第30話 王宮へ行こう 前編

 朝の祈りの塔でのお勤めを終え、領民たちが左右に海が割れるようにさっとスペースを開けてくれた通路を通り、私はお母様と一緒に祈りの塔を出た。今日はこれから王宮に向かうのであまり時間が無い。馬を飛ばすお母様にしっかりと抱きかかえられ、私たちは屋敷へと急いで戻って来た。



「ふおおおっ! これからおうとにいくのだ! はじめてなのだ! たのしみなのだ!」



 一旦自室に戻って手早く身支度を整えたあと、私はばっちり目の覚めたソフィーと一緒にお父様の執務室に来ていた。ソフィーが頭の中ではしゃいでいる。なんだかんだで楽しみにしていたらしい。呑気なものだ。


 

 部屋の中には、私の身の回りの世話をするリタを含め、数人の使用人とお父様、護衛も兼ねる騎士団長のお爺様を含めた騎士数名がいる。

 お父様は移動する全員がいることを確認すると、普段執務で使っている机の後ろにある壁一面、床から天井まである大きな本棚の一角に手を触れた。お父様の手から赤い光が本棚全体に広がり、本棚が人ひとり通れるくらいの通路を残して真ん中から左右に分かれ、ゆっくりと壁の中に吸い込まれていく。



「うわあっ! お父様、これも魔法ですか? 本棚が勝手に動いています!」



「ああ、ソフィーは初めて見るんだったね。転移陣は防犯上、領主以外が使えないようにしているからね。だから、転移陣の部屋に入るにはここで私が魔力を流さないと開かないように、鍵代わりにこの魔道具を置いているんだ。

 それにこれはね、私以外の人間が勝手に魔力を流すと、この本棚に吸い込まれて屋敷の地下牢に自動的に飛ばされる仕組みになっているんだ。とても便利だろう?」



 お父様はにやりと笑いながらそう答えると、私たちを本棚の向こうの部屋へと案内する。いやいや、さらっと言っていたけど自動で地下牢行きとか怖すぎる。イタズラなんかする予定はないし、防犯上とっても素晴らしいと思うけれど事前に聞いておいてよかった、ほんとヘンストリッジ家怖い。お父様は比較的優しい方だと思っていたが、そうでもないらしい。血は争えないと言ったところか。

 私はお父様の悪い笑顔に笑顔を返しつつもわずかに背筋が寒くなるのを感じながら、みんなに続いて狭くて薄暗い通路に足を踏み入れた。そして短い通路の先にある本棚の向こう側の空間には、これまた初めて見る光景が広がっていた。









 6畳ほどの部屋の床、壁、天井、部屋へと続く短い通路、そしていつの間にか閉じていた元は本棚だった扉に、見渡す限り一面に幾何学模様のような、いや、アラベスク模様のような、なんとも言えないけれど初めて見る模様がびっしりと彫られている。レンガでできた屋敷でこの部屋の中だけは、まるで白い大理石のようなもので作られているようで、異質だ。



私はつい、きょろきょろと周りを見渡してしまう。模様はひとつひとつ違うようだ。とても複雑そうだし、もしかしてこれ全部が転移陣なのだろうか?



「転移陣も初めて見るから驚いたかい? 転移陣には特別な素材が必要でね。そして、その一面すべてに陣を魔力で正確に彫ることができる一流の職人も必要なんだ。それに、1つの転移陣は1か所にしか飛べない。だから、そう簡単にこれは設置できるものじゃないんだよ」



 落ち着かない私に、お父様が優しく教えてくれる。どうやら転移陣とはかなり大掛かりな魔道具らしい。ちなみに転移陣とは、一面に彫られている魔法陣の内部にあるものを丸ごとペアの転移陣のところへ移動させるものだそうだ。

 そして部屋の中身ごと移動させるので、大量の魔力が必要で、一面の模様全部に一斉に魔力を流さないと動かないそうだ。だから、これはお爺様や騎士たちの手も借り、みんなで魔力を流して一斉に飛ぶ。

