第31話 王宮へ行こう 後編

「そなたがレイモンドの孫娘のソフィアか。お披露目前にして、療養中にも関わらず無理に呼び立ててすまないのう。楽にするといい」



 お父様とお爺様に続いて貴族定型の挨拶をすると、陛下が穏やかな声で労りの言葉をかけてくれた。レイモンドの孫娘と言っていたけれど、そういえばお爺様は昔、陛下の剣の指南役をしていたことがあったと聞いたことがある。もしかしたら、その繋がりもあって特にお爺様と仲良しなのかもしれない。



 陛下のお言葉を受け、私たちは陛下と研究者のような男性の向かい側に並べられた、黒い革張りのソファーに順番に座った。陛下の前に現領主のお父様、その隣に当事者の私、そしてお爺様の順番だ。



 私は、今はとても穏やかな表情を浮かべる陛下をぶしつけにならない程度にじっと見る。わずかに白髪の混じるハニーブロンドの髪をオールバックにまとめ、その頭に多分この国の王冠なのだろう、額の中央部分にあたるところに向けて、冠全体が緩やかな曲線を描いている、不思議な意匠の王冠をかぶっている。年齢は現代日本で言えば、多分30代後半から40代前半くらいだろうか。私から見ると、お父様が20代後半くらい、お爺様が40代後半から50代前半くらいに見えるが、そういえば年齢を聞いたことがなかった。ソフィーの記憶にも無いし、確かめておけばよかった。

 目の前にいる現陛下は、この国に平和の世をもたらす賢王と称されるくらいだ。正直、もっとお年を召していらっしゃると思っていた。まあ、この国では15歳でデビュタントをした後は17歳前後が結婚適齢期にあたるらしいので、30代から40代というのは若いとは言えないのかもしれないが。






 私は、さっき一瞬値踏みされたような、獲物として狙いを定められたような何かを陛下から感じたような気がしていた。しかし、当の陛下はただ真剣な表情を浮かべ、今はお父様とお爺様が先に始めた今回の件の報告に耳を傾けている。

 あれは気のせいだったのかな。初めて会う国王陛下を前に、緊張しすぎて勘違いしてしまったのかもしれない。陛下はこちらが圧倒されてしまうようなオーラを常時発しているけれど、その声や表情は基本的に穏やかで優しそうだ。私は無意識に張りつめていた気持ちが少しずつほぐれてくるのを感じながら、自分が話す番になるまで静かに大人たちの会話に耳を傾けていた。






 しばらくすると、今度は陛下が私に直接話を聞きたいとおっしゃった。私は陛下に促されるまま、呪いについてわかる範囲で体験したことをひとつひとつ話し始めた。陛下は革張りのソファーに深く掛け、右手を顎に当てながらふむふむと頷きつつ私の話を聞いている。研究者らしき人の方は、私の言葉を聞き逃すまいと必死に一字一句書き取っているようだ。



「ふむ。なるほど、まず『睡魔と拘束』の状態で、ソフィア嬢が意識の中で目覚めてはいたが、身体は眠ったままという奇妙な状況だったのはわかった。して、そのような状態で、どのようにして禁術を返したのじゃ?」



「えっと、それは……意識の中だからか、周りは本当に真っ暗で…何も、自分の姿さえも見えなかったのです。でも、足に変な鎖みたいなものが絡みついて、這い上がって締め付けてくるのは感じていました。

 なので、その……、手探りで鎖を掴んで、思いっきり引きちぎった後、鎖自体を振り回して本体と思われるものを粉々になるまで殴り倒しました」



 私は、改めて言葉にするととんでもない暴力娘みたいだな、と内心恥ずかしくなりながらも正直に伝えた。あの時たまたまとても機嫌が悪く、怖がるどころかひゃっはーしながら呪いをフルボッコにしたとは言わない。余計なことは言わない。ははは……



 私の話を聞いた陛下は目をかっと見開くと、お腹を抱えて笑い出した。お爺様もがはは、と声を上げて笑っている。お父様は信じられないという顔で私を見て、研究者は動揺しすぎて魔導ペンを床に落としてしまった。



