爵夫妻は、二人とも銀髪に白髪が半分ほど交じり、レイモンドお爺様に比べると十歳以上年上に見える。ヘンストリッジ家とは違って筋骨隆々ではない、ある程度恰幅のよいお爺さんとその側に佇む穏やかそうなお婆さん、といった印象だ。


 二人は私の姿を目にしたかと思うと、わなわなと震え出した。そして、絞り出すように小さく呟くと、シウヴァ卿は膝をついてかがみ、人目を憚らずに私を優しく抱きしめた。


「政務が落ち着いて、ソフィーに会いに行く時間がやっと取れたと思ったら、あんなことになって……。何度も何度も見舞いに来たんじゃ。その度に、そなたのやせ細っていく姿を見て……どんなに心配したことか……」


「そうよ、ソフィー。あなたが回復したと聞いても、この目で確かめるまでは不安で仕方なかったわ……」


 シウヴァ卿夫人もかがみ、シウヴァ卿の背中にそっと手を当てた。シウヴァ卿は泣いていた。本当にずっとソフィーのことを心配してくれていたんだろう。私を抱きしめながら震えている。私は、ソフィーの小さな腕を目いっぱいシウヴァ卿に伸ばすと、


「お爺様、お婆様、こんなに私のことを心配してくださってありがとうございます。私はもうこの通り、とっても元気ですよ」


 そう言って、シウヴァ卿にもらい泣きしそうになりながらも精一杯笑顔で微笑んだ。






「全く。うちに来て、ソフィーを見たかと思うたら突然泣いて……それで、今度はずっとソフィーを独占するとは……。ここだからよいものを、他でやったら大変なことになるぞ」


「よいではないか、レイモンド。儂もそれくらいわかっておるし、普段そう簡単には領を留守にできんのだ。今日とて、長くても夕方までには戻らねばならん。こうしてソフィーといられるのも、今だけなのじゃ」


 あの後、しばらくして落ち着いたシウヴァ卿を含め、ランチを共に摂ろうとダイニングの席に着いた。しかし、その席順をシウヴァ卿のどうしても、という頼みに応え、私はシウヴァ夫妻に挟まれるようにして座っていた。


 そのシウヴァ夫妻に囲まれても、私は別に嫌な感じはしなかった。なんというか、久しぶりに帰省してきた孫をかわいがるお爺ちゃんお婆ちゃんみたいだと思うと、この反応は普通だと思う。それに、その孫は1年もの間原因不明の病、結果的には呪いに冒され、死にかけていたのだ。心配と安堵も大きかったのだろう。初回くらいは大目に見てあげて欲しい。


「うふふ、ソフィーが嫌がらない程度になさってくださいね。お父様もお母様も、ソフィーに嫌われてしまっては悲しいでしょう?」


 私の願いが通じたのか、お母様がそう言った以外は、その後特に誰からも咎められたりはしていなかった。






 その後食事を摂りながら、シウヴァ夫妻の質問に答え続けた。二人は、私が何を答えてもにこにこと笑い、私が存在しているだけで嬉しいと思っていそうなくらい、とても上機嫌だった。

 そして、食後のデザートが終わってお茶を嗜むころになって、シウヴァ卿が使用人に声をかけ、何かを持って来させた。


「いやはや、エリアーデから聞いてはおったが、ソフィーがこんなにも勤勉になっておったとは。エリーゼ、見舞いの品をこれにしたのは正解であったのう」


 そう言いつつ、使用人から薄い木箱を受け取り、私に手渡してきた。


「せっかく会いに来るのだ、何かソフィーに贈りものをと思っておったんだがな。我が領で取れる金銀の装飾品は、貴族なら皆喜ぶがソフィーにはまだ早いであろう? だから、その代わりにそなたにとって役に立ちそうなものを持ってきたのじゃ」


 そして、私に箱を開けるように促す。一瞬お父様とお母様の方を見たが、二人ともにっこりと笑って頷いている。それを見た私は、その木箱の蓋をそっと開いた。

 中にあったのは、一冊にまとめられた分厚い植物紙の束だった。一番上には、グラーベ文字で『白の魔力の指南書 上級・超級』と書かれている。


「ソフィーは、貴族院でいずれ魔法を習っていくであろう? しかし、貴族院で学ぶことができるのは、中級までじゃ。中級まで学べば大抵のことは事足りるし、必要ならば、騎士団や魔法師団など、所属先で上級を習得していくことが多いのだが……」


「あなたは、領主候補だから、そのチャンスがないかもしれないでしょう? それに、白の魔力を鍛えてくれるような部署は今、どこにもないのよ。みんな、攻撃魔法を最優先に習得していくから」


 二人はそこで一旦言葉を切った。そして、シウヴァ夫人はおもむろに口を開き、私に尋ねた。


「ねえ、ソフィー。あなた、エリアーデのことを……どこまで知っているのかしら?」

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