第43話 シウヴァ侯爵家とヘンストリッジ辺境伯爵家
王都から何とか無事に領都の屋敷へと帰って来た私は、その後今まで通りの平穏な、そして忙しい生活に戻っていた。ただ、目覚めてから1か月が経ったことで、リハビリが軽めのウォーキングになったり、マナーの授業が少しずつ本格的になってきたり、歴史の授業で今週末来るシウヴァ侯爵家のことを学んだりと、変化は色んなところで起きていた。
そして、今日はシウヴァ侯爵家が面会に来るのを明日に控えた七の日だ。私は先日決意した『ストップリスト』を作ることを実行すべく、魔導ペンと植物紙を持って祈りの塔に来ていた。
朝のお勤めを済ませた後、グレゴリウスに下敷きにできそうな薄い石板を借り、それを膝の上に置いて植物紙を載せ、黙々とリストの作成を始めた。
「なあ、ソフィー。そんなの作んなくてもいいんだぜ?
……ったく、お前が余計なこと言うから、こいつの負担が増えるじゃねえか! 大変だから、もう使徒をやりたくないとか言い出したらどうするんだよ! 400年待ってやっと現れた使徒だってのに!」
「おこられるりゆうがわからないのー! ソフィーがかってにやるってきめたのー! あれはほんとのこといっただけなのー」
「はあ、二人で喧嘩してもしかたないさね。ふう、うるさいとソフィーの邪魔になるんだ、静かにしたらどうだい」
「ん? ああ、その隣は
お主ら、ソフィーが決めたことにいちいち口を出すでない。使徒として今後も仕事をするならば、自分で知っておいた方が便利ではあるだろう。ソフィーもそう思ってのことじゃろう?」
スウェル・ペダルを少し踏んで、一本一本音を確かめながら、そしてパル爺に念のためどの音色のどの音域かを確かめつつ、リストの作成を進めていく。
その傍らで、なぜかトラ兄とフルフルが喧嘩をしているが……そもそも私の中で使徒をやめるっていう考えはなかった。
罰らしい罰は受けなかったとは言え、私がこれを任されているのは自分の嘘にハルモニア様を利用した神罰なんだもの。この約束を破ったら、今度こそハルモニア様の怒りを買いかねない。そんなこと恐ろしくてできないよ、まだ死にたくないもん。
「みんな、大丈夫だから落ち着いて? パル爺が言う通り、自分のためにリストを作っているだけだから。トラ兄も心配してくれてありがとう。でも、使徒の仕事を放棄したりしないから安心して?」
尚も心配そうなトラ兄を宥めつつ、私は植物紙にたくさんの丸を書き、その中にフィート数、その下に音色の名前を書き込んでいく。手鍵盤と足鍵盤の全てのストップリストの作成が終わるころには、お昼の時間を知らせる鐘が鳴っていた。
「ねえ、リタ。明日シウヴァ家のお爺様とお婆様に会う前に、シウヴァ家のことを復習しておきたいの。リタってグラーベ文字は読めるって聞いたんだけど……この植物紙に書いてあることを私に『クイズ』として出してくれない?」
屋敷に戻った私は、両親とともに昼食を摂ったあと、明日のための復習をしようとリタと一緒に自室へと戻って来ていた。リタが明日の私の衣装を選んでいる間、私はヴァルナーダ先生の授業で習ったことをメモした植物紙を机の引き出しから取り出し、クローゼットから戻って来たリタにそれを手渡した。
「『クイズ』……?」
そう、自分が本当に暗記できているかを確認するなら、他の人に出題してもらうのが一番いい。そう思ってクイズを、とリタにお願いしてみたが、リタはきょとんとした顔をしながら植物紙の束を見つめている。
「あ、えっと……覚えているかどうかを確認できるように、問題にして私に尋ねてほしいってこと。例えば、『シウヴァ侯爵家はどのくらい古い貴族でしょう?』とか、そんな感じで」
「一番古い貴族の一つですね。あ、いや……私が答えるのではなく、ここに書かれたことをお嬢様が答えられるかどうか、私が問うような形にすればよい、ということですね。畏まりました」
リタが一人でうんうんと頷きながら、植物紙の束をパラパラとめくった。そして、いつもお茶をするために使っている、濃い茶色が美しいテーブルの椅子を私に勧めると、向かいにリタが「失礼します」と言って腰かけた。
「では……。シウヴァ侯爵家は、一番古い貴族の一つですが、そもそもこの国の『侯爵家』とは、どこを守る貴族のことでしょうか?」