「くくくっ……なんということだ! わははは! まさか呪いを引きちぎって殴り壊す者がおろうとは! なんと愉快! 愉快よのう!」



「がははは! さすがは儂の孫! 呪いなんぞ力でねじ伏せればよいことがわかったのじゃ! ソフィーも我が一族に相応しい振る舞いをしたのじゃ、がははは!」



「そういえば、呪いをどうやって返したのか聞いてなかった……というか意図的に返したとは思ってなかったから聞かなかったのだけれど……まさか、そんなエリアーデみたいなことをして返していたなんて……全くとんでもない無茶をして。はあ……、エリアーデが聞いたら喜びそうだな……」



「えっと、心配かけてごめんなさい……?」



 大笑いしている陛下とお爺様をよそに、お父様はなんだか遠い目をしている。そりゃそうだ。だって、その時お父様とお母様は、本当は呪いに殺されそうになっていた私を看取りにきていたはずだ。

 それが実は、自力で呪いをフルボッコにしていたと聞いたら、なんというか……呆れるというか、心配して損した気分になったのではないだろうか。別にわざとじゃないんだけれど、なんとなくお父様が可哀そうな気分になったので謝っておく。







 研究者が私の話を書き取り終わったところで、お父様と陛下がそれぞれ魔法契約の契約書を取り出して机の上に広げた。突然何をするのかと思って見ていると、2人とも同じタイミングでそのうちの一文に指を触れた。するとその部分が光り、契約書から出てきたかのように文字が宙に浮かび上がり、小さく燃え上がった。かと思うと、打ち上げ花火が弾けた後みたいに次々に光を失い、燃えカスとなって契約書に吸い込まれながら消えていった。



「呪いについて話をするのは終わったからね。痕を見せる部分に関する契約はこの下の部分だけど、一つ目の契約は履行されたから、こうして解除したんだ。あとでまとめて解除してもいいんだけど、解除は契約者が全員そろって同時にやらないといけないんだ。万に一つでも、どれかの契約を解除し忘れたということがないように、普通はこうして一つ終わるたびに解除するものなんだよ」



 不思議そうな目で見ていた私に気付いたのか、お父様が今何をしていたのかを優しく教えてくれる。こうやって解除するのか。まるで、終了した契約を燃やしているみたいに見えたけれど……なんだか浮かび上がた契約書の文字は『生きている』みたいで、なんというか、あの粉々にした鎖みたいな気配がした。



 私は、直感だけど魔法契約は侮ってはいけないものだと感じた。これはやばい。契約違反したら相手の奴隷とか冗談でしょ、とか半分思っていたが、冗談じゃなさそうだ。私の本能が、私の頭の中で警鐘を鳴らしている。あんな危ない匂いしかしないものを、私のために使っているお父様にも陛下にも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。そして、私は一生自分では結びたくない代物だ。





 私は「初めて見たので驚きました」とお父様に返事をしつつ、自分の顔が青くなるのを感じた。お父様と陛下から、契約書には名前を載せていなかったがヘンストリッジ家の一員なので、お爺様もこのまま同席してもいいか聞かれたので、黙って頷いた。私の返事を聞くと、陛下とお父様はすぐにそれぞれの契約書をいじり始めた。その間に、それまでずっと黙って書き取り作業に没頭していた、研究者と思われる男性が私のそばへとやってきた。



「申し遅れましたが、私は王都魔法師団の魔法研究所所長のデュカス・カローでございます。この度は、『呪い』ということで専門家がおらず、分野としては一番近い魔法による状態異常の専門家として私がこちらに来させていただきました。お力になれるかわかりませんが、全力を尽くします。よろしくお願いいたします」



 そう言って、くたびれたローブを気にする様子もなく、膝折って挨拶してきた。カロー家は、確か領地のない男爵家の一つだ。私もソファーから立ち上がり、リタに習ったカーテシーで返す。騎士服でカーテシーっていうのも本当はおかしいのかもしれないけれど、性別は女性なのでこれでいいそうだ。早く髪の毛伸びないかな。