 ちなみに、私はリュフトシュタインに食べられた後なのでこれは免除してもらった。ありがたいような、申し訳ないような。



「準備はいいかい? ソフィー、転移陣が動いたら、ちょっと気持ち悪くなると思うけど『抵抗』しないこと。拒むとここに一人で置いて行かれるかもしれないから、それだけは気を付けてね」



 お父様はそう言いながら私と手をつなぎ、6畳ほどの部屋と短い通路にぎゅうぎゅうになって立っているみんなに掛け声をかけ、一斉に魔力を流し始める。みんながそれぞれ赤や青、緑や黄色、茶色に紫といった様々な色の魔力を、壁や床に触れた手から一気に流していく。



 私は部屋全体が眩しく光り、魔力で満たされていることを感じながら、お父様が言っていた『抵抗』するというのが一体どういうことなのか考えていた。だが、答えはすぐに分かった。



「……なっ、ううっ……!」



 転移陣が光で完全に満たされると同時に、私は自分の身体から自分の中身が、魂がびりびりと引きはがされそうな、そんな外からの強い力を感じた。抵抗してはいけないと知らなければ絶対になんとかしようと暴れたに違いない。しかし、置いて行かれるのは嫌なのでぐっと我慢する。

 少しの間気持ち悪いというか、中身が引っ張られて痛いというか、そんな不思議な感じに耐えていると、その後すぐに目の前の景色が文字通りぐるりと回った。瞬きをして次に目を開いたときには、すでに見知らぬ部屋にお父様に手をつながれたまま立っていた。



「旦那様、大旦那様、お嬢様、お待ちしておりました」



 白髪の執事の格好をした男性を筆頭に、数人の使用人と思われる人たちが一斉に頭を下げながら出迎えてくれた。



 私は、初めてヘンストリッジ辺境伯爵領を出て、王都にやって来たのだ。











 

 王都の屋敷は、ヘンストリッジ領のレンガの屋敷とは違い、灰色がかかった白いすべすべとした石で造られており、見るからに重厚で豪華な造りだ。どうやら、辺境伯になるきっかけとなった曾お爺様のオスカー・ヘンストリッジが当時の国王様から褒美の一つとして与えられたものらしい。



 この国の貴族の中で辺境伯は大公、公爵、侯爵の次に高い身分なんだもん、こういう豪華なお屋敷でもおかしくはない。妹は「たかが辺境伯」とか言っていたけれど、あれは公爵令嬢と比べていたのであって、辺境伯自体は決して低い身分ではない。うちが貧乏になりかけなのは事実みたいだけど。



 私は王都の屋敷の使用人に案内された部屋で、リタに手伝ってもらい、白の正装に着替える。自室の鏡よりもずっと映りのいい鏡を見ながら、おかしいところはないか、最終チェックをする。そしてリタと一緒に王宮でのマナーをおさらいしながら、出発の知らせが来るのを待った。














 真っ白な革にヘンストリッジ伯爵家の紋章が大きく描かれた4頭立ての大きな馬車に揺られ、王都の石畳を王宮へと進んでいく。

 いつもだったら、みんな騎馬でさっさと移動するところだが、ここは王都。さすがに貴族としてそんなことはできない。みんなおとなしく馬車に揺られている。



 馬車の中には私、お父様、お爺様、護衛騎士が一人、それからリタが乗っている。そして馬車の前後に2名ずつ護衛騎士が騎馬で周囲を警戒している。

 私以外リタも戦えるので、こんなに護衛がいるかは甚だ疑問だが、余計なことは言わないでおく。どうか誰も襲って来ませんように。今この馬車は、返り討ちくらいじゃ済まないくらいの過剰戦力だからね!






 ヘンストリッジ家の王都の屋敷から王宮までは、より上位の貴族の屋敷があるだけなので通り過ぎる屋敷の数は少ない。しかし、一つひとつの屋敷が無駄にでかい。馬車でたった6つのお屋敷を通り過ぎるのに15分くらいかかった気がする。遠いわ!