「国境よ。ヘンストリッジ家が北部の国境を守っているから、他の3つの侯爵家が西、南、東を守っているんだって習ったわ」
そう。この国では、元々国境を守る重要貴族のことを侯爵と呼んでいるのだ。大公、公爵までは歴史上王家との関わりが深く、且つ王家の血が濃く入っている家。その次に位置する侯爵家は、この国の防衛上重要なポストを占めているからこそ、上位貴族として扱われているのだが……
「正解です。では、そのうちシウヴァ侯爵家が治めるのは西、南、東のどれでしょうか?」
「西側の休火山があるところ! すっごく大きな火山が隣国との間にあるって聞いたよ。あとは、その休火山以外にも領内に山がたくさんあるって!」
シウヴァ侯爵家が治めるのは西側の国境であり、隣国との間にあるネフトゥス火山の麓の領土だ。デュオディアイラス様が作ったネフトゥス火山はとにかく巨大で、その山頂までの高さは推定2万メートルだそうだ。まるで太陽系最大の山、火星のオリンポス山を思わせるような高さだ。
当然、山頂まで登った人間など存在せず、その高さは周辺の山々の高さからおおよそで算出されたものらしい。休火山だからまだいいものを、こんな巨大な火山がもし万が一噴火したら……それこそ世界が終わるんじゃないか、と思ったのは内緒だ。
「正解です。うーん……では、シウヴァ侯爵家の特産品はなんでしょうか。また、そのために王家から任されている役目はなんでしょう?」
「金銀をはじめとした金属ね。その鉱山労働のため、王宮の依頼で犯罪奴隷を多数受け入れているはずよ」
ふふふ、これを知った時には驚きと嬉しさでつい、授業中なのにはしゃいでしまったんだよね。当然ヴァルナーダ先生にきつく叱られたんだけど、私にとってはそれどころじゃなかったんだもの。
だって、金銀よ? 金属よ? そりゃあ、もう楽器を作るしかないでしょう! それが領内じゃないのは残念だけど、シウヴァ家はヘンストリッジ家ととっても仲良しなんだもん。将来取引をするにしても、結構望みがありそうだと思うんだよね。ふふふ、ふははは!
楽器のことが頭に浮かび、つい気持ちの悪い笑みを浮かべてしまった私に気付いたのか、リタはにっこりと笑って植物紙の束をテーブルにそっと置いた。そして、
「正解です。お嬢様、よく覚えていらっしゃいますね。これくらい理解していらっしゃるなら、明日は大丈夫なのではないでしょうか? この紙には、もっと詳しく書いてあるようですが、明日シウヴァ家の文官の試験を受けるわけではないのですから。
それよりも、明日の衣装合わせやマナーの復習等をなさってはいかかですか? さあ、こちらに衣装はご用意してございますから」
「え? いや、まだ全然終わってな……」
私の抵抗虚しく、明日に向けた騎士服の着せ替え人形にされた後は、みっちりマナーの練習に時間を費やすことになった。これなら、一日中リュフトシュタインを弾いておくべきだったかもしれないと後悔したが、後の祭りだった。
「ゆいー、おつかれさまなのだー! あしはだいじょうぶなのだ? なんかいも『カーテシー』のれんしゅうをしていたのだ……とってもいたそうだったのだ……」
マナーの特訓、特にカーテシーを何度も練習した後、いつものバーナムやバイエルを机の上で練習するのも忘れ、私はあっという間に寝てしまった。夢の中でもすぐに寝そうになったが、ソフィーの声でなんとか踏みとどまった。
「うーん……いやあ、今日のリタは鬼コーチだったわ。明日、絶対筋肉痛になるよ、これ。筋肉痛でカーテシーとか、ただの拷問じゃないか! はあああ……」
「『鬼コーチ』? 『筋肉痛』? えっと、いたいのがいやなら、おかあさまになおしてもらうのだ! おかあさまはすごいのだ! けがならなんでもなおすのだ!」
今日の特訓を思い出して蹲る私を、頭の上に疑問符を浮かべたソフィーが優しく慰めてくれる。そうだ、ここは魔法のある世界、しかも私にはソフィーのお母様がいる! いざとなったらお願いしよう、そうしよう。
そう考えると幾分気持ちが楽になり、私は冷静さを取り戻した。そして、今日のことを落ち着いてもう一度振り返ってみる。
「そういえばさ、王宮に行くときでさえ、カーテシーとかマナーってそうしつこくやらなかったよね。なんで今日はあんなに何回もやったんだろう? もしかして、シウヴァ侯爵夫妻って、そういうことに厳しい人だったりするのかな?」