 挨拶を終えると、デュカスが壁際に置かれたオットマンを私のソファーのすぐ近くまで運んできてくれた。私はソファーに再度座り、呪いの痕がある膝まで騎士服のズボンの裾を捲り上げる。お父様が顔を歪めるのを感じながら、つま先から膝まで螺旋状に赤黒い鎖の痕が付いた両足をオットマンの上に乗せた。痕をよく見ようと、デュカスと陛下が私の足元近くまで寄ってくる。



「これが、かの有名な禁術の痕……ちなみに、これは今痛みや違和感はあるのですか?」



「いえ、目が覚めたときから痕があるだけで、痛み等は全くありません」



 デュカスが私にいくつも質問しながら、魔導ペンを植物紙に走らせていく。呪いの痕のスケッチもしているようだ。赤と黒のインクで丁寧に模様を描き取っている。質問とスケッチを終えたあと、デュカスが魔法の状態異常を解除する方法を試してみてもいいかと聞いてきた。



「魔法による状態異常では、このように解除後に身体に痕が残ることはあり得ません。また、ポーションや回復魔法を適切に使えば、どのような怪我でも痕は残りません。これは間違いなく、魔法攻撃でも、物理攻撃でもないもので受けた傷痕なのでしょう。

 呪いとのことですから、魔法の解除では効果がないかもしれませんが……ものは試しにやってみてもよろしいですか? その際、ほんの一瞬でも痕に直接触れなければならないので、気に障るようでしたらやめておきますが……」



 今日何をしに来たって、私にとってはこのグロテスクな傷跡をどうにかしに来たっていうのが一番なのだ。もちろん即答でお願いした。それに呪いの研究は、そもそも学ぶことすら禁じられているので少なくともこの国では行われていない。魔法の解除のスペシャリストであるデュカスに無理だったら、もうこれと一生付き合う覚悟を決めなければならないかもしれないのだ。試しでもなんでも、できることがあるならやってほしい。



 私は色んな意味で内心ドキドキしつつ、デュカスが解除を試みるのを見ていた。デュカスの右手が紫色に淡く光り始め、その光の揺らめきを調節したあと、私の右足にそっとその光を当ててきた。



 一瞬、右足が温かくなり、デュカスの魔力が流れてこようとしているのを感じたが、



「……っ!」



 その前に、今までずっとおとなしくしていた鎖がゆらりと動いたかと思うと、不気味に蠢き始め、皮膚の中で立体的にその姿を膨らませた。そして、私の足から浮かび上がって大きくしなり、驚いて呆然としているデュカスを流していた彼の魔力ごと壁へと弾き飛ばした。

 異変を察したお父様は、慌ててそばに駆け寄ってきて私を抱きしめ、お爺様は鎖が動き出すとともに剣を抜き、陛下を背に庇うようにして構える。そして、蠢く呪いを溢れんばかりの殺気をまき散らしながら睨みつけている。



「なっ! 呪いは術者に返されたはずなのに……まさか、まだソフィーの中で生きているのか?」



 肝心の呪いはというと、デュカスを一番近くの壁まで弾き飛ばしたあとは、何事もなかったかのようにもとの模様の中に戻っていた。お父様が私の背中をいたわるように撫でながら、唇を噛んで忌々しそうにつぶやく。



「げほっ……くっ、いいえ、ヘンストリッジ卿。少なくとも呪いの本体は生きてはいないと思います。これが本体ならば、あの完全犯罪として恐れられた禁術なのです、今の一撃で私が無事でいられたとは到底思えません。

 これは、恐らく呪いの残滓のようなものではないでしょうか。本体の手足だったものの一部がソフィア様に残っているものと推測します。ソフィア様に一度物理的に制圧されているので、ここにある分にはおとなしくしているのでしょうが、ソフィア様以外の者が手を出せば、こうして暴れだすものと考えます」



 デュカスが倒れて服についた埃を軽く手ではたきながら起き上がり、自分の考えを説明してくる。陛下とお父様は難しい顔をし、お爺様は相変わらず殺気を込めて鎖の後を睨みつけている。お爺様落ち着いて……このままだと私の足ごと呪いを叩き切ってやる! とか言い出しそうで怖い! 誰か助けて!