 私は、木枠に革張りの馬車に作られた窓から外の景色を眺める。だだっ広い屋敷群の向こうに、これまた空の雲に突き刺さらんばかりに伸びる、あの不思議な摺りガラスみたいな何かでできた高い塔が見えた。あれが王都の祈りの塔だろう。塔だけでも、領都のとは全然大きさも高さも違う。これはリュフトシュタインの本体も楽しみだ。ふふふ。



 私の頭がクラオタワールドに飛んで行きそうになったところで、馬車がゆっくりと速度を落とし始め、ほどなくして静かに停止した。護衛騎士とお爺様が最初に馬車から降り、私はお父様に手を引いてもらい、その後に荷物を抱えたリタが続いた。



 馬車の高い段差から落ちないように下を向いて降りた私は、足を地面につけたあとに顔を上げ、これから戦いの場となるかもしれない王宮をじっと見据えた。












 王宮は、アイボリーに近いオフホワイトの石で造られた、優しい色合いの宮殿だ。馬車から降りた位置から見えるのが恐らく宮殿の正面なのだろうが、その建物の向こう側にも、いくつも先の尖った屋根や塔が見える。かなり大きく、そして広いのだろう。

 馬車が止まったところは門からカ大きなカーブを描くようにして入り口へと続く専用のロータリーのようで、その周囲には美しい様々な種類の花が咲き誇っている。

 王宮のすぐ隣には王立図書館もあるらしいし、本当ならこの機会に色々見て回りたい。でもここはぐっと我慢。さっさと報告なんて終わらせて、王子に遭遇する前に帰るんだからね!



 私は、自分にそう言い聞かせながら、執事に先導されるお父様たちに付いて宮殿内の赤絨毯の上を歩いていく。途中、すれ違う使用人のような人たちが皆通路の両脇にさっと避け、私たちに頭を垂れていた。

 いつもはつい忘れてしまうが、こういう光景を見ると、今の自分は貴族という立場なのだと思い知らされる。





「高い身分には、その特権と引き換えに背負う大きな責任と、求められるしかるべき振る舞いがあるのですよ」



 どこからか、ヴァルナーダ先生の声が聞こえた気がした。そう、今の私は貴族なのだ。良い意味で、それらしく振舞わなければ。



 私は気を引き締め、豪華な調度品や絵画に彩られた長い廊下をお父様に続いて歩き続けた。










 もうどれくらい歩いたかわからないくらいの距離を歩いたあと、一つの大きな扉の前で執事が止まった。そして、3度その扉をノックした後静かに扉を開け、「中でお待ちです」と言い、私たちを部屋へと促す。



 お父様とお爺様、私が中へと案内され、護衛騎士たちとリタは隣の部屋へと案内されていた。ここからは身分の高い者だけなのだろう。促されるままに扉の中へと足を踏み入れる。 

 部屋に入ってすぐのところに木製の大きな衝立のようなものがあり、それを避けて中へと進む。衝立のせいで全く見えていなかったが、部屋の中には既に私たちを待っている人たちがいた。









 私たちが入ったのは、こじんまりとした、しかしまるで楽器の練習でもできそうな、防音室みたいな造りの部屋だった。その中心にある、焦げ茶色で艶のある大きな木製のテーブルには、黒くて丸い魔道具のようなものと昨日お父様に見せてもらった魔法契約の書類にそっくりなものがくるくると丸められた状態で置かれている。

 テーブルを挟んで部屋の奥側にある、ゆったりとした大きな黒い革張りの一人掛けのソファーにそれぞれ国王陛下と思しき穏やかそうな表情の男性と、黒縁の眼鏡をかけてくたびれた灰色のローブを着た、研究者と思われる男性が筆記用具と植物紙を握りしめて座っていた。





 国王陛下と思われる男性は、私を見ると穏やかな表情のまま一瞬目をキラリと光らせたような気がした。私はゆっくりと立ち上がった陛下を前に、お父様とお爺様に習うようにして跪いて頭を垂れながら、ただ者ではないオーラを放つ陛下を前に自分の心臓の音がドクドクと聞こえるほど緊張していた。

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