「うーん……、ソフィーもわからないのだ。ソフィーはたぶんあったことあるとおもうのだ。でも、2さいとか3さいとかだったのだ。よくおぼえていないのだ」
「そうだったね、記憶にあるそれっぽい人も顔がぼやけてたしね……それじゃあわかりっこないか。むしろ、わからないからこそ、きちんとできた方がいいってことだったのかな……?」
私とソフィーは首を捻りつつ、これについては今考えても仕方ないと諦めた。そして、話題を切り替えるようにソフィーが話し出す。
「それにしても、ソフィーはびっくりしたのだ! シウヴァこうしゃくけとは、オスカーひいおじいさまのときからずっとなかよしだったのだ! ソフィーは、おかあさまがヘンストリッジけにきたからだとおもってたのだ! はじめてしったのだ! シウヴァこうしゃくけは、いいきぞくなのだ!」
ソフィーが嬉しそうに両手を上げてぴょんぴょん跳ねながら話す。シウヴァ侯爵家についての授業を一緒に受けたソフィーは、シウヴァ家が大好きになったようだ。
シウヴァ侯爵家は、西側の国境を守る、この国最古の貴族の一つであり、いくつもの鉱山を抱えるこの国有数の裕福な貴族でもある。代々軍事的にも経済的にも政治的にも大きな発言権を持っているシウヴァ家のお陰で、今のヘンストリッジ家があると言っても過言ではないらしい。
「そうね。シウヴァ家がヘンストリッジ家とオスカー様を守ってくれたんだもんね。感謝しなくちゃ!」
私は、嬉しそうにはしゃぐソフィーの頭を撫でながら、彼女を膝に抱えて一緒に植物紙の束に再度目を通す。
ソフィーの曾お爺様である、オスカー・ヘンストリッジが王都の騎士団長だったころ、現ヘンストリッジ辺境伯爵領は、名目上は王家の直轄地だった。しかしその本質は、魔物が頻繁に発生する暗黒龍の森に接していることで、きちんと領主を立てて治めたいのに領主のなり手がいないという、困った領地であった。
王家の直轄地ということは、当然王宮から騎士が派遣されて警備にあたることになるが、その成果は芳しいものではなかった。その上、人がほとんど住んでいない土地に森周辺の警備のためにやって来た騎士だ。隣接したアライア領が、直轄地の資源に勝手に手を出していたとそうだが、騎士たちにとっては命令外であり、且つ命がけの日々でそれどころではなく、ずっと咎められることもなかったそうだ。
そんな時に、いつまでも北部の国境が安定しないことを憂えた当時の国王陛下が、建国以来最強と名高い騎士である王都の騎士団長のオスカー・ヘンストリッジを始め、王宮が抱える精鋭部隊を派遣し、暗黒龍を討伐、または意思疎通が可能ならば停戦協定を結ぶよう指示を出した。
「ここで、オスカー様が一人で乗り込んで行っちゃうんだよね……すごいよ、さすが伝説の騎士。でも、なんで一人で行ったんだろう?」
「それはきいたことあるのだ! ひいおじいさまは、『俺は、俺以外を守る余裕はない。お前らじゃ、1秒も持たないからここで待ってろ』っていったってきいたのだ! おじいさまが、『名言』だっていってだのだ! ひいおじいさまはかっこいいのだー!」
え? そんな理由でたった一人で、しかも武器も剣1本だけ持ってあとは全部置いて行ったの? いやいや、何か他に理由があったのかもしれないけど、私には理解不能だわ。ヘンストリッジ家が戦闘に特化した脳筋一族なのは、もしかするとオスカー様のせいなのかもしれない。
私はソフィーの言葉に眩暈を覚えつつ、植物紙を一枚めくる。
三日三晩、暗黒龍と対等に渡り合ったオスカーは、その実力を認められ、ついに暗黒龍が話を聞いてくれることになった。そこで、暗黒龍を討伐するのは実力的に不可能だと判断したオスカーは、停戦及び互いに不可侵の協定を結びたいと申し出た。暗黒龍は『条件付き』でこれを了承し、オスカー・ヘンストリッジを介して暗黒龍と王国との協定が結ばれた。しかし、話はここで終わりではない。
「むう。ひいおじいさまは、いっぱいじゃまされたのだ。みんな、ひいおじいさまにやっつけられればよかったのだ」
ソフィーが一緒に読みながらぷうっと頬を膨らませる。私も同感だ。
王都に戻って協定の報告をしたオスカーは、その功績を称えられ、国王陛下から北部国境を守る侯爵に一旦任命された。しかし、これに当時の上位、中位貴族が猛反発したのだ。いくら騎士団長で暗黒龍と闘って協定を結んできたからと言って、最下位の騎士爵家がいきなり上位貴族だなんて認められない、とのことだった。