 ただ、もしデュカスの推測が正しいとすれば、これを大人しくさせるには私が死ぬまで付き合うしかないんだよね? いや、日常生活には今のところ困っていないんだけど……いずれは着なければならないドレスとかドレスとかドレスとかさあ……。今後やるであろうダンスとかでこれ見えたらただのホラーだよ? 気が重いわあ。ああ、本当にもう騎士を目指そうかしら……





「ううむ。残念だが、とにかく今すぐにこれを消すためにできることはない、ということじゃな。なあに、ソフィア嬢。心配はいらぬ。国内の当てはなくなってしもうたが、いくつかある我が国の友好国に、解呪に詳しい者がおらぬかあたってみようぞ」



「それが良いかと。もしかすると魔力を弾いているだけで、解呪であれば効くかもしれません。他国には呪術師が当たり前に存在する国もあると聞きます。可能性はまだ十分にあります」



 目に見えて気落ちしてしまった私の頭を優しくなでながら、陛下が、そしてデュカスが口ぐちに励ましてくれる。そうだよね。今回はもともと魔法の解除なんだもん、ダメ元でやったんだから、そんなに落ち込むことでもないじゃない。



 それに、国家の懸案事項とは言え、一令嬢のために陛下が動いてくださるんだもの。ありがたいことだし、きっといずれなんとかなる。そう信じて、私は私にできることをやっていくしかないんだから。



「国王陛下。デュカス様。ありがとうございます。もし、解呪ができる方が見つかったら、ぜひお願いしたいです」



 私は、なるべく無邪気な笑顔に見えるように努めて笑いながら言った。みんなに心配をかけたくない。私は大丈夫。今これで死ぬことはないんだもの。生きてさえいれば、きっとなんとかなるさ。



「ソフィア嬢、そなたは気持ちの強い子じゃ。今すぐにどうにかしてやりたかったが……すまぬの。今日明日中に友好国への遣いを出すからの。時間はかけぬようにする故、気を落とさぬようにな」



 陛下が、穏やかな顔に少し苦しそうな表情を浮かべながら伝えてくる。陛下にも同じくらいの年の子どもがいるのだ。子を持つ親として、心配してくれているのかもしれない。

しかし、今日明日中って、そんなすぐに対応してくれるのかと正直驚いた。だって、国が動くってなったらもっと時間がかかりそうじゃない? 日本でもお役所仕事って言葉があるくらい、国や政府が関わると仕事のスピードが遅くなるっていうイメージがあったからさ。

でも、お父様も研究者も何も言わないあたり、契約時にそういう話になっていたのかもしれない。本当は自国でどうにかしたかったのにできなかった、そういう悔しさも滲ませながら、陛下は優しいその声で私にそう約束してくれた。



 面会が終わりに近づき、私がズボンの裾を戻して身支度を整えている間に、陛下とお父様は再度契約を解除した。そして、全ての契約が解除された契約書は小さな炎となって2人の手の上で燃え上がり、塵も残さず消えていった。

 その後私以外の4人は、それぞれ今後の動きを確認していた。研究者の方は、今日得た情報を元に、古い文献を当たったり、情報収集を始めるようだ。陛下は使用人を呼び、遣いを手配するための書類の準備の指示を出し、それと併せて誰かを呼びに行かせたようだ。



 ふう、どうやらこれで面会は終わりみたいだ。よかった、とりあえず何事も無く終えられそうだ。今朝ここに来るまでは散々心配して、不安でたまらなかった。でも、どうやら取り越し苦労だったようだ。これで無事に帰れる! せっかくだから、リュフトシュタインに聞いていた通り王都の祈りの塔に寄ってもらえるよう、お父様にお願いしてみようかな。うふふ、待っててね、リュフトシュタイン! ふははは!



 面会の終わりが見えたことで一足先に気が抜けていた私は、この時もう完全に油断してしまっていた。だから、この後まだまだ家に帰れないなんて、想像もしていなかった。









 面会が終わった部屋にノック音が響き、がちゃりと扉が開く音がしたのはその後すぐのことだった。

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