確かに、それまではほぼ平和だったこの国では戦争などなく、貴族が大きく手柄を立てる機会もなかったため、貴族の階級が上がっても1つ上までだった。だから、オスカーには男爵位を与えるのが妥当だ、というのが大半の貴族の考えだった。
国王陛下が、『協定により、北部国境を治めるのはオスカー及びオスカーの血を受け継ぐ者でなければ認められない』とどんなに説明しても、「それなら他の貴族が領主として治め、オスカーを騎士として駐留させておけばよい」と主張する者ばかりだった。
その上、アライア子爵にとっては自分がわが物顔で資源をくすねていた領地だったからだろう。これをチャンスとばかりにアライア領との領主兼任を申し出たりしていたそうだ。
そして、この紛糾した貴族議会を一瞬で黙らせたのが当時のシウヴァ侯爵だった。
「静かになさい。我が国の英雄の前で、死骸に群がるハイエナのような真似をするなど、なんと情けない。誇り高き貴族ならば、命を懸けてこの協定を成し遂げたオスカーにまずは感謝して然るべきでしょう」
「そして、暗黒龍が認めたのはオスカーただ一人なのです。代わりにその領土を治めたい方は、今から暗黒龍の森に行って、命がけで闘っておいでなさい」
「それから、みなさんお忘れのようですけれど……、彼は下位貴族であり、騎士なのですよ。我らの代わりに闘う騎士なのです。騎士の手柄に対して正当な報酬を与えないどころか、その手柄を奪い、あまつさえ彼を利用しようと身柄を拘束するような発言。こんなことをすれば、国中の騎士たちは、我ら貴族への信頼も忠義も失うでしょう。
それに、彼は王都の騎士団長。彼の処遇次第では、彼が王都の騎士団とともに反旗を翻し、今すぐにでも我らを皆殺しにすることだってできるんですよ?」
これらは、当時の議事録から書き写されたシウヴァ侯爵の言葉だ。読めば読むほど、貴族って腐ってるとしか思えない発言ばかりが出てきて腹が立ったが、シウヴァ侯爵がいてくれて本当に良かった。オスカー様ほど強い人が、他の貴族に黙っていいように利用されるっていうのも想像できないし、そうでないなら何が起こっていたかなんて考えたくない。
「私は、別にオスカーの味方をしているわけではありません。現実的に考えて、この国を守るためにはヘンストリッジ家を騎士爵から侯爵に格上げし、北部国境を任せるのが妥当だと言うだけなのです。暗黒龍の条件を満たすには、それしか方法が無いのですから。
それに、彼はたった一人で魔物と暗黒龍に挑み、死者も怪我人も出さなかったのです。むしろ、褒美がこの程度では足りないと私は感じますが?」
当時のシウヴァ侯爵の言葉に、ほとんどの貴族がぐうの音も出なかったようだ。しかし、別の2つの侯爵家が自分たちと同じ「侯爵」という名が付くことだけは嫌だと言い張った。
そこで国王陛下は、唯一外敵と接するヘンストリッジ家に、より軍事的な意味合いを込めた『辺境伯』という新しい地位を与え、他の上位貴族に配慮して侯爵家の下であり、最後の上位貴族とすることで話をまとめたそうだ。
「それにしても、シウヴァこうしゃくは『立派』なのだ! いいきぞくなのだ! ソフィーもなかよくしたいのだ! あしたがたのしみなのだ!」
「そうだね。今だってとっても仲良しみたいだし、なんと言ってもソフィーのお爺様とお婆様だもん。きっと明日の面会は楽しいよ。失礼の無いように、マナーは気を付けなきゃね!」
植物紙の後半の方は、シウヴァ侯爵家とヘンストリッジ辺境伯爵家の繋がりを示す話で、ほとんどヘンストリッジ家のことばかりだった気がするが……。とりあえず、リタとおさらいした分とソフィーと読み直した分で明日は十分だろう。王子云々が無い分、王宮に行くときに比べたらずっと気持ちが楽だ。
私の膝の上でこくりこくりとうたた寝をし始めたソフィーを静かに降ろし、布団をかけておく。私は手早く植物紙の束を整えると、楽譜をしまってある棚の一角にそれを置き、ソフィーの隣で眠りについた。
現シウヴァ侯爵夫妻との出会いが、この先何度も私とソフィーの命を救うことになる重要なものになるなんて……この時には全く気付いていなかった。
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